23話、獣王に認められし男
「なに?」
「人はどいつもこいつも馬鹿だって言ったんだよ」
「それはつまりどういうことだ?」
アウリールがそう問いかけてくる。周りの者もわからない、といったような顔をしている。
「平和平和っていうけどな、そんなのは紛い物でしかないんだよ」
「平和のどこが紛い物なのだ?」
「人にはそれぞれ特徴がある。感情、思考、身長、体重、骨格。内面だけでなく、外面も人によって違う。そしてその中でも、意思のある生物は皆、欲望に塗れている」
そう説明しているが、相手が異世界人のため、少し違った解釈をされているかもしれない。
だが遥希はそんなこと気にせず、話を続ける。
「たとえば『今より良い生活』をしたいと思う。そしてそれが叶ったとする。するとどうだ? この時点では満足するだろうが、そのうち『もっといい生活がしたい』と、不満がでてくる。これが欲望だ。欲求や欲望っていうのは抑えられないものなんだ。しかし世界というところには無数の人がいる。その中で自分の欲望のままに行動するとしたら」
「……世界は自分のために争い、傷つき、死人が出る」
「そう。つまり見渡す限り血の海になるということだ。これは比喩ではない。読んで字の如く血の海だ。
しかし、そんなことが万が一にも起きたら、世界のバランスは崩れる。だからその人々をまとめる役、王が必要になる。だが王にだって欲望はある。いや、生まれてしまう。貴族や皇族になったって欲望というのはどこからともなく生れ出るものだ。しかも国の民にもそれぞれに欲望が生まれる。同時に不満も生まれる」
遥希の言うとおりだった。今の現状はそのせいで生まれたものだからだ。
「もし国の民が喜怒哀楽の全てが安定していたとする。しかし他国の事情もある。今の現状は、種族ごとがいがみ合い、傷つけあっている。何故か?」
「人に欲望や欲求、願望があるから」
「その通りだ。その欲望が満たされない限り、不満や争いは消えない。つまり、だ」
そして、少しの間を空けてから、
「この世界の種族が手を取り合うことはできない。そこに大きな憎悪や憤怒がある限りな」
「なるほどな、理に適っている」
アウリールはそういったが、この考えが理に適っちゃまずいだろ、と遥希は心の中で嘆息する。
「だから意志を持った人は馬鹿なんだ。自分の欲望のままに動き、今保っているバランスを破壊する。まさに馬鹿だ」
その遥希の言葉には、少なからず自分の過去の経験が混ざっているのは、アウリール以外気付く者はいなかった。
「……つまり、何がいいたい?」
どうやら獣王は遥希の話の内容から、自分の考えが否定された理由を見いだせなかったのだろう。だから遥希は
「獣王、お前は勇者がいてこその平和だといった。だがそれは違う。そもそもこの世に平和などない。そしてお前の考えは、愚かな人の考えと同じだ」
「なんだと?」
「勇者がいてこその平和? 勇者がいたから平和だった? はっ、笑わせるな。どれもこれも人任せの怠惰なやつがやることだ。誰かがいるから、誰かがやるから、そんなのはただの甘えだ」
「甘え……?」
「あぁ、甘い甘い。苺に砂糖と蜂蜜をかけて練乳で煮るくらい甘い」
それは遥希の本心だった。あの理不尽すぎる生活から学んだことなど何もなかった。あったのは怒りと悲しみ、そして無類の絶望ということだ。
だから、今の遥希の意志はちょっとやそっとのことでは揺れない。世界の理不尽さに抗ってきたものの意志は、ダイヤモンドより硬い。
「この現状、いや、惨状と言った方が正しいか? とにかくそれは間違いなく《アールマティ》の人々が今まで培ってきたものであり、歴史であり、そして惨状だ」
「だが、我々はこの現状を満足している。不満などない」
「お前はな」
「……ワシだけだと?」
「あぁ、そうだ。皆が皆、この生活に満足しているのなら喧嘩や争いは起きない。ならなぜ起きるか? それは、自分にとって気に食わないこと、不満が生まれるからだ」
誰しもが遥希の哲学的話に耳を傾けている。それは獣王も例外ではなかった。
「不満が生まれると、争いが起こる。そしてまた不満が生まれ、争いが起きる。そして永遠にそれの繰り返し、途絶えることは一度もない。人はそういう風にできているからな。だから俺はこう言う」
遥希は口元を吊り上げ、不気味に笑って見せた。
「世界の理なんか、くそ食らえ、ってな」
そうして遥希の話は幕を閉じる。流れで世界の、人の理など話してしまったが、これからどうなるのやら。
そして、ひと時の沈黙が下り、辺りはしんと静まる。獣王の方は震えており、口元は歪んでいる。
誰もが、獣王の気持ちを想像していた。しかし、獣王の様子を見るに、怒っているのだろうと容易に想像できた。
しかし、その様子は獣王だけでなく、アウリールも同じだった。
それからまた数秒の沈黙が下り、獣王とアウリールが口を開く。誰もが獣王の怒声が来ると思っていたが、
「ふ、ふはは……。ふははははは!!!」
「あっはっはっはっは!!」
獣王とアウリールは盛大に笑った。
その二人の様子にほかの者は呆気にとられる。無論、遥希を除いてだが。
「な、言ったとおりだろ? ガヴァロン」
「確かに、アウリールの言うとおりだったな」
「………やはりか」
この展開は遥希の予想通りだった。この二人は裏でやり取りをしていた、と。
「なんだ、わかっていたのか?」
「当たり前だろ?」
「どのあたりで気付いていたのだ?」
「最初からだ。確信したには、俺が迫害について話していた時。その時に獣王の顔が一瞬引き攣った、でもその顔は怒りではなく、明らかに楽しさからくる笑みだった。それに、俺が質問をしたとき普通に答えてくれたよな? 普通は咎人の話なんか聞かないんじゃないか?」
「ふっ、ハルキとやらはなかなかの大物だな」
その獣王の顔は先ほどと打って変わってとても優しく暖かい笑みだった。
そして一拍間を置くと獣王は、そういえばと思い出すような顔をした。
「ワシの名はガヴァロン・ガウニール。この獣国の長だ」
「俺の名前は、ハルキ・シンザキだ。忘れてもらって構わない」
「いや、一生忘れんだろうな。これほどまでに頭が回り度胸のある奴は初めてだ」
そういい、ガヴァロンは手を差し出す。遥希はそれが握手を求めているのだとすぐにわかり、同じく手を差し出す。
「これから、何かと世話になると思うがよろしく頼むぞ、ハルキ」
「あぁ、面倒事だけは勘弁してくれ」
そして二人は、互いの手を強めに握った。




