第二十二記録【嘘つきまみれのシンデレラ】
四月十二日、金曜日。
昼下がりの廊下。
私は直之を引き連れて、社内をプーラプーラと散歩していた。
「直之〜、喉渇いた〜」
「はい、お嬢様。特定保健用食品のジャスミン茶でございます」
直之がどこからともなくペットボトルを取り出し、蓋を開けて渡してくれる。
「ん、ありがと。……あ、直之〜、これ捨てて」
「承知いたしました、お嬢様」
私は飲み終わった空ボトルを後ろ手で差し出す。直之はそれをうやうやしく回収する。
完璧な連携だ。
これぞ「社内ニート」と「執事」の阿吽の呼吸。
『……アンタねぇ』
呆れた声が横から聞こえた。明菜だ。
今日の彼女は、黒のパンツスーツにインカムをつけた、バリバリの「SP風」コスプレに身を包んでいる。
『もう会社で「ここの娘です」って隠す気ないでしょ。バレバレよ?』
何言ってんの。隠す気あるよー。
私は口を尖らせた。
隠す気あるから、頼み事を飲み物ぐらいにしてるんじゃーん。
これが本気モードだったら 『直之、あの窓から見えるビル、邪魔だから買い取って』 とか言ってるし。
『そういう問題じゃないのよ……世間知らずって怖いわね』
明菜はやれやれと首を振り、ポケットからタロットカードを取り出した。
シャカシャカ、と手際よくシャッフルする。
ちょうど私が足を止めたのは、『海外営業部』と書かれた重厚なガラス扉の前だった。
『今日の運命は……これよ』
明菜がカードを一枚、扉に貼り付けるように出した。
【THE MOON(月)】
『「欺瞞」「隠された真実」……そして「不安」。』
明菜はビシッと敬礼したかと思うと、
『お嬢様、お仕事頑張ってください♡』
と言い残し、SPの格好のまま、キャピキャピとした女の子走りで廊下の彼方へ走り去っていった。
私はドン引きした。
あのなりで、あの走り方。
キャラ設定の崩壊もいいところだ。ヤメレ。
気を取り直して。
私は『海外営業部』の扉を開けた。
「コホン!」
精一杯、偉そうに咳払いをして中に入る。
その瞬間。
「Hey! John! How's the project going?」
「Excellent! We closed the deal!」
飛び交う英語。フランス語。中国語。
ここは国連か?
そして、視界に入る社員たちのスペックが異常だ。
スーパーモデルみたいな超絶ベッピンなお姉さんに、NBA選手かと思うような巨人の黒人男性。
ひぃぃぃっ! なにここ! 住む世界が違う!
アウェーすぎる! 帰りたいわ!
私の心の中で、ナイアガラの滝のような涙が流れる。
足がガタガタと小鹿のように震える。
今日の私は、髪を後ろで一つに束ね、ベージュのブラウスに膝丈のタイトスカートという、普通OLコーデだ。
このキラキラした空間にいると、自分が塵か埃になった気分になる。
けれど。
そんなキラキラなヒューマン共よりも、さらに輝く色彩が目に飛び込んできた。
フロアの奥。
窓際の席。
金色の髪。
頬杖……ではなく、左手でアンニュイに顎を支えながら、じっとりとモニターを眺める男。
桐生レオ。
その瞳は、ヘーゼルナッツのような淡い茶色。
何を考えているのか読み取れない、底なし沼のような色をしている。
先週の金曜日のことを思い出す。
『そんなに簡単に許しちゃダメだよ、お姫様。……つまんないから』
あの時の、背筋が凍るような冷たい笑顔。
……今日こそは。
私は拳を握りしめた。
アイツの仮面を引きちぎってやる!
「王子様」の皮を被った「嘘つき」の本性を暴いてやるんだから。
私はおもむろにコマンドを唱える。
明菜に教えてもらったスキル。
レオさん、アンタの現状ステータスを見せてもらうぜ!
【スキル発動!】
シュパッ。
空中にウィンドウが表示される。
【桐生レオのステータス】
好感度: 普通
性欲値: ???
弱点 : ???
……は?
全部ハテナ?
隠されていて判定できない?
どこぞの隠しボスやねーん!
