第六記録【風紀チェックという名のジャージ徘徊】
四月三日、正午。
「ん〜〜〜っ! 最高! 勝利の味!」
五十階、特別監査室。
私のセーフハウスにして、ピンク色の要塞。
その中央に置かれた、無駄に高そうなローテーブルの上には、これまた無駄に豪華なランチが並べられている。
キャビア、フォアグラ、トリュフ。
世界三大珍味のコンボだ。
執事の直之が「お嬢様の戦勝祝いに」と、朝から腕によりをかけて作ったフルコースである。
私は首からナプキンをかけ、行儀悪くフォークを振り回した。
「アハハハ! ちょろい、ちょろい! リアルなんてこんなもんよ!」
昨日の大山田攻略戦での勝利が、私の脳内麻薬をドバドバと分泌させていた。
筋肉は裏切らない。そして、私の運も裏切らない。
「美味しいご飯食べて、適当に男転がして、私は勝ち組だぁー!」
「お嬢様は素晴らしいです。まさに帝王学の極み」
直之がサングラスの奥で目を細め、恭しく紅茶を注ぐ。
この巨漢、私を甘やかすことにかけては天才的だ。
『……アホね』
呆れ果てた声が、天井から降ってきた。
見上げれば、シャンデリアの上に優雅に腰掛けた明菜が、派手な扇子をパタパタとさせている。
『マリー・アントワネットは言ったわ。「パンがなければケーキを食べればいい」ってね。……今のアンタ、ギロチン台に送られる直前の貴族みたいよ?』
スター状態の私にそんな言葉聞かん聞かん!
今は勝利の美酒に酔わせろって〜の。
私はフォアグラを一口で頬張り、スマホを取り出した。
大樹とのチャット画面を開く。
「おーい、飯食ったか?」という短文と共に、大量のちくわスタンプが送られてきている。
ほら、順調じゃん。
このまま適当に返信して、一年間引っ張れば私の勝ちだ。
午後一時。
満腹になった私は、高級ソファでゴロゴロと芋虫のように転がっていた。
動きたくない。
このままここでYoutubo見て、定時まで粘りたい。
それが正しい社内ニートのあり方だ。
シャッ、シャッ、シャッ。
不快な音が鼓膜を叩く。
明菜だ。
彼女は私の目の前で、無言のままアルカナカードを展開していた。
三枚のカードが、空中に浮かび上がる。
すべて、鋭利な刃物が描かれた不吉な絵柄。
『じゃーん♡』
明菜がニヤリと笑う。
『剣の王、剣の騎士、剣の小姓。問答無用の「剣崎恭弥」コンボよ。さっさと地下に行きなさい♡』
「えー……」
私は心の底から嫌そうな声を上げた。
あのマッドサイエンティストかぁ。
気難しそうだし、絶対話通じないタイプじゃん……MP吸い取られるだけだって。
『行くの? 行かないの?』
明菜の手元に、巨大なハリセンが出現する。
行きます。行けばいいんでしょ。
私は渋々起き上がった。
地下二階、ロボット開発部。
エレベーターの扉が開いた瞬間、空気が変わった。
「うっ……」
鼻をつく機械油の匂い。
焦げた回路の独特な臭気。
そして、重低音で響き続けるサーバーの駆動音。
くさっ。なにこの理系臭。
空気清浄機置いてないの? 消臭スプレー撒きたい。
私は鼻をつまみながら、薄暗い通路を歩いた。
人の気配がない。
みんなラボに籠もっているのか、廊下は静まり返っている。
よし、誰もいない。
適当に一周して「視察しました」って報告すればいいや。
そう思って、気を抜いた瞬間だった。
「ここで何をしている?」
「ヒェッ!?」
耳元……いや、背後霊のような至近距離から声がした。
その声は、深海の底の底にある水圧のように重く、そして絶対零度のように冷たい。
私は心臓を口から吐き出しそうになりながら、その場で飛び上がって振り返った。
そこにいたのは、白衣の男。
剣崎恭弥だ。
仁王立ちで私を見下ろしている。
銀縁メガネの奥にある瞳は、アイスブルー。
感情の色が一切ない、無機質なレンズのような目。
「あ、あの……」
心臓バクバク。
でも、昨日の成功体験が私を支えていた。
笑顔だ。笑顔で乗り切ればなんとかなる。
私は右手を頭の後ろに回し、アニメのドジっ子キャラのように「アハハハ」と笑って見せた。
「いやぁ〜、ちょっと迷子になっちゃったみたいで〜。ここ、広いですねぇ〜」
完璧なごまかし。
……のつもりだった。
剣崎は眉ひとつ動かさなかった。
ただ、冷ややかに言い放った。
「誰かと思えば、ドジな新人で有名な『コネ条茉莉子』か」
ピキッ。
私のこめかみで、何かが切れる音がした。
コネ条?
今、コネ条って言った?
はぁ? 誰が上手いこと言えと。
センス古くない? しかも本人を前にして言う?
