後編
なるほどそうきたか、と、マリオンは心の中で唸る。少しめんどうだ。これは創始の魔法の誓約に近い、いやそのものかもしれない。で、あればごまかしは利かない。この魔城に足を踏み入れた時点で、誓約はなされたものとされているだろう。
では、今自分が持っているもののなかで、大事な三つのうちのひとつを差し出せば、ここから出られるということだ。さて、三つとはなんだろう。
「ねえ王様、もし僕が命にするよ、と言った場合だけど」
王様が目をむく。
「マズ、命カラニスル者ハ、今マデ、イナカッタゾ?」
いやいや、とマリオンが苦笑する。
「もし、と言ったでしょう。もし、命だとしたら、他の大事なものはどうなるのかな? 僕がここで死んだら、その他のものも王様のものになるんじゃないの? それは、おかしいよね? ひとつしかいらないっていってるのに」
「ハァ?!」
マリオンがずいっと前へ出る。カモシカの王は、一歩あとじさった。
「だからね、例えば今、僕はここにとっても大事な彼女への贈り物を持ってるんだよね。とっても素敵なブローチで、一目で気に入ったんだよ。きっと彼女も気に入ると思ってるんだよね。でも、僕が命を差し出したら、これはどうなるの? 彼女に届けてもらえるの? それともこの地で僕と共に滅びてしまうわけ? そうしたら、君は僕の命のほかに、彼女への贈り物まで一緒に受け取ったことにならない? それだと、僕の大事なものを二つ持っていったことになるじゃない? いいの、それで?」
早口で滔々(とうとう)と述べるマリオンに、カモシカの王はたじたじとなり、さらに一歩下がった。
「ド、ドウダロウ・・・・・・ソ、ソウカモ。ア、ジャア、ソノぶろーちトヤラヲ、ヨコセバイイノデハ?」
ええーっ、とマリオンが大きな声をあげ、カモシカの王がびくっと体を震わせた。
「冗談でしょ。もしこのブローチを君に渡したら、僕は彼女に贈るものがなくなっちゃうじゃないか。こんな素敵なブローチは、そんじょそこらで見つかるものじゃないんだ。雲の上でも海の底でも地の果てでも君を追って探し出す。ああ、そしてその時は、きっちり落とし前はつけてさせてもらうから」
早口のマリオンの顔がどんどん怖くなり、カモシカの王はどんどん情けない顔になっていく。
「ウ、海ノ底ナド、ワタシモイキタクナイ。ソ、ソウダ、馬ガイタダロウ。アレハドウダ」
マリオンの顔がさらに険しくなり、またカモシカの王が気迫に圧されて一歩後ろへ下がる。
「いいかい、ブリュンデに手を出したら、もうそれこそただじゃおかないよ。あんな賢くていい馬はいないんだよ。大事な馬なんだからね、だれが君にやったりするものか」
そこでマリオンはふっと力を抜いた。険しい顔ももとに戻って、カモシカの王もそれに安心したのか、こわばっていた顔が少し和らぐ。
「いいとも、ブローチやブリュンデを差し出すくらいなら、この僕の一番大事なものを差し出すよ」
「イ、命ヲトッテモイイト? ソレダト、フタツトッタコトニナルッテサッキ・・・・・・」
マリオンがにっこりと油断のならない笑みを浮かべて首を傾げた。
「いつ僕が”命が大事な三つの中に入ってる”って言ったかな?」
「ハァ?! エエェ? ダッテ、大事デショ? ぶろーちト馬、ソレ以上ノモノハナイヨネ? 命ヨリオ金ッテカンジデモナサソウダシ」
マリオンはにやっと笑うと、カモシカの王に指を突き付けた。また、一歩カモシカの王があとじさる。
「さぁ、聞いてみたらどうかな、創始の魔法に。僕が嘘をついてないかどうか」
「命ジャナイ? 命ハ三ツノ中ニ入ッテナイ? 命ヨリぶろーちガ大事? 理解デキナイ」
困惑したカモシカの王がぶつぶつとつぶやきながら、大広間の真ん中に歩き出した。言われたとおりに、この城の誓約に訊くつもりのようだ。
「素直な王様だなぁ」ちょっと感心したようにマリオンが低くつぶやく。
「誓約ニ問ウ。カノ者ノ差シ出スコトガデキル”大事ナモノ三ツ”ハ、何カ」
天空から厳かな声がした。
「麗しい薔薇のブローチ、名馬ブリュンデ、そして魔術師の強大な魔力」
そんな場合ではなかろうに、マリオンは、誓約はなかなか価値がわかってるじゃないか、と口元を緩める。
