275話
俺はヨハンを連れて井戸の道を通って赤茶けた部屋へと戻ると、スコップを持った社員たちが立って待っていた。
井戸の前には露天風呂、いやダンジョン風呂ができており湯気が立ち上っている。アイルが、いくらでも水が入る水袋と加熱の石を持っていたため、風呂づくりは問題ないと思っていたが立派なものを作ったようだ。
「さすが、うちの社員はよくわかってるなぁ!」
俺はすっ裸になって、ザブンッと風呂に入った。
「なんでナオキが先に入っちゃうんだよ! 光の勇者に入ってもらうんだろ!?」
赤茶の泥を頬につけたアイルが怒っている。
「はぁ~あ、気持ちいいな。ヨハンも入るといい」
アイルからスコップが飛んできたが、どうってことない。
「いや、だって初対面の人の前で裸になんか……」
ヨハンは引きこもりだからか羞恥心があるようだ。
「この人たちは気にしなくてもいいぞ。ヨハンの人生における風景みたいなものだ」
「風景……いや、とてもそうは思えないですけど。あのナオキさんは女性に裸を見られて恥ずかしくないんですか?」
「え? なにが?」
ヨハンが、俺にはさっぱり意味がわからないことを言い始めた。
「ナオキは服を着てても着てなくても、そもそも恥ずかしい人生だから気にしないだけだ。嫌なら私たちは向こうに行っているよ」
ベルサが俺に対し完全に失礼なことを言って、赤茶けた岩の向こうに皆を連れていった。ヨハンはベルサに声をかけられただけで顔を真赤にしている。
「まったく、あれでも名目上は俺の部下なんだぜ。どう思う?」
正直、部下とは思ってないけど部外者であるヨハンに聞いてみた。もしかしたら、ヨハンの好みもわかるかもしれない。好みがわかれば娼館に行ったときにお嬢様を選びやすいってものだ。
「え、どうって言われても……」
ヨハンは恥ずかしそうに股間を隠しながら、ボロボロの服を脱いで、ゆっくり湯船に浸かった。
「もうどうせ聞こえちゃいないから、正直に言ってみろ」
「正直にですか? だったら僕も罵られながら顔を踏まれたい、とかですかね?」
「……」
光の勇者は時も操れるようだ。予想外の答えすぎて、一瞬、時間が止まった気がする。
「ははは、そうか。結構ハードな趣味もってんな」
「え!? ハードですかね? じゃ、じゃあ、ソフトに手足を縛られてとか……」
「待て待て、詳細は現地に行って頼んだほうがいいから、まだ欲望はしまっておけ」
「は、はい。げ、現地、ですか?」
「ある人は桃源郷と呼び、ある人は泡の楽園と呼んだ。身体をきれいにしたら、そういう場所に連れていってやるよ」
「どういう場所ですか、それは!」
ヨハンはザバッと立ち上がった。顔が真っ赤になっているので、本人も察しがついたのだろう。
「慌てるな。最初は皆慌てるけど、こういうことはゆっくり準備していったほうがいいんだ」
しばらく浸かって湯船から上がり、身体を洗うことに。石鹸はいつもの柑橘系の匂いがする石鹸だ。自然素材しか使ってないから環境にも優しい、と信じている。
「よし、ヨハンの背中を流してやるよ」
「え、いや、僕は自分でできますから」
引きこもりだったせいか照れ屋だな。あまり無理強いは良くないので、石鹸を貸すだけにした。
ヨハンの身体はものすごい白い。毛も少ないし、爪をヤスリで削って髪を整えて、ちゃんと清潔な服を着れば、それだけでモテる気がする。
服はセスのものを渡した。俺のはインナーに近いものばかりだし、背丈もセスのほうが近かった。
「爪やすりもかけてやってくれるか?」
セスに頼むと、「はいはい」と甲斐甲斐しく世話をしてやっていた。ヨハンが服を着ると女性陣もやってきて、俺の計画を話した。
「なにそれ? バカじゃないの?」
「それで引きこもりが治るなんて思えないけど……」
「はぁ~、じゃ髪を切ればいいんですね?」
アイル、ベルサ、メルモは呆れていたが、俺は「男ってのは思っているよりそういうことに対してナイーブなんだ。もっと優しくしてやれ」と言っておいた。
メルモがヨハンの髪を切り髭を剃ったのだが、鼻血が止まらなくなったのを見て、ようやく女性陣も男の弱さに気づいたのか納得していた。
その間、俺はうちの会計担当であるベルサにお金の交渉だ。
「ベルサさん、これは必要経費というか、接待費というもので、うまくいきさえすれば依頼は達成されるわけですから、会社としてもプラスになる経費です」
無論、お金を貰う側なので、今だけは敬語だ。
「いや、そうは言うけどね。実際、神様からの報酬ってほとんどもらえてないわけでしょ?」
