第十七記録【間接キスはスポーツドリンクの味】
ピーッ、ピピッ!
試合終了のホイッスルが、ナイター照明の下に響き渡った。
「よっしゃあ! 勝ったぜ!」
「ナイス大山田! お前マジでバケモノかよ!」
コートの中で、汗だくの男たちがハイタッチを交わしている。
その中心で、太陽みたいに笑っている大樹。
私はベンチに座ったまま、呆然としていた。
さっきの、あの派手すぎるウインク。
あまりにもベタでダサすぎる演出だ。
なのに。
なんで私の心臓、BPM150超えてんの?
悔しいけど、認めざるを得ない。
あの一瞬、確かに「カッコいい」って思っちゃったんだよな。
防御力無視の物理攻撃。
脳筋特有のクリティカルヒットだ。
『あら〜、顔が赤いわよ?』
隣に座る明菜が、私の顔を覗き込んでニヤニヤしている。
『ポニーテール揺らしちゃって可愛いこと♡ 青春ねぇ』
こ、これは気温のせいだって。
ここだけ室温がおかしいの。男たちの熱気でサウナ状態なんだよ。
あと照明が眩しいだけ。
ドス、ドス、ドス。
地響きがしそうな足音。
その熱源が、こっちに向かってきた。
「うぃーっす! 勝ったぜ!」
大樹が私の目の前で立ち止まった。
ハァ、ハァ、と荒い息を吐いている。
近い。
そして熱い。
全身から湯気が立ち上ってるんじゃないかってくらいの熱量。
汗で濡れたユニフォームが筋肉に張り付いて、体のラインが丸わかりだ。
うわ、胸筋すご……。
防御力カンストしてそう。
「お、お疲れ様です……」
私は圧倒されながら、用意しておいた新しいペットボトルの水を差し出した。
マネージャー業務、完了。
さっさと受け取って着替えに行ってくれ。この距離は私のHPが削れる。
けれど。
「サンキュ!」
大樹の手が伸びたのは、私の差し出した水じゃなかった。
ガシッ。
「えっ」
彼が掴んだのは、私が自分用に飲みかけて、膝の上に置いていたスポーツドリンク。
「ちょ、待っ……それ私の――」
止める間もなかった。
彼はキャップが開いているのを確認すると、そのまま躊躇なくボトルを傾けた。
ゴク、ゴク、ゴクッ!
喉仏が大きく上下する。
私の飲みかけ。
私が口をつけた飲み口。
そこに、彼が覆いかぶさるように口をつけている。
は?
思考停止。
フリーズ。
システムエラー発生。
それ、間接……キス……?
プハーッ!
大樹は一気に半分以上を飲み干すと、ボトルの口を手の甲でぬぐった。
「生き返るー! ありがとな!」
ニカっと笑う白い歯。
悪気なんて微塵もない。
照れも、下心もない。
ただ純粋な水分補給として処理された。
「……バカなの?」
思わず声が出た。
羞恥心より先に、ツッコミが漏れる。
「あんたねぇ! それ私が飲んでたやつ! 飲みかけ!」
「あん? なんだよ、減るもんじゃねぇだろ」
「減るわ! 中身も減るし、私の精神的衛生ポイントも減るの!」
私が顔を赤くして抗議しても、彼はキョトンとしている。
「なんだよケチくせぇなー。水ならあんだろ?」
「そういう問題じゃなくて! 間接……その、人が口つけたのとか気にならないわけ!?」
「気にしねぇよ。喉乾いてんだから味すりゃ一緒だろ」
一緒じゃないわ!
デリカシーどこに置いてきたの? ロッカールーム?
