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令嬢ゲーマー、婿活はじめます  作者: ベルガ・モルザ


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20/42

第二十記録【B級ホラーで泣く男】


 


四月十一日


 ピピッ、ピピッ、ピピッ。


 十七時ジャスト。

 私のスマホのアラームが、一日の終わりを告げるファンファーレのように高らかに鳴り響いた。


 特別監査室。


 私はゲーミングチェアの上で、死んだ魚のように脱力していた体を、ゾンビが蘇生するみたいにゆっくりと起こした。


「やっと終わった」


 目の前のトリプルモニターには、社内の防犯カメラ映像が映し出されている。

 定時と共に、社員たちが一斉に席を立ち、帰宅の準備を始めている様子。


 それはまるで、アリの群れのように、活気に満ちていた。


「帰宅だ! 帰宅だ! 我が家の回線が私を待っている!」


 私は立ち上がり、天井に向かってガッツポーズを突き上げた。


 今日の仕事は完璧だった。

 ネットサーフィンによる情報収集、動画視聴によるトレンド分析、そして適度な昼寝による脳のメンテナンス。


 給料泥棒? 違うね。

 これは「特別監査」という名の高度な待機任務なのだ。


 さぁ、帰ってログインボーナスを受け取るぞ。

 今日は限定イベントの初日。スタートダッシュ決めないと、ランキング上位には食い込めない。


 私はウキウキでバッグを掴み、部屋の出口へ向かった。




 その時。


 ブブッ。


 ポケットの中のスマホが、不吉なリズムで震えた。


 嫌な予感。

 背筋に冷たいものが走る。


 恐る恐る画面を見る。


 送信者:『剣崎 恭弥』

 『緊急任務が発生した。至急ラボへ来られたし』


「はぁ?」


 私は天井を仰いだ。


 緊急任務?

 ロボット開発部の部長が、監査室の私に何の用よ。


 どうせまた、くだらない実験のモルモットにされるに決まってる。

 先週も散々、サメ映画の物理演算について語られた悪夢が蘇る。




『あらあら、お呼び出し?』


 頭上から、楽しそうな声が降ってきた。

 明菜だ。


 彼女は天蓋付きベッドの上に優雅に寝転がり、空中でトランプのようにタロットカードを切っている。

 紫のミニスカートから伸びる脚をブラブラさせて、完全にくつろぎモードだ。


『マッドサイエンティストからのラブコールじゃない。光栄に思いなさいよ』


 どこがよ。絶対ろくなことじゃないって。スルーしよっかな。


『そうかしら?』


 明菜は体を起こし、空中に数枚のカードを裏向きにして扇状に展開した。


『さぁ、選びなさい。今夜のアンタの運命を』


 強制イベント?


