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令嬢ゲーマー、婿活はじめます  作者: ベルガ・モルザ


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18/42

第十八記録【Hey!Mr.】



四月十日、水曜日。十八時半。


 四月の夜風は、まだ少し肌寒い。

 ビルの隙間から吹き抜ける風が、私の露出した二の腕を容赦なく撫でていく。


「さむっ」


 私は小さく身震いして、黒のカーディガンを肩にかけ直した。


 今日の私の装備――ファッションテーマは『抜け感のある大人の余裕』だ。


 トップスは白のキャミソールに、黒のカーディガンをあえて袖を通さずに肩掛けするスタイル。

 ボトムスはグレーの台形ミニスカート。


 これ、ただのミニスカじゃない。カッティングの妙で、脚が驚くほど長く、真っ直ぐに見える魔法のアイテムだ。


 足元は黒のショートブーツで引き締める。


 完全に「ソ・ユンジン特攻」装備だ。

 あの年下好き、妹属性好きの拗らせ男にクリティカルを入れるためだけに、厳選したセットアップである。




 場所は表参道の交差点近く。

 待ち合わせ場所に立っていると、向こうから完璧なスーツ姿の男が歩いてきた。


 ソ・ユンジン。


 今日も今日とて、発光するような白い肌と、隙のないスタイリング。

 歩くだけで道行く女性が振り返るレベルの顔面偏差値だ。


 彼が私に気づく。


 そして――視線が止まった。


 私の顔じゃない。

 白のキャミソールから覗くデコルテ。

 そして、ミニスカートから伸びる太もも。


 ゴクリ。


 喉仏が動いた。

 聞こえるはずのない生唾を飲む音が、私の脳内スピーカーにははっきりと聞こえた気がした。


 私は口元を手で隠し、ニヤリと笑った。


 食いついた。

 チョロい。


 いくら「同い年」というデバフがかかっていても、男の本能には抗えないらしい。


『あらあら♡ わかりやすいわねぇ』


 私の肩越しに、明菜が顔を出してケラケラと笑う。


『オスカー・ワイルドは言ったわ。「誘惑を取り除く唯一の方法は、それに屈することだ」ってね。彼の理性ゲージ、今ガリガリ削れてるわよ』


 だよねー。


 私たちは二人して、獲物を見定めるような目つきでニヤニヤと彼を見つめた。




 ユンジンが私の目の前まで来る。

 そして、眉間に深い皺を寄せて言った。


「何ニヤニヤしてるんだ」


「え? 別に?」


「気持ち悪いな。一人で薄ら笑いを浮かべて。不審者か?」


「ひどっ! 人を待ち合わせ場所の地縛霊みたいに言わないでよ」


 彼はフンと鼻を鳴らし、バサッと自分のジャケットを脱ぐと、私の肩に乱暴に被せてきた。


「隠せ。目の毒だ」


「あら、照れ隠し?」


「寒そうだからだ! 風邪を引かれたら仕事に支障が出る!」


 耳が赤い。

 わかりやすいツンデレだ。




「で、どこ行くの? 今日は直帰してネトゲ……じゃなくて、資格の勉強しようと思ってたんだけど」


 私が文句を言うと、ユンジンは私の顔をジロジロと観察し、断言した。


「今朝鏡を見たか? 顔色が悪いぞ」


「は? 悪くないし。今日チーク薄いだけだし」


「いいや、悪い。肌のツヤがない。目の下にクマがある。これは明らかなビタミン不足、およびミネラル欠乏のサインだ」


 彼は私の腕を掴むと、強引に歩き出した。


「ついてこい。ボクが厳選した店で、徹底的に栄養補給させる」


「えー……ジャンクがいい。ポテト食べたい」


「ジャンクフード禁止!」




 連行されたのは、路地裏にある隠れ家的なカフェだった。


 コンクリート打ちっぱなしの壁に、温かみのあるウッドテーブル。

 照明は暗めで、各テーブルにキャンドルが揺れている。


 窓の外には、表参道の落ち着いた街並みが見える。


「うわ、意識高そ〜」


 私が店内の空気に気圧されていると、ユンジンは慣れた様子で一番奥の席へとエスコートした。


