274話
天井から突き出た光る鉱石が部屋全体を、うっすら照らしている。
合成獣の群れは部屋を埋め尽くしていたが、隅に一カ所だけ家があった。土壁で屋根からは煙突が生えた平屋である。曇りガラスの窓から漏れる光が、妙に明るかった。
「部屋の中に家があるなんてなぁ」
作った人はボケたつもりだろうか。
煙突から煙が立ち上っているので、中に誰かいるだろう。俺は木製のドアをノックした。
「はーい」
「どうも、こんばんは~」
部屋が暗いので自然と「こんばんは」と言ってしまった。
「どうも、おばんですー」
北極の方言かな。ドアを開けたのは金髪で長髪のイケメンだった。
「はぁ!?」
イケメンは俺を見て、素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ?」
俺もそれに返す。
「あれ? 僕、なんでドアを開けちゃったんですかね?」
「それを俺に聞かれても……」
イケメンはドアを閉めようとした。俺はすかさず自分のブーツをドアの隙間に挟み、阻止した。
「光の勇者であるヨハンさんですよね?」
「そうですけど、御用はなんですか? 僕は今誰とも会う気はありませんよ」
必死にドアを閉めようとするヨハンだが、俺のほうが腕力は強いようだ。
「昔の仲間にカミーラというエルフがいたでしょ? 俺はそのカミーラに依頼されてやってきた者です」
「え、カミーラが?」
ヨハンが一瞬力を緩めたので、ドアが蝶番ごと外れてしまった。それを見てヨハンは情けない顔をして俺を見てきた。笑ってしまいそうになる。そんなに老けた顔をしていないので、もしかしたら同世代かもしれない。
「あ、ごめん」
「なんてことするんですか! これじゃ、引きこもれないじゃないですか!」
それを解決するために来たので、結果的に仕事したな。
「だったら外に出るしかないね」
「無理ですよ。僕はもう外の世界の人間関係に疲れました。このダンジョンで一生を終えます」
「そうかぁ、じゃあしょうがないか。ドア壊して悪かったね」
俺は立ち去ろうとすると、ヨハンは「行くんですか?」と小声で聞いてきた。
「だって、引きこもるんだろ?」
「でも、ダンジョンをここまで攻略してきたんですよね?」
ヨハンが俺の顔を覗き込むように聞いてきた。
「このダンジョンはそんな大変でもなかったよ。南半球のほうがはるかにひどかった」
「み、南半球!?」
「俺、ほら、あの、カミーラが持ってたエルフの秘術で作った毒でレベルが上ったからさ」
「エルフの秘術ってなんですか?」
「なにって聞かれるとなんだろうね。北極大陸のポーラー族から教わった秘術らしいけど、君も知らないのか?」
「どういう効果があるんです? その毒は!」
ヨハンは興奮しながら聞いてきた。
「落ち着けよ。説明するから。ん~……家の中で説明してもいいか? ここなんか落ち着かないんだよ。動かない魔物が並んでてさ」
「ああ、すみません。ここ数年、あまり人と会ってなかったので、どうぞ。散らかってますけど」
ヨハンはあっさり家に入れてくれた。中は本当に散らかっていて、昔見たベルサの家を思い出した。メモが散乱し足の踏み場はなく、食べ物らしきものにはカビが生え、皿に乗った黒い塊が印象的。腐敗臭と汗の臭いが混ざり、そこに水カビの臭いがアクセントになっている。
「死ぬ気か?」
俺はヨハンに聞いた。
「え? 何がですか?」
「こんな汚い部屋で何かを食べていたら、病気になるだろう! 待て、お前風呂に入ってないな!」
「人には自浄作用というものがあってですねぇ……」
「よく見たら、爪も噛んでるな! 俺は清掃・駆除会社の業者だ。いいか? 職業柄、こんな場所では話をする気にもならないから、一旦掃除させてくれ!」
俺は土足で上がり込んで、とにかく掃除から始めることにした。
「ああ、ちょっと待って! 大事な論文だってあるのにぃ!」
相変わらず、情けない顔をしているヨハンに俺は「論文にカビが生える前に救出しろ!」と指示を出す。
「アハアハアハ。論文にカビが生えるって、いい表現だなぁ! ここにあるのは僕が考えた最新の論文だから、古くはなりませんよ」
ヨハンは口を大きく開けて笑い始めた。笑いのツボがわからないが、ウケたようだ。
