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平穏という名の、最後の日常

平穏な世界。

緑は溢れ、海は澄み、街は今日も人々の喧騒で満ちている。


――それを、神のような視点から眺める者がいた。


その存在は、ただ一人の少年に目を留め、口元を歪める。

まるで、これから起きるすべてを知っているかのように。



一章 日常から非日常へ


春の終わり。

新しい始まりに胸を躍らせる季節が過ぎ、太陽が本気を出し始める六月。


喉の渇きに耐えきれず、男は目を覚ました。

睡魔という名の絶望を抱えたまま、ゆっくりと上半身を起こす。


「……朝か」


休みたい。

心の底からそう思うが、そうもいかないのが現実だ。


だらだらと部屋を出て、顔を洗う。

すると、台所の方から聞き慣れた声が飛んできた。


「ご飯できたよー!」


「はーい……」


少し大きめに返事をして席に着く。

差し出されたのは、シンプルなお茶漬けだった。


「優一、もっとシャキッとしなさい」


そう言いながら声をかけてきたのは姉の妃だ。

大学二年生で、弟の俺から見ても普通に美人。しかもスタイルがいい。


「んー……」


適当に相槌を打ち、お茶漬けを一気にかき込む。

歯を磨き、制服に着替え、いつもの朝のルーティンをこなす。


「私、しばらく家を空けるじゃん? その間一人なんだから、ちゃんと生活しなよ?」


「はいはい」


妃は化粧をしながらそう言う。

化粧なんてしなくても十分きれいなのに、「女の仕事なの」と毎回欠かさない。


両親は世界中を飛び回っているため、普段は姉と二人暮らし。

その姉も友達と旅行に行くらしく、しばらく家を空けるらしい。


言っていることは正しい。

けれど俺は真剣に聞かなかった。


反抗期とか不良とか、そういう理由じゃない。

ただ単純に、朝は眠い。それだけだ。


「行ってきます」


そう言って家を出る。


俺――日向優一は、特別頭がいいわけでもなく、

偏差値もほどほどの学校に通う、ごく普通の高校生だ。


本当にどこにでもいる。

もし“モブ成分”という数値が存在するなら、俺は間違いなく百パーセントだろう。


学校に着き、少し友人と話してから自分の席へ。


「おはよう」


隣の席の女子――月野吹雪に声をかける。


「おはよう」


眠そうな声で、オウム返しのように返ってきた。


「日向さ、宿題やった?」


机にナメクジみたいにへばりつきながら、月野が聞いてくる。


「やったよ。月野は? ていうか、いつも眠そうだな」


「一応ね。まあ……色々事情があるのよ」


「その事情って、何回聞いても教えてくれないやつだよな?」


入学して約二か月。

俺はクラスの誰とでもそれなりに話せるが、月野とは特に会話が多い。


ただ一つ気になるのは、彼女が常に眠そうなことだ。


「それは言えない。言ったらきっと――」


一瞬言いかけて、月野は言葉を止める。


「……やっぱ何でもない」


またか、と思いつつ、深くは追及しない。

人にはそれぞれ事情がある。


「まあいいけど。無理すんなよ」


「うん、ありがと!」


そうして、

俺の日常はチャイムの音とともに、いつも通り始まった。


――この時はまだ知らなかった。

この平凡な朝が、俺にとって最後の“日常”になることを。

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