第三記録【SSRモンスター図鑑作成クエスト】
四月一日、午後。
給湯室からの逃走。
心拍数はBPM180オーバー。
背中には冷や汗。顔はまだ熱い。
私はゾンビ映画の生存者みたいに、人気のない廊下を全力疾走していた。
目指すは五十階の最奥、「特別監査室」。
父が私のために用意した、社内唯一の安全地帯だ。
「はぁ、はぁ……無理……もう限界……」
重厚なセキュリティドアにIDカードを叩きつける。
電子音が鳴り、ロックが解除された。
私は転がり込むようにして中に入った。
そこは、異界だった。
黒一色の「九条グローバル本社」において、この部屋だけ時空が歪んでいる。
壁紙はパステルピンク。床にはフカフカの白い絨毯。
ロココ調のソファに、猫足のテーブル。
部屋の隅には巨大なテディベアが鎮座している。
パパの「女の子の部屋ってこういうのでしょ?」という偏見と愛情が暴走した結果、完成したのがこの「ピンクの要塞」だ。
だが、そのファンシーな空間の中央に、私の本命はある。
黒光りする巨大なゲーミングデスク。
トリプルモニター、七色に発光するゲーミングキーボード、そして水冷式のハイスペックPCタワー。
ミスマッチすぎて脳がバグる光景だけど、ここだけが私のサンクチュアリだ。
「ふぅ……やっと落ち着け――」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ひゃああっ!?」
誰もいないはずの部屋から、野太いバリトンボイスが響いた。
私はその場で垂直に飛び上がった。
見れば、ファンシーなティーテーブルの横に、黒い岩山のような巨体が立っていた。
スキンヘッドにサングラス。身長190センチの巨漢。
私の執事、直之だ。
その厳つい手には、不釣り合いに繊細なティーポットが握られている。
「な、直之!? なんでいるの! ここ会社だよ!?」
直之はサングラスを煌めかせ、恭しく一礼した。
「わたしは執事ですから。旦那様より『会社でもお嬢様を全力で支えろ(意訳:悪い虫がつかないよう監視しろ)』との勅命を受けました。今日から私もここに常駐させていただきます」
「……は?」
「アールグレイが入っております。温度は完璧な95度です」
湯気の立つカップが差し出される。
私は脱力し、膝から崩れ落ちそうになった。
「わかった。もう驚く気力もない……HPゼロだし」
私はロココ調のソファに死体のように倒れ込んだ。
直之が淹れた紅茶をすする。美味しい。悔しいけど五臓六腑に染み渡る。
「はぁ……マジ無理。さっきの秘書、距離感バグりすぎでしょ。あんなのがウロウロしてるマップとか無理ゲーだって」
思い出すだけで鳥肌が立つ。
至近距離のイケメン。無自覚なボディタッチ。
あんなの、対人恐怖症持ちには致死量の毒ダメージだ。
『バカねぇ』
呆れたような声がして、デスクの上に誰かが座った。
紫のスーツ、黒の網タイツ。明菜。
彼女は足を組み、私のトリプルモニターを指先でなぞった。
『あの子はあくまでチュートリアルのスライムよ。確かに「人懐っこい」っていう特殊スキル持ちだけど、このダンジョンにはもっとヤバいネームドキャラがいるはずでしょ』
ネームド……?
『そう。モブ五千人をシラミ潰しにするなんて非効率よ。まずはこの会社のエリートをピンポイントで偵察しに行くの。孫子も言ってたでしょ? 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ってね』
……やだ。
私は即答して、ソファのクッションに顔を埋めた。
今日はもうここでログボ受け取って帰る。Youtubo見てダラダラするの。
『……ほぉ?』
空気が凍る。
顔を上げると、明菜が虚空から巨大なロングボウを取り出していた。
そして、ギリギリと弦を引き絞り、矢じりを私のおでこに向けている。
えっ、ちょ、待っ……!
