表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
令嬢ゲーマー、婿活はじめます  作者: ベルガ・モルザ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/47

第三十四記録【HOT.Danger】



 四月二十二日、月曜日。午前七時半。

 

 ピピピピ、ピピピピ……。


 目覚ましのアラームを止めた瞬間、頭がズンと重いことに気づいた。


「……んぅ」


 起き上がろうとして、体が鉛のように重いのを感じる。

 喉が少し渇いているし、顔も火照っている気がする。


 私は眠い目のままサイドテーブルの体温計を手に取り、脇に挟んだ。


 嫌な予感がする。

 

 数十秒後。電子音が鳴る。


 『37.2℃』


 「微熱?」


 微妙な数字だ。平熱より少し高いけれど、動けないほどじゃない。

 私はベッドに倒れ込み、天井を仰いだ。


 「あー……これ絶対、先週の変態博士のせいだ」


 金曜日の夕方。剣崎恭弥との視聴覚室での出来事がフラッシュバックする。

 あんな濃厚で、酸素奪われるようなことされたら、知恵熱も出るっての。


 週末ずっとドキドキして気が張ってたから、その反動が来たのかもしれない。


 『あら〜♡ 愛の熱病かしら? ロマンチックねぇ』


 天井から、紫色のネグリジェを着た悪魔――明菜が逆さまに顔を出した。


 違うって。ただのオーバーヒート。


 私はのろのろと起き上がり、引き出しから市販の風邪薬を取り出した。

 水で流し込む。


 「ふぅ、行くか」


 「あら、休まないの?」


 「これくらいで休んでたら、有給なくなっちゃうし」


 私は鏡の前で身支度を整えながら、ふと自嘲気味に笑った。


 私、ほんとに偉くなったもんだ……。


 1ヶ月前までの私なら、爪の先が痛いだけでも「今日は無理!」って布団に潜り込んで、一日中ゲームをしていたはずだ。

 それが、微熱くらいで出社しようとしてるなんて。


 「あのニートから、風邪っぽくても出社するなんて……もう完全な社畜の仲間入りだな」


 私がドヤ顔で呟くと、明菜がバサッと派手な羽扇子を広げ、優雅に扇ぎ始めた。


 『はいはい。社畜自慢もいいけど、プロの社畜ならもっと会社の身になるような仕事しなさいよ? 雑用ばっかりじゃなくてさ』


 うっさい! 今から行って稼ぐの!

 好感度という名の大事な大事なステータスを。


 私はカバンを掴み、熱っぽい頭を振って部屋を出た。

 

 

 本社十五階・経営戦略室。


 そこは、これまでの部署とは明らかに空気が違っていた。

 静かだが、張り詰めた緊張感。


 パソコンの冷却ファンの音と、キーボードを叩く高速の打鍵音だけが響いている。

 壁一面のホワイトボードには、複雑な戦略図やグラフがびっしりと書き込まれていた。


 その中心にあるデスクで、一人の男が電話をしていた。


 「Yes, I understand regarding the timeline... ネ、アラッスムニダ(はい、わかりました)。資料は午後までに送ります」


 英語と韓国語、そして日本語を流暢に使い分ける、切れ長の目の美青年。


 ソ・ユンジン。


 九条グローバルの頭脳と呼ばれる、敏腕コンサルタントだ。

 彼は電話を切ると、入り口に立っていた私に気づいた。


 「お、来たな」


 彼は立ち上がることなく、手招きをした。

 細身のスーツに、銀色のネクタイピンが光る。


 「おはようございます、ユンジンさん」


 「おはよう。……悪いが、挨拶は短縮だ。見ての通り、猫の手も借りたいくらい忙しい」


 彼はデスクの横に積まれた、山のようなダンボール箱を指差した。

 三箱ある。中身は全部、紙のファイルだ。


 「そこにある過去のプロジェクト資料、全部カテゴリ別にファイリングしてサーバーにスキャン登録してくれ。……期限は、今日の昼までだ」


 「えっ、これ全部!?」


 私は目を剥いた。

 ざっと見ても数百冊はある。これを午前中だけで?