「ここ、オーガニック野菜とスムージーの専門店だ。味もいいし、何より栄養価の計算が完璧だ」


 彼はメニューを開くこともなく、店員に注文を始めた。


「ケールと小松菜のスムージーを二つ。それと、パワーサラダボウル。ドレッシングはアマニ油で」


「ちょ、私のオーダーは?」


「ない。キミに選択権はない」


 独裁者かよ。


 私は不満たっぷりに頬を膨らませた。


「なんでそこまで管理されなきゃいけないのよ。私、これでも健康優良児だよ?」


「嘘をつけ」


 ユンジンはスマホを取り出し、数回タップすると、画面を私の目の前に突きつけてきた。


「これを見ろ」


 画面に映っているのは、私たちが交換した連絡先のトークルーム。

 そこには、私がこの数日間、彼に送りつけた食事の写真が並んでいた。


 四月七日 朝:ゼリー飲料(10秒でチャージ)

 四月七日 昼:カップ麺(激辛)

四月七日 夜:スナック菓子とコーラ

 四月八日 朝:なし

 四月八日 昼:菓子パン(凪とのデート時)


 茶色い。

 あるいは無色透明。


 ビタミンという概念が死滅している。


「……マリコ」


 ユンジンが、私の名前を呼んだ。

 下の名前を呼び捨て。


 同い年だと分かってから、彼は私を「マリコ」と呼ぶようになった。

 それは親しみというより、出来の悪いペットを呼ぶようなニュアンスに近い。


「酷すぎると思わないか? これで人間の機能を維持できているのが不思議なくらいだ」


 彼は深く、重いため息をついた。

 心底呆れている顔だ。


「えー、でも美味しいよ? 添加物ってうまみの結晶じゃん」


「……ハァ」


『確かにねぇ』


 隣で明菜がスムージーを飲みながら頷いている。


『あのヤクザ執事が管理してくれてない時のアンタの食事……スラム街のネズミの方がまだマシなもの食べてるわよ。ブリヤ・サヴァランも言ったわ。「君が何を食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か当ててみせよう」ってね。今のアンタは……そうね、歩く添加物?』


 現代人は忙しいの。効率重視なの。




 やがて、運ばれてきたのは、芝生を液体にしたような深緑色のスムージーと、洗面器みたいなボウルに入った大量の草だった。


「……これ、罰ゲーム?」


「ご褒美だ。細胞が歓喜するぞ」


 ユンジンは有無を言わせぬ笑顔で、ストローを私の口元に突きつけた。


「これを完食するまで帰さないからな」


「うぅ……」


 私は観念して、緑色の液体を吸い込んだ。


 ……ん?

 意外と、悪くない。


 青臭さはあるけど、フルーツの甘みで飲みやすくなっている。


「どうだ?」


「……まぁ、飲める。美味しいかも」


「だろう?」


 彼は得意げに笑い、自分もサラダを口に運んだ。




 食事をしながら、私たちはポツリポツリと話をした。


 仕事の愚痴。

 同期の噂話(私はほとんど知らんけど)。


 不思議と、会話が弾む。


 凪やレオさんみたいな「探り合い」がない。

 大樹みたいな「熱血」もない。


 ただ、同じ23歳の社会人として、等身大で話せる気楽さ。


 口うるさいオカンだけど、根は悪いやつじゃないのかも。

 私の偏食を本気で心配してくれてるわけだし。


 意外と、いい奴……?




 私がそんなことを思い始めた、その時だった。


「あの……すみません」


 控えめな声がかかった。


 私たちのテーブルの横に、若い女性が立っていた。

 少し顔を赤らめて、ユンジンを見つめている。


「えっと、ソ・ユンジンさん……ですよね?」


「!」


 ユンジンの動きが止まる。

 フォークを置き、ゆっくりと顔を上げた。


「……はい、そうですが」


「やっぱり! きゃーっ、どうしよう!」


 女性は口元を押さえて小刻みに震え出した。


「ファンなんです! 雑誌、毎月買ってます! 今月号の特集のスーツ姿、すっごくカッコよかったです♡ あの、もしよかったら握手していただけませんか?」




 ファン?

