第七記録【性欲値ゼロの熱い夜(サメ映画)】
ロボット開発部ラボの片隅で、奇妙な空気が流れていた。
私の目の前で、仁王立ちした白衣の男――剣崎恭弥が、堰を切ったように語り出したのだ。
眼鏡の奥のアイスブルーの瞳に、「探究心」という名の怪しい光が宿っている。
「この作品におけるサメの軌道、物理法則を完全に無視している」
彼はデスクに置かれた『シャークトルネード3』のパッケージを指差して、早口でまくし立てた。
「竜巻の遠心力とサメの質量、空気抵抗係数を概算すれば、あのような飛行曲線を描くことはありえない。実に非効率だ。航空力学に対する冒涜とも言える」
長い。
そしてめんどくさい。
でも、彼の言葉はそこで止まらなかった。
眼鏡をカチャリと直す。
「だが! このありえないを映像化しようとする制作陣の情熱……そして、それを成立させてしまう強引な脚本! 論理的理解には苦しむが、極めて興味深いサンプルだとは思わないか?」
うわぁ……。
私は内心でドン引きしつつも、感心してしまった。
こいつ、ただのクソ映画を真面目に分析してる……!?
普通なら「キモっ」で終わるところだ。
でも、私の中の廃ゲーマーの人格が、不覚にも反応してしまった。
クソゲーのバグ挙動を検証して、運営の意図を深読みする時のあの感覚。
――わかる。
わかってしまうのだ、その無駄な熱量が。
「そ、そうですよね!」
私は猫をかぶるのを忘れ、食い気味に返してしまった。
「普通なら成層圏まで巻き上げられた時点で、気温マイナス五十度でサメは凍結するはずだし! そもそもチェーンソーの回転数であの硬度の皮膚を切断できるわけないですよね!?」
言っちゃった。
ジャージ姿の女が、サメの凍結温度について熱く語る地獄絵図。
終わった。完全に引かれた。
そう思った瞬間だった。
ガシッ!!
「えっ……?」
私の両手が、強く握りしめられた。
剣崎が。
彼が勢いよく私に詰め寄り、私の手を両手で包み込んでいた。
近い。
眼鏡の奥の瞳が、キラキラと輝いている。
さっきまでの氷のような無表情はどこへやら、そこにあるのは同志を見つけた少年の顔だ。
「そうだ! まさにその通りだ! お前、わかっているじゃないか!」
「え、あ、ちょっ……」
私はフリーズした。
握手じゃない。これは恋人繋ぎ一歩手前の熱烈な拘束だ。
男の人の手。
大樹の時とは違う、薬品の匂いと、少し冷たい指先。
パチンッ!
小気味よい音が響いた。
明菜だ。
彼女が空中で指を鳴らすと、私の視界、剣崎の顔の左側に、半透明のウィンドウがポップアップした。
【剣崎恭弥のステータス】
好感度: 微増(↑) ※ただし「人間」として
性欲値: コネ条にはなし(Zero)
弱点: サメ好きな同志(サメ映画耐性あり)
……は?
性欲値なし!? Zero!?
失礼だな! ジャージだけど一応女なんですけど!?
この至近距離で手を握っておいて、微塵もドキドキしてないってこと?
とはいえ、異性に手を握られている事実に変わりはない。
私の顔が、湯気を立てて赤くなる。
「て、手……放して……よ……」
「……っ!」
私の蚊の鳴くような声に、剣崎もハッとしたらしい。
彼は慌てて、パッと感電したように手を離した。
「す、すまん。つい取り乱した」
彼は咳払いをし、視線を泳がせた。
耳がほんのりと赤い。
「……この部署には、こういう高尚な議論ができる人間が少なくてな。つい熱くなってしまった」
どうやら彼も、恋愛耐性は低いらしい。
ただのコミュ障オタク同士の事故だ。
『チャンスよ、茉莉子』
明菜がふわりと降りてきて、私の目の前に二枚のカードを展開した。
厳かな法王の絵柄と、回転する運命の輪。
【THE HIEROPHANT(法王)】
【THE WHEEL of FORTUNE(運命の輪)】
『法王は「導き」や「共通の価値観」。運命の輪は「チャンス」を意味するわ』
彼女は銀の槍でカードを指し示す。
『ナポレオンも言ったわ。「好機は逃すな、たとえそれがサメの形をしていても」ってね。……言ってないかも知れないけど、まぁいいわ。 いい? もしこの後、彼から誘いがあったら、あるいは連絡先交換の流れになったら、迷わず首を縦に振りなさい。ジャージだろうが何だろうが、流れに乗るのよ!』
「コホン」
剣崎が居住まいを正し、私に向き直った。
その表情は、どこか厳粛だ。
「コネ条」
まだ言うか、そのあだ名。
「君とはいい議論ができそうだ。これほどの見識があるとは、人事のデータにはなかった。訂正しよう」
彼は白衣の裾を翻し、ラボの奥を指差した。
「そうだ、こっちに来い。実証実験を行う」
「え、あ、はい……」
実証実験?
