都より黒雲、播磨の空を覆う
播磨の空を渡る初冬の風は乾いていた。粥の炊き出しで賑わい始めた宿場町に、都からの早馬が雪雲のように冷たい知らせをもたらす。
「左大臣家の御検使がお着きです!」
騒ぎの中心で馬を下りたのは、藤原頼長の腹心・綾小路信通。緋色の直衣に鮮やかな金糸を散らし、家司や郎党を従え、まるで都の権勢そのものを運んできたかのようだ。
政庁の大広間。加藤清光が木刀を脇において迎えると、信通は開口一番こう告げた。
「播磨に賄賂を受けぬ奇人がいると聞く。検分の上、不備あらば即刻罷免、都へ召し返すよう仰せつかった」
清光は笑って頭を下げた。
「ようこそ。胸の大小で粥を分けぬ国へ」
信通の眉がわずかに動く。
その夜、国府の水路建設地で事故が起きた。切岸が崩れ、用水が濁流となって堰を破り、畑を一面泥で埋めたのだ。現場に駆けつけた清光は崩れた掘割の縁に立ち、竹灯を掲げた。
土の匂いに混じって漂う油の臭気。夜陰で見えにくいが、切岸の根本に仕掛けられた燧石が割れているのを見つけた。
「人為だ……」
翌日、信通は宿場の広場で民を集め、声高に宣言する。
「水路は危険! 都の検使が止める。粥も炊き出しも禁ずる!」
民はざわついた。一人の老婆が叫ぶ。「米をくれたのは下司様だけじゃ! 都の人は胸しか見んのか!」
信通は顔をしかめ、護衛に老婆を捉えさせた。
その光景を見た清光は壇に上がり、砕けた土の付着した木刀を掲げた。
「胸でも金でもなく、腹と心を満たすための水路を止めるのは誰だ?」
信通が薄く笑う。「御所の命に背くのか」
「背かない。だが都は、胸の大きさで民を量るのか?」
沈黙。雨雲のように張りつめた空気を破ったのは、赤松党の元残党たちだった。
「殿の米で家族が笑った!」「水路があれば作物が増える!」
声は次々に膨らみ、広場は一面の怒号に変わる。信通は袖を翻し退いたが、その目には冷たい光があった。
三日後の未明、政庁の米蔵が放火された。燃え上がる炎の前で、清光は折れた木刀を抱えながら叫ぶ。
「心が燃やされてたまるか!」
火勢は強かったが、山賊改心組と僧兵が協力し、桶の列で水を回して鎮火に成功。焼け残った俵を確かめると、米袋は切り裂かれ灰を詰められていた。
信通の名を挙げる証拠はない。しかし翌朝、彼は都へ帰る駕籠を急ぎ仕立てていた。
「播磨は荒れ地。胸躍る見世物には飽いた。後は勝手に朽ちるが良い」
駕籠の列が宿場を抜けるとき、民は米俵の残りかすでつぎはぎした小さな旗を振った。白布に書かれた黒い二文字――「ぺた」。
黙って見送りに並ぶ清光に、信通は嘲笑を向ける。
「胸も金もいらぬというが、結局は力がなければ奪われるだけだ」
「奪われても、何度でも蒔く。民が手伝ってくれる限りな」
信通の駕籠が消えると、雨雲が裂けて一筋の陽が差した。濡れた地面から湯気が立ち、灰に塗れた畑に新芽が顔を出している。
清光は木刀を地に突き立て、折れ目を撫でた。
「折れても、繋ぎ直せば立つ。心も水路も同じだ。――さあ、掘り直すぞ!」
民の合唱が応え、鍬が泥を跳ねた。信通の密書はすでに都へ走り、左大臣家の策は次の手を繰り出すだろう。しかし播磨では、折れない心の旗が確かにひるがえっていた。
(第24話につづく)
次回予告
第24話「雨上がりの畑、胸を越えて芽吹くもの」
焦土になった田を蘇らせるため、清光は斬新な“胸フラット農法”を提案。だが遠国守の交代命令が都から届き、水路計画は再び危機に。粥と土と笑顔のため、ぺた魂は最後の大勝負に出る!




