第三十九記録【天才と虚無の挟み撃ち♡】
午後八時。
野外炊飯エリア。
そこら中から漂う、スパイシーなカレーの匂い。
「ふぅ……。食った食った」
私はベンチの上で大きく息を吐いた。
ユンジン鬼軍曹の完璧な指揮と、大樹のワイルドな火力調整、そして凪の絶妙なスパイス投入によって完成した「九条カレー」。
悔しいけど、めちゃくちゃ美味しかった。
「ん〜♡ 労働の後の飯は格別だねぇ〜!」
隣では、パパがビール片手に上機嫌で頬を緩めている。
「お嬢様が……お野菜を……残さずに……ッ」
その隣では、直之がサングラスの下から涙を流していた。
野菜嫌いの私が完食したことに感動しているらしい。
よし。任務完了。
私は空になった皿を置き、こっそりと立ち上がった。
今のうちにホテルに帰って、ふかふかのベッドでログボ回収……。
「おやすみなさーい」と心の中で呟き、闇に紛れて移動しようとした、その時。
グイッ。
パーカーのフードを、後ろから強く引っ張られた。
「ぐえっ」
カエルのような声を出して振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた明菜がいた。
『待ちなさい。夜はまだこれからよ?』
ゲェッ……! もう自由時間じゃん! 帰らせてよ〜。
『ダメよ。まだミッションは終わってないわ』
彼女は空中に、二枚のタロットカードをふわりと浮かべた。
冷たい光を放つ剣を持った王――【KING of SWORDS(剣の王)】。
そして、優雅に聖杯を掲げる騎士――【KNIGHT of CUPS(杯の騎士)】。
『あの二人がまだ未攻略よ。……オスカー・ワイルドは言ったわ』
明菜は夜空を指差し、朗々と語り出した。
『「私たちは皆ドブの中にいる。でも、そこから星を眺めている奴らもいるんだ」……さぁ、アンタも星を見に行きなさい』
「はぁ……」
私はクソデカため息をついた。
なんで私がドブから星を見なきゃなんないのよ……。
抵抗しても無駄だ。彼女には逆らえない。
私は重い足取りで、カードが示す方角――人気のない砂浜へと歩き出した。
メイン会場から離れた、静かな砂浜。
そこは、喧騒とは無縁の静寂に包まれていた。
ザザァ……、ザザァ……。
波の音だけが響く暗闇。
遠くから、社員たちの「ウェーイ!」という馬鹿騒ぎが、BGMのように微かに聞こえてくる。
「……ん?」
月明かりの下に、二つの人影があった。
岩場に腰掛けてタブレットを操作しているのは……恭弥だよね。
そして、その隣で立ったまま海を眺めている、レオさん?。
うわぁ……絵になる。二次元かよ。
サメ柄アロハと紫のシルクシャツという、普通なら事故りそうなファッションなのに、この二人だとモード誌の表紙みたいに見えるから不思議だ。
私は恐る恐る近づいた。
「あ、あの……お二人さん?」
二人が同時に振り向く。
月光に照らされた、整いすぎた二つの顔面。
アイスブルーの瞳と、ヘーゼルナッツ色の瞳が、同時に私を捉える。
ドッキンッ!!
心臓が物理的に潰れる音がした。
顔がいい。破壊力が強すぎる。
「……まーちゃんか」
「やぁ、シンデレラ」
二人は驚いた様子もなく、自然に私を受け入れた。
「な、仲良さそうだね……? 意外な組み合わせっていうか……」
恐る恐る声をかけると、恭弥が眼鏡の位置をクイッと直した。
「……仲が良い? 定義が曖昧だな。我々はただの『同期入社』だ」
「へぇ……!」
初耳だ。
変人科学者と虚無王子。混ぜるな危険って感じだけど、言われてみれば妙に雰囲気が似ている気もする。
「つれないなぁ。そんな言い方しないでよ恭弥」
レオさんが恭弥さんの肩に手を置いた。
「僕たちは、この退屈な会社で唯一話が通じ合う『運命共同体』だろ?」
恭弥は「やれやれ」といった様子で首を振ったが、その手を払いのけようとはしなかった。
尊い……。
私は心の中で合掌した。
この二人、互いに認め合ってるんだ。
普段は他人を見下している(というか興味がない)二人が、お互いだけは特別扱いしている。
その関係性が、たまらなくエモい。
「せっかくだから座りなよ、シンデレラ。今夜は月が綺麗だ」
「座れまーちゃん。地表の温度も安定している」
二人に促され、私は岩場に座らされた。
配置は、左にレオさん、右に恭弥。
目の前は海。頭上は満天の星。
何このポジション……処刑台?
