150話
ポンプのノズルにこびりついた汚れを丁寧に布で拭き取り、容器を洗う。
洗うと言ってもクリーナップをかけるだけなので、かなり短時間で済んだ。
あとは、各種液体の殺虫剤や魔物よけ、辛い液体などが入っている瓶にラベルを貼る。
ラベルは紙にベタベタ罠で使っている魔法陣を裏側に描いた。アイテム袋に入れとけば、時間経過もないので粘着力が失われる心配もない。
いつどこで使うかわからないので、ベタベタ罠や音爆弾も補充しておく。一旦、外に出て買い出しに出かけ、帰ってきた時にはすでに夕方だった。
音爆弾を作りながら、忍者が使う煙玉のような煙幕を張る玉もあったほうが良いだろうと魔法書を読み込む。水の精霊が怒り出したら、逃げの一手だ。被害を最小限にしながら、逃げる確率を高くした方がいい。
自然と最悪の事態を想像してしまうが、周りの人たちは死なせたくないし、モラレスの住民たちにもとばっちりが行くのは避けたい。
非常事態を考えて復活のミサンガも大量に作ることにした。さらに急激に冠水した時用のライフジャケットのような物ができないか、再び魔法書を読んだり、水に浮く素材はないかとアイテム袋を漁って、水を張った瓶で実験したりしていると、外から吟遊詩人の歌が聞こえてきた。
町の喧騒が消え、吟遊詩人の声だけが響いている。夜になっているようだ。
「失礼します!」
突然、宿の外から女性から声をかけられる。
「はいはい」
と、宿の入口を開けると、チオーネが両手で鍋を抱えて立っていた。
すっかり外は暗く、チオーネの腰には魔石灯のランプがぶら下がっている。
「夕飯です」
「ああ、悪いね。ありがとう」
言われてから自分が腹減っていることに気づいた。
「セスやメルモは?」
俺に夕飯を持ってくるのは、新人たちだろうと思っていたが。
「休暇だそうです。なぜか私が指名されました」
チオーネは軍人らしい口調で説明して、大きな鍋を囲炉裏まで運んでくれた。
誰かが俺に気を使って若い娘さんであるチオーネを寄越したのだろう。そりゃあ、確かに洞窟の民のおっさんやうちの社員より断然に嬉しい。
「社長さんは何をしておられるのですか?」
魔法書や水瓶が置かれ、素材が散乱した床を見てチオーネが言う。
「非常時に備えて、いろいろ勉強しているところ」
「社長さんでも知らないことがあるんですか?」
「そりゃ、知らないことだらけさ」
俺がそう言うと、チオーネは下を向いて黙ってしまった。なにか考えているようだ。
「貪欲に知識を得ようとする好奇心が社長さんの強さの秘密ですか?」
顔を上げてチオーネが真面目な顔をして聞いてきた。
「強さって言われても、強いと思ってないからなぁ……」
「えっ!!……でも、あの時、止めてくれたし、社長さんはアイルさんと同じかそれ以上に強いと聞きましたけど!」
「どうだろう? 今やったら負けるかもしれないなぁ。俺は戦闘系のスキルも持ってないし」
俺は鍋をかき回して、自分の器に盛り付けながら答えた。
鍋の中はとてもいい匂いがしていて待ちきれなかったのだ。きっとこれはセスとメルモの2人ひたすらかき混ぜていた例のめちゃくちゃ時間がかかるという料理に違いない。デミグラスソースっぽい香りが鼻から脳天まで突き抜ける。
「私は幼い時に親に売られ、コロシアムで育ちました。あの頃の私は強さが全てでした」
チオーネは唐突に身の上話を話し始めた。
どうしよう。それ聞かなきゃいけない? 早く食べたいんだけどなぁ。
「そこで絶対に勝てない相手に出会いました。アイルさんはその魔物を一撃で倒したそうです。上には上がいるということはわかっていてもなかなか自分を納得させることが出来なくて……。社長さん、強さって何なんですか?」
「知らね。俺は別にバトルジャンキーとかじゃないし、とりあえず、夕飯食っていい?」
「あ、すみません! どうぞ!」
俺は料理にがっつきながら、チオーネの様子を見た。顔を赤くし、正座をして俯いている。急に身の上話をした自分が恥ずかしくなったのかな。
