第三十七記録【上陸:九条アイランド】
四月二十八日、日曜日。
青い空。青い海。
そして、視界を埋め尽くすほどの、むさ苦しい男たち。
「うおおおおおお!! 海だああああ!!」
「社員旅行最高ーーッ!!」
野太い歓声が、潮風に乗って響き渡る。
瀬戸内海を優雅に航行する巨大豪華客船『クイーン・クジョウⅡ世』。
そのデッキは今、九条グローバルの全社員、約五千人の熱気で蒸し風呂状態になっていた。
「無理。マジ無理」
私はVIPエリアの手すりにぐったりと持たれかかっていた。
つばの広い麦わら帽子を目深に被り、淡いミントグリーンのマキシ丈ワンピースに身を包んでいる。
一見すれば優雅なリゾート令嬢だが、中身は今にもリバースしそうな瀕死のモルモットだ。
人多すぎ。酸素薄い。これなんていう護送船?
視界の端にあるHPバーが、危険信号の赤色で点滅しているのが見える。
『あら〜♡ まさに現代のノアの方舟ね』
船首の先端で、タイタニックのヒロインのように両手を広げている明菜が、ケラケラと笑った。
『ただし乗ってるのは動物じゃなくて、汗臭い社畜たちだけど』
「酔う……男の匂いで酔う……」
『ニーチェは言ったわ。「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」……アンタ、今まさに男社会という深淵に飲み込まれそうよ?』
「覗かないで……帰りたい……」
私はよろめきながら、人混みを避けるように船尾の方へと逃げ出した。
少し離れた、静かなデッキの陰。
そこには、私と同じように社会の荒波に負けた敗残兵がいた。
ベンチの上で、一人の女性が小さくなって震えている。
地味なベージュのカーディガンに、赤茶色のセミロングヘア。海風に吹かれて少しボサボサになっている。
「うぅ……」
彼女は口元を押さえ、今にも吐きそうだった。
ひぃ! リアル女!?
私はビクッとした。
男だらけのこの会社で、女性社員に遭遇するのはレアキャラに出会うより確率が低い。
どうする? 声をかける? それとも見なかったことにして逃げる?
ピコン。
私の視界に、お馴染みのウィンドウが開いた。
【スキル・選択肢シミュレート発動!】
▶ A:見なかったことにして立ち去る
成功率:80% / 罪悪感:特大
▶ B:遠くから念を送る
成功率:0% / 効果:なし
▶ C:アイテム【ミネラルウォーター】を渡す
成功率:50% / 好感度アップの可能性あり
Cだ。Cしかないでしょ。
同じ人酔い仲間を見捨てるなんて、ギルマスの名折れだ。
私は意を決して近づき、持っていたペットボトルを差し出した。
「あの、大丈夫ですか? ……これ、未開封なんで」
女性がビクッと肩を揺らし、恐る恐る顔を上げた。
顔色は悪いけれど、どこか儚げで、守ってあげたくなるような顔立ちをしている。
「あ、ありがとう……ございます……」
彼女は震える手で水を受け取り、一口飲んだ。
ふぅ、と小さく息を吐く。
「すみません、人酔いしちゃって……。私、広報部の緋色アカネと言います」
「私は、特別監査室の一条です」
「知ってます」
アカネさんは、弱々しく微笑んだ。
「一条さん、有名だから。……すごく綺麗で、お姫様みたいで……私なんかと住む世界が違うなって……」
卑屈な言葉だけど、そこに嫌味な響きはない。
純粋な憧れのような、キラキラした瞳で見つめられた。
「そんなことないですよ! 私も人混み苦手で……今も逃げてきたところで」
「え、本当ですか? ……ふふ、なんか、嬉しいな。一条さんみたいな素敵な人と、同じ気持ちなんて」
……っ!
ズキュン。
私の胸の奥で、何かが射抜かれる音がした。
可愛い……! いい子だ……! この会社にこんな普通の感覚の子がいたなんて!
『あら、随分と地味な子ね。ま、アンタにはお似合いかも』
明菜がふわりと降りてきて、興味なさそうに言った。
私は心の中でガッツポーズをした。
初めての社内の友達ゲットだ。これはSSR確定演出かもしれない。
「島が見えてきたぞー!」
誰かの叫び声とともに、船が大きく揺れた。
窓の外には、緑豊かな島が迫っている。
九条アイランド。パパがポケットマネーで買った、社員のための楽園(監獄)だ。
船が接岸し、タラップが降りる。
社員たちが雪崩のように島へ上陸していく。
私はアカネさんと一緒に、最後尾からゆっくりと降りた。
「一条さん、一緒に行動してもいいですか? 私、知り合い少なくて……」
「もちろん! 私も一人だと不安だし……」
むしろ盾になって! 男除けの結界になって!
