赤髪
翌日。アルシャークは警備の仕事のため、自宅の近くに呼び寄せた馬車に乗り込んだ。
「それじゃあ中央市場まで頼むよ。」
馬車がゆっくりと走り出す。暖かな日差しと馬車の揺れが心地よく、アルシャークはまどろんできた。前日まで戦場を駆け回っていた疲れが出てきた。俺も年かなあなどと自嘲しながら目を閉じた。そして間もなく眠りに落ちた。疲労を癒すためどこでも素早く眠れるというのは、長年、戦場を駆け抜けてきたなかで身に着けた特技の1つである。
「旦那、旦那、着きましたぜ。」
御者の声でアルシャークは目を覚ました。
「いや、抜群の運転技術だな。全く目が覚めなかったよ。釣りはいらないからとっといてくれ。」
「これはありがたいこって。いや、それでももらい過ぎですから、せめて荷物運びでもやらせてくだせぇ。」
「はは。俺も眠りこけてしまうくらいに年をとったらしい。ここは無理をせずにお任せするかな。」
アルシャークと御者が馬車から遠ざかっていく。しばらくして、無人のはずの馬車がガタガタ揺れ出し、荷台の隅におかれた樽の蓋がパカッと開いた。
「ぷはぁ!苦しかった。」
なんと、樽の中にはランドが潜んでいたのだ。ランドは屋敷の自室に秘密の脱出口を作っていた。ハンスがたびたびランドのもとに押しかけてきて冒険や修行に強引に連れ出そうとするので、(ややおおげさではあるが)命の危険を感じて必死の思いで作った対ハンス専用脱出口である。おかげで大工仕事のスキルが無駄にアップしてしまった。それを初めて別の用途で使い、父アルシャークの目を盗んで馬車に先回りしたのだ。
ランドは樽の中から身体を引っ張り出すと、周囲に人の気配がないことを確認して馬車の外に飛び出した。
「おっと、父上の部下もいるかもしれないから、ばれないように目立たないようにしなくちゃな。ハンスおじさんは目の前にいても気付かなそうだけど、イーグルアイさんは千里眼だからなあ。」
ランドの準備は万端だった。貴族特有のプードルヘアをおろして髪は後ろで縛り、地味な布の服の上下に身を包んできた。先ほどまで樽に潜んでいたことで、いい感じに薄汚れてちょっと臭っており、とうてい貴族とは思えない風体となっていた。
ひとまず物陰に隠れた後、そっと辺りの様子を伺う。すると、辺りの建造物とは比べ物にならないほど巨大で派手な施設が目に飛び込んできた。中央奴隷市場である。
「うわぁ。でっかい建物。あれが中央奴隷市場かな。」
中央奴隷市場は1種のエンターテインメント施設と化していた。剣技を披露する者、華麗に踊る者、動物を操る者、不思議な術を使う者など、様々な特技を持つ奴隷が入れ替わり立ち替わりステージに現れ、観客を楽しませる。皆、奴隷とは思えないほど華やかに着飾り、顔には化粧やペイントを施している。進行役のノリも良く、要所要所で鳴物が耳に響いてくる。故に、奴隷市場には奴隷を買い求める人間だけでなく、ショーを見に来る感覚の人間が大量に訪れる。奴隷は見世物としても金になるのだ。
奴隷達が精一杯の自己アピールをするのにも理由があった。ステージで自らの有能さを示せば、買値がどんどん釣り上がる。買値の何割かが奴隷の取り分となる。奴隷として選別されるものの大半が働き盛りの者なので、故郷に残してきた家族の生活を支えるために必死なのだ。
「では、エントリー№42番の方どうぞ!」
司会の派手な男が景気よく進行すると、ステージ袖からランドより少し年上と思われる少女が出てきた。その少女にランドは目を奪われた。褐色の肌、一際目立つ赤い艶やかな長い髪、やや気の強そうな眼は、奴隷に身をやつしても凛としていた。会場の他の人間も同じ感想だったらしく、一瞬のどよめきの後、静寂に包まれた。そして、この美しい女奴隷のパフォーマンスに対する期待感が会場を満たした。
ところが、女奴隷は無表情のまま客の方を一瞥もせずに直進し、そのまま反対側のステージ袖に消えていった。
これまでの盛り上がりが一気に冷めてしまったが、会場はざわつく程度でヤジなどは起きない。奴隷の中には反抗的な態度を示すものも常に一定数いる。司会の男も慣れた様子で進行する。
「どうですか今の美しい赤髪の娘は。素晴らしいのは外見だけじゃないですよ。ああ見えて剣の腕も一級品。なんとノースアースのキバ族出身なのです。キバ族と言えば我が帝国軍に剣の力のみで抗った勇猛な民族。従えたなら、貴族としてのステータスもグーンとアップ間違い無し。」
説明を聞き、ランドは女奴隷のただならぬ雰囲気の理由を理解した。しかし、なぜか買う意思を示す者はいなかった。あの反抗的な態度が倦厭されたのだろうか。司会の男も早々に諦め、次の奴隷紹介に移る。だが、ランドの頭の中は先ほどの女奴隷のことで一杯になっていており、他の奴隷のことなどどうでもよい気分になっていた。
ランドはいてもたってもいられず、もう一度女奴隷を見たい一心で奴隷市場の関係者以外立ち入り禁止の扉にふらふらと入っていった。