「そうなんですけど、こちらとしても再三報酬をよこせと言っていますし、現に土の精霊のときは雨が降ったじゃないですか?」
「でも、今回の依頼主は神様じゃなくてエルフの薬師であるカミーラでしょ?」
引きこもっている光の勇者を外に連れ出すというのはカミーラの依頼だ。神々の依頼はあくまでも勇者駆除。言ってしまえば勇者を辞めてもらうのが目的だ。
「光の精霊がダンジョンマスターなので、光の勇者をダンジョンから連れ出して、ダンジョンの業務から解放すれば依頼達成にならないかなぁと思ってるんです」
「そんな簡単に行くの? だいたい光の勇者は数年前に冒険者としてダンジョンを抜け出してるんでしょ? それでも勇者を辞めてないんだからさぁ……」
「でも世の中の素晴らしさを知るにはいい機会ですし、今回の計画がうまく行けば親離れ、いや精霊離れになるのではないかと」
「ん~……」
なかなかOKはもらえなかったが、最終的には金貨2枚受け取った。メルモの胸が額に当たっただけで鼻血を吹き出しているヨハンを見て、ベルサも渋々「しょうがないか」と言ってくれたんだ。血が吹き出るのを見て面白がっているメルモはアイルに注意されていた。
「貸しだからね。返してね」
「ええ、そりゃあもう。いつになるかはわかりませんが、必ず返しますよ」
金貨2枚を受け取ると、自然と心が弾んでくる。
「よし、準備はできたかな?」
「ん、あ、はい」
鼻に回復薬を塗りまくったヨハンが鼻声で返事をした。服は村人風だが清潔。髪も切って男前になっている。
「ちゃんと帰ってこれるんだろうね?」
アイルが念を押すように聞いてきた。
「大丈夫だよ。ヨハンは帰ってきたし、いざとなれば、またエルフの商船に送ってもらうから」
「大丈夫です。今は白夜の時期なので、曇っていなければ波を渡って帰ってこれます」
ものすごい小さい声でヨハンがアイルに返した。アイルのビキニアーマーは見てはいけないものだと思っているのか、目はつぶったままだった。ヨハンには刺激が強いらしい。
とりあえず、俺とヨハンが出かけている間、うちの社員たちはダンジョンの探索と魔物の調査をしておくことに。あまり光の精霊の逆鱗に触れないような行動を心がけるとは言っていたので、大丈夫だろう。
「じゃ、ちょっと夢の国に出かけてくる」
「いってらっしゃい」
見送ってくれたのはセスだけで、女性陣は腕を組んだまま鼻息を吐いていた。
ダンジョンから出ると、まだサメの魔物の解体が行われていた。
ただ、俺とヨハンが姿を現すと、ポーラー族の皆さんは作業の手を止め、こちらを見てきた。
「ちょっとヨハンと出かけてきます」
「……きます。いろいろすみません」
ポーラー族に対し、ヨハンは何年も連絡すら取っていなかったわけだから、不義理をしている。ただ、ここはどうか見逃してほしいんだけどな。
「わかった。事情は後で聞く」
族長のショーンさんの許可が出た。
「ヨハンをダンジョンから出してくれただけでも感謝している」
セイウチ顔のお兄さんがそう言ってくれた。ポーラー族の皆さんも割と受け入れてくれている。敵視するような雰囲気はない。
俺とヨハンは胸を張って、基地を出た。
空は明るい。ずっと明るいのだろう。
南下して、俺たちが到着した場所まで向かった。
近海は穏やかだが、北極大陸から離れたら風も波も強くなるだろう。
「さて、どうするかな」
空飛ぶ箒を取り出して俺が考えていると、ヨハンはピョンときらめく波の上に立っていた。
「お、そんなことができるのか?」
「これでも、光の勇者なので、光には愛されているんです」
「そうか」
「ただ、海の魔物に襲われることもあって、そのときは助けてもらえますか?」
「わかった。なら、これ持って引っ張ってくれるか。俺は空飛んでいく。海から魔物が出たら、空に引き上げるからさ」
そう言って、俺はヨハンに魔力の紐の端を投げた。
「魔力操作ですか? 魔族の技術ですよね。それ」
「ああ、やろうと思ったらできたんだ。やってみると意外とできるぞ」
ヨハンは目を丸くして俺を見ながら「できませんよ」と言いながら、腰に魔力の紐を結んでいた。
「出発しよう!」
「はい」
俺は空飛ぶ箒で空を飛びながら、海を走るヨハンに引っ張られた。ヨハンは日の光が反射しているところを見極め、ひょいひょいと走っていく。慣れたものだなぁと感心してしまった。
ただ、高波の影になったりするところではなかなか進めないので、俺が空に引っ張り上げてフォローしてやると「ハハハ、これならスピードを落とさず進めそうです!」と笑っていた。海からの襲撃者には何回かあったが、音爆弾で撃退。これにもヨハンは耳を押さえて笑っていた。
