第三十八記録【料理なんてできなくてもいいもん!】
九条アイランド中央広場。
緑の芝生が広がり、その向こうには真っ青な海が輝いている。
特設ステージの上で、パパ――九条壮一郎がメガホンを片手に叫んだ。
「えー、諸君! 瀬戸内の風は、まるで若き日の恋のように熱く、そして少しだけ切ないねぇ〜♡」
社員たちが「うおおおお!!」と野太い声で応える。
無駄に詩的な挨拶だ。
「この社員旅行、無礼講で全力で楽しむように! 返事は!?」
「イエッサーーッ!!」
軍隊のような統率力。さすが九条グローバル。
私の隣には、いつの間にか明菜が浮かんでいた。
彼女の手には扇状に広げられた5枚のタロットカードが握られている。
左手に【THE SUN(太陽)】【KING of WANDS(棒の王)】【KNIGHT of PENTACLES(金貨の騎士)】……そして右手にKING of SWORDS(剣の王)】【KNIGHT of CUPS(杯の騎士)】。
『ふふ、カードが告げているわ』
彼女はニヤニヤと笑いながら右手のカードを前に出す。
『協調性のない恭弥と、群れるのを嫌うレオ……この二人は、この後の家庭的なイベントはパスしそうねぇ』
家庭的?
私が首をかしげた瞬間、パパが高らかに宣言した。
「基本は自由行動! 各々、好きなことをしてもよろしいですが……なにも予定がない人は、夕食の『九条グローバル名物・巨大鍋カレー作り』に参加してくれると、パパ嬉しいなぁ〜♡」
そんな名物ないだろ……。
今考えただろ、それ。
その瞬間。
「釣りだーーッ!」
「ビーチバレーやるぞー!」
社員たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ふと見ると、恭弥は森の方へ、レオさんはコテージの方へと、興味なさげに消えていくのが見えた。
明菜の予言通りだ。
よし、今のうちにホテルに戻って冷房ガンガンの部屋でゲームゲーム……。
私も忍び足でその場を離れようとした。
ガシッ。
誰かに手首を掴まれた。
「……ひぃ!」
振り返ると、そこにはラフなTシャツとハーフパンツに着替えたユンジンが立っていた。
さっきまでの完全防備とは違い、程よく力の抜けたスタイルが逆に色っぽい。
「どこへ行く気だ? 逃がさないぞ」
「ひっ……」
「なにもすることがないなら、一緒にカレーを作ろう。……人手が足りないんだ」
有無を言わさず、私は野外炊飯エリアへと連行された。
そこはすでに戦場と化していた。
「よっしゃあああ!!」
ドゴォォォォン!!
凄まじい音が響いた。
大樹が、巨大な斧を振りかぶり、丸太をパカーン!と両断していた。
飛び散る木片。躍動する筋肉。
「 茉莉子ちゃんもやってみようぜ! ストレス解消になるぞ!」
爽やかな笑顔で斧を差し出される。
「え、重……」
私はへっぴり腰で斧を振り下ろしたが、空を切り、斧の重みに負けて地面にドスッと突き刺さっただけだった。
「アハハ! なんだそれ、へなちょこだな〜!」
「う……うるさいな!」
私はムッとして斧を返した。
「次は肉だ! 細かい切れ端なんてちまちましてられっか!」
彼は巨大なブロック肉を掴むと、ナイフではなく手で引き裂くような勢いで捌き始めた。
「肉はブロックだろ!! 焼けば縮むんだからデカくていいんだよ!」
「わぁ、すごいです大山田さん! 私にも教えてください!」
その横に、ぴょこんとアカネさんが現れた。
彼女は大樹くんのワイルドな作業に目を輝かせている。
「おぅ! いいぞアカネちゃん、ここを持って……」
二人が楽しそうに作業するのを見て、私は自分がいると邪魔かな……と思い、そっとその場を離れた。
「おいお前! 火力が強すぎる、焦がす気か! 炭を作るなら他所でやれ!」
「そこ! 玉ねぎは繊維を断つように切れと言っただろ! 飴色になるまで炒めないと甘みが出ない!」
厨房の中心では、ユンジンが腕まくりをして怒号を飛ばしていた。
的確だが厳しい指示。
もう「オカン」ではない。「鬼軍曹」だ。
うわぁ……仕事モードだ。近づくと火傷しそう。
私は乾いた笑いを浮かべて、ユンジンのテリトリーからも離脱した。
少し離れた場所では、直之が一人で別の大鍋を担当していた。
ボォォォォ! とフライパンから巨大な炎を上げ(フランベ)、高い位置からワインを注いでいる。
直之、張り切ってるなー……。どこぞのオリーブオイル使いかよ。
人混みから離れた、静かな流し台。
そこで、凪が一人で野菜を洗っていた。
「あ、凪……手伝おうか?」
私が声をかけると、彼が振り返った。
サングラスを外し、ニヤリと妖艶な笑みを向けてくる。
「やっと来てくれた」
その声色にドキッとする。
「早速お手伝いお願いします」と促され、私は彼の隣に立った。
二人で並んでトマトを洗う。
冷たい水。彼の綺麗な指先。
私は緊張して、手元がおぼつかなくなる。
ギュッ。
「あッ……」
力を入れすぎて、熟したトマトを少し潰してしまった。
赤い果汁が手に滴る。
「あーあ。トマトは優しく掴んで洗わないと、ダメだよ?」
凪が、零れるトマトの汁を自分の手のひらで受けるように包み込んだ。
距離が近い。海の匂いと、凪の匂いが混ざる。
「このトマト、もう使えないな。……一緒に食べちゃおうか」
彼は潰れたトマトを半分に割り、その一片を私の口元へ持ってきた。
「あーん。……どうですか?」
「え、あっ……」
みんな見てるのに!
躊躇う私を見て、凪が目を細めた。
まるで捨てられた子犬のような、計算高い上目遣い。
「もしかして、俺からだから嫌とか?」
「そ、そんなことないから!」
「じゃあ食べてよ」
逃げ場のないツッコミ。
私は観念して、凪の指先ごとトマトを口に含んだ。
甘酸っぱい味が広がる。
……心臓に悪い。
「……ッ」
その様子を、鍋の番をしていたユンジンが目撃していた。
ほら、やっぱり誰か見てた。
彼はムッと唇を尖らせ、イライラした様子で大声を上げた。
「マリコ! こっちに来て鍋を混ぜてくれ! 手が離せないんだ!」
「あ、はい!」
私は慌てて返事をした。
凪は「ちぇっ」という顔をしつつ、ひらひらと手を振った。
「バイバーイ」
調理台の端。
ブロック肉を小さく切り分けていたアカネさんが、ふと顔を上げた。
彼女は、3人の男たちに囲まれてあたふたする私をじっと見ていた。
その表情は、聖母のように穏やかで、楽しそうだった。
「一条さん、すごく楽しそう。ふふっ」
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:料理下手(食べる専門)
現在のステータス
・魅力:A(トマト汁も滴るイイ女?)
・家事スキル:G(トマト破壊神)
新規獲得アイテム
・【凪の間接キス】:トマト味。甘酸っぱい初恋の味?
・【鬼軍曹の指示】:愛のムチかしら。
【明菜の分析ログ】
料理は性格が出るわねぇ。
破壊する男、管理する男、つまみ食いする男。
アンタは……そうね、「料理される素材」ってところかしら?
煮込まれるか、焼かれるか、それとも生で食べられるか。
お好きな調理法を選びなさいな♡




