第三十一記録【被験体No.002】
四月十九日、金曜日。
「よし。……今日はこれでいくか」
監査室にある縦長のアンティークミラーの前で、私はくるりとポーズを決めた。
今日の装備は、少し攻めたカジュアルスタイルだ。
淡いベビーピンクのクロップド丈ニットからは、おへそがチラリと覗く。
ボトムスはダメージ加工の入ったショートデニム。
足元は白の厚底ダッドスニーカーでボリュームを出して、足の細さを強調してみた。
テーマは『春の陽気に浮かれた大学生』。
動きやすさと、適度な肌見せを両立した戦略的コーデだ。
『あらまぁ〜♡』
ふわり、と鏡の中に紫色のスーツを着た悪魔が現れた。
彼女は手にしたタロットカードを扇子のように広げ、口元を隠してニヤニヤと笑っている。
『まーちゃん、今日のコーデは一段と気合が入ってるわねぇ?』
「その呼び方やめて」
私はジト目で鏡の中の悪魔を睨んだ。
「まーちゃん」。
先週のサメ映画鑑賞会以来、あの変人科学者――剣崎恭弥が私につけた、とんでもなくダサくて、こそばゆいあだ名だ。
『いいじゃない、愛があって。さぁ、行ってらっしゃいな。地下のダンジョンで、マッドサイエンティストが手ぐすね引いて待ってるわよ』
明菜が指先で弾いたカードが、空中でクルクルと回転し、私の目の前で止まる。
【THE CHARIOT(戦車)】。
ただし、絵柄は古代の戦車ではなく、鋼鉄の巨人のように見えた。
「はいはい、行きますよ」
私は大きく深呼吸をして、愛用のリュックを片方の肩に引っ掛けた。
今日は金曜日。
大樹、凪、レオさんとの連戦を経て、今週のラストバトル。
ユンジンは……まぁいいや……
相手は、あの予測不能な変人だ。
地下五階。ロボット開発部、第三格納庫。
重厚な隔壁がプシューッと蒸気を上げて開くと、そこには男のロマンの結晶が鎮座していた。
「デカっ」
私は口をあんぐりと開けて見上げた。
全高約四メートル。
無骨な装甲に覆われた、人型の巨大ロボット。
配線が剥き出しの箇所もあり、いかにも「試作機」といった無骨なフォルムが、逆にリアリティを感じさせる。
「来たか、まーちゃん」
ロボットの足元から、白衣の男が現れた。
剣崎恭弥だ。
今日も銀縁メガネの奥のアイスブルーの瞳を、少年のようにキラキラと輝かせている。
「紹介しよう。我が開発部の英知の結晶、汎用作業用搭乗機『K-09(キング・ナイン)』だ」
彼は愛おしそうにロボットの脚部をバンバンと叩いた。
「どうだ? 感想は」
「……すごいけど、これ、何用? 汎用作業用って言ってるけど、肩についてるのミサイルポッドに見えるんだけど」
「鋭いな、あれは多目的射出装置だ。カラーボールやネットを発射できる。暴徒鎮圧用だな」
「作業用どこ行った」
私がツッコミを入れると、彼はフッと笑い、手元のタブレットを操作した。
「細かいことは気にするな。重要なのは、これが人が乗って動くということだ。……そして今日、キミにはそのテストパイロットになってもらう」
「は? パイロット?」
「そうだ。キミは選ばれたのだよ。これを着たまえ」
恭弥が放り投げてきたのは、真空パックされた銀色の物体だった。
封を開けると、出てきたのは――。
「はぁ!?」
私はそれを広げて絶句した。
光沢のあるエナメル素材。
体のラインにピッチリとフィットしそうな、極薄のボディスーツ。
背中には、なにやら機械的な端子が埋め込まれている。
これ、どう見ても……。
「某・汎用人型決戦兵器のパイロットが着てるやつじゃん! あるいは未来から来た猫型ロボットの国のバトルスーツ!?」
「何を言っている。これは『生体センサー感応式耐Gスーツ』だ」
恭弥は真顔で眼鏡の位置を正した。