「まぁ、なんだ、人はそれぞれ自分のモノサシで、世界を見てるだろ? でも、いろんな人に会って、いろんなモノサシを知ると、自分のモノサシが変わってることがあるんだよ。さっき、チオーネは『あの頃の私は』って言ってたけど、今は強さが全てだとは思ってないわけだろ?」
「そう……ですね。今は単純な強さだけでなく、美味しい料理が作れたり、立派な家を作れたり、昔の知識をたくさん知ってるってこともすごいなって思います」
「自分のモノサシを一本真っ直ぐなのを持っておくのはいいことだと思うんだけど、他人のモノサシを見て、『あ、そんな考え方あるんだ!』って感心して自分のモノサシの参考にするってのもいいんじゃないの? そんで、大きくて太くてブレないようなモノサシにしていける奴が強いっていうか……あれ? 言ってて下ネタっぽくなっちゃったなぁ、ハハハ」
恥ずかしいから、料理を口いっぱいにかっこむ。「うまいなぁ!」とか言って誤魔化そう。
「社長さんは、大きくて太くてブレないようなモノサシを持ってるんですか?」
「いやいや、そんな立派なもんじゃないよ。ただ、そうでありたいなぁとは思うけど」
「いろんな人を認められる人が強いってことですか?」
「強いっていうか、器がでかいっていうか、出来た人だなぁって思わない?」
「思いますけど、よくわかりませんでした」
ん~だいたい、俺はあんまり強さについて考えてこなかったからなぁ。
「みんな違って、みんないいってことなんだけどな」
「なるほど、わかりやすい!」
前の世界の詩人の言葉は異世界でも通用するようだ。
「それより、この鍋めちゃくちゃうまいな! 食べた?」
「頂きました! すごい美味しかったです!」
「全部食べちゃうけど、いい?」
「どうぞ!」
俺は1人で鍋の中の料理を平らげ、クリーナップをかけて洗った。
「バカうまだった! こんな料理を作るセスとメルモはバカなのかな?」
「はい」と空になった鍋をチオーネに渡した。
「言っておきますね」
「いや、言わなくていい。2人には『天才だ』って言っておいてくれ」
俺が作業に戻ろうとしたが、チオーネが立ったまま、上を向いて目をつぶって、何かを思い出そうとしている。
「なにかまだ聞きたいことある? くしゃみ?」
「いや、ちょっと待って下さいね」
もしかして告白か。どうしよう春が来たかもしれない。
「あ! 思い出しました。軍の新兵たちが明日から南部で7日間行軍するので、見かけてもなるべく関わらないように、お願いします」
「はい。わかりました」
全然違った。
「それから、明後日、サッサ部隊長が王都へ報告に向かうのでいなくなりますが、私とアプは残りますので、よろしくお願いします」
「了解です」
我々が休暇でも、世の中はしっかり回っていく。
「では」と言って、チオーネが入り口を開けると、満天の星が輝いていた。
「キレイだな」
「え?」
チオーネが振り返った。
「夏の大三角形とかって、こっちにはない?」
「夏の、何ですか?」
「俺が前にいたところでは、夏にひときわ輝く星を3つ結んで、『夏の大三角形』って呼んでたんだ。そもそも星座ってある?」
「星座?」
「星と星を見えない線で結んで絵を描いた人たちがいたんだ」
「へぇ~、もしかしたら星詠みの民に聞けばわかるかもしれないですね」
「あ~、そうかもな。あ、ちょっと待ってな」
俺はチオーネを待たせ、散らばった雑貨類の中から、音爆弾を幾つかと光魔法の玉を放つ杖を掴んだ。
「これ、持ってきな。夜道は危ないから」
そう言って、玉と杖の効果を説明した。
「これでも、私、軍人ですよ!」
「まぁまぁ、美人が夜出歩いてたら、アホな男が寄ってくるからさ。それに何かあったら、俺も寝覚めが悪いし、持ってってくれよ」
「わかりました……」
チオーネは手にした音爆弾と光魔法の杖を見つめたまま、固まってしまった。
「だ、大丈夫か!? どした?」
「いや、私はなんにも知らなかったんだな、と思って。知識も、人との接し方も最近気付かされることが多くて」
「別に悪いことじゃないんじゃないか。知らないってことはロマンチックなことだよ。これから知っていけるんだからさ。ほら、あんまり帰りが遅いと、俺がチオーネを襲ってるんじゃないかと思われるから、早く帰んな」
「はい! ありがとうございます」
