魔王という圧力
しかし月野は生きていた。
大剣が、ギリギリのところで止まっていたのだ。
「なんだ、これ……!?」
優一は自分の身体に起きている異変に気付く。
重い。
いや、重すぎる。
限界を超えた緊張の時に似た吐き気。
一歩も動けない。
今まで一度も感じたことのない圧迫感が、心を内側から押し潰そうとしてくる。
――心が、潰される。
それは優一だけではなかった。
月野も、そしてシビトでさえ、完全に動きを止めていた。
「……なに、この嫌な感じ」
月野が掠れた声で呟く。
震える瞳が、この状況を理解できていないことを物語っていた。
やがてシビトは、どこか遠くを睨みつけるように視線を向け、低く威嚇する声を上げると、その方向へと飛び去っていった。
「これは――魔王」
背後で、リルが呟く。
「……魔王?」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
「この感覚、この空気、この気配……間違いありません。魔王が、近くにいます」
冗談とは到底思えなかった。
確かに視線の先に、“何か”がいる。
姿は見えないのに、はっきりと分かる。
「あんたたちの言う……魔王ってやつ?」
月野は震える足を叱咤するように立ち上がる。
「行かないと。魔王を倒さないと」
珍しく真っ当なことを口にしたリルは、優一や月野の返事を待つことなく、ジルと共に魔王がいるであろう方角へと走り出した。
「……私たちも行きましょう」
本音を言えば、今すぐ家に帰りたかった。
だが、この状況でそんな選択肢があるはずもない。
優一は月野の後を追った。
しばらく走った。
走るほどに、心が何かに押し潰されていく。
次第に、二人の歩幅は自然と小さくなっていた。
「やっぱり……あなたでしたか!!」
リルの叫び声が聞こえ、優一たちは合流する。
吐き気を必死に堪えながら、リルとジルの背後に立つ。
リルの声音は、明らかに張り詰めていた。
「――!?」
隣で、月野が言葉を失う。
動揺が隠しきれず、顔に刻まれていた。
それは優一も同じだ。
あれほど手強かった大型シビトが、まるで赤子のように弄ばれている。
そして、そのシビトと対峙――いや、戯れている存在。
黒に染まった、人型の存在。
体格は二メートル弱。
白髪に、若い顔立ち。
頭には禍々しい角が二本。
RPGで見たことのある“魔王”そのものの姿。
――間違いない。
「あれが……魔王」
「やっと会えたな。勇者の仲間たちよ」
たった一言。
それだけで、この場の空気が完全に支配された。
「な、何故……あなたがここに……」
「言うまでもないだろう。勇者の宿敵は魔王だ。同じ世界にいて、何がおかしい?」
魔王は一度、周囲を見渡す。
「……さて、あいつはまだ居ないようだな」
口角がわずかに上がる。
優一たちを舐めるように眺め、再び笑った。
本能が、全力で警鐘を鳴らしている。
これは敵だ。
触れれば死ぬ。
――だが、不思議だった。
優一は魔王に、説明できない“何か”を感じていた。
一瞬、視線が合った気がする。
それに気付いたのか、魔王が小さく鼻で笑った。
「ふっ……今日は引き下がろう。色々と苦労しているようだしな」
魔王が息を吐き、眉間に力を入れた瞬間。
大型シビトは灰となり、跡形もなく消え去った。
魔王の身体は闇に包まれ、支配していた重圧も嘘のように消えていく。
「あのシビトを……一瞬で……」
月野が、呆然と呟いた。
「……とうとう来たのか」
魔王の出現。
それは最悪のシナリオの始まりであり、
同時に、取り返しのつかない物語の幕開けだった。
優一たちは、しばらくその場から動けずにいた。




