第四記録【私は嘘つきな女優になる】
四月一日、夜。
九条家のダイニングルームは、今日も無駄に広かった。
二十人が余裕で座れる長テーブル。
天井からはクリスタルガラスのシャンデリアが垂れ下がり、私の貧弱なメンタルを上から押し潰すように輝いている。
そのテーブルの端と端。
遥か彼方の対面に座っているのは、この屋敷の主にして私の生殺与奪の権を握る魔王――父、九条壮一郎だ。
私は指先で、タブレットの画面をスワイプした。
画面に映し出されているのは、昼間の地獄のような社内徘徊で作成した「SSRモンスターリスト」。
選りすぐりの五人の男たちの顔写真と、明菜の独断と偏見に満ちたステータスデータだ。
「パパ、これ。約束通り、リストアップしてきたから」
使用人がうやうやしくタブレットを父の元へ運ぶ。
父はナプキンで口元を拭うと、老眼鏡をかけて画面を覗き込んだ。
ゴクリ。
喉が鳴る。
心拍数BPM140。
ここで「こんな男たちじゃダメだ!」と却下されたら、私の課金資金は即座に断たれる。
「ほぉ……」
父が感心したような声を上げた。
食い入るように画面を見つめ、ニッコリと顔を崩す。
「いい目をしているねぇ、まりちゃん! 剣崎くんに、大山田くん……それにこのユンジンくんまで! いやぁ、素晴らしいラインナップだよぉ♡」
父は嬉しそうに手を叩いた。
「やっぱりママの子だねぇ。男を見る目だけは『超一流』だよ! パパの若い頃よりセンスあるんじゃない?」
私は胸を撫で下ろした。
椅子の背もたれに深く体重を預ける。
「……でしょ? 結構頑張ってリサーチしたんだから。死ぬ思いで」
よし、第一次審査はクリアだ。
これで「よく頑張ったね、じゃあ来年までゆっくり選びなさい」という猶予期間がもらえるはず。
そうしたら、この一年はのらりくらりと躱しつつ、適当に理由をつけて引き延ばせばいい。
「だからもう、勘弁してよね。いきなり結婚なんて――」
「うんうん、そうだねぇ」
父はニコニコしながら、最高級のフィレステーキを一口大に切り分けた。
肉汁が滲み出るレアな赤身を、フォークで突き刺す。
「じゃあ、この中から恋愛してみようか」
「……は?」
思考がフリーズした。
今、このタヌキおやじ、なんて言った?
父はステーキを頬張り、至福の表情で咀嚼する。
「ん〜♡ 美味しい! あ、そうそう。一人選ぶんじゃなくてね、五人同時進行でいいよ〜。いきなり一人に絞るなんてつまんないし、リスクヘッジも大事だもんね♡」
カラン。
私の手からフォークが滑り落ち、皿の上で乾いた音を立てた。
「五人同時……?」
意味がわからない。
日本語の構文としてバグってる。
恋愛って、一人とやるものじゃないの?
五人同時って何? 乙女ゲーの主人公でもそんな無茶なフラグ管理しないよ!?
