第三十六記録【干物女の休日】
四月二十七日、土曜日。
遮光カーテンの隙間から、遠慮がちな朝陽が差し込んでいる。
私はキングサイズのベッドの上で、モゾモゾと芋虫のように蠢いた。
「……んあぁ」
重たい瞼をこじ開け、サイドテーブルのスマホを掴む。
画面に表示された数字は『10:00』。
「勝った」
私は天井に向かって拳を突き上げた。
目覚ましのアラームも、直之のモーニングコールもない。
社会という名の監獄に、私は勝利したのだ。
「休み、さいくぅぅぅぅ……!」
布団を蹴飛ばし、奇声を上げて起き上がる。
鏡に映った自分は、ひどい有様だった。
髪は鳥の巣のように爆発し、よれよれのジャージには謎の毛玉がついている。
「さてと。昨日は『風呂キャン』したし、入るか」
昨夜は開放感のあまり、化粧も落とさず気絶するように寝てしまった。
お嬢様にあるまじき失態だが、誰も見ていないからセーフ。
大理石のジャグジー風呂には、もこもこの泡が浮かんでいる。
「んー、んんー♪」
私は湯船に肩まで浸かりながら、電動歯ブラシを口に突っ込んでいた。
泡風呂で歯磨き。これぞ効率化の極み。
『あら〜、優雅ねぇ』
湯気の向こうから、呆れたような声が降ってきた。
バスタオルを頭に巻いた明菜が、湯船の向かい側にぷかぷかと浮かんでいる。
『泡風呂に歯ブラシって、新しい前衛芸術かしら? 品性のかけらもないわね』
「んー(泡だらけ)」
私は構わず歯を磨き続け、最後に口をゆすぐと、手元の洗面器にガラガラペッとした。
「カッカッカッ! いーのいーの、休みなんだから!」
下品な笑い声が浴室に響く。
あー、サッパリした。
『ほんと、アンタがお金持ちの家に生まれてなかったら、完全に詰みだったわね。社会不適合者にも程があるわ』
明菜がやれやれと首を振る。
「才能よ、才能。運も実力のうち!」
私は鼻歌混じりに、バスタオルを引っ掴んだ。
自室にてゲーミング要塞。
風呂上がりの私は、すっぴんにメガネ、そして愛用の中学時代の芋ジャージという「完全武装」でPCデスクに座っていた。
目の前にはトリプルモニター。
ログイン完了。
MMORPG『モンスター・ハンティング・オンライン』の世界へ。
チャット欄が爆速で流れる。
【ギルマス降臨!】
【うおおお! ネギ姉さんキター!】
【今季のギルド対抗戦、また1位っすね!】
【イン率減ったのに火力落ちてないの流石すぎます神!】
画面の中の私が、巨大なモンスターを一撃で粉砕する。
圧倒的火力。絶対的支配。
「ふふん、当たり前でしょー!」
私はふんぞり返り、人差し指と中指の間に、チタン製の重みのあるカードを挟んでヒラヒラさせた。
ブラックカード。
「このイベントのために、昨日の夜だけで500万溶かしてやったわ!」
500万円。高級車が一台買える。あるいは、一般的なサラリーマンの年収だ。それを一晩で電子の海に沈める……これぞ、九条家の遊び!
「新キャラも新武器も、全部完凸済みよ! 指紋がなくなるまでガチャ回した甲斐があったわ! オッーホッホッホ!!」
高笑いが部屋に虚しく響き渡る。
明菜が背後からモニターを覗き込み、もはや哀れむような目で私を見た。
『アンタさぁ……。先週あんなにイケメンたちとイチャついて、大人の階段登ったかと思ったら、このザマ?』
彼女は芝居がかった仕草で、天井を仰いだ。
『ナポレオンは言ったわ』
スポットライトのような光が彼女を照らす。
『「勝利は、もっとも忍耐強い者にもたらされる」……でも、アンタの場合は「もっとも金を燃やした者」ね。ある意味、潔いわ』
「これも必要な投資なの〜 現実は課金できないクソゲーだけど、こっちは裏切らないんだから!」
私はポテチを口に放り込みながらキーボードを叩いた。
「演技して、媚び売って……これが私の本来の姿!ほら、そこの雑魚モブどきなさい! 500万の火力がお通りよ〜ん!」
コン、コン。
ガチャリ。
「お嬢様、ランチのご用意が整いました」
直之が銀色のワゴンを押して入ってきた。
部屋に漂うポテチ臭にも眉一つ動かさず、テキパキとPCデスクの横に料理を並べていく。
ローストビーフ、トリュフのパスタ、色とりどりのオードブル。
一人分とは思えない豪華さだ。
「ん、ありがと直之」
私はゲームをオートモードに切り替え、フォークを手に取った。