 雑誌?


 私が状況を飲み込めずにポカンとしていると――。


 スッ。


 ユンジンの雰囲気が一変した。


 さっきまでの「口うるさいオカン」の顔が消え去り、そこには完璧な「スター」の微笑みが張り付いていた。


「ありがとうございます。いつも応援してくださって嬉しいです」


 声のトーンまで違う。

 低音で、甘く、包容力のある響き。


 彼は立ち上がり、女性の手を優しく包み込んだ。


「こ、これに! サインお願いできますか!?」


「もちろんです。お名前は?」


 彼は女性が差し出した手帳に、流れるような筆記体でサインを書き入れた。


 その仕草の、優雅なこと。

 K-POPアイドルが降臨したのかと思った。


 ファンサ対応、完璧すぎる。




 女性は夢見心地でサインを受け取ったが、ふと我に返ったように、チラリと私の方を見た。


「あの……そちらの方は……?」


 彼女の目が細められる。


 嫉妬。

 値踏みするような視線。


「もしかして、彼女さん……とか?」


 やばい。

 空気が凍る。


 ここで「はいそうです」なんて言われたら、私はこのファンの人に背中から刺されるかもしれない。

 SNSで特定されて炎上案件だ。


 私はブンブンと首を振ろうとした。


 その時、ユンジンがサラッと言った。


「あぁ、彼女はボクのマネージャーです」


「へ?」


「今日は次の撮影の打ち合わせをしていまして」


 彼はニコリともせず、事務的な顔で嘘をついた。


 マネージャー。

 なるほど、そう来たか。




 女性の顔色がパッと明るくなる。


「あ、そうなんですね! すみません、お仕事中にお邪魔しちゃって! マネージャーさんも、すみません!」


 矛先が向いてきた。


 私は引きつった笑顔を貼り付け、必死に話を合わせた。


「い、いえいえ〜。いつもユンジンを応援していただき、ありがとうございますぅ〜。彼もファンの皆様の声が一番の励みになりますので〜」


 誰だよ私。

 胡散臭い業界人みたいな口調になってしまった。


 女性は「頑張ってください!」と手を振って、満足げに去っていった。




 嵐が去った後。


 ユンジンはドカッと椅子に座り直し、大きなため息をついた。


「……ふぅ。驚かせたな」


 スターのオーラは霧散し、いつもの仏頂面に戻っている。


 私はストローを咥えたまま、彼をジト目で見た。


「ねぇ。どういうことだってばよ?」


「……何がだ」


「マネージャーって何さ。それに、今のファンサ。……ユンジンって、もしかして芸能人?」




 彼はバツが悪そうに視線を逸らし、ポケットからスマホを取り出した。

 そして、あるアプリの画面を開いて、私に見せてきた。


「……これ」


 画面に映っていたのは、インスタグラムのようなSNSのプロフィール画面。

 アイコンは、キメ顔のユンジン。


 そして、フォロワー数の欄には『58.4万人』という数字が輝いていた。


「ご、ごじゅうはちまんにん!?」


 インフルエンサーじゃん!

