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第一記録【助けて!脳内がハッキングされた!悪魔に!】



二〇一九年、三月二十八日、夜 


 カチャカチャカチャ、ッターン!

「ヒール遅いって! タンク、ヘイト漏らしてんじゃん! 」


 敵はあともう少し……


「よしいける!ギルド『九条ネギ』全火力ブッパせよおおおお!」


 薄暗い、二十畳はある広大な洋室。ここが私の聖域。

 天井には埃をかぶったシャンデリア。床に敷かれた最高級ペルシャ絨毯の上には、脱ぎ捨てたジャージとスナック菓子の袋が散乱してる。

 アンティークの猫足テーブルは、光り輝くトリプルモニターと業務用みたいなPCケースに占拠され、本来の優雅さを完全に失っていた。


 エアコンの駆動音とPCファンの唸りだけが響くこの部屋で、私はエンターキーを親の仇みたいに叩き込んだ。

 画面の向こう、禍々しいドラゴンのHPバーがゼロになって砕け散る。


 『お疲れ様でしたー!』『さすがマスター!』

 チャット欄を流れる賞賛の嵐。


 ふっ、チョロい。これだからネトゲはやめられない。

 ヘッドセットをずらして、勝利のコーラに手を伸ばす。


 コン、コン。

 重厚な扉から、控えめなノック音が響く。


 「……お嬢様。夕食のお時間ですよ。旦那様がお待ちです」


 ドアが開き、ヌッと現れたのはスキンヘッドにサングラスの巨漢。

 黒スーツに身を包んだその姿は、新宿の裏路地で人をミンチにする職業にしか見えないけど、手には可愛らしいレースのついたお盆を持っている。

 我が家の執事、直之なおひさだ。


 「……ありがと、直之。すぐ行く」


 私は精一杯の猫かぶりモードを絞り出す。

 内心では今のレイドボスより、アンタの顔圧のほうが怖えーよ! と毒づきながら。


 


 私は九条茉莉子、23歳。

 かつてはお受験三昧でピアニストだの何だのと夢を見た時期もあったけど、華麗に挫折。

 今はこうして、親のブラックカードという名の「無限課金アイテム」を使い込み、ネットの海でイキり散らすプロの引きこもりだ。


 この部屋だけが、私が英雄でいられる唯一の世界。

 そう思ってた。


 ――この日の夕食までは。


 


 九条家のダイニングは無駄に広い。

 20人は座れそうな長テーブルの端と端。

 遥か彼方の対面に座っているのは、小太りのタヌキ……もとい、私の父、九条壮一郎だ。


 父は極上の赤ワインをグラスの中で揺らし、ステーキを切り分けながら、私に満面の笑みを向けてきた。


 「まりちゃ〜ん♡ 今日のご飯も美味しいねぇ〜。あ、そうそう! パパね、来年で会社を売ろうと思うんだぁ」


 ナイフを持つ手が止まる。

 思考回路がフリーズした。


 会社を売る? パパが?

 九条グループといえば、泣く子も黙る巨大コンツェルンなんだけど。それを売る?


 「えっと、パパ? それ、どういう冗談?」


 「冗談じゃないよぉ。パパももう歳だし、これからはハワイでウクレレでも弾いて、のんび〜り暮らそうと思ってね!」


 ニカっと笑うタヌキ顔。


 待って。待って待って。

 会社の売却益でウクレレ? 結構だね。優雅な老後だね。

 けど、そのシナリオには重大なバグがある。


 「……じゃあ、私のカードは? 課金は?」


 声が震える。


 父はワインを一口含み、とびきり甘ったるい声で、残酷な事実を告げた。


 「もちろ〜ん、終わりだよ♡」


 ガーン。

 頭上から金ダライが落ちてきたレベルの衝撃。


 嘘でしょ? 私の生活基盤がサーバーダウン?

 今月、限定ガチャ回したばっかりなんだけど!?


 「嫌ならね、パパの会社で4月1日の入社式から働きなさ〜い。……といっても、お仕事はしなくていいよ。『婿探し』をするんだ」


 父は人差し指をチッチッと振る。


 「来年のパパの誕生日、3月3日までに、パパが認める『最強の男』を連れてきてね。そうすれば会社は継がせるし、まりちゃんの生活もぜ〜んぶ保証してあげる!」


 「はぁ!? 無理だって! リアルなんて無理ゲーじゃん! 私にそんなコミュ力があるわけないでしょ!?」


 私は椅子を蹴って立ち上がり、なりふり構わず抗議する。

 対人スキルなんて、中学生の時に捨てたっつの!