向かいでは明菜も座り、食事を始めている。
「そうだ……」
私はスマホを取り出し、並べられた豪華な料理をパシャリと撮影した。
送信先:【ユンジン】。
メッセージ:『今日のランチ〜 炭水化物も食べたよ』
送信。
一秒後、既読がついた。
ピロン♪
ユンジン:『……こっちはコンビニのおにぎりだ。九条家の飯を見てると、自分が虚しくなるからもう送ってくるな』
最後に、涙を流しているウサギのスタンプが送られてきた。
「クックック……! 効いてる効いてる!」
私は性悪な笑みを浮かべ、さらにデザートのフォンダンショコラの写真も追撃で送った。
『ほんっと、嫌な女ねぇー』
明菜がパスタを巻きながら呆れている。
「嫌な女で結構! コケコッコー!」
意味不明なテンションで返し、私は再びゲームの世界へ没入した。
午後三時。
満腹感とゲームの疲れで、強烈な睡魔が襲ってきた。
「あー……休み最高……」
私はゾンビのような足取りでベッドへ向かい、ダイブした。
瞬時に意識が飛ぶ。
……。
…………。
「……う……ま、お嬢様……」
「……んぁ?」
直之の声で目が覚めた。
窓の外はすでに茜色に染まっている。
「ご飯?」
私が寝ぼけ眼で聞くと、直之がサングラスの下からハンカチを取り出し、目頭を押さえていた。
「はい……ディナーのお時間です。先ほど、お部屋の外まで特大のいびきが聞こえてまいりました……」
「えっ」
「普段、どれほどお疲れなのかと思うと……この直之、胸が張り裂けそうでございます……うぅッ(号泣)」
そんぐらいで泣くなよ……。
私は長い階段を降りダイニングルームへ。
長いテーブルにはキャンドルが灯され、メインディッシュの最高級A5ランク・サーロインステーキが鎮座している。
その向こうで、パパ――九条壮一郎が上機嫌でナイフを動かしていた。
「まりちゃ〜ん♡ 今日はゆっくり休めたかい? 目の下のクマも消えて、お肌ツヤツヤだねぇ〜」
「うん、おかげさまで。パパも、今週もお仕事お疲れ様」
私が言うと、パパの手がピタリと止まった。
「!! まりちゃんに労ってもらえるなんて……パパ、明日死ぬのかな!? 神様、ありがとう!」
「死なないでよ。このお肉、美味しいね」
私はステーキを頬張りながら、少しだけ頬を緩めた。
昔はパパと食事するのも億劫だったけど……仕事始めてから、こういう時間も悪くないって思えるようになったなー。私も少しは大人になったのかもね。
穏やかな時間。
美味しい食事。
これぞ、平穏な休日。
「そうそう!」
食後のビールを飲みながら、パパがニッコニコで切り出した。
「まりちゃんにビッグニュースがあるんだよぉ〜!」
「え、なに? お小遣いアップ?」
パパはジョッキの口を愛おしそうに撫で回しながら、頬を赤らめて叫んだ。
「今年から! 九条グローバルのゴールデンウィークは! 全社員で社員旅行だよぉぉぉぉ〜〜〜ッ!!」
「ぶっ」
私はジュースを吹き出しそうになった。
「え? 全社員? 五千人?」
「うん、そうだよーん!! 行き先はね……瀬戸内海の島を丸ごと貸し切りだ〜い☆」
ガンッ!!!
鈍い音が響いた。
私は絶望のあまり、勢いよくテーブルに額を打ち付けていた。
「は?」
「もちろん、まりちゃんも強制参加だよ♡ だって特別監査室長だもんねぇ〜」
「いやいやいや! なんで休みの日まで会社の人と!」
「もう手配しちゃったもんね〜。明日出発だよぉ〜」
「明日!?」
私はガバッと顔を上げ、ダイニングに響き渡る声で絶叫した。
「なんでやねーーーーーん!!!」
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(干物Ver.)
・職業:ギルマス(明日から遭難者)
現在のステータス
・メンタル:MP全回復 → 直後にHPゼロへ急降下
・財布:500万のダメージ(ノーダメージ)
新規獲得アイテム
・【完凸した最強アカウント】:500万円の輝き。
・【社員旅行のしおり】:地獄への片道切符。
【明菜の分析ログ】
30万じゃなくて500万……!?
アンタ、本当に金銭感覚どうなってんの?
「金は命より重い」って言うけど、アンタにとっては「金は弾薬」なのね。
さぁ、その弾薬が通用しない孤島でのサバイバル。
イケメン5人に囲まれて、逃げ場のないGW。
楽しい休みになりそうね♡




