267話
事件の日、俺たちは大森林の東側でグリーンディアの罠を仕掛けていた。
「ん? 風の勇者が飛んでる」
アイルの言葉で見上げてみれば、確かに空を緑の龍が駆けていた。
向かう先は東。ナチュラリストの里がある方角。
「なんかあったか?」
「ソニアが心配だな」
俺たちは念の為、風の勇者を追った。
「誰がやった!? どうしてあんなことを!?」
風の勇者が里の広場で泣き叫んでいた。龍はどこかに消えている。
「なにがあった? 我らはなにもしていないぞ? 皆、ここでグリーンディア用の罠を作っていたのだからな。貴様ら王国軍にかまっている暇などない!」
KAONASIが風の勇者を追い返そうとした。
「本当か? ……では、なぜ? いや、それどころじゃない」
風の勇者は突然、里のナチュラリスたちに向けて土下座をした。
「お願いします! どうか、どうかタネを! 野菜のタネでも果物のタネでもなんでもいい! 少しばかり譲ってはもらえないでしょうか!?」
地面に頭を擦り付けて、風の勇者が頼み始めた。次期エルフ王国の国王ともなるであろう風の勇者が敵対する里のど真ん中で土下座をするなんて、よほどのことがあったようだ。ナチュラリストたちも異様な光景に言葉を失っている。
「ブロウ、なにがあった? 聞かせてもらわないことには我らも対応のしようがない。いや、そもそも作物のタネはすでに植えてしまっているし譲れる分などないのだが」
KAONASIは風の勇者に答えた。
「本当にないのか?」
「ああ、今朝畑で地すべりがあってな。ほとんどのタネは土に埋まってしまった。農業の里に助けを求めに行こうとしていたんだ」
KAONASIがそういうとブロウは空を見上げて、悔しそうに顔を歪めた。
「世界樹の里にある温室と倉庫が火事にあった。畑に蒔く前のタネと苗が全て保管されていた場所だ」
ブロウはナチュラリストたちに説明。
「風の声が聞こえますか? 1匹のマスマスカルが突然燃え、すべてを焼いたと……」
涙を流しながら、ブロウが続けた。
「聞こえちゃいるけど、そんなバカな話があるかい?」
「誰かに使役されていたとしか思えない。いったい誰が!? ……それで私たちが犯人だと思ったんだね?」
ナチュラリストたちがブロウに話しかけながら、周囲を見回し、首を振った。
「日頃の恨みがあるのは当然だが、我らではない。駆除人指導の下、グリーンディアの罠作りと痛みのない解体方法を伝授してもらっていたところなのだ」
KAONASIがブロウに答えた。
「誰かが、王国軍とナチュラリストに戦いを始めてもらいたいのかもしれないね」
ナチュラリストの1人が言った。両者が潰し合いをして得をするのは? ダークエルフ? ハイエルフ? わざわざ大森林まで来てそんなことするのだろうか。俺は、またなにかを見逃している気がした。
「ブロウ、王国軍は?」
「戦いの準備を始めています。戦わないために僕は飛んできたんです」
ブロウがKAONASIに言った。
「そうは言ってもね。攻撃されて黙ってみていられるほどこちらの器は大きくないよ。皆、こちらも準備を始めよう!」
「「「「おうっ!!!」」」」
ナチュラリストたちが紐で髪を縛り上げ、戦闘準備を始めた。
「どうして……どうして……森の精霊よ、助けてくれ」
ブロウは泣きながら精霊の木像にすがるように言った。
「駆除人、頼む。エルフを止めてくれ!」
俺たちにも言ってきた。俺たちはなにも返せなかった。
「泣くな! お前は風の勇者だろう! もし戦いを止められる奴がいるのならお前しかいない!」
聞いていたKAONASIがブロウを一喝。
ブロウは一度頷いて、自分の槍を掴むと西へと走り去った。
「ベルサ! すぐに世界樹へ向かえるか?」
俺は通信袋を取り出して、世界樹の里に一番近いベルサを呼び出した。
『ああ、今向かってるところ。養蜂の里のエルフたちから聞いたけど、火事があったって?』
うちの会計は仕事が速いな。
「どうも嫌な予感がする」
『私もだ』
「悪いが全員不測の事態に備えてくれ」
『『『了解』』』
ナチュラリストたちが戦いの準備を始める中、俺たちも回復薬や各種毒、マスクに軍手などの準備を始めた。
「ナオキくん、僕らも戦うのか?」
マルケスさんが聞いてきた。
「いや、戦いませんよ。エルフでも森の住人でもありませんからね。でも戦いを止める援護くらいはできるかもしれない」
そういうとマルケスさんも自分なりの準備を始めた。
『なにをしておる!』
突然、通信袋からハイエルフの爺の声が聞こえてきた。タネを保存していた温室と倉庫が燃えたのだから怒るのは当然だ。
『マグノリア! 貴様、なにをしていたのだ?』
『この失態、貴様程度の生涯をかけて償えると思うな!』
『返す言葉もありません』
マグノリアの謝罪する声が聞こえてきた。
『風の勇者が対処しますゆえ……』
『ふざけるな! 我らが秘術の開発に幾年月を重ねたと思う!?』
『貴様らに我らが王国など任せられるはずもなかろう!』
『大森林から親子ともども出ていくがよい!』
『そんな……』
マグノリアの悲痛な声が聞こえてくる。
『ええい! 二度と顔を見せるな!』
ガシャン!