カモシカの王は、そんなことには気づかない。魔力と聞いてすっかり浮かれたようだ。
「魔力! ソウカ、魔力ヲヨコスノカ!」
ようやく納得できたように、カモシカの王がこちらを向いた。嬉し気に顔が笑っているように見える。
「デハ魔力ヲモラオウカ。ワカッテイルダロウガ、ヨコセバ、オ前ハ魔術師デハナクナルゾ」
マリオンの口元が笑みを作る。
「その魔力は、あなたのものになるわけですね?」
「ソウダ。魔力ハ、ワタシガコノ身ニスベテ飲ミ込ンデヤロウ」
うーん、と、さすがにマリオンはこの誓約に同意してもいいものかどうか一瞬だけ考え込む。だが、考えている時間は短かった。
「いいでしょう、カモシカの王。どうぞ、僕の魔力を”すべて”お受け取りください」
魔術師は、その場に片膝をたてて跪き、首を垂れる。
カモシカの王は、足取りも軽くそばに寄ってきた。
「デハ、誓約ヨ。コノ者ノ魔力ヲ我ガ身ニ・・・・・・」
言葉の終わらぬうちに、マリオンの体全体がうっすらと青い輝きを帯びる。やがてそこからきらきらと淡い光の粒を振りまきながら、細い光の帯が幾筋も幾筋もカモシカの王に向かって伸びていく。王の体の周りに光がくるくると輪を描き、全体が淡い青色に染まっていく。
「オオ、コレハイイ。トテモ強クテヨイ魔力ダ」
と、最初は喜んでいた王だが、やがて気が付く。それは、いつまで経っても終わらなかった。
「マテ、ナンダコノ量ハ。イツニナッタラ終ワルノカ」
マリオンがゆっくりと顔をあげる。口元には邪悪にみえなくもない笑みが浮かんでいる。
「まだそれは始まりに過ぎない。君の体が僕の魔力をすべて受け入れられるといいんだけどね」
と、その時びゅうっと強い風が起こり、彼の前髪を額まで吹きあげる。隠れていた金色の瞳があたりに強い金色の魔力の気配をたゆらせる。それはあまりにも重く、あまりにも濃いものだった。空気が重く揺れうごめいている。
ひぃーっという悲鳴が、カモシカの王の口から漏れ出るが、魔力の吸い上げは止まらない。もはや吸い上げているのか、まとわりつかれているのか区別がつかなくなっている。
さらに光が強くなり、あたりが一気に眩く真っ白になったところで、きゃーっという甲高い悲鳴ととともに、ばんっと激しく何かが割れる音がした。
音のない音がして、霧散した魔力がすべて元の持ち主のところへ戻った時、あたりはあまりの光量に霞んでいたが元の状態に戻り始めてきた。
ぬめるような不快な重い感触がなくなり、元のように乾いた床と清浄な大気と明るい陽光があたりにあふれている。
見回すと、天井も壁もない。城に見えていたものは、玄関の広間の床と柱の部分だけが残った廃墟であることがわかった。
マリオンの馬が、繋がれているわけでもないのに柱のところに静かに立っているのが見える。
あとは空虚な空間が広がっていて、もちろん外には雪も降ってはいない。晴れてただ明るい冬の日ざしだけが、差し込んでいる。
そして、廃墟の床の上に普通の大きさのカモシカが倒れている。そして、その向こうには同じように倒れている人影もある。
マリオンが、近づいてみるとそれは幻影のようなものに見えた。倒れた一人と一頭の下にうっすらと緑の草むらが見え、風に小さく花が揺れているように見えるのだ。
「これは、誰かの記憶かな」
カモシカと人間の幻影は、ゆらゆらと陽炎のようにゆらぎながら、ゆっくりと薄れていく。
誰かが、泣きながら「ヒマルー、ガクー」と細い声をあげている。
そしてその声の持ち主らしき白いふわふわとした何かの塊が、マリオンの足元をすり抜け幻影のほうへ向かっていった。
だが、その小さな手がその幻影に触れる前に、カモシカと人間の形をした何かは空気に溶けるように消え失せた。
「ヒマルー、ガクー」床にうずくまり、悲痛な声で泣いているものは、どうやらイタチかテンのように見えた。
「ああ、もしかして君はイタチかな、東の国にいる」
マリオンの声に、白い小さな毛皮の塊が床から身を起こし、すくっと立ち上がった。真っ黒な目が三角になり、怒りに燃えているように見えた。
「オレハ”いたち”ジャナクテ、”おこじょ”ダ! ドウシテクレルンダ。”ヒマル”モ”ガク”モ、ドコニモ、イナクナッチャッタジャナイカ!」