『甘いわよ! ほら、リハビリがてらマップ開放に行きなさい! さっさと行かないと、パパに「初日からサボってYoutubo見てました」ってチクるわよ?』
卑怯! 悪魔! 鬼!
『オッホーホッホ! なんとでも言いなさい。さあ、行くわよ。クエストスタート♡』
放たれた矢が私の眉間を貫通すると共に、私は強制的に立ち上がらされた。
……行けばいいんでしょ、行けば。
クソ運営め。
私は直之から渡された「幹部候補リスト(写真付き)」を手に、地獄の社内ツアーへと足を踏み出した。
地下二階・研究開発エリア
ここは空気が違う。
機械油と焦げた回路の匂い。そして静電気で髪が逆立ちそうな緊張感。
私は「立ち入り禁止」のテープが貼られたガラス張りのラボを、物陰からそっと覗き込んだ。
「……うわぁ」
中では、地獄絵図が展開されていた。
ホワイトボードの前で、白衣を着た男が叫んでいる。
切れ長の目に銀縁メガネ。整った顔立ちなのに、表情は鬼気迫る。
「遅い! 計算が遅い! オレの思考速度に追いつけと言ったはずだ! この程度の演算、AIの方がまだマシな回答を出すぞ! お前らの脳みそは飾りか!?」
バンッ! とホワイトボードを叩く音。
周りの研究員たちが怯えた小動物みたいに震え上がっている。
「うっわ……絵に描いたようなパワハラ会議……」
私はドン引きした。
剣崎 恭弥29歳。ロボット開発部長。
「IQ高そうだけど、性格に難ありすぎでしょ。関わったらMP全部持ってかれる」
明菜が私の肩越しにラボを覗き込み、空中にカードを表示させた。
『剣の王……逆位置ね……切れ味鋭すぎて、触るもの皆傷つけるタイプよ。インテリヤクザならぬ、インテリマッドサイエンティスト。論理で殴ってくるから、アンタみたいな感情論者は瞬殺されるわね』
その時。
視線を感じたのか、剣崎がバッとこちらを振り返った。
ガラス越しに、冷ややかな視線が突き刺さる。
「ヒッ!」
私は即座にUターンし、脱兎のごとく逃げ出した。
一階・ロビー横のカフェスペース
さっきの地下とは打って変わって、華やかな「陽」の気に満ちていた。
「キャーッ♡」「すごーい!」
黄色い歓声の中心に、その男はいた。
金髪に透き通るようなヘーゼルの瞳。
少女漫画の背景効果を背負っているかのようにキラキラしている。
桐生レオ。26歳。マーケティング部のエース。
「いやいや、君の企画が素晴らしかったからだよ。僕も鼻が高いな」
完璧な笑顔。白い歯がキラーン。
私は柱の陰からジト目で観察する。
「うわ、顔面つんよ! ハーフの破壊力すさまじいな……」
でも私は知っている。
ああいう「クラスカースト最上位」の陽キャこそ、裏の顔が怖い。
「絶対、あの笑顔の裏で『あー、めんどくせぇブスども』とか思ってるタイプだって。関わりたくないNo.1だわ」
明菜がカードをめくる。
『杯の騎士……ロマンチストで女性の扱いはお手の物。でもね、その聖杯の中身が毒か薬かは飲んでみるまで分からないわよ。ああいう男は、笑顔という最強の鎧を着てるの』
……やっぱり怖い。パス。
本社裏手・資材搬入口
「オーライ! オーライ!」
巨大なトラックから資材が運び込まれている。
そこで私は、信じられない光景を目撃した。
「ふんっ!!」
一人の男が、フォークリフトで運ぶようなH鋼を、生身で担ぎ上げていた。
大山田 大樹24歳。現場統括リーダー。
「……ゴリラ? いや、人間? 重機いらなくない?」
私は呆然。
「あの人と喧嘩したら、ワンパンでリスポーン地点送りだろ。物理攻撃力カンストしてそう」
明菜が笑いながらカードを回す。
『棒の王ね……エネルギーの塊よ。情熱的でリーダーシップもある。……ま、脳みそまで筋肉の可能性もあるけど。単純な分、一番扱いやすいかも?』
扱いやすい……?
