第二十三記録【君は僕のオモチャ】
シンデレラ?
どういう意味?
まさか、バレた?
私が「一般社員」のふりをしている、「社長令嬢」だということに?
全身から冷や汗が吹き出す。
逃げたい。でも、彼の腕は檻のように私を閉じ込めていて、ピクリとも動かない。
「……な、なんのことですか?」
精一杯の愛想笑いを貼り付けて、しらばっくれようとする。
しかし、レオさんはクスクスと笑った。
その目は、全く笑っていない。まるで顕微鏡で微生物を観察するような、冷徹な分析の目だ。
「とぼけなくていいよ。僕にはわかってるんだ」
彼は歌うように続けた。
「凪、大樹、ユンジン、恭弥……。君、あの個性的な4人を同時に手玉に取ってるでしょ?」
「は……?」
予想外の名前が出てきて、私は思考停止した。
「凪の母性本能をくすぐり、大樹の単純な熱意を利用し、ユンジンの完璧主義を刺激して、恭弥の探究心を煽る……」
レオさんの顔がさらに近づく。
彼の瞳の奥で、暗い炎が揺らめいているのが見えた。
「すごい手腕だね。ウブなふりして、実はこの社内で一番の『プレイヤー』なんじゃない?」
「ち、違います! 誤解です!」
私は必死に首を振った。
手玉になんて取ってない。むしろ私が彼らに振り回されて、毎日心臓麻痺寸前の目にあってるんですけど!?
「ガラスの靴をわざと落として、王子様を品定めしてる『嘘つきシンデレラ』。……それが君の正体だよね?」
「違いますってば! なんでそうなるんですか!」
「図星?」
彼の言葉が、ナイフのように突き刺さる。
「瞳孔散大。呼吸数増加。微細な表情筋の強張り。……ふふ、人間って面白いよね。口ではいくら嘘をついても、体は正直に反応しちゃうんだから」
彼は楽しそうに目を細めた。
「僕、学生時代に心理学専攻だったからさ。そういう微表情、読み取るの得意なんだ」
ゾワッとした。
この人、全部見てる。
私の動揺も、焦りも、恐怖も。すべてをデータとして処理して、楽しんでいる。
逃げ場のない腕の中。
心をメスで切り刻まれて、解剖されているような気分だった。
「……って」
恐怖に震えながらも、私の中で何かがプツンと切れた。
勝手なことばっかり言わないでよ。
嘘つき? プレイヤー?
あんたにだけは言われたくないわ!
私は恐怖を飲み込み、彼のヘーゼルナッツ色の瞳を睨み返した。
至近距離で見つめ合う。
完璧な笑顔。
黄金比のような美しさ。
でも――。
なによ、この目は。
そこには「温度」がなかった。
ただ、綺麗に磨かれたガラス玉のように、空虚で、冷たい。
私のこと嘘つきって言うけど……
あんたのその笑顔こそ、精巧に作られた『作り物』じゃない。
気づいてしまった。
この完璧な王子様の、致命的な欠陥に。
「……レオさんこそ」
私は震える声で、けれどはっきりと言った。
「その笑顔、疲れませんか?」
「え?」
レオさんの眉が、ピクリと動く。
「分析してるふりして……本当は、他人に興味なんてないくせに」
「……」
「みんなのこと、人間だと思ってます? ……ただの背景か、NPCくらいにしか思ってないんじゃないですか?」
沈黙。
資料室の空気が凍りついたようだった。
空調の音さえ聞こえなくなる。
レオさんの笑顔が、一瞬だけ消えた。
怒りではない。
驚きでもない。
ただの無になった。
今まで張り付いていた「王子様」の仮面が剥がれ落ち、その下にある底知れない「虚無」が、ほんの一瞬だけ顔を覗かせたのだ。
ヒッ。
私は息を飲んだ。
見てはいけないものを見た。
深淵を覗いてしまった。
次の瞬間。
「へぇ」
レオさんの唇が、三日月のように歪んだ。
さっきまでの営業スマイルとは違う。
もっと冷たくて、もっと危険な、本性の笑み。
「生意気なネズミだ」
ドサッ。
「きゃっ!?」
体が落下した。
彼が腕を解き、私を無造作に落としたのだ。
尻餅をつく。
床は硬い。でも、怪我をするような高さではなかった。
絶妙な力加減。
それが余計に、私を「壊れてもいい物」として扱っているように感じられて怖かった。
「い、た……」
私が顔を上げるより早く、レオさんが覆いかぶさってきた。
床にへたり込んだ私を見下ろす瞳。
「正解」
彼は私の耳元に顔を寄せ、低く、低く囁いた。
「……退屈なんだよね、バカばっかりで」
背筋が凍る。
それが彼の本音。
誰にでも優しく、完璧に仕事をこなす彼の、心の奥底にある本音。
「どいつもこいつも、僕の予想通りの反応しかしない。右と言えば右を向く。笑いかければ顔を赤くする。……簡単すぎるゲームほど、つまらないものはないだろ?」
彼は私の頬に手を伸ばし、髪を一房すくい上げた。
指先が頬をなぞる。
冷たい。爬虫類の肌みたいに。
「でも、君は違うみたいだ」
彼の瞳が、初めて「興味」の色を帯びて光った。
「僕の仮面の下を見ようとしたのは、君が初めてだよ」
「……」
「合格だよ、茉莉子ちゃん」
彼はニタリと笑った。
「君は今日から、僕のオモチャだ」
「は?」
「壊れるまで遊んであげるから……覚悟しててね? 嘘つきシンデレラ」
彼は私の髪に口づけを落とすと、満足げに立ち上がった。
「あ、残りの整理やっといてね♡ 期待してるよ、僕の可愛い召使い」
パタン。
扉が閉まる音。
レオさんは、軽やかな足取りで資料室を出ていった。
残されたのは、私と、静まり返った空気と、埃一つない床だけ。
「……なにあいつ」
私は腰が抜けて、立ち上がることができなかった。
手足が震えている。
恐怖?