 「無理か?」


 彼はパソコンの画面から目を離さずに聞いた。

 試すような響きはない。ただ純粋に、リソースの確認をしているだけだ。


 「やります。猫の手よりはマシなところ、見せてやる」


 私は腕まくりをして、資料の山に取り掛かった。


 バサッ、バサッ、ピピっ。


 ファイリングとスキャンを繰り返す単純作業。

 頭を使う必要はないけれど、今の熱っぽい体には地味に堪える。


 ふぅ……暑い……。


 オフィスの空調は効いているはずなのに、背中にじわりと汗が滲む。

 薬が効いてきているのか、それとも熱が上がっているのか。


 私は手を動かしながら、横目でユンジンの仕事ぶりを盗み見た。


 「……ここ。数字が合ってない」


 彼は部下が持ってきた資料を一瞥しただけで突き返した。


 「あっ、すみません!」


 「前年比の計算式、セルの参照元がズレてるよ。あと、ここのグラフは見づらいから3Dじゃなくて2Dに直して。結論がブレて見える」


 「は、はい! すぐ直します!」


 「焦らなくていいから、確実にやって。……リカバリーはボクがしておくから」


 厳しい。けれど、的確だ。


 ミスを指摘するだけでなく、具体的な修正指示とフォローまでが一瞬で行われる。

 クライアントとのWeb会議でも、相手の無理難題を論理的に切り返し、いつの間にかこちらのペースに持ち込んでいる。


 すごいな。


 悔しいけど、カッコいい。

 これが「デキる男」ってやつか。


 変人科学者とはまた違う、知的な色気がある。


 「マリコ」


 不意に声をかけられ、私はビクッとした。


 「は、はい!」


 見上げると、ユンジンが私のデスクの横に立っていた。

 手には、コンビニの袋を持っている。


 「休憩しろ。根詰めても効率落ちるだけだ」


 彼は私のデスクに、コトンと何かを置いた。

 カカオ70%のチョコバーと、ビタミン配合のゼリー飲料。


 「え、これ……」


 「糖分補給。……顔色、悪いよ」


 彼は私の顔をじっと覗き込んだ。

 切れ長の目が、鋭く観察している。


 「あ、ありがとう……」


 「また朝飯抜いたでしょ?」


 「えっ」


 図星だ。薬を飲むために水しか飲んでいない。


 「お菓子ばっか食べてるから、ここぞって時にスタミナがないんだよ」


 彼は呆れたようにため息をつき、腕を組んだ。


 「いいか? 人間の脳が働くにはブドウ糖が必要なんだ。特に朝は、ちゃんとお米を食べなきゃダメ。炭水化物は太るとか気にしてるのかもしれないけど、代謝を上げる燃料がないと体温も上がらないし、免疫力も落ちるんだよ?」


 いや……気にしてないけど、むしろ朝からウニいくら丼とか食ってるけど……。


 「う、うん……」


 「わかったら、これ飲んで少し休みな。……終わったら声かけて」


 彼はポンと私の頭に手を置くと、自分の席へと戻っていった。


 お母さん、いや姉かよ。

 口うるさい。


 でも、その説教じみた言葉の裏にある気遣いが、弱った体には妙に心地よかった。

 私はゼリー飲料を吸い込んだ。


 冷たい液体が喉を通り、少しだけ体が楽になった気がした。

 ――この時はまだ、そう思っていた。

 

 午後四時。


 資料整理はなんとか終わったが、すぐさま次の仕事が降ってきた。

 明日の会議で使う、大量の資料のコピーと製本だ。


 ウィーン、ガシャン。ウィーン、ガシャン。


 コピー機のリズミカルな音と、排気口から出る生温かい風。

 独特のトナーの匂い。


 「うっ……」


 急に、足元がふわっと浮いたような感覚に襲われた。

 視界がぐらりと揺れる。


 やばい……なんか変。


 コピー機の端に手をついて体を支える。

 頭がガンガンする。さっきまでの「微熱」とは明らかに違う、嫌な熱さだ。


 「マリコ」


 遠くから、ユンジンの声が聞こえた。


 「それ終わったら、裏紙のシュレッダーも頼んでいい? 機密文書だから今日中に処理したいんだ」


 彼の声が、水の中にいるみたいに遠く響く。


 ……まだ、あるんだ。


 断りたい。

 「具合が悪いので帰ります」と言いたい。


 でも、さっき自分で言った言葉が頭をよぎる。


 『猫の手よりはマシなところ、見せてやる』


 ここで倒れたら、ただの足手まといだ。

 口だけ達者な、使えない女だと思われる。


 私は歯を食いしばり、気力を振り絞って返事をした。


 「……はーい。了解です」


 自分でも驚くほど普通の声が出た。

 でも、額から流れる冷や汗は、もう止まらなかった。



【明菜先生の研究メモ】


被験者データ No.002

・氏名:九条茉莉子

・職業:社畜(発熱中)


現在のステータス

・魅力:B(健気さは評価するけど、顔色がゾンビ一歩手前よ)

・メンタル:C(気力だけで立ってる状態。限界突破寸前)


新規獲得アイテム

・【オカンの差し入れ】:チョコバーとビタミンゼリー。愛の説教付き。


【明菜の分析ログ】


 あ〜あ、無理しちゃって。

 「飴と鞭」の使い方が上手いわねぇ、あのコンサルタント様は。


 仕事は鬼のように厳しいけど、ご飯食べたかとか、顔色が悪いとか、そういう細かいところは絶対見逃さない。

 こういう「生活指導」してくる男、嫌いじゃないでしょ?


 でも、無理は禁物よ。

 張り詰めた糸が切れるのは、もうすぐそこ。


 倒れるなら……せめてイイ男の腕の中になさいよ?

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