7話、師となる者
「やばい……。腹減って死にそう……」
遥希は緑豊かな草原を歩いている。
その草原の先には街が見えるのだが、一向に近づいた気配がない。進行スピードが遅いからだろうか。
「ふわぁぁぁぁぁぁ……。あー、ねむっ」
昨日の戦いからすでに数時間が経とうとしていた。
すでに周囲は明るくなっていて、今の自分の状況を嫌でも知る。
「眠いし、疲れたし、腹減ったし、なんか怠いし、いいことねえなぁ」
そして遥希は、だだっ広い草原に生えている一本の大きな木の下に、覚束ない足取りで向かう。
その木までの距離は、目測で50mあるかないかくらい。普通に歩いても1分もかからないのだが、なぜか遥希はその距離を5分かけて歩く。
やっと着いたと思ったら、木の幹に寄りかかり、崩れるように座り込む。
遥希は薄々気づいていた。このまま寝たら死んでしまうと。
いや、1日何も食べないで一睡もしないで歩くことは、体には悪いかもしれないが、死ぬほどのことではない。
しかし、流石にいろいろなことが起こりすぎた。身体的にも精神的にも限界も迎えていたのだろう。
そのまま、気を失うように眠る。
「………い……だ……じょ…ぶ………か?」
意識を手放す前に、誰かが話しかけたような気がするが、その時既に微睡の中だったため、うまく聞き取れなかった。
「ん………ここは?」
そこはどうやら、家の一室だろう。
何かの研究施設だろうか。赤い液体の入ったフラスコや、何かの眼球らしきものが近くのテーブルの上に乗っている。
もしかして自分は、あの木の下で寝てしまって、この怪しげな施設へと連れてこられたのだろうか。
(だとしたらやばいな。早く脱出しないと…………ん?)
と、遥希は自分は拘束されているわけではないことを確認する。
普通なら何か鎖でも繋ぎそうなものだが、遥希をここまで運んできた人物はそういう意図はないのだろう。
しかし、長い間ここに留まるわけにもいかない。こんな部屋に連れ込まれて、何をされることか。
(解剖とか堪ったもんじゃないぞ。まあさすがにそんなことはしなさそうだが……)
遥希が寝ていたのはベッドの上だった。しかもご丁寧に布団まで掛けてある。まあ実験をするのであれば解剖台のほうがいいに決まってるし。
とにかくどこかに避難しなければ。しかし、やけに体が重い。
(体が疲れているからだろうか……。ってあれ?)
それは遥希の足があるあたり。そこだけ妙に布団が盛り上がっている。
(やはり枷か拘束具が掛けてあったか。まぁそりゃそうだよな)
遥希は脱出の計画を立てようと考える。こうなってしまったのはしょうがない。
そして掛布団を退かす。と、
「ん…………」
「は…………?」
遥希の足元にあったのは枷でも拘束具でもなかった。
それは、
「ん、ふわぁぁぁぁぁ…………」
「……………」
「あ、起きたのか」
「起きたのかじゃねぇよ!」
何とも言い難い、綺麗な女性だった。
髪はチョコレートのように濃い茶色をしており、目は鋭く、鼻は高い。見た目からすると、強気な人というイメージだ。その頭には、白い帽子がかぶられている。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。プロポーションはよく、顔も綺麗、ハッキリ言ってモデルの上を行っている理想的な女性だ。
「おうおう、随分と元気なガキじゃねぇか」
「ガキって……」
「まぁ、お前のお前は大人みたいだけどな」
「……?」
その女性は遥希の股間を指さして、ニヤニヤしている。
そこは服の上からでも分かる。男性特有の寝起きに起きるという生理現象だ。
「なに笑ってんだよ。ってか下ネタも言える口かよ」
開口一番変態扱いされた女性は、少し笑みを浮かべる。
それは自分のほうが上に立っているという一種の挑発だ。
遥希は少し頭にきたが、冷静に考えるとこの変態女が命の恩人かもしれないのだ。なのでこっちから下手に出る。
「それで、あんたが俺を助けてくれたのか?」
「救ったっていうのは大げさかもしれないが、大体はそれであってる」
「そうか、一応感謝しておく」
ぶっきらぼうに言ったが、女性は少し嬉しそうだ。
「一応名前くらいは言っておかないとな」
「いや、その必要はない」
「なぜだ?」
それは尤もな疑問だ。なぜ名乗んなくていいのか意味が分からない。
これでも遥希は記憶力はいいほうだ。一度会った人なら覚えている。
遥希自身、この人に会ったことはない。それは過去の遥希が知っている。
しかし、なぜだろう。会ったことはないが、この視線、感じたことはある。
そう、この世界に来て森の中で目覚めたときだ。一応寝起きだったし、気のせいと思って気にしてはいなかったが。
「どうやら分かったようだな」
「ああ」
「それじゃあ自己紹介といこう」
そしてその女性は得意げな顔をして高らかと宣言するように言う。
「私の名は、アウリール・エル・リンドヴルムという! この獣国のジョーカーで……」
アウリールは大きく息を吸うと有無を言わせぬ強い口調で一言。
「貴様、ハルキ・シンザキの師となる者だ」