それとも……核心に触れた高揚感?
「人間じゃない……。悪魔だ……」
私の心臓は、壊れた時計みたいに不規則なリズムを刻み続けていた。
整理を終わらせ私は自分のセーフハウスに戻ってきた。
天蓋付きベッドの上で、ゴロゴロと転がっている。
帰還して早々、明菜から渡された一枚のカードを手にし。
【THE DEVIL(悪魔)】
「……まさにアイツのことじゃん」
『ご名答』
明菜がベッドの縁に腰掛け、足を組みながら言った。
『ラスボスの「スイッチ」、押しちゃったみたいね』
「押したくなかったよ! なんで私なのよー! もっといいオモチャあるでしょ!」
私は枕に顔を埋めてジタバタした。
あんなモンスターに目をつけられたら、私の平穏な社内ニート生活はジ・エンドだ。
『仕方ないわよ。虚無ほど厄介なものはないんだから』
明菜がカードを指先で弾く。
『彼は空っぽなの。埋まらない穴を埋めるために、刺激を求めてる。予測通りの反応しかしない人間なんて、彼にとっては背景と一緒。でも、アンタは違った』
「私がバグだから?」
『そう。予測不能な動きをする、エラーコードだらけのバグ。……ま、魔王に目をつけられた勇者の宿命ね』
「勇者じゃなくて村人Aでいいのに……」
私はため息をつき、ベッドから起き上がった。
デスクの上のモニターを見る。
そこには、まだ残業している海外営業部の様子が映っていた。
レオさんがいる。
彼は、他の社員たちと談笑していた。
完璧な笑顔。
気遣いのある仕草。
誰もが彼を「素敵な王子様」だと思って疑っていない。
でも、私には見える。
その笑顔の裏にある、果てしない砂漠のような乾きが。
「……あの人が一番」
私はポツリと呟いた。
「寂しがり屋に見えるんだけどなー」
誰とも繋がれない。
誰のことも愛せない。
自分と同じ目線で話せる人がいない孤独。
あの完璧な仮面は、自分を守るための鎧なのかもしれない。
「なんてね。同情してどうすんの私」
私がセンチメンタルな気分に浸ろうとした、その時。
プルルルルッ! プルルルルッ!
けたたましい着信音が、静寂を切り裂いた。
スマホを見る。
画面に表示された名前は――『パパ』。
「うわ……」
嫌な予感しかしない。
私は恐る恐る通話ボタンを押した。
「……はい」
『まりちゃーーーん!!』
鼓膜が破れるかと思った。
スピーカーから、パパのハイテンションな声が爆音で響き渡る。
『今週もパパの会社で一生懸命お仕事して、偉いねぇ! 世界一可愛いねぇ!』
「パパ、声でかい」
『ごめんごめん! いやぁ、まりちゃんが頑張ってるって報告を受けてね、パパ感動しちゃって!』
誰からの報告だよ。直之か?
サメ映画見てただけですけど。
『でね! 頑張ったご褒美に、今からパパと一緒に温泉行こー!』
「は? 温泉? どこ?」
『別府!』
「……別府って、大分県の?」
『そう! 今から本社屋上にヘリ飛ばすから! 30分で支度して屋上来てね! あ、ついでに美味しい関サバも予約しといたから! じゃ、待ってるよー♡』
ツーツーツー……。
通話が切れた。
「はぁ?」
私はスマホを握りしめたまま、呆然とした。
ヘリ?
別府?
今から?
「スケール感、狂っとるわあのタヌキ」
さっきまでのレオさんへのシリアスな考察も、恐怖も、同情も。
パパの圧倒的な親バカと財力の前に、塵となって消え失せた。
『プッ……アハハハハ!』
明菜がお腹を抱えて転げ回っている。
『最高! さすが九条家! 魔王の虚無も吹き飛ばす破壊力ね! さぁお嬢様、ヘリがお待ちかねよ!』
私はガックリと項垂れた。
「……もう、疲れた」
今週一週間。
月曜の凪から始まり、大樹、ユンジン、恭弥、そしてレオ。
最後はパパのヘリコプター。
私の人生、カロリー高すぎでしょ。
私は重い体を引きずり、着替えのためにクローゼットへ向かった。
窓の外では、遠くからヘリコプターのプロペラ音が近づいてくるのが聞こえていた。
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【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・職業:魔王のオモチャ 兼 会長令嬢
現在のステータス
・魅力:A+(ラスボスの仮面を剥がした唯一の存在として認定)
・メンタル:D(一週間の疲労と、パパの奇行によりショート寸前)
新規獲得アイテム
・【オモチャ認定証】:レオからの歪んだ興味の証。返品不可。
・【パパのヘリ】:強制イベント発生装置。問答無用で別府へGO。
【明菜の分析ログ】
いや〜、怒涛の一週間だったわね!
お疲れ様、茉莉子。
5人の男たち。
それぞれ違う「毒」を持った彼らと関わって、アンタの運命も大きく動き出したわ。
でも、忘れないで。
これはまだ「序章」よ。
来週からは、もっと深く、もっと激しい「攻略」が始まるんだから。
……ま、まずは温泉でHP回復してきなさいな。
行ってらっしゃい、シンデレラ♡




