114話
黒い煙を見ながら、俺はIHの魔法陣を地面に描き、ポットに水袋から水を入れて沸かす。
その間に井戸の中から立ち上った黒い煙がローブを着た男の姿に変わっていった。
「我は7大魔王、影の王こと……ちょっと待ブホッ!」
何か名乗り上げていたようだが、途中でアイルが木刀で殴っていた。
「実体があるみたいだな」
「くっ痛い! このやろー」
そう言うとローブを着た男は煙となって、俺とベルサの方にやってきた。
黒い煙が手と男の顔へと変化し、手が俺の首へと伸びる。
「この二人がどうなっても良いのか?」
アイルに向かって言う。
煙の手は実体化して、俺の首を絞めようとしていた。
俺は親指と小指を掴み、開いていってみた。
「痛い痛い痛い! 痛いっ! バカか! お前らは!」
俺を睨みながら、煙の男が叫ぶ。
男の手は煙へと変化し、逃れた。掴んでいた俺の手には黒い粉のようなものが付いていた。
ベルサが俺の手に付着した黒い粉を人差し指で触って臭いを嗅いだりこすってみたり、顕微スキルで見たりした後、「煤だね」と結論づけた。
「何が影の王だ!? ただの煤の魔物じゃないか!」
アイルが煙の中の顔に向かって言った。
「うるさい! 我は影の王、シャドウローだ! 7大魔王の影のリーダーとは我のことだ!」
煙全体が男の顔へと変わり、大声で叫んだ。
恥ずかしくないのか?
「7大魔王ってなんだ?」
ベルサがどうでもいいことを聞いている間に、俺はアイテム袋から、マルケスさんの島で試していた唐辛子っぽい実を漬けた液体を取り出し、ポンプに入れる。
「フフフ、よくぞ聞いたな。我ら7つの大罪を背負う魔王は、先代の魔王の影に隠れて実力を隠し続けてきた真の魔王だ!」
邪神は魔王なんていないって言ってたから、自称かな。ただ、あの邪神のことだから、見逃しているってことがありうるからなぁ。ま、本物だろうが偽者だろうが、どっちでも駆除することに変わりない。
「そんな実力者が今さらなんで出てきたんだ?」
「フフフ、知りたいか?」
煙の顔ことシャドウローは目をひん剥いて、下卑た笑いを浮かべながら聞いてきた。
「いや、いい。もう準備出来たから」
俺はノズルの先を、影の顔に向けた。
「準備?」
アホ面をしているシャドウローに俺は辛いスプレーを噴射した。
「ギャァアアアアアア!」
絶叫が村中に響き渡った。
絶叫を聞きつけたジュードさんとバーサーカー君が走ってやってくるのが探知スキルを通してわかった。
「貴様! 何をした! このヒリヒリするのはなんだ?」
シャドウローの煙が一箇所に集まり、真っ黒い男の身体へと変化した。
「ちょっとしたスパイスだよ」
俺は説明しながら、なおもシャドウローに辛いスプレーを噴射し続けた。
「止めろ!止めてくれ! 全身が痛い、目が目がぁ……」
のたうち回るシャドウローをアイルが剣でバラバラにした。
シャドウローは粉々になったものの元は煤だ。これで、死んだのか、よくわからない。
ベルサはお湯の入ったポットの中に粉々になった煤を入れられるだけ入れた。
「このポット、アイテム袋に入る?」
ベルサに言われて、アイテム袋にポットを入れようとしたが、入らなかった。アイテム袋には生き物は入らない。
「まだ生きてるな。ナオキ、あの音の爆弾一個ちょうだい」
ベルサがそう言って手を出してきたので、魚の魔物を獲った時に使った音爆弾をアイテム袋から取り出し、ベルサに渡した。
粉々になったシャドウローに向けて音爆弾の玉を投げつける。
キーーーーン!という音とともに、粉々になった煤が震えた。
「グゥァアアアッ!」
井戸の中から、雄叫びのような声が聞こえた。
本体は井戸の中にいたのかもしれない。とりあえず、煤の詰まったポットはアイテム袋に入ったので、無生物になったのだろう。
「大丈夫でしたか!?」
バーサーカー君が走ってきて俺たちに聞いた。
「ああ、今終わったところだ」
アイルが言う。
「何だったんだろうな?魔王って言ってたけど」
「さあ? 今度例のアレ(邪神)に聞いてみる」
ベルサの問いに俺が答えた。
「あー、ポットがなくなっちゃってお茶が飲めなくなったな」
「帰りがけに新しいの買っていこう」
「休憩なしか。ま、いいか」
俺たちはポンプとお茶っ葉などをアイテム袋にしまい、帰る支度をする。
「あの……この村の魔物は……?」
バーサーカー君の後ろにいたジュードさんが聞いた。
「あ、終了です。ゴースト系の魔物は全て駆除しました。俺の探知スキルでも見える範囲に魔物はいませんので」
俺が説明すると、しばらくポカン顔をした後、
「そう……ですか」
と、ジュードさんが言った。
「じゃ、俺たち急ぐんで」
そう言って俺たちは、とっとと走り去った。
日が沈む前に出港したい。
イーストエンドに戻り、商人ギルドで依頼完了を報告。
報酬を受け取っていると、商人ギルドのマスターが慌てて奥の部屋から現れた。
「この度は、どうも災難でしたな」
ギルドマスターは恰幅のいい商人だった。牢に入れられたことを言っているのだろう。
「ええ、まあ。いろいろとご迷惑をかけまして、ありがとうございます」
「なんの、商人ギルドができることをしたまでですよ」
「それでは、ちょっと急ぎますので。これにて」
そう言って、俺たちは商人ギルドを出た。
雑貨屋で新しいポットと可愛らしいカップを買い、港へと向かう。
すでに太陽は傾いている。
