187話
世界樹の枯れ葉が一枚、また一枚と下層部に落ちてくる。
葉の裏側には光るワームの魔物がびっしりと付いていて確認できていなかったが、落ちてきた葉はちゃんと茶褐色に変化していた。
ひらひらとゆっくり落ちてくるとは言え、世界樹の葉は大きく重量もないわけではないので直撃すれば魔物も無事では済まない。特に羽のある虫系の魔物は羽を傷つけられ、墜落することもあった。
ただ、ほとんどの魔物が高く丈夫そうな木の下に逃げていったり、幹周辺の魔物たちはナマケモノの魔物のあとにくっついていって難を逃れている。ちなみに発光スライムは完全に無傷だ。
幸いだったのは世界樹の葉があまりにも多かったため、下層部と上層部の間の床が抜けるまでに時間があったことだ。
床が抜けるときは重量で一気に落ちてくることが予想されるので、俺たちは各地の風呂に張った冷水を温水に変え、魔物たちを誘導していった。風呂を谷底に作ったことが良かったのか、魔物たちが横穴を掘れば、降ってくる世界樹の葉の被害も少なくて済む。
あまり気温が上がって世界樹が元気になっても困るので、毎日、気温を感じながらの作業だった。葉が落ち、各所の風呂に設置した魔石灯には順調に発光スライムが集まってきている。
枯れ葉に付いていた光るワームの魔物ことライトワームは生命力が強く、腐葉土の中に潜って懸命に生きているようだ。それを見て、なぜかメルモが応援していた。
ズザザザザッ!
初めの枯れ葉が落ちてきてから10日後、ついに上層部と下層部の間の床に穴が空いた。
もちろん全員警戒して魔力の壁を展開しているしナマケモノの魔物の動向も観察しているので人的被害はなかったが、床が抜けたことで溜まっていた上層部の枯れ木や枯れ葉も一気に落ちてきて、そこに生えていた草木を覆いゴミの山のようになった。
「これ、あんまり被害がないところに床穴を開けた方が良くないか?」
「そうだな。地図見て、風呂から遠い場所に床穴を開けよう」
アイルの提案を、すぐ実行に移していく。風呂を設置している間にアイルが下層部の地図を完成させていたことが良かった。備えあれば憂い無しだ。
ゴミ山落下地点周辺に魔物除けの薬を散布してから空へ飛ぶ。
空飛ぶ箒に乗って、未だ世界樹の葉の裏にへばりついている発光スライムを躱しながら、床をつついていった。床と言っても積み重なった葉なので、尖った骨でつつけば穴が空くかと思ったが意外に硬い。下層部に入る際、幾重にも葉が重なって大変だったのを思い出した。
勢いをつけて骨を突き刺し、一気に引き抜くと、溜まったゴミが雪崩のように落ちていく。ゴミの粉塵が舞い上がると、特大のくしゃみが聞こえてきた。こちらは魔力の壁とマスクをしているから良いが、魔物の方は違うようだ。
前の世界の映画で見たティラノサウルスに似た魔物が雄叫びを上げて威嚇してきた。ベルサ曰く、マエアシツカワズという酷い名前を持っているらしい。
魔力の壁で包んで空気を抜いて捕獲。世界樹に生息している変温魔物が冬眠を知っているかどうかはわからないが、身体の表面積が大きいマエアシツカワズが冬を越せる見込みは薄いので美味しいお肉になってもらうことに。
虫系の魔物の肉を食べられず、肉不足になっているアイルは大きいナイフを研ぎながら、丁寧に解体していた。
お裾分けをしに久しぶりにドワーフの洞窟に行くと、ドワーフのおばさん・メリッサが酒を作っているところだった。
「おや、久しぶりじゃないか。元気そうでなによりだね」
「ええ、良い肉が入ったので持ってきました。バレイモの酒ですか?」
「わかるかい?」
「ええ」
芋焼酎の匂いだ。
「冬の間は暇だし、春になったら新年のお祝いに飲もうかと思ってね」
こちらの世界では春の初めが正月だ。今から仕込めば、世界樹の花が咲く頃には良いお酒が出来ているかもしれない。
「春になったら花見ができればいいですね。がんばらなくちゃな」
「まぁ、あんまり焦ると失敗するよ。どれ、背中でも流してやるか」
メリッサはあんまり人に会っていないので人恋しいらしい。そんなんで落ち着くならと、服を脱いで背中を流してもらうことに。