「……なんだとー! 誰がコネ条じゃー!」
私は反射的に言い返していた。
怒っているというより、売り言葉に買い言葉だ。
ギャグ漫画のツッコミみたいな口調になってしまう。
剣崎は無造作なアッシュグレーの髪を、神経質そうにかき上げた。
「用件は何だ? 無意味な徘徊はリソースの無駄だ。さっさと持ち場に戻れ」
「うっ……」
正論パンチ。
でも、ここで引き下がったら「コネ条」の名折れだ。
認めたくないけど。
「わ、私の仕事は社員の風紀チェックなんですー! 今日はここを視察に来たの! ちゃんと仕事してるか見に来たんですー!」
私は胸を張って宣言した。
どうだ、これなら文句あるまい。
剣崎は私の顔をじっと見た。
そして、眼鏡をクイッと中指で押し上げた。
レンズがキラーンと光る。
「……ほう。風紀チェック、か」
「そ、そうですよ!」
「何が風紀チェックだ。お前のその服はなんだ。それは風紀を乱していないのか?」
「え?」
服?
私は自分の体を見下ろした。
そこにあるはずの、完璧なブラウス。
……は、どこにもなかった。
代わりに私が着ていたのは、紺色の、少し毛玉がついた、ダサいジャージ。
私の中学時代の芋ジャージ。
「……あ」
思考停止。
しまったぁー!
ランチの後、満腹で苦しかったから、楽な格好に着替えたまま出てきちゃった……!
セーフハウスでの油断が、ここで致命傷になった。
「……」
沈黙。
気まずすぎる沈黙。
穴があったら入りたい。
いや、今すぐログアウトしたい。
風紀チェックに来た人間が、一番風紀を乱してるなんて、どんなギャグよ。
でも。
ここで逃げ出したら、一生「ジャージのコネ条」として語り継がれてしまう。
私の脳内回路が、高速で演算を始めた。
逃げるな。押し通せ。
嘘も突き通せば真実になるって、明菜も言ってた。
【スキル発動:女優モード(厚顔無恥Ver.)】
私はキリッと顔を引き締め、ジャージの襟を正した。
「……フッ。お目が高いですね」
「は?」
「これは、動きやすさを重視した、最新の視察用アクティブウェアです! 現場の空気になじむための、高度な偽装工作なんですよ!」
大嘘だ。
自分でも何を言ってるのかわからない。
でも、私は止まらない。
胸を張り、仁王立ちして彼を指差した。
「さぁ、ぐずぐずしないで私を案内しなさーい!」
えっへん!
剣崎は、口を半開きにして私を見ていた。
呆気にとられている。
あまりの堂々とした態度と馬鹿馬鹿しさに、毒気を抜かれたらしい。
「はぁ……」
深く、長く、重い溜息をつく。
彼は肩の力を抜いた。
「ついて来い。さっさと終わらせて帰ってもらう」
勝った。
無理やり押し通した。
私は心の中でガッツポーズをしながら、彼の後をついて行った。
ラボの中は、まさに秘密基地だった。
無数のロボットアーム、むき出しの配線、点滅するモニター。
男のロマンが詰まっている場所だ。
私にはゴミ屋敷に見えるけど。
「これが新型のアクチュエータだ。従来の油圧式とは異なり、形状記憶合金を用いた人工筋肉を……」
剣崎の説明が始まった。
長い。
そして難解だ。
「このトルク制御が……量子化誤差を……」
呪文? 何語?
日本語で喋ってほしい。
「へぇ〜」「すごいですね〜」
私は適当に相槌を打つマシーンと化していた。
眠い。
早く帰って寝たい。
そんな時だった。
ふと、個人デスクに目が止まった。
そこは、カオスだった。
難解な専門書や図面が山のように積み上げられている。
その隙間に、場違いなほど極彩色の何かが挟まっていた。
DVDのパッケージだ。
そこに描かれているのは、巨大な竜巻。
そしてその中を舞う、無数の凶暴なサメ。
チェーンソーを持った主人公。
ありえない構図。
B級映画の金字塔。
私は思考するより先に、口が動いていた。
「あ、これ『シャークトルネード』の3作目……」
ピタリ。
前を歩いていた剣崎の足が止まった。
空気が凍りつく。
ゆっくりと、彼が振り返る。
その表情は、先ほどまでの冷徹な「開発部長」のものではなかった。
眼鏡が、怪しく光る。
「……ほう」
低く、地を這うような声。
でもそこには、明らかな「熱」が灯っていた。
「お前、これを知っているのか?」
アイスブルーの瞳が、獲物を見つけたサメのように、私をロックオンした。
……あれ?
もしかして私、とんでもない地雷踏んだ?
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:コネ条茉莉子)
・職業:不審者(ジャージ着用)
現在のステータス
・魅力:D(ビジュアルは最悪。ただし「インパクト」だけはSランク)
・メンタル:A(羞恥心を置き去りにした無敵モード)
新規獲得アイテム
・【芋ジャージ】:防御力0、機動力50、社会的威厳-100。
・【B級サメ映画の知識】:一部の変人にのみ特攻ダメージを与える隠し武器。
【明菜の分析ログ】
アンタねぇ……。「風紀チェック」に来た人間がジャージって、何のコントよ?
マリー・アントワネットもびっくりな厚顔無恥っぷりだったわ。
でも、怪我の功名ね。
まさかその腐った映画趣味が、あの鉄仮面の心の扉をハッキングする鍵になるなんて。
運命の女神も、たまには悪戯が過ぎるわね。
さぁ、次はどうする?
サメの話で盛り上がる? それともドン引きされる?
「類は友を呼ぶ」……この言葉が吉と出るか凶と出るか、見ものよ♡