逃げ場がない。
左右から漂うエロティカな香水に挟まれて、私の思考回路はショート寸前だ。
私は無言で星を見上げた。
「……美しいな」
沈黙を破ったのは、恭弥だった。
「星の配置が論理的だ。シリウスの輝度はマイナス1.46等級。あの光が地球に届くまで8.6年……宇宙の法則を感じる」
「ふふ、相変わらずだね」
レオさんが冷めた笑みを浮かべる。
「僕には墓場に見えるよ。あれは全部、過去の残像だ。死んだ光が、遅れて届いているだけ。……星なんて、虚しい希望の象徴だよ」
「感傷的だな。物理現象に情緒を持ち込むのは文系の悪癖だ」
「君こそ、ロマンがないね。数式で愛が解けると思ってる?」
「愛は脳内物質の化学反応だ。解けない道理はない」
「やれやれ……。だから君はモテないんだよ」
な、何の話? 日本語でOK?
二人の会話のキャッチボールが速すぎて、私の首が左右に振られる。
高度すぎる。
知性が交差する、異次元の会話。
私みたいな凡人が入り込む隙間なんて、これっぽっちもない。
ヒュゥ……。
冷たい海風が吹き抜けた。
昼間は暑いくらいだったのに、夜の海辺はやっぱり冷える。
薄いカーディガンしか羽織っていない私は、思わず体を震わせた。
「くしゅっ」
小さくくしゃみをする。
その瞬間。
左右から同時に手が伸びてきた。
ガシッ。
右側。
恭弥が、私の右手首を掴んだ。
脈を測るように、親指と人差指で手首をホールドする。
フワッ。
左側。
レオさんが、私の左手を両手で優しく包み込んだ。
「ひゃっ!?」
私は変な声を上げた。
な、なに!? 何が起きてるの!?
「体温が低下しているな」
恭弥が、私の手首を掴んだまま、冷静に分析を始めた。
「心拍数も乱れている。寒冷刺激による自律神経の反応か……。サンプルとして興味深い。そのまま動くな、データを取る」
彼の指先はひんやりとしていて、診察されているような、拘束されているような背徳感がある。
逃げようとしても、手錠のようにガッチリと掴まれていて動けない。
「可哀想に」
反対側から、甘い囁きが鼓膜をくすぐる。
「手、冷たいね。……温めてあげる」
レオさんは私の手を自分の口元へ持っていき、ハァーッと温かい息を吹きかけた。
そして、自分の頬に私の手のひらを押し当てた。
「僕の熱、移してあげる」
彼の頬は熱いくらいに温かかった。
上目遣いで私を見つめる瞳が、妖しく揺れている。
無理無理無理! 心臓もたんてぇぇぇ!!
右からは「論理的な拘束」。
左からは「甘美な誘惑」。
暗闇と静寂が、二人の吐息と体温を強調する。
波の音が遠のき、自分の心臓の音だけがうるさいくらいに響いている。
「……まーちゃんの脈拍、上昇しているぞ」
恭弥さんがニヤリと笑う。
「顔、真っ赤だね。……可愛い」
レオさんが耳元で囁く。
逃げ場のないサンドイッチ状態。
私は二人の天才に挟まれ、ただただオーバーヒートするしかなかったのだ。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:捕獲された宇宙人(理解不能な会話とスキンシップでフリーズ中)
現在のステータス
・魅力:測定不能(二人の天才を同時に狂わせ中)
・メンタル:限界突破(知恵熱が出そうよ)
新規獲得アイテム
・【恭弥の診察】:手首を拘束されるプレイ(違います)。
・【レオの頬】:熱伝導率100%。
【明菜の分析ログ】
あらあら、素敵な三角関係……じゃなくて、これは「挟み撃ち」ね。
理屈で攻める男と、雰囲気で絡め取る男。
どっちの手も離してくれそうにないけど……アンタ、今夜眠れるかしら?
星空の下の公開実験、ご馳走様でした♡