なぜか風呂を覗く社員が複数いて、「まったく、野暮だね」とメリッサはぼやきながら、股の間もちゃんと洗ってくれた。無表情で耐える俺の姿が面白かったのか笑い声が聞こえてきたが、日頃の感謝も込めてメリッサにサービスしただけだ。サービスになってりゃいいけど。
交代して、背中を流してあげようとしたら「人前で裸になりたくない」と断られた。初めに夜這いをかけてきたのはメリッサの方だというのに、女心はコロコロ変わるようだ。
風呂から上がって、挨拶もそこそこに、砂漠と海を渡ってドワーフたちの集落に向かう。
火山の近くにあった廃村は発掘され、建物がいくつも建てられ立派な村になりつつある。
「わあっ! こりゃあ、いい肉だねぇ」
マエアシツカワズの肉を族長に渡すとドワーフのおばちゃんたちが集まってきた。
おばちゃんたちの話では、こちらの大陸では冬でも作物を育てているらしく、バレイモの収獲をしているそうだ。
「あんたたちが言ってた水草がいい肥料になるんだよ」
「これで当分、食料に困ることもないよ!」
「あ、コウモリの肉、持ってくかい? 餌付けしすぎて、最近あいつら太ってるんだ」
洞窟にいたコウモリはどんどん家畜化していっているようだ。
とりあえず、頼んでいた瓶をドワーフのおじさんたちから受け取り、「またすぐ来ます」と世界樹の拠点に戻った。
上層部の風通しも良くなり、山から吹き下ろす冷たい風が、床の穴から下層部に流れてきている。
魔物たちも気温に敏感に反応し、巣を作り始めている奴らも出てきた。ドワーフが鉱山に使っていた山肌の洞窟は人気らしく周辺には種類に関係なく魔物たちが集まっていた。
境界になっていた床に穴が開いたことで、上層部の魔物が下層部にやってくることもあり、熾烈な争いも繰り広げられている。
弱肉強食なので俺たちは魔物たちの争いに手を出さず、発光スライムだけ守ることにしたのだが、そもそも発光スライムを捕食する魔物がいなかったため、特にすることはない。
ただ各所に設置した風呂を温めながら、舞い落ちる世界樹の枯れ葉を見ていた。
さらに数日後。
葉の床は半分以上落ち、上層部と下層部の魔物の力関係もだいたい結果が見えてきた。下層部では被食者側だったグリーンタイガーが、上層部の魔物を食べまくり、体格もバカでかくなった。それでもボウが近づくと、撫でてもらいたいのか腹を見せてくるので、ボウが一帯のボスとなっているようだ。
以前、上層部で朝になると伸びていた植物もなくなり、種が下層部に降り注ぐこともあった。
下層部の森は枯れ葉と植物の種で覆われていき、地面はふっかふか。歩くとかなり埋まる。
「腐葉土がこんなに溜まるのは、世界でもここだけだろうな」
ベルサが種を拾いながら言った。
社員総出で種拾いをして、夜には相変わらず種団子を作っている。
床が抜けて一番の変化は、下層部に昼と夜がやってきたことかもしれない。下層部を照らしていた発光スライムたちは腐葉土の中や風呂の中で、ほとんど動いていない。本当に寒さに弱いようだ。
冷たい風が下層部まで流れてきたので、幹周辺の氷を片付けていると雪が降ってきた。
剪定班だったアイルとリタが、枝の切り口に塗った薬を心配していた。薬は山頂付近の拠点で使っていた建材を使っていたはずなので寒さには強いはずだが、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とも聞いたことがあるので、雪が止んだら様子を見に行くことに。
「寒いっすね」
セスが自分の手に息を吐きかけた。
世界樹の拠点では、発光スライムに食べさせる用の種団子を作っているところ。しっかり壁もあり、隙間風も吹いていないはずなのに、地面から寒さが伝わってくるようだ。
加熱の魔法陣と風魔法の魔法陣を描いて温風を出し、拠点内を一気に暖める。乾燥してしまうので種団子を作っている間は使わないと思っていたのだが、やってられないくらい寒いので仕方がない。その代わりリタに水魔法で、団子を湿らせてもらっている。
「しっかし、マスクをしてても臭いね……」
「肥料として虫系の魔物の糞が入ってるから仕方ないよ」