 でも、父はデレデレと目尻を下げたまま、とどめを刺してきた。


 「パパだってぇ、世界一可愛いまりちゃんをお嫁になんて出したくないよぉ〜! 寂しくて死んじゃう! でもねぇ、仕方ないじゃ〜ん。もうまりちゃんしかいないんだも〜ん」


 その言葉に、私は黙るしかなかった。


 優秀だった兄は事故で死んだ。

 弟は、母と一緒に、産声すら上げられずに逝った。


 この広い屋敷に残されたのは、私と父だけ。

 だから父は私に異常に甘く、私もその甘い蜜に溺れてきた。


 でも、その楽園はもう維持できないってことか。


 


 自室に戻った私は、ベッドにダイブした。

 高級マットレスに顔を埋め、足をバタつかせる。


 「無理……マジ無理。リアルの男なんてみんなNPCじゃん……会話の選択肢なんてわかんないし」


 絶望。

 HPは赤ゲージ。MPも枯渇。

 いっそ、このままログアウト(永眠)してしまいたい。


 カツ、カツ、カツ。


 不意に、部屋の中に硬質な音が響いた。

 フローリングを叩く、ヒールの音。


 直之? いや、あの大男は忍びみたいに足音を立てない。


 『――今の話、聞いちゃった♡』


 鼓膜を直接震わせるような、艶のある声。

 私はバネ仕掛けみたいに跳ね起きた。


 「えっ、誰!?」


 そこにいたのは、私の部屋には絶対に存在しないはずの「異物」だった。


 紫色の超ミニスカスーツ。黒の網タイツにピンヒール。

 キャリアウーマンとキャバ嬢を足して2で割って、猛毒を振りかけたような女。

 腰まである漆黒の髪は、日本人形のように切り揃えられた重たい前髪の下で、怪しく艶めいている。


 『ハロ〜迷える子羊ちゃん♡』


 女は長い足を組み替え、不敵に笑った。


 『アタシの名前は明菜先生。アンタのその腐ったゲーム脳、リプログラミングしてあげる』


 パチン、と彼女が指を鳴らす。

 瞬間、私の視界に半透明のウィンドウがポップアップした。


 > 【九条茉莉子】

 > 魅力:測定不能(原石)

 > メンタル:Eクソザコ


 「な、なにこれ……VR? AR? いや、ウイルス!?」


 私は慌ててPCのマウスを掴み、デスクトップに戻そうとする。

 こいつはバグだ。悪質なマルウェアだ!


 「消えろ! デリート! タスクキル!」


 『無駄よ。アンタの脳内に直接インストールされてるんだから』

 

 明菜と名乗った女が立ち上がり、私に迫る。

 逃げようとした腕を掴まれ、そのままベッドに押し倒された。


 冷たい感触。香水の匂い。

 物理干渉がある!?


 顔を近づけ、彼女はニヤリと笑う。


 『自己紹介がまだだったわね……アタシはしがない占い師アーンド悪魔キューピッドよ♡』


 「っ……! 直之ーー!! 直之ーー!!」


 私の悲鳴に応え、ドアが勢いよく開く。


 「お嬢様ッ!?」


 手には警棒を持った直之が飛び込んでくる。

 さすが元殺し屋(疑惑)、反応速度が神がかってる。


 私は馬乗りになってる女を指差した。


 「こいつ! ここにいる女を追い出してよ! 不法侵入だって!」


 「え?」


 直之がキョトンとして、部屋を見回す。

 その視線は、私の上の明菜を素通りし、何もない空間を彷徨った。


 「お嬢様? 部屋には誰もおりませんが」


 「は……?」


 私は凍りつく。

 目の前には、私を見下ろしてケタケタと笑う紫の女がいるのに。


 『残念ね茉莉子』


 明菜は私の鼻先を、どこからともなく取り出した勇者の剣でペチペチと叩いた。


 『アタシとの会話は脳波通信テレパシーよ。だからアンタ以外にアタシは見えないの、ちなみに今のアンタ、タロットで言うなら「塔」のカードね。正位置よ。意味は……「崩壊」「破滅」「急変」。今のアンタにぴったりでしょ?』


 直之が心配そうに私を見てる。


 「お嬢様、やはりお疲れでは……」


 私は理解した。

 これは呪いだ。先月の課金額が300万を超えた代償で、脳味噌がバグったんだ。


 「……なんでもない、直之。下がって……」


 力なく手を振る私を見て、直之は困惑しながらも一礼して出て行った。


 残されたのは、私と、ニタニタ笑う悪魔キューピッドのみ。


 終わった。私の人生、完全にエラー落ちだ。


 


 三月二十九日


 


