第九記録【THIS IS FOR】
時間はお昼時ちょうど12時。
「直之ー、お昼ー。今日のメニューは何ー?」
特別監査室に私の声が虚しく響いた。
返事がない。
いつもなら「お嬢様、本日は仔牛のローストをご用意いたしました」とか言って、ワゴンを押してくるはずなのに。
私はゲーミングチェアをくるりと回転させた。
振り返った先には、直之の「等身大パネル」がポツンと置かれていた。
厳ついサングラスをかけた巨漢のパネルだが、なぜか胸元にはピンクのフリルエプロンがつけられている。
そして、そのエプロンにはメモが貼り付けられていた。
『お嬢様、申し訳ありません。わたし直之は、父上様の付き添いに出かけておりまふ。お昼は適当に済ませてくだされ』
大きな手で一生懸命書いたような、ファンシーな丸文字。
そして「まふ」というお茶目な誤字。
「……はぁ?」
私はメモを握りつぶした。
「置手紙かよ! しかも誤字ってるし! 『まふ』って何よ、『まふ』って!」
私はパパに買ってもらったピンクの天蓋付きベッドにダイブし、ゴロンゴロンと転げ回った。
「あのタヌキ……! 私のライフラインを引き抜くなんて、兵糧攻めか!? 餓死させる気か!?」
お腹すいたー。HP減少中。
でも外に出たくない。ウーバーも、セキュリティが厳重すぎるこの要塞には届かない。
詰んだ。私の人生、空腹でゲームオーバー。
『んもう〜 世話の焼ける子ね』
呆れ果てた声がして、天井から明菜が逆さまに顔を出した。
彼女はコウモリみたいにぶら下がりながら、私を見下ろしている。
『社員食堂に行けばいいじゃない。「空腹は最高の調味料」って言うでしょ? たまには下界の飯でも食べてきなさいよ』
「無理無理無理! あんなモブがひしめき合ってる場所に行ったら、人酔いで死ぬ! 男たちの瘴気と女さんの密会現場を見て窒息する!」
私は手足をバタつかせて拒否した。
あそこは戦場だ。丸腰の令嬢が行っていい場所じゃない。
『あらそう?』
明菜がニヤリと笑い、空中にカードをばら撒いた。
ハラハラと落ちてきたのは、二枚のカード。
【THE MOON(月)】と【KNIGHT of PENTACLES(金貨の騎士)】。
ユンジンを表すコンボだ。
『これが出たってことは……行けばまた、あのK-POPスターに会えるかもよ? 目の保養、しなくていいの?』
「会いたくない! 気まずいし!」
今朝の「同い年カミングアウト」の気まずさが蘇る。
あんなフラれ方した相手に、すぐに会うなんて何の罰ゲームよ。
ぐぅぅぅ〜。
その時、私の腹の虫が盛大に鳴いた。
背に腹は代えられない。
「……くそっ、あのタヌキ〜」
私はベッドから這い出した。
さっき履いていた赤いエナメルパンプスが鎮座している。
「……足痛いけど、履き替えるのめんどくさいしなー」
私はそのままパンプスに足を突っ込んだ。
戦闘力はある。
これでモブたちを蹴散らして、パンだけ買って即帰還する。
二十階、社員食堂。
そこは地獄の釜の底だった。
「うわぁ、人多すぎ……」
ランチタイムのピーク。
広大なフロアを、スーツや作業着の男たちが埋め尽くしている。
お盆を持ってるだけで当たり判定がデカくなるから、移動するだけでストレスだ。
私は気配を消してステルスモードで、壁際を移動した。
「おーい! 茉莉子ちゃーん!」
ドスの効いた大声が響く。
肉料理コーナーの行列の中心で、山盛りの唐揚げ定食を持った大山田大樹が、こちらに気づいてブンブンと手を振っていた。
声デカいって! こっち見んな!
周囲の視線が一斉に私に集まる。
私は引きつった営業スマイルで会釈だけして、素早く柱の影に緊急回避した。
危ない。大樹に捕まったら、唐揚げを口にねじ込まれる。
ほっとして麺類コーナーの前を通り過ぎようとした時だった。
すれ違いざま、白衣の男と目が合った。
剣崎恭弥だ。
彼は素うどんのお盆を持ったまま、眼鏡の奥からジロリとこちらを見た。
な、なに? 観察?
それとも「昨日はどうも」という挨拶?
