第十三記録【カメラを持った人狼】
午後十五時。
私は自室に戻るなり、クローゼットをひっくり返した。超速の早着替えタイムだ。
さっきの服……白のリブTシャツに、黒のワイドパンツだった。私は脳内データベースを検索し、最適解を導き出す。
選んだのは、体に程よくフィットする白のサマーニットと、とろみ素材の黒のワイドパンツ。そして足元は、白のハイテクスニーカー。
「よし。完璧」
鏡の前でポーズを取る。動きやすさを確保しつつ、彼との統一感を出したリンクコーデだ。
『やるわねぇ』
明菜が感心したように口笛を吹く。
『無意識を装ったペアルック攻撃。あざといわ〜。男はこういう「俺たちなんか似てない?」っていう偶然に運命を感じるものよ』
「これは『セットボーナス』狙いなの。装備の属性を合わせることでステータスが上昇するんだから」
私は髪をササッと整え、薄くリップを塗り直すと、再び一階へと駆け降りた。
玄関を出ると、春の柔らかい日差しの中で、凪が待っていた。彼の横には、一台のスクーターが停まっている。
クリーム色のボディ。丸いヘッドライト。レトロで可愛らしい、イタリア製のスクーターだ。
……よかった〜。
私は胸を撫で下ろした。昨日のレオさんの銀色バットモービルとは対照的な、平和で可愛らしい乗り物だ。これなら目立たないし、安心して乗れる。
「お待たせ!」
「いえ。……あ、着替えてきたんですね」
凪は私の服を見て目を丸くし、自分の服と見比べてパッと顔を輝かせた。
「なんか俺たち、服似てません? 気が合いますね」
「あ、本当だ! 偶然だね〜」
よし、セットボーナス発動。初手から好感度ゲージがピクリと動いた音がした。
「これ、ヘルメット」
凪が予備のヘルメットを渡してくれる。私はそれを被り、彼が跨った後のシートに恐る恐る腰を下ろした。
……狭い。
スクーターのタンデムシートは、想像以上に彼との距離が近かった。
「しっかり捕まっててね」
「う、うん」
私は躊躇しながらも、彼の腰に腕を回した。白いTシャツ越しに伝わる体温。細身に見えるけれど、背中は意外と広くて、腹筋もしっかりと硬い。
レオさんのような香水の香りではなく、太陽のような、洗い立てのリネンのような匂いがした。
ブロロロ……。
軽快なエンジン音と共に、スクーターが走り出す。
「わぁ……」
風が心地よい。流れる景色。背中から伝わる鼓動。遊園地のアトラクションみたいだ。
『ナポレオンは言ったわ……じゃないわね、ローマの休日よ!』
明菜が飛びながら黄色い声を上げた。
『王女様と新聞記者の逃避行! ロマンチックじゃない! 昨日の連行とは大違いね!』
確かに。昨日は拉致だったけど、今日はちゃんとデートっぽい。
私は少しだけ腕に力を込め、彼の背中に身を委ねた。
――二十分ほど走って到着したのは、都内の穴場スポットと言われる川沿いの道だった。
土手に沿って満開の桜並木が続いている。風が吹くたびに花びらが舞い散り、ピンク色の雪のように視界を埋め尽くしていた。
「綺麗……」
「でしょう? ここ、あまり人がいなくて好きなんです」
凪はスクーターを停め、メットインを開けた。そこから取り出したのは、黒く重厚な物体。本格的な一眼レフカメラだ。レンズも長い。ガチ勢のやつだな。
「俺、写真撮るのが好きなんです。今日は桜を撮りたくて」
彼は慣れた手つきで設定を調整し、ファインダーを覗き込んだ。
カシャッ。カシャッ。
小気味よいシャッター音が響く。桜を見上げる彼の横顔。
――私は息を飲んだ。
空気が変わった。
さっきまでの、人懐っこくて尻尾を振っているようなワンコの顔じゃない。
ファインダーを覗くその目は、鋭く、冷たく、対象を射抜くような光を宿している。
狙った獲物は逃さない。そんな、熟練の狩人の目。
シベリアンハスキーだと思っていたけれど、訂正が必要かもしれない。
この目は――狼だ。
しばらく桜を撮っていた凪が、ふとカメラを下ろし、こちらを向いた。
「一条さん」
「ん?」
「……そこに立ってもらえませんか?」
彼が指差したのは、桜の木の下。舞い散る花びらが一番美しいスポットだ。
「え、私? 無理無理! 写真写り悪いし、魂抜かれるし!」
私はブンブンと首を振って後ずさりした。被写体なんて無理だ。ジャージ姿の自撮りすらしないのに。
しかし。
「いいから」
低く、地を這うような声がした。
「えっ」
ドキッとして顔を上げる。凪が、レンズ越しに私をじっと見据えていた。
「動かないで」
命令口調。さっきまでの柔らかい敬語が消えている。
私の足が、縫い留められたように動かなくなった。
怖いんじゃない。逆らえない。その視線の引力に、抗えない。
カシャッ。
シャッターが切られた。
カシャッ、カシャッ。
彼は無言で、何度もシャッターを切っていく。レンズの向こうにある瞳が、私を貫いているのがわかる。
その視線は、会社の人間を見る目でも、可愛いお姉さんを見る目でもない。
被写体として、私の内面まで暴こうとするような、強烈な色気を孕んだ視線だ。
待って。目が、凄い……
私は身動きが取れなかった。吸い込まれそうになる。
桜の舞う音と、シャッター音だけが響く世界。
私は彼に捕食されているのだと、本能が理解していた。
ふいに、シャッター音が止んだ。
「……」
凪がカメラを下ろし、ゆっくりと私に近づいてくる。無言のまま。
足音が、私の心臓のリズムと重なる。
目の前で、彼が止まった。近い。
「……髪、乱れてる」
彼は自然な動作で手を伸ばし、私の頬にかかっていた後れ毛を長い指ですくい取る。そして、優しく耳にかけた。
その指先が、私の耳たぶを甘くなぞる。
「ひゃっ」
微弱な電流が走る。彼の指は熱かった。
さっきのスクーターの時は感じなかった、雄の色気が立ち上る。
彼はそのまま顔を近づけた。私の耳元へ。吐息がかかる距離。
「今の顔、すごく良かった」
甘い囁き。
そして、トドメの一撃。
「お姉さん」
ドクンッ!!!!