今までこんなことなかったのに。
凪も大樹もユンジンも恭弥も、みんなダダ漏れだったのに。
こいつだけセキュリティが堅牢すぎる。
その時。
ふと、レオさんの目線が上がった。
「あっ」
目が合う。
ヘーゼルの瞳が、私を捉える。
「茉莉子ちゃーん」
ニコッ。
花が咲くような、完璧な王子様の笑顔。
しまったー。
多重人格者に見つかってしまった……。
『フフ、アンタも人のこと言えないけどね』
いつの間にか戻ってきた明菜が、口に手を当てて笑っている。
私は二重人格じゃないもん。元女優志望なだけだもん。
レオさんが椅子から立ち上がり、こちらに近寄ってくる。
その優雅な歩き方。
彼が動くたびに、周囲の女性社員たちの視線が一斉に突き刺さる。
視線が物理的に痛い。
「なんであの地味な女がレオ様に?」
という殺気を感じる。
「僕に会いに来てくれたの? 嬉しいなー」
レオさんは私の目の前で立ち止まり、甘い声で言った。
嘘だ。
目が笑ってない。
「また来たのか、おもちゃ」って書いてある。
「ち、違うんです。今日はここに用事があって……」
私が言いかけた言葉に、彼は被せるように言った。
「時間があるなら、僕と一緒に資料室に行こうよ」
「は?」
拒否権なし。
彼は私の背中に手を添えると、強引にエスコートし始めた。
連行されたのは、営業部の部屋から右に5フロアほど離れた場所にある「資料室」だった。
人気のない廊下の突き当たり。
「入って」
レオさんがカードキーで扉を開ける。
中は、ものすごく清潔にされていた。
整然と並ぶ書架。
埃一つ落ちていない床。
さすがは我が九条グローバル。資料管理も徹底されている。
「で、何すればいいんですか?」
私が聞くと、レオさんは困ったように眉を下げてみせた。
「いやぁ、ここの整理を頼まれちゃってさ。でも僕、埃アレルギーなんだよね」
「……はぁ」
嘘つけ。
ここ、埃なんてマイクロメートル単位で見当たらないけど?
無菌室レベルに綺麗ですけど?
「だから、手伝ってくれるかな? 茉莉子ちゃん」
「……はいはい」
私はため息をつきながら、脚立を持ってきた。
どうせ逆らえないし。さっさと終わらせて帰ろう。
私は脚立に登り、高い棚にあるファイルを整理し始めた。
「右の青いファイルを、二段目に移して」
「次はそっちの赤いやつ」
レオさんは脚立の下で、腕を組んで指示を出してくる。
彼は背が高い。
私が脚立に乗っているのに、視線の高さがあまり変わらない。
手足なっが。
モデルのユンジンとはまた違う、貴族的なスタイルの良さだ。
テキパキと作業を進める私を見て、レオさんは感心したように言った。
「へぇ。君、意外と働き者だね」
「これくらい普通です」
「ふふっ。召使いの才能あるよ」
「ッ……!」
甘い声で、サラッと毒を吐いた。
召使いって何よ。
こちとら次期会長(予定はないけど)の娘だぞ。
私はムッとして、一番高い棚にあるファイルを取ろうと手を伸ばした。
「よいしょ……っと」
指先がファイルに触れる。
でも、あと少し届かない。
私は爪先立ちになって、さらに体を伸ばした。
その時。
グラッ。
脚立が揺れた。
バランスが崩れる。
「あ」
体が宙に浮く感覚。
落ちる。
私はギュッと目を閉じて、床の衝撃に備えた。
しかし。
ふわり。
「……え?」
痛みは来なかった。
代わりに、柔らかい腕に包まれる感覚と、エロく香る香水の匂い。
目を開けると。
世界が横になっていた。
「大丈夫?」
上から降ってくる甘い声。
至近距離にある、ハーフ顔の超絶イケメン。
お姫様抱っこ。
レオさんが、落ちてきた私を軽々と受け止めていたのだ。
「あ、あの……」
心臓がドキンと跳ねる。
近い。
ヘーゼルの瞳に、私の間抜けな顔が映っている。
悔しいけど、カッコいい。
嘘つきで性格悪いってわかってるのに、このビジュアルと腕の力強さに、本能がときめいてしまう。
私が言葉に詰まって、パクパクしていると。
レオさんは目を細め、ゆっくりと顔を近づけてきた。
そして、私の耳元で、悪魔のように甘く囁いた。
「君のホントの姿が知りたいな〜♡ ……シンデレラ」
「……ッ!?」
ドクンッ!!
背筋に電流が走った。
シンデレラ?
まさか。
この人、気づいてる?
私の正体に?
底知れない笑みを浮かべるレオさんの瞳を見つめながら、私は自分が完全に「狩られる側」であることを悟った。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・職業:偽装召使い(バレバレ)
現在のステータス
・魅力:B(普通OLコーデが、逆に「何か隠してる感」を演出してしまった?)
・メンタル:C(ラスボスの威圧感に圧敗)
新規獲得アイテム
・【お姫様抱っこ】:物理的にも精神的にも、完全に捕まった。
・【シンデレラ発言】:正体バレの危機フラグ。
【明菜の分析ログ】
うっわ〜、怖い怖い。
ステータスが見えない男って、何考えてるか分からなくてゾクゾクするわね。
「シンデレラ」って呼び方。
ただの皮肉かしら? それとも……?
さぁ、捕まったネズミちゃん。
この王子様の手から、どうやって逃げる?
……それとも、もう食べられちゃう?