通信袋からなにかが割れる音がした。
「権力者ってのはこれだから嫌だね」
俺が軽口を叩きながら、毒の瓶を用意した。誰かが怒っているのを聞いたお陰で冷静に成れた気がする。
それからしばらくして、ベルサから連絡が入った。
『ナオキ、こりゃダメだ』
「なにがダメなんだ? ベルサ」
『エルフの農学者たちは、新しい農薬に世界樹の泉の水を使っていたようなんだ。確かに野菜や果物の実は大きくなるけど、こんなもの魔物が飲んだら発火するに決まってる』
ベルサの話を聞いて南半球の世界樹近くにあった泉を思い出した。南半球ではシカの魔物の親子が飲んだ途端に燃えていたっけ。
『この農薬を使っていたとしたら、フラワーアピスだって気が変になる。ああ、ほら、もう吸魔草が大きくなっちゃった』
「あの泉の水じゃあしょうがないな」
『火事の原因は農学者の責任というより、指示していたハイエルフの爺の責任じゃないか? こんなことでエルフ同士が戦うなんてバカげてるよ』
「その通りだ! なんだよ、枯れても世界樹の環境は残ってるってことだな」
そう言った途端、俺は自分の頭の中でパズルのピースがハマるように答えにたどり着いた。
『ナオキ!』
「ナオキ!」
『『社長!!』』
南半球をともに旅した社員たちも気がついたようだ。
「俺たちはとんでもない思い違いをしていたようだな。大森林の一部に世界樹があるんじゃない。ここは紛れもなく世界樹の森なんだ!」
世界樹が死んでも環境はそう簡単に変わらない。むしろ今まで世界樹が吸い上げていた魔力が、行き場をなくし地下に広がっている可能性がある。
「でも、だとしたらいるはずの魔物がいないじゃないか!」
アイルが叫んだ。
周囲にいるナチュラリストもマルケスさんも俺たちの言葉を聞いてはいるが、理解はしていない。
「地上には風の精霊と森の精霊がいたからな」
『だったら奴らはどこに!?』
通信袋の向こうからベルサが聞いてきた。
「リッサ師匠を助けたときに、俺たちはなぜ気が付かなかった!?」
『ああっ!! そうだったのか、くっそー!! あいつらは魔力に身体を合わせていたから大きくなるしかなかったのか!』
ベルサが悔しそうに叫ぶ。
「ナオキくん! なにがどうしたんだ? 教えてくれ!」
マルケスさんが大声で聞いてきた。
「俺たちが南半球の世界樹にいた頃、一番戦っていたのはなんだと思います?」
「なんだ?」
「大型の虫の魔物ですよ。春、地面の下で蠢くような、そんな虫の魔物たちが家と同じサイズになって襲いかかってきたんです!」
春日和。暖かな風がナチュラリストの里に吹いた。
ゴゴゴゴゴ!
地鳴りが響く。
俺は最大限探知スキルを広げて、地下を見た。地下には縦横無尽にトンネルが掘られ、大型の虫の魔物が里に近づいてくるのが見えた。
虫の魔物はなにを目指してやってくるのか?
「精霊の木像から離れろ!」
俺が叫んだ時には虫の魔物はすでに精霊の木像の真下。
KAONASIは大声を上げた俺を見て、固まるだけ。
マルケスさんがKAONASIを突き飛ばして、地面から急速に生えてきた大きな角から守った。その拍子にKAONASIの仮面が飛ぶ。仮面の下にはいつか見た水の精霊そっくりの顔があった。
「ソニア! 逃げるんだ!」
マルケスさんは身を挺して、ソニアを守った。
「その名は捨てた!」
「勝手に捨てるな! 世界で最も美しい名だ!」
「な、なにを……!?」
ソニアはまるで理解していないが、今は説明している場合ではない。
精霊の木像を咥えながら、穴から5メートルはあろうかというカブトムシの魔物が這い出てきた。
「精霊像を咥えてるぞ!」
「像の中には精霊石が!」
ナチュラリストのエルフたちが叫ぶ。
「アイル!」
俺が叫んだ時には、すでにアイルは跳び上がり、大きな光の剣で頭部と胸部の間を正確に突き刺し、地面に固定した。
それでもカブトムシの魔物は精霊の木像をバリバリと咀嚼し飲み込んだ。精霊石の魔力を取り込んだカブトムシの魔物の身体からは脚が無数に突き出てきて、周囲にいるエルフに襲いかかる。マルケスさんがすべて払い除けながら、エルフたちを逃した。
「クソ! 光の剣が保たないぞ!」
アイルが叫ぶ。
カブトムシの魔物は身体の形態を変えながら巨体を揺らし、徐々に光の剣を抜いた。
「ギギャギャギャギャ!!」
なんだかよくわからない音も発し始めた。
「ソニアは絶対に僕が守る!」