 翌朝。

 私は死んだ魚のような目で、鏡の前に座らされていた。

 場所は表参道の超高級美容室。


 『ほら、背筋伸ばす! 猫背になってるわよ!』


 明菜が私の耳元で怒鳴る。

 彼女の手にはなぜかレイピアが握られてて、私の背中をチクチクと突いてくる。痛い


 「お、お客様? お加減が……?」


 美容師さんがおずおずと尋ねてくる。


 私は引きつった笑顔を貼り付けた。


 「いえ……なんでもないです。それで、オーダーは……」


 『色はアッシュベージュ! トーンは8! カットはレイヤー入れて動きを出して!』


 「……アッシュベージュのトーン8で。レイヤーを入れて、動きを出してください」


 私は明菜の言葉をそのまま復唱する通訳マシーンと化していた。


 


 美容室の次はブティックだ。

 着せ替え人形のように服を脱がされ、着せられ、明菜のダメ出しを食らう。


 『違うわね その色はアンタの肌がくすんで見えるわ』


 ――いや知らんし。


 『スカート丈は膝上5センチ! アンタの武器(脚)を使わないでどうすんのよ〜』


 ――微妙な短さが逆にハズい。


 『ナポレオンは言ったわ。「兵隊は胃袋で動く」ってね。男は視覚で動くのよ! 徹底的にビジュアルを磨きなさい!』


 胃が痛い。

 冷や汗が背中を伝う。

 店員の「お似合いです〜」って言葉が、「無理すんなオタク」っていう嘲笑に聞こえる。


 もう帰りたい。マジで帰りたい。

 布団にくるまってログボだけ受け取って寝たい。


 


 数時間後。

 ブティックの大きな鏡の前に、一人の女が立っていた。


 艶やかなアッシュベージュの髪。

 肌の白さを引き立てる、淡いブルーのワンピース。

 ヒールの高いパンプスが、驚くほど脚を長く見せている。


 「……誰これ」


 思わず声が出た。


 そこにいるのは、薄暗い部屋でジャージを着ていた「九条茉莉子」じゃなかった。

 誰もが振り返るような、完璧な「深窓の令嬢」。


 『素材だけはいいんだから、磨けば光るのよ』


 明菜が鏡の中の私の隣に立ち、満足げにレイピアを消滅させた。


 『これが新しいアンタのアバター、「一条茉莉子」よ。実家の名前を背負うにはまだ早いから、偽名でね』


 ――そんなことパパが家に出る前の朝食で言ってたっけ。


 一条茉莉子。

 私の、新しいキャラクター。


 『いい? 装備は整ったわ。あとはログインするだけよ』


 明菜がニヤリと笑う。

 その笑顔は、無理やり高難易度クエストを受注させられた時のギルメンの顔に似てた。


 「やっぱ行かないとダメ?」


 『決まってるでしょ。明日の入社式。そこがアンタの最初のダンジョンよ』


 私は鏡の中の「一条茉莉子」を見つめる。

 彼女は不安げに揺れる瞳をしてたけど、その奥には、微かな、本当に微かな「覚悟」みたいな光が宿ってる――ような気がした。


 こうして、私の「最強の男」を探すクソゲー(現実)攻略が、強制的にスタートしたのだった。


 

【明菜先生の研究メモ】

被験者データ No.002

・氏名:九条茉莉子(ハンドルネーム:一条茉莉子)

・職業:箱入りニート → 新人OL(偽装)


現在のステータス

・魅力:B+(装備補正込み。中身はE)

・メンタル:E(豆腐メンタル。風が吹けば崩れる)


所持スキル(パッシブ)

・【深窓の令嬢(偽)】:黙っていれば育ちの良いお嬢様に見える。喋るとボロが出る確率50%。

・【ゲーマー視点】:現実の事象をゲーム用語に変換しないと理解できない。


【明菜の分析ログ】

 

素材は一級品。でもOSがWindows95並みに古くてポンコツね。「無理ゲー」とか言ってるけど、アンタが今までプレイしてたのは「チュートリアル」ですらないわよ。

 

ま、アタシがガッツリ調教してあげるから覚悟しなさい。まずは挨拶からよ。カエサルも言ってたでしょ? 「賽は投げられた」ってね。もう後戻りはできないわよ、茉莉子?

※作中のタロットカード・偉人の名言について


本作に登場するタロットカードの解釈や偉人の言葉は、作者なりに調べて執筆しておりますが、明菜先生の独自解釈(かなり自由奔放)や物語上の演出が多分に含まれています。


「ナポレオンはそんなこと言ってない」「そのカードの意味、ちょっと違う」と思われた方……正解です。明菜先生が勝手にアレンジしてます。


厳密な歴史書や占い指南書ではなく、エンターテインメントとして楽しんでいただければ幸いです!

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