「いや、笑ってる場合じゃないぞ。羊皮紙だって紙だって、カビが生えたら真っ黒になるんだ。君が考えた論文も真っ黒になるぞ」
「え!? ああ、そうか!」
ヨハンは急に慌てだし、メモの束から自分の論文を発掘し始めた。
俺は、まずはヤバそうなカビや臭いを発しているナマモノから処理していく。魔力の壁で包んで集め袋に入れて、火魔法で焼いた。スキルレベルが1だが火魔法って便利だ。家の外で焼いたのだが、合成獣たちは、あまり俺のやっていることに興味が無いのか、相変わらず魂が抜けたように反応がない。
俺は社員たちに通信袋で連絡を取り、「光の勇者の家の掃除するから、遊んでていいぞ」と言っておいた。
『新しい通路を見つけたから、探索してる』
アイルから返事がきた。大した距離でもないはずなのに、魔力消費が激しく、かなり雑音が入る。ダンジョンの影響か、北極大陸特有の環境がそうさせているのか、よくはわからない。
家に戻ると、ヨハンは「あーこれ、経験値の研究してたときのだぁ~」などと論文の束を持って懐かしがって、座り込んでいた。
「おい、あの魔物の群れは大丈夫なのか?」
俺が声をかけると、「大丈夫ですよ」と返事だけはいい。
「ほら、手を動かさないと、家ごとカビるぞ!」
そう言って手を叩いて発破をかけないと、ヨハンは動かない。
「大丈夫か? そんなんで……」
「なにがです?」
「光の勇者としての仕事はしてるのか?」
「勇者としての仕事と言っても……今日はお日様は照ってなかったですか?」
「いや、ちゃんと昇ってた」
「だったらいいんじゃないですか? 今日も世界の誰かが、昇る日を見て拝んでますよ。光の精霊はこの星がある限り仕事はしています」
そういうものか。前の世界で日出ずる国に住んでいた俺としてはわかる気はする。ご来光を拝む風習すらあるのだ。この世界にだってあってもおかしくはない。
「でもそれって、恒星と惑星の関係上、どうやったってそうなるんじゃないか?」
「暗闇を照らすのが光の役目です。昼は太陽が、夜は魔石灯がその役割をしていますから、この星で松明や魔石灯が開発された時点で、光の精霊は役目は達成されているわけです」
ヨハンは話し始めると手を止めるので、「手が止まってるぞ」と注意。ようやく床板が見えてきた。
「で、今はなにやってんだ? 精霊の役目達成して暇だろ?」
「まぁ、勇者を選定したり、ダンジョン作ったりしてますよ」
「ん? 光の精霊がダンジョンマスターなのか?」
「そうです。迷路とか環境づくりが主な仕事ですね。僕は魔物全般です」
光の精霊がダンジョンマスターだとして、光を崇める人もたくさんいるとしたら、魔力はほぼ無尽蔵じゃないか?
「ダンジョンの魔力を補充する必要ってあるのか?」
「あ、そうか! 他のダンジョンって魔力の補充が必要なんですね。それはこのダンジョンではありえません。ただ有機物は作りにくくてなかなか難しいんです」
マルケスさんのダンジョンでは巨大な魔物をダンジョンの外で育てて、魔石を回収していたがその必要もないのか。なんだ、そのチートのダンジョンは。
「畑を作ったりはしないのか? 俺が知ってるダンジョンマスターは、魔物に畑を任せて、茶畑とかまで作ってたぞ」
俺がそう言うと、論文をまとめているヨハンの手が止まった。
「魔物に畑任せたって本当ですか!? どうやったんですか?」
ヨハンは論文の紙束をバラバラと落としながら聞いてきた。
「こらこら、せっかくまとめたものを落とすなよ。畑はガイストテイラーというゴースト系の魔物に畑仕事を覚えさせて、村まで作っていたよ」
ヨハンはまとめた論文の紙束をわざわざ落として驚きを表現していた。
「散らかすなよ」
「だって……魔物に社会性を持たせるなんて一匹だって大変なのに、村まで作らせるなんてどれだけ使役スキルを高めればいいんですか?」
「マルケスさんは、そんなに使役スキルは高くなかったはずだよ。ただ、ダンジョンがある島の魔物たちはどの種もほぼ大型だったってだけで」
「有機物が多いなんてチートだよ!」
北極大陸の生態系からすれば、そう思うのかもしれない。なにごともそう簡単にはいかないな。
「でも、外の部屋にはあんなに魔物がいるじゃないか。あれはダンジョンの魔物でも実体があるんだろ?」
「どれも魂が入っていない、容れ物ですよ」
魂が入っていないなんてことがあるのか?