桟橋の先端。島への入り口。
そこには、異様なオーラを放つ一団が待ち構えていた。
一般社員のむさ苦しさとは一線を画す、洗練されたビジュアル。
まるで映画のポスターか、乙女ゲーのパッケージイラストのような構図で、5人の男たちが並んでいる。
私の視界が、勝手にスローモーションになる。
まず、右端。
大山田大樹。
蛍光オレンジのタンクトップから覗く、鋼鉄のような上腕二頭筋。太陽の光を浴びてテカテカに光っている。
エッッッロ……! なにあれ、筋肉の展示会?
その隣。
雨宮凪。
素肌に直接羽織った白いリネンシャツが、海風にはだけている。チラチラと見える鎖骨と腹筋のライン。サングラスを少しずらして、私にウインクを飛ばしてきた。
あざとい! でもエロい! 21の特権をフル活用してる!
中央。
ソ・ユンジン。
全身黒のラッシュガードで完全防備だが、ピッチリとした素材が身体のラインを容赦なく拾っている。腕組みをして仁王立ちする姿は、K-POPアイドルのグラビアそのものだ。
隠してるのにエロいってどういうこと!? 逆に想像力を掻き立てられるんですけど!
左隣。
剣崎恭弥。
なぜか「サメ柄」のアロハシャツを着ている。タブレットを見ながら「気温23度、湿度60%。完璧な環境だ」とブツブツ言っているが、その顔は無駄に整っていて色気がダダ漏れだ。
変人なのに顔がいい! 黙ってれば最高の素材なのに!
最後、左端。
桐生レオ。
紫色のシルクシャツを風になびかせ、シャツのボタンはほぼ全開で、白い胸板が眩しい。
フェロモンの過剰供給! 王子様通り越してホストクラブのNo.1じゃん!
私がタラップを降りた、その瞬間。
5人の視線が、一斉に私とアカネさんに向けられた。
視線が交錯し、火花が散る音が聞こえた気がした。
獲物を見つけた、飢えた肉食獣の目だ。
「おっ! 茉莉子ちゃん! そのワンピ、すげー似合ってる!」
大樹が一番に大声を上げた。
「遅いですよ、茉莉子さん。……待ちくたびれちゃった」
凪が甘えるように唇を尖らせる。
「日焼け対策したか? 紫外線なめんなよ」
ユンジンが呆れたように溜息をつき、私の露出した肌を厳しい目つきでチェックした。
「待っていたぞ、まーちゃん。……その服の素材は通気性が良さそうだな」
恭弥さんが眼鏡を光らせてニヤリと笑う。
「やぁ、僕のシンデレラ。……海も君の美しさには敵わないね」
レオ様がキザなセリフを吐きながら、グラスを掲げる。
「……っ」
私は一歩後ずさった。
待って、圧がすごい。画面の情報量が多い。処理落ちする。
隣のアカネさんが、小さく息を呑む気配がした。
「す、すごい……九条グローバルのトップエリートたちが……全員、一条さんを見てる……」
『アーハッハッハ!』
明菜が高笑いしながら、5人の頭上を飛び回った。
『さぁ、地獄のバカンスへようこそ! 逃げ場のない孤島で、たっぷりと可愛がってもらいなさい♡』
私は帽子を目深に被り、心の中で絶叫した。
帰りたい……!!
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(リゾートVer.)
・職業:獲物(肉食獣に囲まれ中)
現在のステータス
・魅力:S(清楚なワンピの下はビキニ……まだ秘密よ♡)
・メンタル:E(男酔いでグロッキー)
新規獲得アイテム
・【初めての女友達】:緋色アカネ。地味で大人しそうな子ね。
・【5人の水着姿】:眼福だけど、カロリーが高すぎるわ。
【明菜の分析ログ】
あらあら、すごいお出迎え。
乙女ゲーのオープニングムービーみたいじゃない?
でも気をつけて。ここは楽園じゃなくて、欲望渦巻く無人島。
そして、この女友達……ただのモブキャラかしらね?
私の直感が言ってるわ。
「嵐」は海からじゃなくて、背後から来るかもしれないって。
ふふっ、面白くなってきたわね♡