心臓が爆発した。
「お、おね……!?」
お姉さん――それは敬称ではなく、明らかに「年上の女」として揶揄うような、余裕たっぷりの響きだった。
私が真っ赤になってフリーズしていると、彼はパッと離れた。
「いい写真撮れました! 後で送りますね!」
そこには、いつものニカっとした無邪気なワンコの笑顔があった。尻尾が見えるようだ。
……今の、何?
私は呆然とした。
無自覚? 天然? それとも、全部計算?
どっちにしろ、確かなことが一つだけある。
この年下……侮れない。
ただのワンコだと思って近づいたら、喉笛を食いちぎられる。
「あ、そうだ。写真送るので連絡先交換しましょう」
「う、うん……」
写真データを送るという名目で、あまりにもスムーズに個人の連絡先を交換させられた。
ついに五人目。これで、攻略対象全員の連絡先が揃ってしまった。
帰りもスクーターで送ってもらうことになった。私は行きよりも、彼の背中に回す腕に力が入ってしまった。
意識してしまう。この背中の主が、あんな目をする狼だなんて。
――帰宅後。
私はベッドの上で、送られてきた写真を開いた。
『今日はありがとうございました! また遊んでくださいね!』
無邪気なスタンプと共に。
画面に表示された写真。
桜の花びらが舞う中、風に髪をなびかせて立つ私。少し困ったように眉を下げ、恥ずかしそうに頬を染めている。
でも、その表情は……自分でも見たことがないくらい、無防備で、柔らかかった。
「……私、こんな顔してたんだ」
私は画面を指でなぞった。
ふと、遠い記憶が蘇る。
もし、あの子が生きていたら。
幼くして亡くなった、私の弟。
もし生きていたら、凪くらいの歳になっていたのかな。
「……生意気な弟が出来たみたい」
私は小さく笑って、スマホを胸に抱いた。少しだけ、切なくて温かい気持ちが胸に広がった。
『はい、そこまで』
センチメンタルな空気を切り裂くように、明菜がパンパンと手を叩いた。
『全員攻略、お疲れ様。さぁ、ここからが本番よ』
彼女は空中に五枚のタロットカードを展開した。それぞれが、五人の男たちを象徴している。
【KING of WANDS(棒の王)】= 大山田大樹
【KING of SWORDS(剣の王)】= 剣崎恭弥
【KNIGHT of CUPS(杯の騎士)】= 桐生レオ
【KNIGHT of PENTACLES(金貨の騎士)】= ソ ・ユンジン
【THE SUN(太陽)】= 雨宮 凪
『茉莉子の中で、今一番好感度が高いのは誰? 五段階評価で教えなさい♡』
明菜は私の顔を覗き込んだ。
「えー……」
私は唸った。激動の一週間を振り返る。
「えっと、まず……大樹は、4かな。安心感あるし、ちくわ美味しいし」
「剣崎は、2。サメ映画の趣味は合うけど、理屈っぽいし」
「レオさんは……1。怖い。性格悪い。顔はいいけど無理」
「ユンジンは、3。ご飯は美味しいけど、オカンだし」
そして。
私は最後のカード、【THE SUN(太陽)】を指差した。
「凪くんは……」
今日のデート。桜の下での視線。耳元の「お姉さん」。
私はカッと顔が熱くなるのを感じた。
「……5、かな」
『あらあら♡』
明菜は目を細め、まるで幼子をあやすように「よしよし」と私の頭を撫でた。珍しく優しい。母性すら感じる手つきだ。
「明菜……?」
私が安心しかけた、その時。
彼女はニヤリと、いつもの悪魔の笑顔に戻った。
『素直でよろしい! だったら、次は好感度が高い人から接近していくわよ♡ 難易度高い順に落とすのが、ゲーマーの常識でしょ?』
「えええええ!?」
私の悲鳴が、九条家の屋敷にこだました。
どうやら、私の安息の日々は、まだまだ訪れそうにない。
私はスマホのリストを更新し、最後の一行を書き加えた。
雨宮 凪 → 【無自覚な人狼(普段はハスキー犬/ファインダー越しは肉食獣)】
これにて、入社一週目の全クエスト完了。来週からは、それぞれのルート分岐が始まる――。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:弟属性に弱い姉)
・職業:被写体(獲物)
現在のステータス
・魅力:A(「無防備」という名の最強の誘惑スキルを発動)
・メンタル:B(弟への思慕と、新たなときめきで揺れ動く)
新規獲得アイテム
・【凪の連絡先】:可愛いスタンプと、危険な誘いの二面性。
・【お姉さん属性(真)】:ユンジンには効かなかったが、凪にはクリティカルヒットした模様。
【明菜の分析ログ】
「油断大敵」とはこのことね。
一番安全だと思ってたワンコが、一番危険な獣だったなんて。
でも、アンタ……満更でもない顔してるわよ?
「亡くなった弟」の面影を重ねてるのかもしれないけど、彼はアンタを「姉」じゃなくて「女」として見てる。
そのズレが、これからどう響いてくるか……楽しみね。
さて、来週からは個別ルート突入よ。
覚悟はいい? セーブポイントなんてないわよ?




