1話
エルフの薬屋の掃除が終わったのは夕方を過ぎ、すっかり日が落ちた時だった。
カミーラと言う薬屋の店主は、眼光の鋭い腰が折れ曲がった老人で、齢800と少しだそうだ。エルフの金髪と長い耳が特徴的で、俺が掃除している間ずっと神経質そうに杖を弄っていた。
薬草はすべて透明度の高い瓶に入っていたので、割らずに済んでよかった。裏庭の井戸で、ぞうきんを絞り、空のバケツに放り込む。
「ありがとうございました!」
俺は報酬を受け取って、店を出ると満点の星空を見て深呼吸をした。
町の通りでは、黒いローブを着た魔法使いたちが杖を持ち、街灯に光を灯している。この町の明りは、ガスや電気ではなく魔法で点けている。
朝になれば、自然と消えていく。不思議な魔石灯と呼ばれる明りだ。
石畳の道には、角が生えた獣人や鎧を着た衛兵が、普通に歩いている。しっかりとしたレンガ造りの家からは、香辛料のいい匂いがしていた。
俺がこの世界にきてから3週間。
どうにかこうにか、自分の生活が成り立ち始めていた。
地球にいた頃は、清掃員兼害虫駆除の仕事をしており、ゴミ屋敷の崩れてきたゴミによって圧死したところを、この世界の神に拾ってもらった形だ。正直、死んだ後はあまり記憶がないというか……、わけもわからないまま町の近くの草原に立っていた感じだった。
ここがゲームのRPGのような世界だということに気づいてからは、この世界に馴染み始めた。白っぽい自然石を使った西洋風の家に、樽や壺が家の外にも中にもあり、コップはガラスではなく陶器だった。文化水準は古代のローマくらいだろうか。
ただ、この世界には魔法が存在していて、獣人やエルフなど亜人と呼ばれる人々がいる。
最初は人種の差別があるのかと思ったが、仲良く酒を酌み交わしたりもしている。男性に媚びるような女性は見ないから家父長制の社会でもなく、かといって女性が優位にも見えない。
一見、平等な社会に見えるけど、身なりが良くなくても敬われている若者がいたりもする。
どういう権力構造になっているのか、どんな文化があるのか、まだわからないままだ。貴族様がやってきて生麦事件のようなことにならないように気をつけて生活している。
冒険者ギルドに入り、ひと通り戦闘の訓練を受けたが、剣の才能も魔法の才能もなかった。
そんな才能があったら、死ぬ前に使っていただろう。
俺は、基本的に地球の頃と変わらず、清掃員と害虫駆除をメインに生活を成り立たせることに決めた。冒険者ギルドはほとんど仕事斡旋所として使わせてもらっている。
今日も冒険者ギルドに行って、掃除の仕事を見つけてきた。
魔物や魔獣の討伐ではない仕事は人気が無いため、いくらでもあるらしく、毎日暇しない。
俺がいる町は国の中心からも離れており、ここら辺の魔物や魔獣は弱いため、あまり冒険者の数もいないらしい。それでも200人ほどは登録されているという。登録だけして、後は別の仕事をしているのだろう。前の世界で言う短期の副業に登録している感じか。
薬屋清掃の仕事で10ノットの銀貨を5枚手に入れた。ノットというのが貨幣の単位だ。
他の国のことは知らないが、この国では1ノットが銅貨、10ノットが銀貨、100ノットが金貨だ。
ちなみに、俺は国の名前をまだ知らない。
まぁ、その内知ることになるだろうと、焦らずゆっくり地盤を固めようと思う。
冒険者ギルドの受付で依頼完了を伝える。
ギルドに併設されている宿の代金が20ノットだから、30ノットが余る。
早いところ自分の部屋を借りたいので、貯金に回した。
宿の部屋に戻ろうとしたところ、受付の狐の女獣人に呼び止められた。
「ナオキさん! ちょっと待って!」
「なにか?」
