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令嬢ゲーマー、婿活はじめます  作者: ベルガ・モルザ


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第十記録【嘘つき王子のソナタ】




四月五日、金曜日。十八時。


「んあぁ〜……やっと……やっと休日が貰える……」


 特別監査室。

 私はピンク色のソファの上で、燃え尽きた灰のようにぐったりとしていた。


 激動の一週間だった。

 月曜の入社式でのワンコによるHP激減に始まり、大樹との筋肉イベント、剣崎とのサメ映画鑑賞、そして昨日のユンジンとの食堂。


 濃厚すぎる。

 胃もたれしそうなほど濃いキャラたちとのエンカウントラッシュに、私の豆腐メンタルは限界を迎えていた。


 「お疲れ様でございます、お嬢様」


 音もなく現れた直之が、湯気の立つティーカップを差し出してくる。

 ベルガモットの香り。最高級のアールグレイだ。


 「ありがと、直之……生き返る……」


 私は震える手でカップを受け取り、命の水をすする。


 『あら、随分と疲れた顔してるけど』


 ベッドの上で、明菜が寝転がりながら自分の爪をいじっていた。

 紫のネイルが妖しく光る。


 『アンタ、今週まともに仕事してないじゃない。ただ男たちと遊んでただけでしょ?』


 遊んでないし〜 命がけのクエストだし〜。


 私は反論する気力もなく、ソファに沈み込んだ。

 HPは残りわずか。ゲージは赤色点滅中だ。


 早く家に帰って、着心地の良いパジャマに着替えて、スナック菓子片手にネトゲに没入したい。


 「……帰る。直之、車回して」


 「畏まりました。エントランスでお待ちしております」


 直之が一礼して部屋を出て行く。

 私も重い腰を上げ、バッグを掴んで部屋を出た。


 五十階のエレベーターホールへ向かうには、役員専用のロビーを通る必要がある。


 金曜の夜。

 役員たちは皆、銀座のクラブへ同伴出勤でもしているのか、フロアは静まり返っていた。


 コツ、コツ、コツ。

 ヒールの音だけが響く静寂の中。


 ポロン……。


 どこからか、ピアノの旋律が聞こえてきた。


 「……?」


 足を止める。

 BGM? いや、それにしては生々しい音だ。


 誰かが弾いている?