そこまで言うと、目を潤ませて震えながら小さな手を握る。
「イナクナッチャッタ」
「あれは幻だね。もうその人たちは、ずっと前からここにはいない。倒れていたのは草地に見えた、ここではないな。そして君の記憶だろう、あれは」
冷徹ともいえる言葉でマリオンは事実を告げる。
「ソンナコトハ知ッテイル!」
オコジョがさらにきつく手を握り締める。
「オレタチハ、東ノ国カラズットサンニンデ旅シテキタンダ。”ヒマル”ガ病ニナッテ、ソレデ”ガク”モ無理シテ怪我シチャッテ、デモ薬モ買エナクテ、食ベルモノモナクテ……。ソシテ、オレガ水ヲ汲ミニ行ッテル間ニ、”ヒマル”モ”ガク”モ死ンジャッタンダヨォ」
オコジョの目から涙がぽろぽろとこぼれた。
「オレハ、チカラガナイカラ何モデキナクテ……フタリノ上ニ、花ヲタクサン置クシカデキナクテ……」
溢れる涙を小さな手が拭うが、それはあとからあとから溢れてきた。
「気ガツイタラココニイタンダ。ソノウチニ誓約ノ声ガ、助ケル代ワリニ何カ差シ出セッテ。ソシタラココノ王ニシテヤルッテ……ダカラ、ダカラ、”ヒマル”ト”ガク”ノ記憶ヲ……」
「なるほど、君の一番大事なもの、記憶を差し出したんだね。そしてここにあった誰かの創始の魔法に、君も囚われたんだね」
「ココニイレバ、”ヒマル”ト”ガク”ニナレテ、皆ト一緒……」
肩を落としてそう話していたが、突然オコジョはきっ、と顔を上げてマリオンをにらみつけた。また黒く丸かった目が三角になる。
「ソウダ、命ハ大事ナンダ! ソレガ”三ツノ大事ナモノ”ノ中ニ、ナイナンテ、オ前ハ、オカシイダロ」
マリオンが小さく首をかしげ、それから、少しだけ迷うような口調で静かに話し始めた。
「うーん、そうだね。でもね、オコジョ君。僕には僕の命よりも大事なものがたくさんあるんだ。僕が護りたいものがね。そのためなら、僕は僕の命を賭けるだろう。大事なブリュンデも大事な彼女への贈り物も、そして自分をも護るためには、魔力が必要なんだ」
オコジョは、はっと目を見開くと、またその目からぽろぽろと涙が落ちる。
「護リタカッタ、オレダッテ」
マリオンがそっと手を伸ばし、オコジョをなでた。オコジョは嫌がる風でもなくされるままになっている。
「オレ、ココカラ出タラ、記憶ナクナルノカナ?」
「誓約に差し出したからか?」
マリオンを不安げに見上げて、うん、と小さくオコジョがうなずいた。
「最後の誓約が不成立だったから、たぶん大丈夫じゃないかな。もうここに誓約の縛りもなくなってるし」
「悲シイ記憶デモ、ナクシタクナインダ」
マリオンは、
「そうだね。大事にしないとね。それに悲しい記憶だけじゃないだろうし」
うん、ともう一度うなずいたオコジョは、小さな手で目をこすった。
「ダケド、楽シイ記憶ナノニ、涙ガ出ルンダヨ、困ルヨネ」
マリオンは、何も言わずにそのまま空を見上げた。冬の空は、彼が子供の頃にみた記憶どおりに、抜けるように青く澄み切っていた。
ぼろぼろに崩れ去った城をあとにして、マリオンはハクと名乗ったオコジョを肩に乗せ、元気なブリュンデを軽快に飛ばしていた。山はとうに抜け、すでに街へ向かう街道を走っている。街道の雪は五インチほどで気にするほどの量ではない。寒さも昼間のうちは緩んでいて、凍っているわけでもなかった。
「本当ニイイノカナ? オ城ニ招待シテ貰ッテ」
「気にしなくていいよ、客は大歓迎だし」
「ソッカ。ぶろーちヲ渡ス姫君モイルンダモンネ、楽シミダネ。オレ、ヨク可愛イッテ女ノ人ニ言ワレルンダヨ」
「……」
マリオンの頭に、フェリシアの「まぁ可愛い! なんて可愛いのかしら」という声が聞こえた。
「ぶろーちヨリ受ケガヨカッタラ、ドウスルノー、ナーンテ」
と、ハクは、きゃっきゃと可愛い声で、可愛くないことをいう。マリオンの眉間がきゅっと寄る。
「よし、どっかの森にお前は置いていこう!」
「エエエェ~! 心狭イヨ、マリオン! 魔法容量ハ、アンナニデッカイノニ!」
「いや、そうする! 絶対どっかに捨てていくぞ!」
きゃーっ! というハクの悲鳴と、どこまで本気か解らないマリオンの声が街道を駆け抜けていく。
蒼穹はより深く澄み渡り、新雪は輝き、穏やかに一年が終わろうとしていた。
END