一日に大勢の冒険者を見ているはずの職員が俺のことなんか覚えていたのか、とちょっと驚いた。前の世界だと、顔と名前が一致しないということはよくあることだが、この世界は種族が違うから、区別をつけるのがわかりやすいのかもしれない。
「あなたに依頼があるんだけど」
「依頼? 俺みたいな初心者に依頼なんてあるんですか?」
ご指名なんて、前の世界でもされたことがないよ。
「ええ、あなたはほぼ清掃と害虫駆除の依頼しかしてないわよね?」
「ええ、ほとんど町の外には出てないですよ」
実際、この世界に来て、一番近くのこの町に入ってから一度も外にでていない。ゴブリンやワイルドベアなどと戦う冒険者達とは違う。
影で笑われているのかもしれないが、ほとんど言葉がわからないので気にならない。
先程の受付嬢との会話もジェスチャーを交えた会話だ。
俺に来た依頼というのは地下水道にネズミの魔獣が繁殖してしまったので駆除してほしいというものだった。
依頼人は町の役人からだそうで、実入りもいいという。
地下水道の場所がわからないので、受付嬢に地図を書いてもらった。
翌日、役所に行って、片言でギルドから来た者でネズミを駆除しに来たと言うと、全身を見られ、「そんな格好で大丈夫か」と聞かれた。
今の俺の格好は上下青のつなぎで、地球での清掃員の格好そのままだ。
「まぁ、大丈夫です」
片言で喋ると、役所の人は鼻を鳴らして、地下水道の地図を渡してきた。
期限は9日で、出来るだけ多くのネズミこと「マスマスカル」という魔物を退治してくれとのこと。
報酬は1匹に付き、5ノットだそうだ。
100匹狩れば500ノット。
夢の賃貸生活に手が届きそう。
早速、昨日清掃に行ったエルフの薬屋に行って殺鼠剤はないかと聞いてみた。
身振り手振り、絵も交えてカミーラ婆さんに聞くと、ネズミだけ殺す薬はないが、だいたいの魔物にダメージを与える薬はあるという。
あるだけ欲しいと言うと、100ノット請求された。
まけてくれと頼むと、たまに来て掃除してくれるなら10ノットでいいらしい。
一気に10分の1だ。強欲婆みたいな面をしているのに、商売を諦めたのか。
商売っけのない老婆を騙して、大きめの缶詰ほどの毒薬を手に入れた。
ちなみに、ここら辺で空いている部屋はないか聞いてみると、薬屋の2階が空いているそうだ。
掃除をすれば、住めるとのこと。
家賃は30日で150ノットにしてくれるという。
仮予約して、店を出る。生活がとんとん拍子に決まっていった。
どうやら、カミーラには気に入られたらしい。店を出たところで、小さく拳を握ってしまった。
宿に帰る前に、荒い小麦粉と水、はちみつなどを調達し、肉屋で捨てる魔物の血や脂をただで貰う。
以前、この肉屋の家の草むしりをしたことがあるから、知らない人ではないはずだ。
「何に使うんだ?」
「仕事です。ネズミを捕まえるのに」
肉屋の親父は、顔を歪めていた。嫌われる仕事だから仕方がないが、人がやっていない仕事ほど、新規参入はしやすい。
営業スマイルで果敢に攻めたのが功を奏したのか、ただ気味悪がられたのか、わからないが、肉屋の親父は桶にいっぱい血と脂をくれた。
ギルドに行くと、さすがに冒険者たちから引かれ、裏手の井戸の方に回れと指示された。
井戸の脇に布を敷き、そこで特製殺鼠剤を作成する。
ホウ酸団子みたいなものだ。
小麦粉と毒草で団子を作り、そこに魔物の血と脂で、臭いを整える。酷い臭いほど、嗅覚の鋭いネズミは寄ってくるだろう。
計100個ほど作ってみて、明日、威力を試すことにした。
まだまだ、材料は残してある。
殺鼠団子を袋にしまい、ギルドの食堂でいつもの味のしない肉定食を食べ、今日は寝ることにした。