いや、握手しただけで手が折れる。
役員フロア・長い廊下
最悪の遭遇。
カツ、カツ、と規則正しい足音。
仕立ての良い細身のスーツ。
切れ長の目元のアジア系美青年。
ソ・ユンジン。23歳。同い年。
「だから、そのロジックは破綻してるって言ってるんですよ。数字見てます? ボクの時間はタダじゃないんです。結論だけ持ってきてください」
絶対零度の声。
電話の相手、今頃心停止してる。
すれ違いざま、ふとこちらを見る。
「……」
無言。
ただの一瞥。
路傍の石を見るような目。
「ヒッ……! 怖っ! 目が合っただけで石化しそう……」
私は壁にへばりつき、その場にへたり込んだ。
明菜がカードを出す。
『金貨の騎士……実利主義の塊ね。彼にとって人間は「有益」か「無益」かの二択。攻略には圧倒的なメリット提示が必須……難易度高そうね』
特別監査室・帰還
私は死んだようにソファへ沈んだ。
直之が新しい紅茶を出してくれたけど、飲む気力もない。
……ねえ明菜。なんか、ヤバそうなのしかいなかったんだけど。この会社、魔境すぎない?
まともな人間がいない。
全員、何かしらのパラメータが振り切れてる。
明菜はニヤリと笑い、空中に五枚のカードを並べた。
『いいじゃない。剣崎、レオ、大山田、ユンジン……そしてさっきの無自覚ワンコ』
『アタシが見る限り、この五人がこのダンジョンの五大ボスね。アンタの婿候補は、この中から選ぶのが最短ルートよ』
私は天井を見上げた。
マジで? 全員、攻略難易度ルナティックなんだけど。課金アイテムでスキップできない? 難易度イージーに変更できない?
『文句言わない。さあ、クエスト開始よ』
明菜が私の頬をツンとつつく。
『まずは誰から攻略(味見)する? 楽しみねえ、ポンコツ勇者ちゃん』
私は悟った。
これはクソゲーじゃない。
運営と開発(明菜)が悪ノリで作った、クリア不可能な死にゲーだ。
こうして、私の「SSRモンスター図鑑」は埋まった。
あとは、こいつらに食い殺されないように生き延びるだけだ。
……いや、無理だってばよ。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:一条茉莉子)
・職業:特別監査室 室長(という名の引きこもり)
現在のステータス
・魅力:B-(疲労で化粧崩れ気味)
・メンタル:D(エリートたちの威圧感で摩耗)
新規発見スキル
・【逃げ足】:危機を感じると通常の3倍の速度で撤退できる。
・【敵対的モブ認定】:イケメン=敵とみなす悲しい防衛本能。
【明菜の分析ログ】
今回のスカウティング、ご苦労さん。
「事実は小説より奇なり」って言うけど、この会社の社員図鑑はファンタジー小説よりカオスね。
どいつもこいつも一癖も二癖もある連中ばっかり。
これからアンタには、この猛獣たちの檻に飛び込んでもらうから覚悟しときなさい♡
※作中のタロットカード・偉人の名言について
本作に登場するタロットカードの解釈や偉人の言葉は、作者なりに調べて執筆しておりますが、明菜先生の独自解釈(かなり自由奔放)や物語上の演出が多分に含まれています。
「ナポレオンはそんなこと言ってない」「そのカードの意味、ちょっと違う」と思われた方……正解です。明菜先生が勝手にアレンジしてます。
厳密な歴史書や占い指南書ではなく、エンターテインメントとして楽しんでいただければ幸いです!