読み取れないドSな視線だけを残して、彼は無言で通り過ぎていった。
……ヒッ。なにあれ。どういう解釈すればいいの? 挨拶くらいしてよコミュ障
私は身震いした。
やっぱりこの会社、キャラが濃すぎる。
ふと、フロアを見渡す。
そう言えば、あの初日にあった無自覚距離ナシ男――雨宮凪の姿が見当たらない。
まぁ、社長秘書だもんね。パパと一緒にゴルフ接待か。……平和で助かるわ
あのワンコ系男子までいたら、私の精神力は持たなかっただろう。
私は人混みを避け、パンコーナーへと逃げ込んだ。
ここなら並ばずに買える。
適当にチョコデニッシュと甘いカフェオレを手に取り、レジ列の最後尾についた。
すると、一つ前に並んでいた背の高いスーツの男が振り返った。
完璧なスーツ姿。
発光するような白い肌。
ソ・ユンジン。
エンカウントしてしまった。
ユンジンは私の顔を見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。
「……げっ。年齢詐称女」
「はぁ?」
ピキッ。
私のこめかみに青筋が立つ。
「詐称してないし。勝手に勘違いして自爆したのはそっちでしょー!」
周囲が一瞬ざわつくが、私たちの間には不思議と「同級生」特有の、ポンポンと言葉を投げ合う空気感が漂っていた。
『あら、案外いい雰囲気じゃない? 素で話せてるわよ』
明菜が茶化してくる。
どこが? ただ相手が超イケメンでムカつく性格なだけじゃん
ユンジンはフンと鼻を鳴らし、私のトレイを見た。
チョコデニッシュ。甘いカフェオレ。
以上。
それを見た瞬間、彼の眉間に深い皺が刻まれた。
「それだけか?」
「うん。食欲ないし」
「弁当は?」
「そんなの作ったことない」
「はぁ……」
彼は深く、重いため息をついた。
「いつもは何を食べて生きてる?」
「えっと、いつもは……な、なお……」
危ない。「直之が作ってくれる」と言いそうになった。
お嬢様バレは防がなければ。
「なんか、適当かな。ゼリーとか、お菓子とか」
その言葉を聞いた瞬間、ユンジンの瞳に炎が宿った。
「信じられない……!」
彼は右手で私の肩を掴んだ。
「肌が荒れるぞ! 脳のパフォーマンスも落ちる! 女性はちゃんとしたご飯を食べないとダメだ!」
「えっ」
突然の説教。
彼は自分の会計を素早く済ませると、テラス席をビシッと指差した。
「あそこで待ってろ! ボクがちゃんとした物を食べさせてあげるから! 逃げるなよ!」
「えっ、ちょ……」
言うが早いか、彼は猛スピードでサラダコーナーへ戻っていった。
何今の。嵐?
開放的なテラス席。
風が気持ちいいが、気まずい。
私は言いつけ通りに席で待っていた。
すぐにユンジンが戻ってきた。
手には追加で購入した「シーザーサラダ」と、持参のお弁当箱。
なにこのお弁当箱?
『曲げわっぱ弁当箱っていうのよ』
曲げわっぱ?
『曲げわっぱねぇ』
明菜が興味深そうに覗き込む。
『日本の伝統工芸品よ。杉やヒノキで作られたお弁当箱。ご飯が冷めても美味しくて、殺菌効果もある優れもの。……これを使ってる男なんて、センスあり☆』
ユンジンが弁当の蓋を開けた。
パァッと彩りが広がる。
色とりどりのナムル、丁寧に焼かれた卵焼き、プルコギ。
完璧な栄養バランスと彩りだ。
女子力高っ! ていうかプロ?
私は呆気にとられた。
「ほら、口開けて」
彼がサラダをフォークで刺して差し出してくる。
「は?」
「キミみたいな不摂生な人間は、管理してあげないと死ぬからね。ほら、サラダから食べる!」
「むぐっ!」
ほぼ無理やり野菜を口にねじ込まれた。
悔しいけど、ドレッシングが美味しい。
野菜もシャキシャキだ。
彼の手作り弁当も、少し分けてもらうと絶品だった。
卵焼きは甘さ控えめで、プルコギはご飯が進む味付け。
「……おいしい」
素直に感想が漏れた。
「当たり前だ。ボクの計算に狂いはない」
彼はフンと鼻を鳴らし、満足げに私が食べる様子を眺めていた。
その目は、恋愛対象を見る目ではない。
手のかかるダメな子供を見るオカンの目だった。
「……ハァ。同い年とわかった時は絶望したけど」
彼は自分の弁当をつつきながら呟いた。
「キミ、あまりにも生活能力が低すぎる。見ていてイライラするけど……放っておけない」
どうやら、彼の新しいスイッチが入ったらしい。
性的な魅力ではなく、「私がいないとダメになってしまう」という庇護欲。
これが、彼の攻略ルートなのか?
食後。
ユンジンがスマホを取り出した。
「連絡先」
「え、なんで」
「食事管理をするためだ。これからは食べたものを写真に撮って送ること。ボクが添削してあげるから」
「えぇ……めんどくさ……」
「嫌なら、今ここでその菓子パンを没収する」
彼は私の食べかけのデニッシュに手を伸ばした。
「わ、わかった!」
私は慌ててスマホを取り出し、QRコードを表示した。
渋々交換。
本日三人目の連絡先ゲット。
テラスからの帰り道。
お腹はいっぱいになった。
心なしか、体も温かい。
なんか、彼氏っていうより、口うるさいオカンができた気分。
私はお腹をさすった。
でも、悪い気はしない。
誰かに「ちゃんと食べろ」って怒られるのは、少しだけ……パパや直之に似ていて、温かい気がしたから。
私はリストを更新した。
徐 潤真 → 【顔がいいオカン(料理スキルSS/管理魔)】
これで三人目。
残るはあと二人。
王子様レオさんと、無自覚ワンコ凪。
「……次はもっとハードル高そう」
私はため息をつきつつ、少しだけ軽くなった足取りで特別監査室へと戻った。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:コネ条茉莉子(要介護認定)
・職業:オカンのペット
現在のステータス
・魅力:B(「ダメな子ほど可愛い」という母性本能を刺激)
・メンタル:B(胃袋を満たされ、精神も安定)
新規獲得アイテム
・【ユンジンの手作り弁当】:栄養満点、愛情(管理欲)過多。
・【食事管理アプリ(ユンジン)】:毎日三食の報告義務が発生。
【明菜の分析ログ】
あらあら、まさかの「オカン攻略」とはね。
「男の胃袋を掴め」とは言うけど、逆に胃袋を掴まれるパターンもあるのね。
ユンジンみたいな完璧主義者は、欠けたパズル(ダメ人間)を見ると埋めたくなるものなのよ。
アンタのポンコツっぷりが、今回は良い方向に転がったわね。
さぁ、お腹もいっぱいになったことだし。
次はデザート(王子様)といきましょうか?
甘いだけじゃない、毒入りのデザートをね♡




