文の裏にあるもの
第2章「少年たちの野望と政」始まりです
文月の風は湿り気を帯びて、都の石畳をねっとりと撫でていく。
そんな昼下がり、俺は内裏の片隅で、ひとつの文を受け取っていた。
――それは、小夜からの文だった。
『都のぺた者へ。
山々の緑は濃く、田の草取りで肌が焼けております。
都では、戦が近いとの噂も流れておりますが……お身体を大切に。
ぺた、信じております。
小夜より』
手紙の末尾に添えられた「ぺた」の文字を見て、俺のセンサーがひそかに赤く点滅した。
(……信じてる、か)
どこか遠くから、声が聞こえた気がした。
山中で出会った少女。たった一夜、共に過ごしただけの小夜。
けれど、あのまっすぐな瞳は、ずっと胸の奥に焼きついていた。
「加藤殿。おや、文のお相手は……?」
すぐ背後から、嫌味ったらしい声がした。
振り向けば、またもや藤原忠方が立っていた。
「ただの、知人からの文です」
「ふむ……農家の娘にしては、随分と文が整っておりますな。まさか、手ほどきでも?」
「彼女は、自分の言葉で書いたまでです」
俺は声を張って言った。
忠方はニヤリと笑って言った。
「お主、心がぺたぺたに脆うございますな」
(……くっそ、ぺたを使ってうまいこと言いやがって!)
「ところで、加藤殿。近頃、院より“文の管理”について厳命が出ております。
内容によっては、取り締まりの対象となるやもしれませんぞ?」
「脅しですか?」
「忠告ですぞ、ぺた殿」
そう言って去っていく忠方の背中に、思わず何かを投げたくなる衝動を抑える。
(……なんだあの貴族。性格曲がりすぎだろ)
小夜の文を、そっと袂にしまい込む。
だが、彼の言ったことも、全くの嘘ではなかった。
その夜、俺は清盛の屋敷に忍んでいた。
「また面倒事か?」
「貴族の“におい”がするんだ。何か、動いてる」
清盛は腕を組んで唸った。
「確かに、最近うちの親父――忠盛もやたらと院から使いが来る。妙に落ち着きがねぇ」
「文の取締りとか、兵の再配備とか、政の動きじゃなくて、戦の準備にしか見えない」
清盛は立ち上がり、地図を取り出した。
それは、都を中心に貴族の屋敷や衛兵の配置が書かれた簡素な地図だった。
「お前の直感、案外当たるからな。ちょいと探ってみるか」
「ぺたの勘、なめんなよ」
「いや、そこは信用しねえわ」
清盛は笑い、俺の背を叩いた。
翌日。
俺は、斎子姫のもとを訪れていた。
「姫、近頃の内裏……不穏です」
「わらわも感じております。使いの者が、そわそわしておる」
「忠方のような貴族が力を持ち始めたら、姫の立場も危うくなります」
「……また、政略の道具にされるやもしれぬのう」
姫は、目を伏せた。
その横顔を見て、俺は心を決めた。
「姫。もしものときは、俺が姫を連れて逃げます」
「……それは、“誘拐”と申すのでは?」
「違います、“ぺた防衛戦”です!」
「ふふっ……変な名目じゃのう」
姫は、微笑んだ。
どこか不安げな、しかし確かに俺を信じてくれている――そんな表情だった。
屋敷へ戻ると、文が届いていた。
封を開けて読む。
『都にてぺたの名を口にするなかれ。
噂はすでに風に乗っております。
貴殿の小さき信仰が、大きな騒乱に巻き込まれぬことを祈る。
――一介の変態より』
(……誰だよ!)
だが、これは明確な警告だった。
“ぺた”の名が、都の政争の隙間に入り込みつつある。
戦乱の火種が、今、風に煽られている。
(第18話へつづく)