こっちが意識して損した気分なんだけど。
ドサッ。
大樹がそのまま、私の隣に腰を下ろした。
ベンチが大きく沈む。
近い。
距離感バグってる。
肩と肩が触れそうだ。
ムワッと、彼の匂いが私を包み込んだ。
制汗剤の匂いなんてとっくに消え失せた、男臭い汗の匂い。
「……ちょっと、近いってば」
私は身をよじって距離を取ろうとした。
暑苦しい。
これ以上近づくと、私の理性が熱暴走を起こす。
「汗くさいし! 離れてよ!」
「男の勲章だ、我慢しろよ」
大樹は悪びれもせず、タオルで顔をガシガシと拭きながら、グイッと顔を近づけてきた。
「なぁ」
逃げようと体を引く。
でも、背もたれに回された彼の太い腕が、私の退路を塞いでいた。
逃げ場なし。
「さっきの俺のゴール……どうだった?」
覗き込んでくる瞳。
嘘もお世辞も通じない、真っ直ぐすぎる光。
「……どうって」
視線を逸らす。
まともに見れない。
「ま、まぁ……すごかったんじゃない? 人間離れしてたし。ゴリラみたいだったし」
「ゴリラは褒め言葉だぜ」
彼は嬉しそうに笑った。
ポジティブかよ。
「で?」
さらに顔が近づく。
逃げられない。
「それだけか?」
「それだけって……なに期待してんのよ」
私は必死に平常心を装った。
ポニーテールの毛先をいじりながら、ふんと鼻を鳴らす。
「別に、たかが社内サッカーでしょ。運が良かっただけじゃん」
「運じゃねぇよ。実力だ」
彼は言い切った。
そして、私の目を逃さないように覗き込み、ニッと歯を見せて笑った。
「……俺に、惚れた?」
ドクン。
時が止まった。
直球。
変化球なしの、ド真ん中ストレート。
「好きか?」でも「どう思う?」でもない。
「惚れた?」という自信満々な響き。
顔が沸騰する。
耳まで熱くなるのがわかる。
否定しなきゃ。
調子乗んなって言わなきゃ。
自意識過剰お化け! って罵倒しなきゃ。
なのに、声が出ない。
彼の熱気に当てられて、頭がクラクラする。
近い距離。
真っ直ぐな瞳。
男の匂い。
全部が、私の思考回路を焼き切ろうとしてくる。
「は、はぁ!? 何言って……!」
やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど裏返っていた。
「惚れるわけないでしょ! 汗くさいし! ガサツだし! 水泥棒だし!」
「ニャハハ! 顔真っ赤だぞ!」
私の狼狽っぷりを見て、大樹は満足そうに爆笑した。
「ま、また見に来いよな! 勝利の女神ちゃん!」
彼は私の頭に大きな手を乗せると、ワシャワシャと乱暴に撫で回した。
セットしたポニーテールがぐちゃぐちゃになる。
「あっ、ちょ、髪!」
「いーじゃん、ボサボサの方がお前らしいぜ!」
扱いが雑!
ペットか私は!
「じゃあな! 着替え行ってくるわ!」
彼は立ち上がり、軽い足取りでチームメイトの方へと走っていった。
その背中は、どこまでも大きく、憎たらしいほど眩しかった。
残されたのは、私と、半分になったスポーツドリンク。
「……バカじゃないの」
私はボトルを両手で握りしめた。
まだ冷たいはずなのに、プラスチック越しに伝わる私の体温で、ぬるくなっている気がした。
ボサボサになった髪。
口に残る、言えなかった言葉。
そして、唇に残る……間接的な感触。
完敗だ。
ペースを持って行かれすぎた。
『一本取られたわね』
明菜が私の隣で、やれやれと肩をすくめた。
その手には【STRENGTH(力)】のカード。
『理屈じゃないのよね、男は……本能に訴えかけられたら、小賢しい計算なんて吹っ飛ぶものよ』
わかってるよそんなこと。
私はスポーツドリンクの蓋を開け、残りを一気に飲み干した。
甘い。
いつもより、ずっと甘ったるい味がした。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・職業:大型犬の散歩係(引っ張り回され中)
現在のステータス
・魅力:B(汗とスポーツドリンクの味が染み付いた)
・メンタル:C(直球攻撃により守備力低下中)
新規獲得アイテム
・【間接キスのボトル】:無自覚な好意の証。
・【頭ポンポン(物理)】:撫でるというより、わしゃわしゃ。髪型崩壊の代償に得られるときめき。
【明菜の分析ログ】
あらあら、顔真っ赤じゃない。
凪の時とはまた違う、健康的な赤さね。
「惚れた?」なんて、普通ならキザすぎて笑っちゃうセリフだけど。
あの筋肉バカが言うと、妙な説得力があるから不思議よねぇ。
さて、体は熱くなったことだし。
明日はクールダウン……できるかしら?
栄養管理という名の、甘い束縛が待ってるわ♡




