9話、確固たる絆
「なぜだ?」
アウリールは遥希の返事から少し間を置き、次に発したのがその言葉だった。
今度はアウリールが問う番になる。
「今お前は、私に何を重ねた? 私の後ろに何を見た?」
「おいおい、いきなりどうしたんだ?」
「いいから答えろ」
その口調は、真剣そのものだ。一歩も引く様子はない。
仕方ない、と遥希は自分の過去を話す。
「俺は小さいころ、何のとりえもない普通の子供だった」
いきなりの昔話に、アウリールは少し呆気にとられるが、すぐに遥希の話に耳を澄ませる。
「俺の家は、普通の家庭だった。親父は近くの会社に通うただの会社員。おふくろも家事を普通に熟す主婦。そして俺もそんな普通の親から生まれたごく普通の子供。何のとりえもないどこにでもいそうな子供」
語っている遥希の顔は普段通りだ。笑うでもなく悲しむでもなく、淡々と語る。
「そして俺には姉と妹が一人ずついた。陽と恋っていう名前だ。二人は俺や親と違いそれぞれ特徴があった」
遥希はアウリールに水を要求。
その水を飲むと、また語りだす。
「姉の陽は、美人で頭がよかった。周りからは才色兼備とはこのことだ、と言われていた。妹の恋は、運動神経がよく、柔道や剣道、空手や合気道などの大会で、優秀な成績を残していた。そんな優秀すぎる姉妹に囲まれたどく普通のの俺の行く先は大体予想できるだろう?」
そこから自嘲気味に続ける。
「家族では父親から、世間に限ってはそのすべてから攻撃を受けたよ。『お前はあの姉妹に比べると、何の価値もないな』ってな。いつも二人と比べられた。なんたって俺には夢も特技も才能も運動も頭脳も平均、またはそれ以下だ。秀でてる部分なんてなかった」
遥希は一口水を飲む。
「でも、それでも姉と妹、母親だけは俺を庇ってくれた。俺の存在価値を認めてくれた。俺はそれだけが心の支えだった。比べられるのは嫌だったが、それ以上に笑顔を向けてくれる人間がいるだけで嬉しかった。でも、優秀すぎる人間は妬まれる。それが自然の摂理だ」
語っている遥希の表情が、少しずつ怒りと憎悪に染まっていく。
「姉はある日、一人の男に告白された。まぁ、モテたからな。でも姉は断った。なんたって就職活動で忙し時期だったから。でも、男は諦めず、何度も姉に付きまとった。いつの日かストーカーをするようになった。そのストーカーは何時まで経っても終わることなく続いた。そしてその日は唐突にやってきた」
遥希は一息つくと今度は強めに続ける。
「姉が殺された。無論、そのストーカー男にだ。死因は刺殺。心臓を包丁で一突きで即死だったそうだ。しかもその男は俺の唯一の友達だった。問い詰めたら簡単に吐いたよ。そいつは姉に近づくために俺と話をしていたそうだ」
遥希は語る口を止めようとしない。全部吐き出したいのだろう。
「無論、俺はそいつを殺したよ。包丁で胸を一突き、即死させた」
その顔は少し笑っている。
「そして同様に妹の恋の運動神経の良さも妬まれた。顔立ちは姉までとはいかないがそれでもかなりの美少女と言われていた。やはり、それも妬まれた。陰湿ないじめが日々行われていた。でも恋は明るい子だったから、そんなことじゃめげなかった。でも、それが事件の発端だった」
そして遥希の顔はまた歪められる。
「完全に無視されてると勘違いした主犯の女子数人が、恋を呼び出し、リンチした。それでも恋は手を出さなかった。それをいいことに、一人の女子が恋の腕を折った。周りの奴らもそれに便乗、恋の足や肋骨などを折った。流石に恋も堪えたようで、病院に入院してから一言も口を開かなくなり、人とも会わなくなった」
遥希はそこでまた微笑を浮かべる。
「無論、いじめていた奴らを殺してやった。ありとあらゆる骨という骨を粉々にしてやった。一人残らず」
最後に、と続ける。
「残ったのは両親だけだ。でもある日、俺が家に帰ると親父がおふくろを殴っていた。親父の足元には酒瓶と血が飛び散っていた。なぜおふくろが殴られているのか、当時の俺は分からなかった。でも1つわかることがあった。それはこのままだとおふくろが死んでしまう、ということ。だから」
そういい、また一息つくと、
「親父を殺した。近くにあった酒瓶で親父の顔面を殴った。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。親父が死んでも頭蓋骨が陥没しても殴り続けた。そして一息つくとおふくろのところに駆け寄った。でももうその時おふくろは虫の息。俺にはどうすることもできなかった」
それでも、
「何とかしようと考えた。考えて考えて考えた。でも答えが見つからなかった。いくら考えても何一つ答えが出なかった。そしたらおふくろが急に笑った。もう死にそうだというのに、なぜ笑うのかわからなかった。そしておふくろは言った。」
『あなたが心配だからよ』
と。
『あなたが心配で心配で仕方ない。今だってあなたは困っているでしょう』
だから
『少しでも不安をなくしてあげたいのよ』
だって
『最後に見る母親の顔が苦痛で歪んでいるよりも、笑っていたほうが印象に残るでしょう?』
そして
『強く生きなさい。誰にも歪められぬ精神を持ち、誰にも曲げられぬ意志を持ち、そして、自分のために……』
「そういって、おふくろは最後まで笑っていた。息を引き取ってからも幸せそうな顔をしていたよ。その時は驚いた。死んでいるんだってわからないくらい幸せそうなんだから」
遥希は一度深呼吸をすると、いつも通りの顔に戻った。
「以上が俺の過去だ。お前の弟子になろうと思ったのは、死に際のおふくろの顔とセリフがかぶったからかもな」
「そんなことが…………」
アウリールは、胸に空いた風穴に冷たいものが流れていく感覚を覚えた。
遥希の見た目は15,6歳だ。その数年前というと本当に幼い。心が不安定な時期だろう。
その時期に、彼は支えの全てを失ったといった。それがどれほど悲しいものか彼自身は分かっていないだろう。
子供とは無条件で幸せでなければならないというのに。
すると遥希は、真剣な顔でアウリールを見つめる。
「俺はお前の弟子になってもいい。だが俺は人殺しだ。それ以上でもそれ以下でもない」
もし、と遥希。
「それでもいいというのなら、頼もうか。もちろん拒んでもらっても構わない。その時は出ていく」
その眼は、真剣そのもの。その瞳は、確固たる意志を示している。
その眼を見て、アウリールは答えを述べる。
「なら、私はお前の師となろう。そして」
アウリールも遥希の目に負けないくらいの意志を示す。
「お前の母親にもなってやる!」
「はぁ……」
「な、なぜため息をつく!?」
やっぱりこいつだめかもしれん。師に対しての接し方もわからないのに、母親になるとか。
師、兼母親とかもうゴチャゴチャでよくわからん。
それでも遥希は、
「母親の件は置いといて、これからよろしくな、師匠」
「こちらこそよろしく、私の愛弟子よ!」
この人なら大丈夫という何の根拠もない考えだが、確かな安心感があった。
「ハルキ、なにニヤニヤしてるんだ?」
「何でもない。気にするな」
「やっぱりお前の母親に」
「大丈夫、間に合っている」
「それはそれでどうかと思うぞ?」
そして遥希は気づいた。
(当分仲間は作らないつもりでいたんだが、まぁいいか)
そんな考えをしている遥希の心は、優しく暖かい、
そう、それは母親の手のような感触に包まれていった。