「無理無理無理! 何言ってんのパパ! 私はただの引きこもりだよ!? ギャルゲーの主人公じゃないんだから! リアルでそんなマルチタスクこなせるわけないじゃん!」
私は立ち上がって抗議した。
無理ゲーにも程がある。
難易度設定が狂気を超えてる。
けれど、父は動じない。
赤ワインのグラスを優雅に回しながら、小首を傾げる。
「できるよぉ」
「できないってば!」
「できるさ。だってまりちゃん、昔は『女優さんになりたい』って言ってたじゃないか」
ドクン。
心臓が嫌な音を立てた。
父は懐かしそうに目を細め、天井のシャンデリアを見上げた。
「パパ覚えてるよぉ。小学校の学芸会。まりちゃんの木の役! あれは最高だったなぁ。あの微動だにしない直立不動の演技、アカデミー賞モノだったよぉ! あの時のまりちゃんなら、五人の男を演じ分けるなんてお茶の子さいさいだよ♡」
古傷。
私の心の奥底に封印していた、一番触れられたくないフォルダが、強制的に開かれる。
「そ、それは……昔の話で……関係ないし……」
声が震える。
反論したいのに、言葉が出てこない。
父が、グラスを置いた。
そして、テーブル越しに私を見つめる。
その瞳から、経営者としての「冷徹さ」が消えていた。
代わりにそこに宿っていたのは――
雨の日に段ボール箱に捨てられた、小熊のような瞳。
潤んでいて、寂しそうで、世界の終わりみたいに悲しげな目。
「……まさか、パパの頼み、聞けないなんて言わないよね?」
父の声が、甘く、切なく、私の罪悪感パラメーターを直接刺激する。
「パパねぇ、もしまりちゃんの花嫁姿が見られないなら……悲しくて、寂しくて、死んじゃうかも……」
うっ。
出た。パパの必殺技・情緒不安定な甘えん坊攻撃。
母が死んでから、男手一つで私を甘やかして育ててくれた父。
その父に、こんな目で「死んじゃうかも」なんて言われたら。
私は唇を噛み締めた。
断れるわけがない。
ここで「NO」を選択したら、私は一生、父を悲しませた娘として生きることになる。
「……わかった」
絞り出すような声。
「わかったから……やるよ……やればいいんでしょ……」
父の表情が、パァッと明るくなる。
一瞬で小熊からタヌキに戻った。
「やったぁ! さすがまりちゃん! パパ、期待してるよぉ〜♡ じゃあ、早速明日から頑張ってね!」
騙された。
完全に嵌められた。
このタヌキ、最初から私の情を利用する計算だったんだ。
夕食後、私はゾンビのような足取りで、二階にある自分の部屋へと戻った。
重厚な扉を開ける。
そこは、いつもの薄暗い「聖域」だ。
ペルシャ絨毯の上に散らかったスナック菓子の袋。
アンティーク家具を侵食するゲーミングPCの光。
会社の特別監査室はこれと同じだけど、やっぱり実家のこの空間が一番落ち着く。
「……はぁ」
私はトリプルモニターの前に置かれた、愛用のゲーミングチェアに沈み込んだ。
もう何もしたくない。
ログインボーナスを受け取る気力すらない。
『お帰り、悲劇のヒロインさん』
不意に、頭上から声が降ってきた。
見上げると、デスクの上に我が物顔で座っている紫のスーツの女。
明菜だ。
彼女の手には、どこから出したのか、古めかしい「映画監督のメガホン」と、カチンコが握られている。
カチンッ!
目の前でカチンコが良い音を立てた。
『へぇ〜、アンタ女優志望だったんだ? 意外なスキルツリー持ってるじゃない。隠しスキル? もしかして転生ボーナス?』
明菜がニヤニヤと笑いながら、私の顔を覗き込む。
私は顔を背け、膝を抱えた。
体育座りで小さくなる。今の私には、この姿勢が一番落ち着く防御態勢だ。
「……もう嫌だ。やりたくない。絶対無理」
『あらそう。やらなくてもいいけど』
明菜はあっさりと答える。
しかし、その続きは氷のように冷たかった。
『パパのクエスト、無視したらどうなるか分かってるわよね? クレカ停止、回線切断、そしてこのハイスペックPCも没収。アンタの趣味も、生きがいも、ここで全部ゲームオーバーよ?』
「……ッ!」
『それとも何? 路上で段ボール生活しながら、スマホでポチポチ無課金プレイでもする気?』
痛いところを突いてくる。
今の私から「金」と「ゲーム」を奪ったら、ただの無能な肉塊しか残らない。
「だって……! そんなこと言われたって……私は……」
言葉が詰まる。
視界が滲む。
女優。演技。
その単語を聞くだけで、脳裏に蘇る光景がある。
忘れたくても忘れられない、私の人生のバッドエンドルート。
――あれは、中学二年生の時だった。