「機体との神経接続をスムーズに行うためには、皮膚の露出を避けつつ、筋肉の微細な動きをトレースできる素材でなければならない。これが科学的に導き出された最適解だ」
「絶対趣味でしょ! 私の知ってるロボットアニメは大体こういうの着せられてるけど!?」
「アニメ? バカを言うな。フィクションと科学を混同するな」
彼は心外だと言わんばかりに眉をひそめたが、その視線は私の手元のスーツに釘付けだ。
「早く着替えろ。更衣室はあっちだ。サイズは、目測だが合っているはずだ」
「目測でサイズ特定しないでくれる!?」
十分後。
私は真っ赤な顔で、格納庫に戻ってきた。
「……うぅ、恥ずかしい」
ピチピチだ。
これ以上ないくらい、ピチピチだ。
クロップドニットとショーパンの下に隠されていた私のボディラインが、残酷なまでに露わになっている。
胸の膨らみから、くびれ、お尻のラインまで、まるでラッピングされたハムみたいだ。
カツ、カツ、カツ……。
恭弥の前まで歩いていくと、彼は作業の手を止め、振り返った。
「着替えたよ、変態博士……」
私が恨めしげに言うと、恭弥は言葉を失ったように固まった。
「……」
彼の瞳が、私の全身を上から下へ、そしてまた上へと、ゆっくりとスキャンしていく。
喉仏が、ゴクリと動いたのが見えた。
「どうよ……」
「あ、あぁ……」
彼は慌てて視線を逸らし、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「……理論値通りだ。適合率は高そうだな」
声が上ずっている。
耳が赤い。
こいつ、動揺してやがる……!
その時。
パチンッ。
乾いた音が響いた。
私の視界の端に、明菜が浮かび上がり、空中にウィンドウを表示させた。
『はい、注目〜♡ 博士の今の脳内、覗いてみましょうね〜』
【剣崎恭弥のステータス】
好感度: 計測不能(エラー発生中)
性欲値: 急上昇中(理性の冷却ファンが追いついていません)
弱点: 目の前にいる女(プラ〇スーツ着用Ver.)
……ッ!?
私は心の中で盛大にツッコミを入れた。
私なのかよ!? 弱点……え、私!?
ていうか性欲値ゼロの男じゃなかったの!? 上がってんじゃん!
「よし……乗るぞ」
恭弥は咳払いを一つすると、ロボットの背中にあるタラップを指差した。
まだ耳が赤いまま、彼は私の目を見ようとしない。
プシューッ……ガコン。
ロボットの胸部ハッチが開いた。
タラップを登り、私は中を覗き込んだ。
「狭っ!」
そこは、人一人がやっと座れる程度のスペースしかなかった。
計器類とモニターがひしめき合い、シートは一つしかないように見える。
「これ、一人乗りじゃないの? 恭弥はどうすんの?」
「オレも乗る」
彼は平然と言ってのけた。
「今回の実験は『複座式同調システム(デュアル・シンクロ・システム)』のテストだ。パイロットとナビゲーター、二人の生体リズムを完全に一致させて稼働させる必要がある」
「で? 席は?」
「そこだ」
彼は狭いシートを指差した。
「構造上、シートを二つ並べるスペースは確保できなかった。ゆえに、タンデム方式を採用している」
「タンデムって……バイクじゃないんだから」
文句を言いつつ、私は先にシートに座った。
シートは硬く、座り心地はあまり良くない。
「入るぞ」
恭弥が続いて乗り込んでくる。
「えっ、ちょっ……狭いってば!」
彼は私の背後に体を滑り込ませた。
私の両足の外側に、彼の長い足が伸びる。
そして、彼の胸板が、私の背中にピッタリと押し当てられた。
バックハグ。
それも、逃げ場のない完全密着状態だ。
近い。
首筋に、彼のアゴが触れそうなくらい近い。
耳元で、彼の呼吸音が聞こえる。
「動くな。……ハッチ閉鎖」
ガシュゥゥゥン!
