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空に浮かぶ理由と、最悪の転校生

「っうっお!!!」


 夜空に向かって、腹の底から驚愕の声が漏れた。

 優一は――空を飛んでいた。

 言葉通り、文字通り、地面から切り離されて空中に浮いている。


 住み慣れた街を上空から見下ろすのは初めてだった。

 道路の光、家々の灯り、遠くに伸びる夜の輪郭。そのすべてが現実離れしていて、胸の奥にじわりと感動が押し寄せてくる。


「どうですか? 少しは気分が晴れましたか?」


 隣で同じように空を飛ぶリルが、様子をうかがうように声をかけてきた。


「お、おう……」


 脳が処理しきれず、そんな曖昧な返事しか出てこない。

 そもそも――リルの言った『空中デート』という、生涯で多分一度も聞かない言葉の意味が理解できていなかった。


「夜の方が景色がいいと思いますので、夜にしましょうね!」


 夕方、リルはそう明るく言い切った。

 想像もできないまま言われるがまま一通りの用事を終え、夜になって庭に出た優一は、そこで呪文のような詠唱を聞くことになる。


 詠唱が終わった瞬間、身体がふっと軽くなった。


 ――鳥になったみたいだ。


 思うままに空を移動できる感覚。

 その感動は、夕方まで優一を覆っていた沈んだ気分を、きれいに吹き飛ばしていた。


「もっと上に行きましょう」


 リルはそう言って上を指し、優一の手を取る。

 二人はそのまま、さらに上昇していった。


 雲の中を突き抜ける。

 水蒸気で肌が濡れていくが、そんなことはどうでもよかった。


 やがて薄い光が見え、目を凝らした次の瞬間――


「……なんだ、これ。すげえ」


 半ば無意識に、そんな言葉がこぼれ落ちる。


 視界いっぱいに広がるのは、無限の夜空。

 そこに散りばめられた星々が、時代を超えた光を放ち、世界を静かに飾っていた。


 都会育ちの優一には、見たことのない光景だった。

 本来、空はいつもそこにあるはずなのに、電気の発展がそれを見えないものにしていたのだ。


 鳥肌が立つ。

 思考も意識も、どこまでも続く夜空に吸い込まれていく。


「綺麗ですね。この世界の空は」


 リルが、視線を奪われたまま呟く。


「どうですか、優一さん。少しは気分転換になりましたか?」

「……ああ」


 短く、でも確かに頷いた。


「なら良かったです。どれくらいの時間になるかは分かりませんが……少しだけ、わたしたちのことをよろしくお願いします」


 優一は沈黙で返した。


「リル……だっけ。名前」

「は、はい!」


 初めて呼ばれた名前に、リルは顔を染めて子供みたいに返事をする。


「その……まだ全部受け入れる気にはなれないけどさ」

 言葉を探しながら、優一は続けた。

「少しぐらいなら……こういうのも、いいかもな」


 こんなことをされたら、一方的に拒絶なんてできない。

 妃もリルも、ずるすぎる。


「実は……ダラク様の行動に疑問を持たなかったわけではないんです」


 リルは、夜空を見上げたまま語り始めた。


「わたし、こう見えて結構有名な魔法使いでして。代々勇者様に仕える家系に生まれました。十六になった時、ダラク様とお会いして……最初は疑問もありました。でも、きっと何か考えがある。世界を平和に導いてくれるって、今は信じています」


 その瞳は、あまりにも澄んでいた。

 優一は心の中で呟く。


(いや、多分何も考えてないぞ)


 買いかぶりすぎだ。


「もしそれが勘違いだったとしても、わたしもジルさんもダラク様に従います。だから、この世界がダラク様に変化を与えてくれたら……それだけで嬉しいんです」


 そう言って、リルは優一を見て微笑んだ。


 ――俺に、人を変える力なんてない。

 行動力もない。あるのは平和に暮らすモブ力だけだ。


 否定すべきだった。

 でも、この空気を壊す勇気はなかった。


「変な話してすみません。迷惑でしたか?」

「いや、そんなことない」

「なら良かったです。そろそろ戻りましょうか」

「だな……上の方、意外と寒いな」

「ですね! 明日からもっとこの世界を知るために頑張らないといけませんし、早めに寝ましょう!」


 こうして、空中デートは幕を閉じた。


 ――翌日。


 学校へ向かう優一を、姉の姿は出迎えなかった。

 メールを送ると、見たことのない景色をバックに、楽しそうなツーショット写真が返ってくる。


 スマホを閉じ、何とも言えない感情を押し殺した。


 それとは別に、リルとジルの様子がどこかおかしい。

 理由は分からない。ただ、確実に昨日までとは違っていた。


「おはよ」


 隣の席の月野に声をかける。


「んはよー……ぁあ」


 大きなあくび。

 やがて意識が戻った月野が、ふと思い出したように言う。


「今日、転校生来るんだって」

「え、知らないけど」

「二人らしいよ」

「……二人?」


 嫌な予感が、確信へと変わる。


 ――明日からもっとこっちの世界を知るために頑張らないと行けないので。


 昨日の言葉が脳裏をよぎる。


 優一は祈るように手を握った。


「なに神頼みみたいなポーズしてんのよ!?」


 月野の声も耳に入らない。


 やがて先生が教室に入り、転校生の紹介が始まる。


 廊下から二つの足音。

 教室に現れたのは――少女と、どう見ても高校生ではないゴツいおっさん。


「初めまして。阿亜アあ・リルです。こちらは阿亜アい・ジルさんです」


 その瞬間、優一は悟った。


(ああああ……)


 ――よくあるRPG勇者の名前じゃねーか!!!


 頭を抱える優一とは裏腹に、クラスは好意的だった。


「珍しい苗字だ」

「帰国子女かな?」


 世界は優しかった。


 だが、追い打ちは来る。


「日向さんのお宅でお世話になっているそうですね」


 優一の意識は、天に召されかけた。


 隣で月野が、意味深な視線を向けてくるのを感じながら――

 優一の日常は、完全に終わった。

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