『いいから選ぶ!』


 ピコピコハンマーが目の前で揺れる。

 拒否権はないらしい。


 私は渋々、一番右端のカードを指差した。


「……じゃあ、これで」


 明菜がニヤリと笑い、カードをめくる。


 【THE HANGED MAN(吊るされた男)】の逆位置。


『プッ、アハハハ! 傑作!』


 明菜が腹を抱えて笑い出した。


『意味は「無駄な抵抗」「徒労」「報われない努力」まさに今のアンタそのものね! 抵抗しても無駄よ、運命の歯車には逆らえないの♡』


 ……最悪じゃん。


『さぁ、行ってらっしゃい♡ 偏屈な研究室の怪人が、地下室で手ぐすね引いて待ってるわよ〜!』


 明菜は高笑いと共に、紫色の煙のように消えていった。


 悪魔め。覚えてろよ。

 いつか絶対、聖水をぶっかけてやる。




 私は観念して、地下の研究開発フロアへと向かった。


 エレベーターが下がるにつれ、空気の匂いが変わっていく。

 上層階の小綺麗なアロマの香りから、機械油と金属、そして焦げた回路の匂いへ。


 男の職場って感じだ。


「……失礼しまーす」


 重い鉄扉を開けると、中は薄暗かった。

 メインモニターの青白い光だけが、部屋の中央を照らしている。


 相変わらずの秘密基地感。


「遅いぞ、コネ条」


 暗がりから声がした。

 剣崎だ。


 彼はデスクに向かって何か作業をしていたが、私が入ってくると椅子を回転させてこちらを向いた。


 その姿を見て、私は少しだけ目を丸くした。


「あれ……?」


 彼は、いつもの白衣を着ていなかった。


 着ていたのは、薄い水色のシャツだった。

 一番上のボタンを開け、袖を少し捲り上げている。


 ……え、なんか新鮮。


 白衣の下って、あんな爽やかな色のシャツ着てたんだ。

 普段の「怪しいマッドサイエンティスト」という外装が剥がれて、一気に「知的な若手研究者」って感じに見える。


 素材はいいんだよな、素材は。

 中身がバグってるだけで。




 剣崎は私の姿を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。


「なんだ。今日もジャージか」


「……悪かったわね」


 私は自分の格好を見下ろした。


 今日はいつもの芋ジャージじゃない。

 ネット通販で買った、某有名ゲームとコラボした限定品の黒いパーカーだ。


 背中に大きくロゴが入っていて、私の中では「一軍のおしゃれ着」なんだけど。

 まぁ、一般人から見ればただのジャージか。


「退勤直前だったの。楽な格好で帰りたくて着替えただけ」


「機能性を重視するのは合理的でよろしい。だが、その背中のプリント……『伝説の勇者』と書いてあるの、恥ずかしくないのか?」


「う、うるさい! これはレア装備なの!」


 私はパーカーのフードを深く被り直した。

 デリカシーのない男だ。




「で、緊急任務って?」


「これだ」


 彼が指差した先。


 巨大なメインモニターに映し出されていたのは、禍々しいタイトル画面だった。


『ゾンビ・シャーク vs ゴースト・シャーク in ALCATRAZ 〜地獄の監獄島〜』


「……は?」


「本日発売の新作だ。海外から取り寄せた。日本未公開の激レア盤だぞ」


 剣崎は真顔で言った。

 眼鏡の奥の瞳が、少年のようにキラキラと輝いている。


「これから上映会を行う。陪席を許可する」


「それだけ?」


「それだけとは何だ。これは人類の英知が詰まった重要サンプルだぞ。一人で見るより、被験体の反応もデータとして収集したい」


 やっぱりモルモット扱いじゃん。


 私の貴重なアフターファイブを、サメ映画のデータ収集に使おうってわけ?