アイルの文句にベルサが説明した。臭いに関してはまったく慣れるということもなく、諦めた。これを発光スライムに食べさせるのかと思うとかわいそうになってくるが、種団子は洞窟スライムの粘液でコーティングするので、食べた瞬間はそんなに臭いはしないはずだ。消化したときに、時限爆弾のように効いてくるはずなので、非常に心苦しくはある。まぁ、発光スライムには臭いを感知する器官なんかないと思おう。
当たり前だが、そんな状況で飯なんか食べてられないので、服を着たまま全身をキレイに洗い、クリーナップをかけて乾燥させた。軍手は臭いが取れなかったので、世界樹の拠点に干して、俺たちは山頂付近の拠点へと向かった。
外は大雪、視界不良。山頂付近まで行こうと思ったのだが、途中で、枯れ葉ごと雪の塊が落ちてきたり、目の前の地面に枯れ木が落ちてきて突き刺さったり、ちょっと危険なので、ドワーフたちの鉱山で魔物たちと一緒に身を寄せ合うことにした。
ボウがボスになっているので、魔物たちも俺たちを追い出そうという素振りすら見せなかった。
ただ、飯は俺たちだけ食べるというわけにもいかず、腹をすかせた魔物たちにもマエアシツカワズの肉を細切れにして野菜と煮込んだスープを振る舞ったので、アイルが「私の肉が~」と情けない声を出していた。
雪は2日続いてようやく止んだ。
洞窟の外は一面真っ白。見上げれば、世界樹は枯れ葉もなくなりすっかり枝だけになっていた。
アイルとリタと一緒に枝の切り口を見に行く。菌に侵されている枝も少なからずあったが、ほとんど無事。菌に侵された枝は切ってクリーナップをかけ、表面を建材で丁寧に覆った。世界樹は巨大であるがゆえに、病気の菌が入っても放置しなければ、幹まで到達するようなことはなさそうだ。
ついでに、上層部を全体的に見て回った。トリの魔物の巣もあったが、親ドリも卵も凍っていた。生きているのはちょっとした樹皮の裂け目に巣を作っている小さなトリの魔物だけ。
枝の先には芽なのかつぼみなのかわからない小さいラグビーボールのようなものがついている。順調に育ってくれるといいのだが。
下層部では雪の影響で発光スライムは動かず、ずっと風呂に入りっぱなしか、雪の下でただ固まっている。発光スライムだけではなく虫系の魔物も、トリの魔物も見当たらない。毛皮を持つ、シカの魔物やグリーンタイガーくらいしか見かけなくなってしまった。
音も雪に吸収されるのか静まり返っていて、時々、木が割れる音が聞こえてくるくらいだ。
「春になるまで、世界樹ではほとんどやることがないよな?」
「そうだね。春前に来て、発光スライムに種を食べさせればいいだけだからね」
俺の問いにベルサが応えた。
春まで残り1ヶ月ほど。あとは世界樹の力を信じるしかない。
「社長、休暇ですか!?」
メルモが嬉しそうに聞いてきた。
「そうだな。冬休みだ!」
「「「やったぁああああ!!!!」」」
セスとメルモとリタは飛び上がるほど喜んでいたが、ボウは「フハ、冬休みってなにすればいいんだ?」と戸惑っていた。
「リタとデートでもしてこいよ」
「フハ、そうか! ナオキはなにやるんだ?」
「南半球で行ってない場所があるだろ? 出来るだけ行って見てこようかと思って。スライムがいたら駆除しておくよ。危険そうならすぐ戻ってくるし」
「フハ、結局、仕事じゃないか! アイルとベルサは?」
「南半球の地図作り」
「フィールドワーク」
アイルとベルサは「当たり前だろ」というようにボウの質問に答えた。
「ちょっと待て。それまずいな。セス、メルモ、弁当たくさん作ってくれ! 俺たち3人は一緒に行動するから」
「なんでだよ!」
「そんな寂しがり屋だったっけ!?」
俺の言葉にアイルとベルサは反応した。
「お前らは前科があるからな。また、底なし沼にはまったり、飯も食わずに研究に没頭することがないようにだ」
「はぁ~結局、私たちはナオキのお守りか」
「ナオキが寝ている間にバックレるしかないかぁ」
俺は「レベル300近い俺のピンチ力(つまむ力)を舐めるなよ」と言いながら、2人の頬をつねっておいた。
植物も雪に埋まって、毒を吹き出すような魔物もいない。
世界樹が成長してから、もっとも安全な季節を迎えたのかもしれない。
魔力の壁を切ると、吸い込んだ空気は冷たく、吐いた息は白い。
すぐに耳も冷たくなった。
コムロカンパニーは短い冬休みをとった。