 曲はショパンの『ノクターン』。


 夜想曲。

 優雅で、甘美で、そしてどこまでも物悲しい旋律。


 誰? こんな時間に。


 元・ピアノをやらされていた身(華麗に挫折済み)として、その技術の高さはすぐにわかった。


 上手い。

 ただ上手いだけじゃない。

 一音一音に、深い溜息のような感情が乗っている。


 「……悲しい音」


 私は吸い寄せられるように、音のする方へと歩き出した。


 ロビーの片隅。

 ガラス張りの壁際に置かれたグランドピアノ。


 そこに、彼がいた。


 西日が差し込むマジックアワー。

 夕焼けのオレンジと、夜の群青が混ざり合う幻想的な光の中で、一人の青年が鍵盤を叩いている。


 ゆるく波打つセミロングのブロンドヘアが、光を透かして黄金色に輝いている。

 伏せられた長い睫毛が、頬に影を落とす。

 白く長い指が、鍵盤の上を滑るように舞う。


 「……うわ」


 私は息を飲んだ。

 SSR確定演出じゃん。


 顔面国宝かよ。絵画の中から抜け出してきたみたいだ。

 あまりの美しさに、私は声をかけることも忘れて立ち尽くしていた。


 やがて、最後の一音が消える。

 余韻が静寂に溶けていく。


 ふと、レオが顔を上げた。

 私と目が合う。


 瞬間。

 彼の顔に、パァッと花が咲くような笑顔が張り付いた。


 「やぁ。お疲れ様、茉莉子ちゃん」


 さっきまでの物憂げな表情はどこへやら。

 そこにあるのは、完璧な営業スマイルだ。


 「……聞いてたの?」


 声が甘い。

 砂糖を極限まで煮詰めたシロップみたいに、とろりと耳に絡みついてくる。


 「あ、はい……。すごく綺麗な音だったので、つい……」


 私は慌てて令嬢モードを取り繕う。


 『出たわね、王子様』


 明菜がふわりとピアノの上に舞い降りた。

 彼女は長い足を組み、一枚のカードを指先で弄んでいる。


 【KNIGHT of CUPS(杯の騎士)】


 『優しそうに見えるけど、その聖杯の中身には気をつけることね。毒か、惚れ薬か……飲んでみるまで分からないわよ』


 明菜の警告が脳内に響く。


 確かに、この男には隙がない。

 大樹のような単純さも、ユンジンのような人間味も感じられない。


 ただひたすらに、美しくて完璧な「作り物」のような気配。


 「立ち話もなんだし、座らない?」


 レオはピアノの長椅子の空いているスペースを、ポンポンと叩いた。


 「僕の隣、空いてるよ」


 「えっ、でも……」


 「遠慮しないで」


 拒否する隙などなかった。

 彼はすっと立ち上がり、私の手を取った。


 強引かつスマートに、エスコートするように私を椅子の隣に座らせる。


 近い。

 肩が触れ合う距離。


 ふわっと、高級なコロンの香りが鼻をくすぐる。


 「……」


 私はカチンコチンの石像になった。

 無理。イケメンと密着とか、バグるからやめて。


 「ピアノ、弾けそうな指してるね」


 レオは私の右手を掴み、鍵盤の上に置いた。

 そして、その上から自分の手を重ねてくる。


 「ひゃっ」


 温かい体温。

 細くて長い、芸術家の指。


 大樹のゴツゴツした手とは違う、繊細で、でもどこか冷やりとする感触。


 「力抜いて……そう。君の指、綺麗だね」


 耳元で囁かれる甘い声。

 背筋に電流が走る。


 まってまって。距離感!


 私は脳内で悲鳴を上げた。


 剣崎やワンコくんの時とは違う。

 もっとこう……粘着質な色気がある!


 絡め取られるような、逃げ場のない甘さ。


 彼は私の指を操るように、いくつかの音を鳴らした。

 不協和音にならず、綺麗な和音が響く。


 「ねぇ、茉莉子ちゃん」


 彼は私の手を握ったまま、ふと低い声で言った。

 鍵盤を見つめたまま、私を見ていない。


 「君さ。疲れてるでしょ?」


 「え?」


 心臓が跳ねた。


 「ま、まぁ……仕事帰りですし、一週間長かったですから……」


 「ううん。そうじゃなくて」


 彼はゆっくりと私の方を向いた。

 ヘーゼルの瞳が、至近距離で私を射抜く。


 「『いい子』を演じるのに、疲れてない?」


 ドクン。


 心臓が嫌な音を立てた。

 見抜かれている?


 私の「深窓の令嬢」という演技を?


 私は言葉を失った。

 何か言わなきゃいけないのに、喉が張り付いて声が出ない。


 レオさんは寂しげに目を細めた。

 その瞳の奥にあるのは、深い、底知れない闇。


 「わかるよ。だって僕も……同じだから」


 同じ。


 その言葉が、私の心の柔らかい部分に突き刺さる。


 中学時代、「人形みたいで気味が悪い」と言われたトラウマ。

 感情を殺して、アバターという仮面を被って生きてきた私。


 そして、社内のアイドルとして完璧な笑顔を振りまく彼。


 彼の一瞬だけ見せた「暗い瞳」が、私の中の孤独と奇妙にリンクする。


 「この会社、息が詰まるよね。みんな仮面を被って、嘘ばっかり。」


 彼は顔を近づけてきた。

 吐息がかかる距離。


 逃げられない。


 甘い毒のような声が、鼓膜を震わせる。


 「ここから、逃げ出さない?」


 私の心拍数は限界を突破した。

 思考回路がショートする。


 逃げる?

 どこへ?


 これはデートの誘い? それとも誘拐?


 私が頷きかけた、その時だった。


 「……なーんてね」


 彼はパッと離れ、ニッコリと完璧な「王子の笑顔」に戻った。


 「行こうか。送ってあげる」


 彼は私の手を引き、立ち上がらせた。

 その手は優しかったけれど、絶対に拒否させない強さがあった。


 私は訳も分からぬまま、彼に引かれて歩き出した。


 この先に待つのが、甘い夢なのか、それとも悪夢なのかも知らずに。




【明菜先生の研究メモ】


被験者データ No.002

・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:嘘つき王子の共犯者・仮)

・職業:疲れたOL → 動揺シンデレラ


現在のステータス

・魅力:B(疲労による「隙」が逆に怪我の功名)

・メンタル:D(トラウマスイッチを押され、不安定)


新規獲得アイテム

・【王子の本音】:甘い笑顔の裏にある、底知れない虚無感。

・【共鳴シンパシー】:「自分と同じ人種」だと認識されたことによる、危険な親近感。


【明菜の分析ログ】

「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものね。

嘘つきは、嘘つきの匂いに敏感なのよ。


彼はアンタの中に「自分と同じ闇」を見つけた。

これは恋? いいえ、もっと厄介な「共犯関係」への勧誘かもしれないわね。


王子様の馬車に乗る覚悟はある?

行き先は舞踏会じゃなくて、もっと深い「沼」かもしれないわよ。


ま、毒を食らわば皿まで。しっかり味わってきなさい。

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