115話
翌朝、島の周囲には霧が立ち込めていた。
昨夜は気づかなかったが、ドーナツ型の島の真ん中には周囲の海よりも濃い青の池があった。
俺は船から降りて、池の近くまで行く。
底がないのではないかと思えるほど、池は深く魔物の姿も見えなかった。探知スキルを持ってしても池の最深部は見えなかった。洞窟のように曲がりくねっており、小さな魔物が少しばかりいるようだったが、完全に外海とは別の生態系のようだ。
「不思議な場所だな」
ベルサが「おはよう」という代わりに俺の側まで来た。
「おはよ。うん、潜って探ってみるか?」
「いや、深そうだから止めるよ。あんまり深い海に潜ると肺がぺしゃんこになるって聞いたことがあるんだ。ナオキが潜るなら止めないけど」
確かにレベルが高いからといって、水圧に勝てるのかどうかわからない。息が続くかどうか。もしかしたら死んだ魔物の毒が噴き出している場所もあるかもしれない。不安要素は多い。
「いや、こういう珍しい場所があるんだなってだけで今はいいや。それに、霧の向こうにお客さんがいるようだし」
未だ晴れない霧で目では見えないが、船の周囲に魔物の群れがいることが探知スキルでわかった。
「魔物か?」
「うん。ただ、こちらを警戒しているのか、一定の距離以上近づいてこないな。とりあえず船を出してみよう。朝飯は?」
「メルモが肉を焼いてるよ。魚料理ばかりじゃ飽きるからね」
船の上から、煙が出ていた。甲板でバーベキューをしているようだ。朝から重めだ。
俺とベルサは船へと戻り、全員で朝飯を食べる。
アイルは夜の見張りをしていたので、朝飯を食べたら寝る。
「魔物がいるんだよなぁ。でも近づいてはこないんだ。こちらが見張られているみたいだ」
アイルは肉にかぶりつきながら言った。
「わかった。襲う以外に何か目的があるのかな?」
「襲ってこないんだ。私たちは私たちの目的地に行けばいいんじゃないか? 襲ってきたら対処すればいいんだから」
「襲ってきたら私たちにやらせてくださいね! あんまり運動しないと、身体がなまるので」
メルモが肩を回している。
セスは一瞬「俺も含まれてるのか?」という顔をして、「まぁ、僕が一番レベル低いからなぁ」とぼやいていた。
見た目ではセスが一番ムキムキで強そうなのだが、アイルの足元にも及んでいないという。強さってなんだろうな。
朝飯の後、帆を張り出港。
霧が晴れてきたが周囲の魔物たちは海に潜り姿を見せなかった。
セスは羅針盤と海図を見ながら、群島の南、シオセさんと元王子のルシオがいる島へと船を進める。魔物たちは、俺たちの船の行く先を泳いでいた。
「もしかして、連れて行ってくれているのか?」
俺が誰に聞くでもなくつぶやいた。
「セイレーンかもしれないぞ。昨夜見たシーライトはセイレーンを連れてくるともいうからな。ついていくと罠があるかもしれない」
ベルサは魔物図鑑に書いてあると笑っている。セイレーンを捕まえて闘技場に売ろうとしているのかそれとも研究のためだけか。
「セイレーンの罠なら嵌ってみたい気もする」
「船長! 間違っても社長の言うことを聞かないように。行き先を間違えるなよ!」
「OKっす!」
船長・セスは大きな返事をした。
魔物たちは、船の速度に合わせて前を泳いだ。
セスが舵取りを間違えた時は、魔物たちは泳ぐのを止めて海の中で停止した。
「もしかして、間違えてないか?」
「あ、そ、そうですね」
セスが舵を切っていた。
やはり魔物たちは船の行き先を知っているようだ。
一応、診察スキルで自分とセスを見て、魅了されていないか、混乱状態になってないか、確認したが、2人とも状態異常は見られなかった。
昼過ぎ、群島の南の島に辿り着いた。島が見えた時点で、船の前を泳ぐ魔物たちは何処かへ散っていった。