「帰る。ログインボーナス受け取りたいし」


 私は踵を返そうとした。


「ポップコーンがあるぞ。キャラメル味だ」


 ピタリ。


 足が止まる。


「コーラもだ。ゼロカロリーではない、赤ラベルのやつだ」


 ……ぐぬぬ。


 わかってるじゃないか。

 私の好物を完全に把握している。


 私は大きくため息をつき、ドカッとソファに座り込んだ。


「わかったよ。付き合えばいいんでしょ」


「賢明な判断だ」




 剣崎は満足げに頷くと、部屋の照明を完全に落とした。

 そして、私の隣に座った。


 近い。

 ソファが少し沈む。


 ふわりと、彼から清潔な石鹸の匂いと、微かなコーヒーの香りが漂ってきた。


 白衣がないせいか、いつもより距離が近く感じる。


「始めるぞ」




 上映開始。


 内容は、予想通り……いや、予想を遥かに超えるクソ映画だった。


 チープなCGのサメが、これまたチープなゾンビメイクの人間を襲う。

 ゴーストシャークは壁をすり抜けるし、ゾンビシャークは陸を歩く。


 物理法則なんて完全に無視した、カオスな映像が続く。




「おい、あのサメ。海中で火を吹いたぞ」


 剣崎が即座に反応する。


「火吹きスキル持ちのサメって……」


「あれは体内のメタンガスが引火したという設定らしい。非科学的だが、ゾンビ化による腐敗ガスの影響だと考えれば、一理あるかもしれん」


「いや、どう見ても作画ミスでしょ。水中で火炎放射とか魔法使いかよ」


「だが待て、あそこで主人公が使っている銃、装弾数が無限だぞ。リロードの概念がない」


「チート乙。運営に通報案件だわ」




 私たちはポップコーンをつまみながら、映画にツッコミを入れ続けた。


 なんだかんだ、楽しい。

 この変人となら、気を使わずにバカな話ができる。


 昨日のアクシデントに振り回されることもない。

 ただのオタク友達みたいな、居心地の良さ。




 そう思っていた、その時だった。


 映画がクライマックスを迎えた。


 生き残った主人公、マッチョな元軍人とヒロイン、セクシーな科学者が、崩れゆくアルカトラズ島の屋上で抱き合う。


『Oh, Jack...』

『もう大丈夫だ、Mary... 世界は俺たちが守ったんだ』


 夕日をバックに、二人の顔が近づく。


 BGMが、壮大でロマンチックなバラードに変わる。


 ……キスシーンだ。




 さっきまでの、血飛沫と爆発のギャグ展開が嘘のように、画面の中はシリアスなラブムード一色になった。


 気まずい。


 急に、部屋の静けさが際立つ。

 隣にいる剣崎の存在感が増してくる。


 沈黙。


 映画の甘い吐息と、衣擦れの音だけが響く。




 私は誤魔化すようにポップコーンを口に放り込み、チラリと横目で彼を見た。


 剣崎は、微動だにせずモニターを見つめていた。


 暗がりの中、画面の光に照らされた横顔。


 鼻筋が通っていて、顎のラインがシャープで。

 水色のシャツの襟元から覗く首筋には、男らしい喉仏がある。


 眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、宝石みたいに光っている。


 ドキン。


 心臓が跳ねた。




 ……知ってたけど。

 わかってたけどさ。


 この人、顔だけならめちゃくちゃドイケメンなんだよなぁ。


 普段は変人発言と白衣オーラで隠れてるけど。

 こうして黙って座っていたら、他のメンズにも引けを取らない顔面偏差値だ。


 しかも、この薄暗い照明と、シリアスなBGMのせいで、妙に色っぽく見える。


 やばい。心拍数が……




 意識しちゃダメだ。

 相手は性欲値ゼロの研究マシーンだぞ。


 サメ映画見てる時に色気感じるなんて、私の脳みそどうかしてる。


 そう自分を戒めて、もう一度彼の顔を見た時。


 私は、息を飲んだ。




 キラリ。


 剣崎の頬を、一筋の雫が伝い落ちていた。


 ……え?


 泣いてる?


 嘘でしょ。


 この映画で?

 サメが爆発して、主人公がキザなセリフ吐いてるだけの、このB級映画で?




「……けん、ざき?」


 思わず名前を呼んでしまった。


 剣崎が、ゆっくりとこちらを向いた。


 目が合う。


 眼鏡の奥の瞳が、濡れて潤んでいる。


 普段の冷徹な「剣の王」の目じゃない。


 無防備で、純粋で、どこか儚げな――迷子の子供みたいな目。




 そのギャップに、私の胸がキュッと締め付けられた。


 なによそれ。

 変人のくせに、なんでそんな綺麗な顔で泣くのよ。


 反則だ。




 剣崎は、涙を拭おうともせず、じっと私を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。


「……なぁ、コネ条」


 低い声。

 でも、熱っぽい響き。


 彼は、何かを言いかけて――。




【明菜先生の研究メモ】


被験者データ No.002

・氏名:コネ条茉莉子(背中に「伝説の勇者」を背負う女)

・職業:B級映画の被験体モルモット


現在のステータス

・魅力:C(レア装備のパーカーはオタクにしか刺さらない)

・メンタル:B(「変人」への警戒心が「ときめき」に侵食されつつある)


新規獲得アイテム

 

・【恭弥の涙】:サメ映画で流すには美しすぎる宝石。

 

・【水色のシャツ】:白衣の下の正体。清潔感という名の凶器。




【明菜の分析ログ】


 はぁ?

 ここで泣くの正気かしら?


 「事実は小説より奇なり」って言うけど、サメ映画で涙するイケメンなんて、どんなファンタジーよ。


 でもね、茉莉子。


 「ギャップ萌え」の正体は「認知的不協和」の解消よ。


 変人だと思ってた男が見せるピュアな涙……。

 これ、一番中毒性が高いやつだから気をつけなさい?


 さぁ、ここからどうする?

 ハンカチを差し出す? それとも……?

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