ハッチが閉まり、コックピット内は薄暗くなった。
モニターの青白い光だけが、私たちの顔を照らす。
「これ、設計ミスじゃない?」
私が震える声で抗議すると、恭弥の腕が私の脇の下を通って伸びてきた。
目の前にある操縦桿を握るために。
まるで、私ごと抱きしめるような体勢。
「合理的判断だ。生体電流を共有するには、これが一番効率がいい」
彼の低い声が、骨伝導のように背中から響いてくる。
背中が熱い。
「心拍数が上がっているぞ、まーちゃん」
耳元で囁かれた。
吐息が耳にかかる。
「うるさい……! 閉所恐怖症なの!」
「嘘をつけ。お前のバイタルデータは、恐怖ではなく興奮を示している」
「分析すんな!」
「システム、オールグリーン。……起動する」
恭弥がスイッチを入れると、機体が低く唸りを上げた。
ブゥゥゥゥン……。
足元から伝わる微振動。
「オレの手の動きに合わせろ。キミは力を抜いて、オレに委ねればいい」
彼は私の手を上から包み込むようにして、一緒に操縦桿を握った。
彼の手は大きくて、骨ばっていて。
そして、研究者らしく指先が少し硬い。
「歩行テスト開始」
彼が操縦桿を倒す。
ズシン。
巨体が揺れた。
一歩踏み出した衝撃が、コックピットを揺さぶる。
「うわっ!」
重力がかかり、私の体が後ろに押し付けられる。
つまり、恭弥の胸の中にさらに深く埋まる形になる。
「いいぞ……。出力安定。同調率、良好だ」
恭弥の顎が、私の肩に乗った。
完全にリラックスして、私をクッションにしている。
「ねぇ、重いんだけど」
「我慢しろ。キミの匂い、落ち着くな」
「はぁ!?」
突然のデレ。
いや、これはデレなのか? 単なる変人の感想か?
「シャンプーか? それとも柔軟剤か……化学物質の配合バランスが絶妙だ」
「褒め方が理系すぎて嬉しくない!」
その時だった。
「外部センサーに反応。……障害物回避テストを行う」
恭弥が操縦桿を急激に横に倒した。
ガクンッ!
機体が大きくバランスを崩した。
想定以上の重力がかかる。
「きゃぁっ!?」
私の体が投げ出されそうになる――が、シートベルトと、背後の彼がそれを許さない。
ギュッ!
恭弥が反射的に、操縦桿から手を離し、私の腰に腕を回して強く抱きしめた。
「……ッ!」
機体の揺れが収まるまでの一瞬。
完全にホールドされた私の首筋――うなじのあたりに、柔らかい感触が触れた。
熱くて、湿った感触。
唇?
「あ……」
私が声を漏らすと、恭弥の体がビクッと硬直した。
「すまん。揺れた」
彼の声が、少し掠れている。
抱きしめる腕の力が、緩まない。
「い、今……」
「事故だ。……接触事故だ」
彼は早口で言い訳をしたけれど。
背中越しに伝わってくる彼の心臓の音が、さっきよりも速くなっているのがわかった。
ドクン、ドクン、ドクン。
私の心拍数と、彼の心拍数。
二つのリズムが、狭いコックピットの中で重なり合い、共鳴していく。
「……同調率、計測不能」
恭弥がボソリと呟いた。
「これ以上は……危険だ」
何が危険なのか。
ロボットの暴走か、それとも――彼の理性の決壊か。
薄暗いコックピットの中。
モニターの光に照らされた彼の横顔は、いつもの変人科学者ではなく。
熱を帯びた、一人の男の顔をしていた。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(コードネーム:まーちゃん)
・職業:パイロット(バックハグ要員)
現在のステータス
・魅力:A+(ラバースーツの破壊力は、オタク特攻S級クラス)
・メンタル:C(密着とGと吐息のトリプルコンボで脳内ショート)
新規獲得アイテム
・【K-09のコックピット】:世界一狭くて熱いデートスポット。
・【恭弥のうなじキス(事故?)】:事故に見せかけた故意犯の可能性90%。
【明菜の分析ログ】
「実験」って言葉は便利よねぇ。
どんなセクハラまがいの密着も、「データ収集」と言えば正当化できちゃうんだから。
でも、気をつけて?
彼の「探究心」は、ロボットだけに向いてるわけじゃないわよ。
あの接触で、彼は完全に味を占めたわ。
次は、もっと直接的な「データ」を欲しがるはず。
心の準備……いや、唇の準備をしておきなさい♡