浜辺にはシオセさんとルシオが待っていて、近くに屋根がある船が着けられていた。
「やあ、迷わずに来たかい?」
シオセさんが船を降りてきた俺たちに聞いた。相変わらずあごひげが長く、弓を肩に担いでいた。ルシオは裸にふんどしだけ着けて、ちょっと日焼けしていた。自由そうで何よりだ。
「ええ、ちょっと寄り道しましたけど」
「シーライトが出たってね」
シオセさんはシーライトのことを知っているようだ。
「知ってるんですか?」
「ああ、干物屋が言ってたんだ。あ、ほら、あいつだ」
ガサゴソと森の草をかき分けて、短パンTシャツ姿の真っ黒に日焼けした男が現れた。年齢は30代か40代くらい。テッカテカの顔にはシワ1つないので、実年齢より若く見えているのかもしれない。肉付きが良く、歯は白い。缶ビールでも持っていれば、そのままCMに使えそうなほど、にこやかに歩いてくる。ただ、その手にはビーセルの死体を持っている。
「こんちゃー!」
「あ、こんちは!」
大きな声で挨拶されたので、こちらも同じように元気に返す。
「世界で一番自由な干物屋・ボリです!」
「清掃駆除業者のナオキです。よろしく」
ボリさんは耳の横で、手を振った。挨拶のようなので俺も耳の横で手を振る。
「世界一自由な干物屋って何ですか?」
俺は聞いてみた。
「ん~っと、僕には所属する国がないんだわ。ほらあの船で生活しているので、土地に縛られないんだねぇ。自由でしょ?」
ボリさんは屋根付きの船を指差して言った。
「それは、確かに自由ですね」
「国がないので、誰かに命令されることもないし、気に入らない場所には行かなくていい」
なるほど、自由人らしい。でも、その程度で、世界一と言えるのかな?
「ああ、それから、奥さんが魔物なんだわ」
「は?」
俺はアホみたいに口を開けた。
「僕の奥さんたちはセイレーンでねぇ。あなたたちの船の道案内をしてたの、気づいた?」
「あの魔物たちはボリさんの奥さんたちなんですか?」
「初めは1人だったんだけど、増えたんだわ。魔物たちと結婚するなんて自由でしょ?」
「そんなことできるんですか?」
「出来たねぇ。やってみるといいよ」
「自由ですねぇ」
国がなくて、セイレーンと結婚するなんて、確かに自由かもしれない。
「ま、奥さんたちが獲った魔物で干物を作って、売ってるだけなんだけどね。ここらへんの海には自由な人しかいないから、ほら自称魔物学者とか、自称元王子とか。僕も自称世界一自由な干物屋って言ってるんだわ」
「あと、奴隷船襲って、奴隷を解放したりもしてるな」
隣で聞いていたシオセさんがニヤリと笑っている。干物屋なのに面倒なことをやっているらしい。
「干物屋なのに奴隷船を襲うんですか?」
「成り行きだよ~。向こうがこちらを襲ってきたから、奥さんたちに頼んで向こうの船の船底に穴を開けただけ。奴隷たちは可哀想だから、近くの島まで送ったりして、それが何回か続いて、島に元奴隷たちの村ができちゃったりして、てへっ」
「てへっ」とか言ってるが、もしかして、すごい人なんじゃないだろうか。
買ってきた塩をシオセさんに渡し、シオセさんから馬鈴薯に似た野菜を貰う。
「これ、いいんだよ~。小麦とかより簡単に育てられてね。北の方に行った時、売ってたのを僕が持ってきたんだ」
ボリさんが自慢した。
「育ててるのは俺だろ」
シオセさんはボリさんに言った。2人はやけに仲が良さそうで、肘で小突きあっている。
「だって船の上じゃ、育てられないからさ」
「元奴隷たちだって育ててるだろ?」
「ほら、彼らは自分たちの分で必死だから。自由になったってのに、あんまり自由そうじゃないんだよなぁ。早いところ海に出ればいいのに」
「海に飽きるやつだっているだろ?俺みたいに」