私が入っていた演劇部には、一つ上の先輩がいた。
部長を務める彼は、背が高くて、声が良くて、演技に対する情熱を持った人だった。
今の私が見れば「ただのカッコつけ」と一蹴したかもしれないけれど、当時のウブな私にとっては、まさに王子様だった。
彼に近づきたかった。
彼に認められたかった。
彼と同じ舞台に立ちたかった。
だから私は、死に物狂いで練習した。
秋の文化祭。ヒロイン役のオーディション。
台本は擦り切れるほど読んだ。鏡の前で何百回も表情を作った。
泣く演技も、笑う演技も、完璧に仕上げたつもりだった。
そして迎えたオーディション当日。
私は全力を出し切った。
涙を流して、愛を叫んで、舞台の上で崩れ落ちるラストシーンまで演じきった。
「……はい、そこまで」
部長の声が響いた。
私は息を切らしながら顔を上げ、期待に満ちた目で彼を見た。
褒めてくれると思った。
上手くなったな、と頭を撫でてくれると信じていた。
でも。
パイプ椅子に座った部長は、冷え冷えとした目で私を見下ろしていた。
軽蔑でも、怒りでもない。
もっと残酷な、無関心と違和感が混ざったような目。
「なぁ、九条」
彼が口を開く。
「お前さ、演技が嘘くさいんだよ」
ドサッ。
心の中で、何かが落ちる音がした。
「感情が見えないっていうか……綺麗なんだけどさ、中身がない人形みたいで気味が悪いんだわ。見てて不安になる」
彼はため息をつき、台本を机に放り投げた。
「才能ないから、辞めれば?」
――その一瞬で、現実の私は死んだ。
一生懸命に作った感情を、嘘くさいと言われた。
必死に叫んだ愛を、気味が悪いと吐き捨てられた。
人形。
中身がない。
だったら、もういい。
誰も私を見ないで。本当の私なんて見ないで。
感情なんて出さない。期待なんてしない。
そうして私は、現実から逃げ出した。
モニターの向こうにある電子の海へ。
完璧なアバターを被り、二度と傷つかない世界へと引きこもったのだ。
---
「……私には、無理なの。才能ないの」
回想から戻った私は、膝に顔を埋めて呟いた。
「演じたって、どうせバレる。嘘くさいって言われる。あんなエリートたち、私の中身が空っぽなことなんて、一瞬で見抜くに決まってる……」
ポカッ。
硬い感触が、私の頭を叩いた。
痛っ。
顔を上げると、明菜がメガホンを振り上げていた。
『……アンタねぇ』
彼女は呆れたように溜息をつき、もう一度私の頭をメガホンで軽く小突いた。
『たかが中学生のガキ一人の言葉を、世界の真理みたいに信じ込んでんじゃないわよ。その先輩? どうせ今頃、ハゲて腹出た冴えないオッサンになってるわよ』
メガホンを口に当てる。
『チャップリンは言ったわ。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」ってね』
彼女の声が、朗々と部屋に響く。
『アンタの演技が嘘くさい? 人形みたい? ……はっ、上・等・じゃない!』
「え……?」
『いいこと、茉莉子。よく聞きなさい』
明菜が屈み込み、私の顔を覗き込む。
その瞳は、いつになく真剣で、熱を帯びていた。
『この現実なんてね、全員が猫かぶった「嘘つきたちの仮面舞踏会」なのよ』
彼女は窓の外、黒くそびえるオフィスの風景を指差した。
『パパも、あのイケメンたちも、みんな何かしら演じてる。「理想の上司」「出来る男」「優しい王子様」……みんな仮面を被って、必死に自分を演出してるの』
明菜がニヤリと笑う。
それは、悪魔のように魅力的で、頼もしい笑みだった。
『だったら、アンタが一番上手い嘘をつきなさい。「人形」でいいのよ。最高に美しい人形で、感情なんて見せない仮面で、あいつらを騙しきってやりなさい! 嘘も突き通せば真実になる。それがアンタの生き残る道よ!』
騙しきる。
嘘をつく。
その言葉が、不思議とすんなり私の胸に落ちた。
「本当の自分」を理解してもらおうとするから傷つくんだ。
最初から演技だと割り切ればいい。
一条茉莉子というキャラクターをプレイすると思えばいい。
それなら……私にもできるかもしれない。
だって私は、ネトゲ界では伝説のギルマスなんだから。
私はゆっくりと顔を上げた。
涙を拭う
「わかった」
声に力が戻る。
「騙せばいいんだね。」
『よし♡、いい顔になってきたじゃない』
明菜がパチンと指を鳴らした。
『じゃあ、早速作戦会議よ。リハビリ初戦の相手だけど……』
彼女が空中に手をかざすと、五枚のタロットカードが現れた。
その中の一枚を、私の前へ弾き飛ばす。
ヒュンッ!