チオーネは元気よく帰っていった。
「はぁ~あ、やることやらねぇとなぁ……」
チオーネを見送った後、俺は床に散らばっている魔法書や木の素材を見ながらつぶやいた。
その後、ライフジャケットや簡易的な救命ボートを作れないかと、試行錯誤の日々が始まった。
ジャングルで最も水に浮く木材探したり、ゴムっぽい樹液を出す木を探したりフィールドワークが多かった。
疲れ果てて、宿に帰り、近くの居酒屋に行くと、優しい獣人のおじさんやおばさんが多く、いろいろと話しかけてくれた。冒険者ギルドの職員たちにも会って、話をきいてくれた。
結果、救命ボートに関して、モラレスの町の人たちはそれぞれの家にボートのような小型の船なら雨期用にあるとのこと。
「おう、この町なら大丈夫だ。雨期になれば、建物は全部取っ払って東の避難所に逃げるんだから、船ぐらい皆、用意してるさ」
「船がなかったら、北に逃げればいいんだからさ」
「おめぇさんが気にすることねぇ」
と酔っ払いたちに言われ、随分楽になった。
とはいえ、逃げ遅れたりする人もいないわけではなく、老人やけが人の避難は大変なのだそうだ。
ライフジャケットについて話してみると、
「おおっ、そりゃいいな!」
「そんなもんがありゃ、売れるぞ!」
「それ、冒険者ギルドにも一枚噛ませてくれ」
とのこと。
モラレスの反物屋は大きくて長い布が売ってなかったので、北の町に行って布を買った。ついでに買ってきた甘味でメルモを釣り、ライフジャケット作りを手伝ってもらう。
布にゴムっぽい樹液を塗って乾かし、1日干すと、ゴワゴワになって使い物にならなかったり、虫の魔物が寄って来ちゃったりして大変だった。
それでも、形にはなってきて、よく飛行機なんかで見かけたライフジャケットのような物が出来た。
樹液は後から、薄く何回かに分けてやり過ぎない程度に塗ること。
最後に◯に「コ」の字を描いてコムロカンパニーのライフジャケットが完成した。
夜中になると、ボウとベン爺さんが訪ねてきて、夜の狩りに出かけることもあった。
大平原で篝火を焚くと、シャドウィックが自然と寄ってくるので、とても楽。新兵の行軍を見かけることもあったが、なるべく距離をとって関わらないようにした。
「休暇、どお?」
ボウが聞いてきたので、ライフジャケットを作ってるというと、
「お前さんたちは休暇でも何かしら、働いてるんだなぁ」
と、ベン爺さんが水魔法を放ちながら言った。
「あんまり、ボーッとしたり佇んだりすることに向いてないんですよね」
すでに、休暇宣言をして7日ほど経っていた。
「明日には、軍の行軍も終わりだ。モラレスの町も騒がしくなるなぁ」
ベン爺さんが言った。
2人と別れ、1人宿へと戻る。
俺たちの休暇もそろそろ終わりにして、仕事をしよう。
作戦を練って、水の精霊様をクビにしなくては。やはり、守る対象について知っておいたほうがいいかな。ベン爺さんに水の勇者について聞いておくべきか。
翌日、宿を片付け、掃除をして、宿の主人に溜まっていた宿賃を払い、避難所に向かった。
未だ朝もやがかかる時分。
畑ではすでに眠そうなボウがリタと一緒に水を撒いている。洞窟の民たちも作業を始めていた。
その脇に一台の馬車がやってきて停まった。悪路だというのに大変だな。
サッサさんが帰ってきたか。洞窟の民たちも馬車を見て、集まり始めていた。
ラウタロもベン爺さんも住居がある丘から下りてきた。
御者台から年老いた御者が降りて、馬車のドアを開ける。その御者の動きは、やけに動きが洗練されていて、この避難所には不釣り合いな気がした。
中から、青い作業服のようなものを着た女性が降りてきた。白髪の長い髪を後ろで束ね、右目に黒い眼帯を付けた女王、その人だ。女王に続きサッサさんが降りて、馬車のドアが閉められた。
その場にいる誰もが作業の手を止め、声を発さなかった。
カリスマ性というやつだろうか、ただ馬車から降りただけなのに、場の空気を女王に持って行かれた。
ただ、1人だけそっと静かに後ずさりしている者がいた。ベン爺さんだ。
「ベンジャミン!!」
女王の声が、朝もやを晴らすように響いた。