「シオセが珍しいだけさ。ところであれは何をしてるんだい?」
ボリさんが指差した方を振り返ると、うちの社員たちが木を切ろうとしていた。今日はこの島に泊まることになるだろうから、薪でも集めてるのかな。いや、木を切り倒そうとしてるくらいだから、キャンプファイヤーか。
「たぶん、キャンプファイヤーでもするんだと思います。あ、そうだ。うちの魔物学者を紹介しますよ。ベルサー!」
「なんだ!? キャンプファイヤーの準備で忙しいんだが!」
「自称魔物学者のシオセさんだ!」
「ああ、そうだった。どうもどうも! 魔物学者のベルサです! ナオキ、こっち手伝ってくれ。生木は燃えにくいから、魔法陣で乾燥させてくれ」
「わかったー!」
俺は森で木を切り、ベルサはシオセさんと話し始めた。
「魔法陣って、あの年で魔法陣を扱うのか?」
ボリさんがベルサに聞いていた。
「ああ、あれはちょっとおかしいので気にしないでください……。それより、ガガポでしたっけ?」
「ああ、そうそう」
「『リッサの魔物手帳』にも載ってなくて、実物が見たいんですけど」
「あの本読んだのか?」
「ええ、リッサは師匠ですから」
「なんだって! 本当か!」
魔物談義を置いておいて俺はキャンプファイヤーの準備に向かう。
木を切って乾燥させるより、倒木を探して切ったほうが早い。倒木の場所についてはルシオが案内を買って出てくれた。ルシオは島に住み始めて日は経っていないが、それでもシオセさんに連れ回されているらしい。
「どうやって魔物と結婚したんでしょうね?」
森のなかを歩きながら、メルモが興味津々で聞いてきた。
「あとでボリさんに聞いてみよう」
「はい! 魔物と結婚するなんて、ロマンチックですよね」
普段なら「何言ってるんだ?」と言うところだが、相手がセイレーンだと、話は変わってくるような気がする。
「好みの触角を持つ魔物がいたら、アタックかけてみようかなぁ……」
メルモは虫系の魔物と結婚する気だろうか。
セスとアイルは、ロマンチックな会話には参加せず、木刀の振り方をルシオに教えているようだ。
程なく、大きな倒木がある場所に辿り着き、アイルが剣で切り出し、セスとメルモが蔓で縛る。
俺が肩に木を担ぐと、ルシオはただただ驚いていた。
「おかしな奴らだとは思っていたが、ここまでおかしいとは……」
なんかブツブツ言っている。城に籠り切りだったから、声が小さいのだろう。慣れるまで時間はかかりそうだ。
浜辺に戻り、木を井の形で重ねていき、キャンプファイヤーを組んでいく。
ボリさんの奥さんたちは、俺たちの船に興味があるのか、船の周囲の海に潜っていた。未だ姿は見せてくれない。
アイルがボリさんの持っていたビーセルを解体すると言うと、ボリさんは「解体?」と聞いていた。アイルがビーセルを解体すると「そんな方法があるのか!?」と驚いていた。どうやらボリさんは魔物の皮を剥ぐ時は、一度火に焼べ、黒くなったところを剥ぐという方法しか知らなかったようだ。
「陸で生活したことないんですか?」
「いや、20年前までは大陸で生活していたけどねぇ。ただ、こういう解体の仕方は見たことがなかったなぁ」
魔物の解体を見たことないって、ボリさんって偉い人だったのか?
「大陸って西のヴァージニア大陸ですか?」
「いや、東の大陸」
「俺たち、その大陸に行くんですよ」
「そう、なのか……」
少しだけ、ボリさんが遠い目をした。過去を思い出しているのだろう。
その時、海から歌声が聞こえてきた。
「歓迎してるみたい。僕の奥さんたちに気に入られたようだね」
ボリさんがにっこり笑った。
日は沈み始めている。
「おーい! 始めるぞー!」
いつの間にか解体を終えていたアイルがキャンプファイヤーを始めようとしていた。