「サメの魔物は鼻を押さえるとって言おうとしたら、これだもんなぁ。ハハハ」
「これが駆除業者だ」
「楽しそうですね。こんなふうに魔物を倒す人を初めて見ましたよ」
「楽しいだけだといいんだけどな。行こう」
「はい」
波や風に流されながら辿り着いたのは火の国だった。
そこから走りながら、砂漠を目指した。
オアシスにある娼館に向かう。
一昼夜かけてオアシスに辿り着いたが、夏は暑いばかりで、裸の娼婦たちが通りを平気で歩いていた。俺を覚えてくれている人もいて、いろんな営業を受ける。ヨハンは揺れる脂肪に萎縮してしまい、真っ赤になって動けなくなってしまった。これでは緊張のしすぎで、うまくいきそうにもない。
「ちょっと遠いけど、俺の知り合いがいるところに行こうか?」
「はい、すみません。僕にはパラダイスが過ぎました」
「いや、昼だったからかもしれない。砂漠の夜は寒いからあんな格好はできないはずなんだけど。やっぱり秘め事は夜に限る」
オアシスで飯を食べて、空を飛んだ。
再び一昼夜かけて南西へと飛び、海を越えた。ここからは空飛ぶ箒だけでいい。
風に吹かれながら、なぜだか俺は前の世界のことを思い出していた。たったそれだけのために遠くまで自転車をこいでいった友人のことや、いち早く体験を済ませて誰彼構わず話していた誰か、ひと夏の思い出に涙していたのは誰だったかな。顔は思い出せないのに、甘酸っぱい思い出だけが頭をよぎる。
「こういう青春もあるだろうな」
「なにか言いました?」
後ろに乗っているヨハンが聞いてきた。
「いや、俺はいつ青春を終えたのかな、と思ってね」
暴風が俺の声をかき消していった。
「ごめんなさい! 聞こえません!」
ヨハンが目をつぶりながら叫んだ。ヨハンの声も風で聞き取りづらい。
西の空に日が沈んでいく。
行先にようやく町の明かりが見えてきた。
「あれだ! 降りるぞ!」
俺たちはフロウラの町に降り立った。
風で髪はボサボサだったが、ひとまず町外れの森のなかにある3軒の廃屋へと向かった。お忍びなので誰かに会うつもりはなかったのだが、こういうことに関して頼れるお姉さんにいろいろ紹介してもらう。
明かりが漏れている1軒の家の戸を叩くと、ミリア嬢が出てきた。
「あら、先生、どうしたの!?」
元娼婦で今は清掃業をしている彼女は俺を先生と呼ぶ。以前、清掃や、ばい菌などについてレクチャーをしたからだ。
「実は……」
俺は簡単にミリア嬢に状況を説明した。
「……ということで、いい娼館を紹介してもらえませんか?」
「そんなことならお安い御用よ。予算はおいくら」
俺は金貨2枚見せた。
「そんなに!? いくらでもお好きなところを紹介できるけど……」
「初めてだから、優しいところが良いんだけど、ちょっといじめられたい願望もあるらしくて……」
「難しい要望だけど、大丈夫。ちょっと待ってね」
ミリア嬢はスカーフを羽織って外に出てきた。
魔石灯を持つ俺の隣を歩き、町の娼館街へと向かう。後ろには緊張をしているヨハンが続いていた。
娼館街の奥の店の前でミリア嬢が止まり、中に入って交渉してくれた。
「じゃ、きっと中の人がうまくやってくれるから」
出てきたミリア嬢はそう言って、外に出てきた。
「本当にありがとう。助かったよ」
「いいのよ。楽しんできてね」
ミリア嬢はヨハンに微笑んだ。
ヨハンは未だ踏ん切りがつかないようで、「やはり、初めては好きな人と」などと汗をかいている。
「そういうことはやってから後悔しろ。なにもしないまま葛藤を繰り返しても、女心はいつまで経ってもわからない。一歩踏み出してみろ」
俺はそう言って金貨2枚を握らせた。
ヨハンは大きく息を吐いてから、店の扉を開けた。店の中から「いらっしゃいませー」という艶っぽい声が聞こえてきた。あとはプロに任せよう。
「彼って先生のお友達?」
ミリア嬢が聞いてきた。
「ああ、光の勇者なんだ」
「ふふふ、冗談でしょ?」
俺は真顔でミリア嬢を見た。
「本当に!?」
「秘密にしておいてもらえる? 勇者の立場上、今までいろいろ運に恵まれなかったみたいなんだ」
「そうなんだ。わかった!」
さて、俺はどこで待ってるかな。
「先生は遊ばないの?」
「もうお金がないからね」
「ふ~ん、じゃあうちで待ってる?」
ミリア嬢が前髪を耳にかけながら聞いてきた。これはお誘いでしょうか?
「うん、待ってる!」
翌朝。
「ナオキさん! ありがとうございます! パラダイス以上のパラダイスでした!」
そう喜ぶヨハンとは裏腹に、俺はこの世界に来て最大の問題を抱えていた。