マルケスさんが奇形と化したカブトムシの魔物と対峙した。
カブトムシの魔物が襲いかかろうとした次の瞬間、空から風が降ってきた。
粉塵が巻き上がる中、カブトムシの魔物の上に立っていたのはブロウ。粉塵が消えた頃には、風の勇者が槍を魔物に突き刺し、絶命させていた。
「森の精霊の力を吸収した魔物に勝てるのは、この槍だけです。名は風龍、風の精霊です」
ブロウが風の精霊だという槍を見せてきた。
あまりの衝撃に俺は「そうか」としか言えなかった。ブロウが乗っている緑の龍は槍が変形した姿なのだとか。すげー、アニメみてぇだ。
「いや、そんなこと考えてる場合じゃない! 緊急事態だ!」
俺は空飛ぶ箒を掴んで、一気に樹上に飛んだ。
「風の妖精よ、よく聞いてくれ! 大森林にいる全エルフたちに緊急避難勧告を発令! とにかく里の外に逃げるように! 春の風に誘われて、たっぷり世界樹の魔力を吸収した虫の魔物が地面から這い出てくるぞ!」
そう俺が叫ぶと、呼応したように強風が身体の側を吹き抜けていった。
『社長! バカでかい虫の魔物が地面から次々と這い出てきてますよ!』
通信袋からセスが声が聞こえてきた。
「今日は特に暖かい風が吹いてるからな。這い出し日和なんだろう。相手は虫の魔物だ。俺たちの領分だぞ。気を引き締めて必ず駆除しろ!」
『どうやってですか!? 甲虫の魔物は身体が固いですよ~!』
通信袋の向こうにいるメルモはすでに甲虫の魔物と戦っているのか、金属同士がぶつかるような音も聞こえてきた。
「南半球の世界樹で生活していた頃を思い出せ! より狡猾に手段を選ぶな、だ! ベルサ! 農薬につかった泉の水があればそれを使おう。口から入れて腹から焼いちまえばいい。とりあえず、各里の精霊の木像に眠り薬と麻痺薬を仕込んでおけ」
『『『『了解!』』』』
『ほら師匠も動く!』
ベルサがリッサ師匠に檄を飛ばしていた。
下を見ると、ナチュラリストの里ではカブトムシの魔物が開けた穴からフィーホースと同サイズのダンゴムシの魔物が群れで這い出してきていた。里のエルフたちはどうにか弓で応戦しているようだが、あまり効いてはいない。
俺はすべて魔力の壁で包み空気を抜いて転がした。南半球を思い出す。
「なにをしている!? 早く逃げろ!」
俺はエルフたちに呼びかけた。
「我らも手伝わせてくれ!」
ソニアが言ってきた。
「精霊使いだったな? だったら、精霊と一緒にとにかく逃げ回ってくれ」
「精霊に囮になれというのか?」
「そういうこと。囮になって、逃げていくエルフたちから虫の魔物を引き離してほしいんだ」
「なるほど! 承知した!」
ソニアはそういうと精霊使いたちを呼び集めた。
皆、ソニアに向かって「あんた顔!」「そんなに美人だったなんて聞いてない!」「なぜ今まで隠していたんだ!?」などと文句を言っている。
「今はその説明をしている暇はない! 精霊使いならここが踏ん張りどころだよ! 皆、日頃の特訓の成果を見せるときだ! 気張ってきな!」
ソニアの檄で精霊使いたちが声を上げ、ゴーレムを作り出した。それぞれにはキューブ状の精霊石を埋め込んでいる。ゴーレムの姿や形態は精霊使いによって変わるようだ。
『ナオキ! ちょっと聞いてる!?』
通信袋からカミーラの声がした。やべ、カミーラのこと忘れてた。
「カミーラ、今すぐ牢屋から出て逃げるんだ!」
『もう逃げてるわよ! 今地下道から里を抜け出そうとしてるんだけど、世界樹の根が建物の白い石に切られたり曲がって伸びたりして進みにくいのよ。ちょっとナオキ来てどうにかして!』
世界樹の根を切るなよ。桜切るバカ、梅切らぬバカを知らないのか。
「ちょっとこっちはこっちで忙しいから自分でどうにかしてくれ!」
『いや、そんなこと言わないで、ちょっと、うわぁっ! なにこれ! プツー……』
「カミーラ!? カミーラ!!」
唐突に通信が切れた。まぁ、カミーラも大人なんだから、どうにかするだろう。
「よし! 俺も駆除するか!」
俺が空飛ぶ箒で、空に上がると、急に日差しが陰った。
見上げれば黒い雲。
ピカッと西の空が光ったかと思うと、雷鳴が轟いた。
春雷。
「嘘だろ、おい」
春の嵐が西からやってくる。
大森林の地下は虫の魔物たちによってトンネルだらけ。
「これで地すべりや地崩れが起きないほうがおかしい……」
俺は世界樹へと飛んだ。