「どういうことだ?」
「ダンジョン産の魔物に有機物を入れて実験しても、割合や設計にミスがあると生命活動を維持するだけでも大変なんです。だから、あの魔物たちは僕の失敗作です。戒めとして並べているんです」
「失敗作と言ったって生きているんだろう? どうにか使えないのか?」
「一体ずつ基地に向かわせて、基地内のタンパク質を補充していますよ。大勢で行っても基地のポーラー族も対応はできないでしょうからね。そのかわり、種や研究している虫の魔物なんかはこちらで繁殖させることができるかもしれないので、ヴェロキスラプトルに盗ってこさせていますが」
あの小さな恐竜の魔物はヴェロキスラプトルというらしい。
「僕の研究は有機物を使いすぎるんです。冒険者だった頃集めた魔物の死体はすっかり使い切ってしまったので、これからどうすればいいのか……」
カミーラと冒険者のパーティを組んでいたよな。
「有機物を集めるために冒険者をやっていたのか?」
「他にもいろいろ理由はありますよ。珍種の魔物の研究とか、経験値の研究とか、人間関係の構築とか。でも、今にして思うと一番役に立ったのは魔物の死体集めだったかもしれません」
光の勇者が魔物の死体集めとは、想像通りにはいかないものだな。光の勇者なんて、前の世界のRPGで言えば、正義感あふれて後光でも差しているイメージをしていた。
「なるほど、カミーラが心配するわけだ」
俺は小声で呟いた。
「そうだ! カミーラは僕のことなにか言ってましたか?」
「いや、別に。引きこもってるから連れ出してくれってさ。昔、仲間だったから心配してるんだろ? 最後に連絡をとったのはいつだ?」
「北極大陸に戻ってきてから、すぐダンジョンに入ったから、ほとんど連絡は取ってません……。最後に会ったのは冒険者を辞める時ですから、かれこれ10年ほどになりますかね」
ヨハンは自分で言いながら、「そんなになるんだぁ……」と呟き、
「カミーラにもフラレたんですよねぇ……」
と、寂しそうに言った。
「カミーラにも? ヨハン、君は……」
「えと、お名前伺ってませんでしたね」
「ああ、ナオキ、ナオキ・コムロだ」
「ナオキさんはご結婚は?」
「いや、していないよ」
「お仲間ですか……どうすれば結婚できるんですかね? 僕は冒険者時代、仲間はもちろんのこと、エルフ、小人族、獣人、人族、果ては人化の魔法が使える竜にもプロポーズをしました。でも結果は見てのとおりです。本当に冒険者として探したかったのは嫁だったのかもしれませんね」
竜?
「あ! ヨハン。もしかして君は光竜にプロポーズしなかったか?」
黒竜さんの師匠で、竜の島でドラゴンゾンビになり、俺たちが駆除した竜のことだ。
「え? 知っているんですか? 竜たちは僕のことを笑い者にしたでしょう?」
「いや、光竜はヨハンがちゃんとトドメを刺さなかったからドラゴンゾンビになっていたぞ」
「ええっ!? トドメってまるで僕が光竜になにかしたみたいじゃないですか? なにもしてませんよ。プロポーズしたら、爆笑して後ろから抱きしめてきたので、振り払って逃げちゃいましたけど。彼女とはそれっきり会ってません」
「ヨハンのレベルも普通に考えたら高すぎるくらいだからなぁ。光竜はヨハンが振り払った拍子にどこかにぶつけたのかもしれない。俺たちが駆除しておいた。あのまま行くと島の魔物も全部ゾンビ化するところだったから。人は全滅だったし」
「そんな……僕はなんてことを!」
ヨハンはうつ伏せになり床を叩いて「フラれた上に、そんな厄災まで」と嗚咽を漏らした。
「僕はクズだ! 生きていれば、女性にフラれ続けて誰かに迷惑をかける。だから引きこもっていたのに……引きこもりすぎて、光竜を助けられなかった。自分がやったことの責任すら取れず、ただのうのうと引きこもり続けていたんだ。こんな勇者はいないほうがマシだ!」
そう言ってヨハンは自分の舌を噛んだ。
「バカ野郎!」
俺はヨハンを殴った。
「死んでなんになる! 死んで責任が取れるとでも思ったか!」
もう何発か殴った。
「やってしまったことはしょうがない。これからどう生きて、どうやって被害者に謝罪していくかだ! わかったか!」
もうボコボコだ。
「でも、もう僕は女性と話せませんし……」
変形した顔のヨハンが情けないことを言った。フラれすぎて心が折れてしまっている。
どうしたものか。うちの社員に相手をさせるか? いやそれは俺が殺されるな。やはりプロに頼むしかないか。ただ、帰ってこれるかどうかだな。
「ヨハン、冒険者を辞めたあと北極大陸にはどうやって帰ってきたんだ?」
「そりゃ、僕はこれでも光の勇者です。光の速さで飛んできました」
「本当か?」
「いや、晴れている日なら波に反射している光を渡っていけるんです」
そんなことができるのか。便利だな。
「じゃあ、とりあえずその前にアレだな」
「アレですか?」
俺は通信袋を取り出して、社員たちを呼び出した。
「悪い、皆、風呂の用意をしてくれるか?」
『ほらね!』
『やっぱり!』
アイルとベルサの声が返ってきた。
『社長、湯船の準備はできてます』
『いつでもどうぞ』
セスとメルモの声も返ってくる。皆、予想していたようだ。まあ、うちの会社ではお約束になっているからなぁ。
「風呂ですか?」
ヨハンが聞いてきた。
「ああ、いいか? どんなに顔が良くても、どんなに頭が良くて誠実でも、清潔じゃない奴はモテないんだよ」
そう言って、俺は笑った。