 いや、それ以上だ。




「芸能人なんて大層なもんじゃない。……ボクは、この雑誌の専属モデルをやってるんだ」


 彼はカバンから一冊のファッション誌を取り出した。


 表紙には、著名な俳優。

 ページをめくると、特集ページにユンジンが載っていた。


 ハイブランドのスーツを着こなし、アンニュイな表情でポーズを決める彼。


 本物だ。

 修正いらずの美しさが、紙面から溢れ出している。




「学生時代にスカウトされて、副業として続けてるだけだ。本業はあくまでコンサルタントだから、会社ではあまり公にしてないんだけど……」


 彼は少し恥ずかしそうに頬をかいた。


「バレたか」


 バレたか、じゃないよ。


 ハイスペックすぎるでしょ。

 高学歴、エリート社員、顔面国宝、そして人気モデル。


 天は二物を与えずって言葉、撤回したほうがいいよ。




『金貨の騎士、逆位置……』


 明菜がカードをいじりながら呟く。


『「見栄っ張り」や「隠し事」。でも、この隠し事は……悪いものじゃなさそうね。彼にとって、モデルの仕事はもう一つのアイデンティティなんでしょ』


 確かに。


 仕事の話をする時の彼より、今の少し照れた顔の方が、人間味があって可愛く見える。




「へぇ……。すごいじゃん」


 私は素直に感心した。


「私、サインもらっとこうかな。転売したら高く売れる?」


「売るな。あとで書いてやるから大事にして飾れ」


 彼は呆れながらも、満更でもなさそうに笑った。




 店を出たのは、二十時を回った頃だった。


 スムージーとサラダで満たされたお腹は、ジャンクフードの時のような重たさがなく、体が軽い。

 栄養が行き渡ったせいか、手足もポカポカしている。


「送るよ。駅まで」


「うん」


 私たちは並んで歩き出した。


 表参道の裏通り。

 街灯に照らされた石畳の坂道は、ロマンチックで、デートの帰り道にはお誂え向きだ。


 夜風が心地いい。

 彼が貸してくれたジャケットからは、高級な柔軟剤の香りがする。


 なんか……いい雰囲気かも。


 同い年の友達。

 オカンみたいに世話焼きだけど、ハイスペックなモデル。


 そんな彼と、こうして夜道を歩いている。


 悪くない。

 いや、結構いい。


 私は少し浮かれた気分で、カツカツとヒールを鳴らして歩いていた。


 今日の私は「ソ・ユンジン特攻服」。

 ミニスカートから伸びる脚のラインも、彼がチラチラ見ているのを私は知っている。




「なぁ、マリコ」


 隣を歩くユンジンが、ふと口を開いた。


「ん?」


「明日も、また写真を送ってくれ。ボクがメニューをチェックする」


「えー、まだやるの?」


「当たり前だ。あんな食事、ボクが許さない」


 ぶっきらぼうな言い方。

 でも、その声はカフェにいた時よりも少しだけ柔らかくて、優しかった。


 ふふっ、と笑みがこぼれる。


 やっぱり、根はいい奴なんだ。

 完璧主義で面倒くさいけど、私を気遣ってくれている。


 私は彼の方を向き、何か言い返そうとして――。




 ガッ。


「あっ」


 足元で、嫌な感触がした。


 石畳のわずかな溝に、ピンヒールの細い踵が深く食い込んだのだ。


 抜けない。

 足が取られる。


「――え」


 体が、前のめりに傾く。

 重心が崩れる。


「わっ……!」


 視界がグラリと回った。


 スローモーションのように、地面が迫ってくる。


 転ぶ。

 このままじゃ、顔面から石畳にダイブだ。


「マリコ!」


 ユンジンの焦った声が聞こえた。


 彼の手が、私に向かって伸びてくるのが見えた。


 でも、もう遅い――?




【明菜先生の研究メモ】


被験者データ No.002

・氏名:九条茉莉子

・職業:あざとい誘惑者(自爆寸前)


現在のステータス

・魅力:B+(特攻服の効果は絶大だったが、ヒールという諸刃の剣に足元をすくわれる)

・メンタル:B(いい雰囲気だったのに、物理的に転落中)


新規獲得アイテム

・【モデルのジャケット】:返し忘れた。残り香がヤバい。

・【石畳の溝】:恋の落とし穴(物理)。




【明菜の分析ログ】


 おっと。

 「好事魔多し(こうじまおおし)」とはよく言ったものね。


 いい雰囲気で油断した瞬間、足元をすくわれる。これぞ人生の縮図よ。


 さぁ、ここからどうなる?


 重力に従って地面にキスするか、それとも……?


 次の瞬間、計算高い彼に「計算外」のバグが発生するわよ。

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