カードが回転しながら、キーボードの上に突き刺さった。
描かれているのは、棍棒を持った勇ましい王の姿。
【KING of WANDS(棒の王)】
そのカードの意味する人物は――。
「えっ……」
私は写真リストの「彼」を見た。
作業着姿で、重機用の鉄骨を担いでいた筋肉ダルマ。
「あの大山田? 建設部の? 無理無理無理! 握手しただけで物理ダメージ入るって! 私のHPじゃワンパンで即死だよ!」
『逆よ。バカねぇ』
明菜がやれやれと肩をすくめる。
メガホンでカードを指し示す。
『他の男を見てみなさい。剣崎やユンジンみたいな「インテリ系」は、アンタの挙動不審をコンマ一秒で見抜くわよ。レオみたいな「王子様」はハードルが高すぎる。凪……アレは別枠の天然災害だから今は放置』
確かに。
あの目つきの悪い開発部長や、冷徹なコンサルタントの前で演技できる自信はない。
凪に至っては、近づくだけで心臓発作を起こしかけた。
『その点、この筋肉バカ……失礼、肉体派(大山田)は裏表がないの』
明菜は断言する。
『彼は見たまんまの男よ。言葉の裏を読む必要がないし、細かい嘘も気にしない。コミュ障で挙動不審なアンタでも、難易度NORMALでいけるわ。まずは彼と「会話のドッジボール」……いえ、キャッチボールから始めましょ』
会話のドッジボール……。
ボールごと吹っ飛ばされそうな気もするけど、言われてみれば一理ある。
あの豪快な笑顔。
「ガハハ!」と笑って、私の失敗も流してくれそうな気配はあった。
裏表がない。
今の私にとって、それは一番ありがたい属性かもしれない。
私は写真をじっと見つめた。
茶色の髪に、琥珀色の瞳。
暑苦しいけど、嘘のなさそうな顔。
「……わかった。やってみる」
私は腹を括った。
やるしかない。明日の資金と、パパの笑顔と、私のプライドを守るために。
「行ってくる。一番防御力の高そうな装備で挑む」
私は立ち上がり、明菜の方を向いた。
そして、これまでで一番真剣な眼差しで、彼女に告げた。
「明菜。明日、朝一からメイク教えてよね」
私は自分の頬をパチンと叩く。
「一番、化けられるやつ。誰が見ても『深窓の令嬢』って信じ込むような、完璧な仮面をお願い」
明菜は目を丸くし、それから満足げに口角を吊り上げた。
手の中のメガホンが消え、代わりにプロ仕様のメイクブラシセットが現れる。
『任せなさい。世界一のペテン師に仕立て上げてあげるわ』
こうして、私の「女優復帰戦」が決まった。
ターゲットは、パワー系SSR・大山田大樹。
待ってろゴリラ。
アンタを最初の生贄(攻略対象)にしてやるから。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:一条茉莉子)
・職業:特別監査室 室長兼、復帰したての大根役者
現在のステータス
・魅力:B(覚悟を決めて目力アップ)
・メンタル:D(父の小熊攻撃により摩耗するも、底打ちして反発)
新規獲得スキル(アクティブ)
・【女優魂(再点火)】:「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」と唱えることで、恥を捨てて演技モードに入れる。ただし持続時間は短い。
【明菜の分析ログ】
ようやく腹を括ったわね。
人間、一番強いのは「守るものがある時」じゃないわ。「失うものがない時」よ。
今のアンタは、プライドも恥もかなぐり捨てた無敵のチャレンジャー。
さぁ、幕開けよ。
最初のステージは「資材置き場」。
ドレスコードは作業着……じゃなくて、あえての「白ワンピース」でいきましょ。
コントラストこそが、男の視線を釘付けにする最強のスパイスなんだから♡