私は明菜の教えに従い、大人しく彼について行った。
連れて行かれたのは、ラボの最奥にある「資料室」兼「視聴覚室」だった。
薄暗い部屋。
壁一面に専門書が並び、中央には古めかしいブラウン管モニターと、それには不釣り合いな最新鋭の音響機材、そしてDVDデッキが鎮座している。
秘密基地感がすごい。
「座れ」
剣崎は二人掛けの革張りソファを指差した。
そして、自分が先に座ると、その隣をポンポンと叩いた。
「これから『メカシャーク vs 巨大タコ』を見るぞ」
オレの隣に来い、の合図だ。
うわ、マジで? 初対面で? 密室で二人きり?
私の心臓が、早鐘を打つ。
ドキがムネムネする。
いくら性欲値ゼロとはいえ、男の人と密室で肩を並べるなんて、私のメンタルには刺激が強すぎる。
でも、拒否権はない。
私は覚悟を決めて、彼の隣に座った。
近い。
白衣から漂う、微かなコーヒーと薬品の匂いが鼻をくすぐる。
肩が触れそうな距離だ。
「再生する」
彼がリモコンを押した。
画面の中で、CG丸出しのチープなメカサメと、ゴムみたいな巨大タコが暴れ回る。
爆発。悲鳴。謎の物理法則。
B級映画のフルコースだ。
私たちは並んで、無言で画面を見つめていた。
「なるほど……」
剣崎は時折、何かを呟きながら、手元のノートに猛烈な勢いでメモを取っている。
画面の光が、彼の真剣な横顔を照らし出す。
彼にとって私は、恋愛対象ではなく、純粋な「研究対象(同志)」として隣に置かれているだけらしい。
私は映画の内容なんて頭に入ってこなかった。
気になって仕方がないのだ。
隣の男の顔が。
近くで見ると、やっぱり顔面偏差値は高いんだよなぁ
私は横目で彼を盗み見た。
彫りが深くて、鼻が高い。
特に、鼻先と顎を結んだライン――Eラインが完璧に整っている。
横顔だけなら、彫刻みたいに綺麗だ。
白衣の袖から覗く腕には、ペンを走らせるたびに意外としっかりした筋肉が浮き出ている。
そういえば、プロフィールに空手黒帯って書いてあったっけ。
意外と武闘派なんだ。
『……なによこの地味な絵面』
その横で、明菜がどこから出したのかポップコーンをむしゃむしゃ食べている。
『密室、男女、暗闇。三拍子揃ってるのに、やってることが「巨大タコの触手考察」だなんて……。色気もへったくれもないわね』
全くその通りだ。
でも、不思議と居心地は悪くなかった。
無理に喋らなくてもいい。沈黙が苦じゃない。
ただ、同じ画面を見て、同じポイントで「ありえねー」って思うだけの時間。
九十分の映画を見終え、エンドロールが流れる。
剣崎は満足げに眼鏡を拭いた。
「有意義な時間だった。君のツッコミは鋭い」
彼は私に向き直り、厳かに宣言した。
「コネ条茉莉子。君を、我が開発部の『非公式映画研究会』顧問に任命する」
「えっ」
顧問?
部員、私たち二人だけじゃん。
「今後の活動連絡のため、端末を出せ。コードを読み取る」
彼は当たり前のようにスマホを取り出した。
大樹の時とは違う、事務的だが確実なコネクション。
拒否する隙なんてない。
私は言われるがままにQRコードを表示した。
ピッ。
登録完了。
本日二人目のSSRモンスター、連絡先ゲット完了だ。
開発部を出た後、私は大きなため息をついた。
どっと疲れが出た。
「疲れた。この人、話長いし理屈っぽいし、名前間違ってるけど……」
私は振り返り、閉ざされたラボの扉を見た。
あの奥で、彼はまた一人でサメ映画の分析に戻っているのだろうか。
「悪い人じゃないかも。っていうか、ただのコミュ障オタクだ。私と同類じゃん」
ふふっ、と笑いがこぼれた。
あんなに怖かった「剣の王」が、今はただの「サメ好きの変人」に見える。
私はスマホを取り出し、リストを更新した。
剣崎恭弥 → 【話の通じる変人(同志/サメ映画枠)】
これで二人目。
体力馬鹿の大樹と、知識偏重の剣崎。
両極端な二人をクリアした。
「次は……もっと難易度高いやつ、かな」
私はジャージのポケットに手を突っ込み、特別監査室への帰路についた。
明菜が予言した通り、運命の輪は回り始めているのかもしれない。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:コネ条茉莉子(改め、サメ映画顧問)
・職業:B級映画評論家(仮)
現在のステータス
・魅力:C(ジャージ姿でも「同志」としての魅力は発揮)
・メンタル:B(オタク特有の「好きな話なら早口になる」スキルで回復)
新規獲得アイテム
・【剣崎の連絡先】:深夜にサメ映画の考察が送られてくる呪いのアイテム。
・【顧問の称号】:何の権限もないが、ラボへのフリーパス。
【明菜の分析ログ】
やるじゃない。
「共通の趣味」ってのは、心のATフィールドを中和する最強の武器よ。
たとえそれが、空からサメが降ってくるようなクソ映画だとしてもね。
性欲値ゼロからのスタートだけど、ここからどう「女」として意識させるか……。
ま、まずはジャージを脱ぐところから始めなさいよ?