港に着くと、メルモが船から手を振っていた。
出港手続きはすでにセスが済ませていたようで、俺たち待ちだったようだ。さすが船長。
桟橋に括りつけていたロープを解き、船に乗り込む。
マストの上に跳び、帆を張る。
「出港します!」
舵を取るセスが大声で宣言する。
特に見送ってくれるような人はいない、と思っていたが、振り返ると衛兵の詰め所の屋上で手を上げる男が1人いた。フリューデンだ。
太陽はすでに西の山へと沈み、今は影がないマジックアワー。
俺たちはフリューデンに向かって手を振ると、フリューデンは上げた手を微かに振った。
船はゆっくりとイーストエンドを離れ、東へと進路をとった。
俺が船首で探知スキルを展開させながら海を見ていると、ベルサがお茶が入ったカップを持ってきてくれた。
「ありがと。そういや、自称・召喚士の爺さんって何だったんだろうな」
「7大魔王っていうのもなんだろうね。あんなのがあと6匹もいるのかと思うとこの世界は大丈夫かと心配になるね」
お茶を飲みながら、取り留めのない会話をする。
「あ、そうだ。これね」
俺はアイテム袋から、フラワーアピスの巣が入った袋を取り出して、ベルサに渡す。
「そうそう。これこれ」
フラワーアピスがおかしな動きをして死んだので、ベルサが調べたいと言っていた。
甘い香りのする袋を持ってベルサは、船長室へと向かった。船長室はすでに実験室と化している。
アイルはマストの上で魔石灯のランプを持って見張りについている。見張りと言っても、空に向かって木刀を振ったりしているのだが。メルモは、ポイズンスパイダーのために自室で大きめの籠を作っているようだ。
船長のセスは舵車輪を固定して、飯を作ってくれているところだ。
風は追い風ではあるもののとても弱く、波間を漂うように東へと航行している。
日が完全に落ちると、やはり海の中の魔物は活発になるようで、船に近づいてくるものも多い。ただ、船が生き物でないことがわかると、ほとんどの魔物がスルーだった。それでも、時々海面に顔を出す魚の魔物もいて、船首をバンバンと叩いて警告音を出すこともあった。前にレッドドラゴンから貰った竜の玉を見せることもあった。それで、大抵の魔物は海へと潜っていった。
「おーい!ナオキ前方の海になんか光が見える!」
マストの上にいるアイルが言って、前方1時の方角を指差した。
確かに、海の中に青白いような光が見える。
「セスー!」
俺は探知スキルの範囲を広げつつ、セスを呼ぶ。
光を放っている海は浅瀬だ。このまま進むとぶつかる可能性もある。視覚で見ると青白いが、探知スキルで見ると赤く、青白い光の正体は無数の小さな魔物であることがわかった。
セスがエプロンを着けたまま、出てきて舵を取り始めた。
「何ですか? あれは」
セスが聞いた。メルモとベルサも甲板に出てきた。
前の世界だと、ウミホタルとか夜光虫とか呼ばれているものだと思うのだが、こちらの世界では魔物ということ以外わからない。
「あれは海が見せる幻で、シーライトという現象とされているな。死んだ者を連れてくるとか、セイレーンを連れてくると言われている」
ベルサが、説明した。
せっかくなので近くまで行ってみると、シーライトがいる浅瀬は、ドーナツの形をした島の一部であることがわかった。小さい島で、地図にも載っていない。標高は1メートルもないと思う。
今夜はその島に船を着け、泊まることにした。
「なら、あれは小さな魔物だというんだな?」
甲板に魔石灯を幾つも設置し、皆で晩飯を食べている。俺がウミホタルと夜光虫について前の世界にこんな生物がいた、などと語ったところ、ベルサが聞いてきた。
「探知スキルで見ると赤く見えているし、現象というより魔物の群れと言った方が正確じゃないか、と思っただけだよ」
「だったら、獲りに行こう」
ローブの袖をまくってベルサがやる気出していた。
「飯食い終わったらね。フラワーアピスの巣はいいのか?」
「ああ、あれはハチミツ採れないよ。巣の中が真っ黒だった」
「原因は?病気?それともなにかフラワーアピスよりも小さい虫の仕業?」
「わからない。顕微スキルで見たけど、そういった形跡は見つからなかったね。しいて言えば呪いかな?」
呪いか。この世界に来てから、呪いに出くわすことがたまにあるな。
セス特製の辛めの煮魚を食べ、ティータイム。
他のメンバーがお茶を飲んでいる最中に、俺とベルサはシーライトを採取しに行く。
瓶に入れて軽く振ると、青白く発光する。
船に戻って魔石灯の明かりで見ると、茶色く濁ったような液体にしか見えないが、ベルサが顕微スキルを使って見たら、やはり身体を発光させる生物だったようだ。魔物かどうかは怪しいらしい。
「なんだこれは!? 本当に魔物なのか?こんなことってあるのか?」
「そんなに珍しいのか?」
「ああ、魔物であれば魔石が身体のどこかにあるはずなんだが、これには見当たらないんだ。だけど、身体の中に魔力は流れている。不思議だ。そんな奴らがいるか?」
「ん~確かに。魔石が身体の中にないなんて、俺たちみたいだな」
「俺たち?」
「ああ、人族とか獣人とかさ、ヒューマン型の生き物の身体には魔石はないだろ?」
「ああ……そうだな! そうか、そう考えると不思議でもないのか」
ベルサはシーライトの入った瓶を見つめながら、唸っていた。
空には星が瞬き、海にはシーライトが輝いていた。