斎子姫、微笑む
ある晴れた昼下がり。
白梅の香る中庭で、斎子姫と向かい合っていた。
「では加藤殿、“ぺた”とは……心の平らかさでもある、ということですか?」
「……はい、姫」
俺は真剣だった。
ここでヘラついたら、これまで築いてきた“ぺた道”が水泡に帰す。
「たとえば、形のないもの――慈しみや、優しさ――そういった“胸”は、目に見えずとも、確かに存在すると思うんです」
斎子姫は、膝の上に置いた扇を静かに閉じた。
「それは、“心の器”と申せましょうか」
「おお……! ぺたにして、器深し!」
「やはり変態ですな」
「うぐっ」
斎子姫は、柔らかく笑った。
「わらわ、最近ようやく分かってきた気がします。“ぺた”とは、清らかなものへの敬意なのですな」
「はいっ!」
思わず立ち上がってしまうほどの感動だった。
(この人……ほんとに、真面目に受け止めてくれてる……!)
「それで、今日は……内密のご相談がございまして」
斎子姫は少しだけ声を潜めた。
「近ごろ、鳥羽院様と白河院様のご関係が、ひどく不穏にございます」
「……やっぱり」
陰で動いていた政争が、いよいよ水面上に出てきたようだ。
「内裏でも、誰がどちらに付くか、ひそかに探り合いが続いております。女房たちの間でも、噂が絶えませぬ」
斎子姫は、あの柔らかな声のまま、しかし真剣な目で続けた。
「わらわのもとにも、“ご婚儀の打診”がいくつか届いております」
「……!」
「名ばかりの政略結婚。相手の顔も知らぬまま、“駒”として扱われるのは、正直……つらいものです」
「……それは……」
俺は、言葉を失っていた。
現代に生きていたときは、見たこともなかった“政略結婚”という制度。
だが、今、この目の前の女性が、それに巻き込まれようとしている。
「加藤殿……」
斎子姫が、静かに言った。
「もし、何かあれば――」
「――俺が守ります」
反射的に、そう口にしていた。
姫の目が、ゆっくりと見開かれた。
「俺は、ぺたを信じてます。そして、姫も――ぺたの象徴です」
「それ、誉め言葉なのか分かりませぬが……嬉しゅうございます」
頬を染めて、斎子姫が笑った。
ああ、なんて上品で、けなげな“ぺた”なんだ――!
俺のぺたセンサーが、真っ赤に反応していた。
だが今だけは、それをそっと胸の内に仕舞っておく。
屋敷に戻ると、玄関で清盛が腕組みして待っていた。
「……なんか、雰囲気変わったな」
「え?」
「お前、顔が引き締まってる。“信仰の旅人”から、“ぺた騎士”になったみてぇだ」
「……そんな称号いらないから」
「で? 斎子姫と何話してた?」
「秘密だ」
「おっ、マジか。……いいな、そういうの」
清盛は、どこか羨ましそうに笑った。
「さて、そろそろ、都が本格的に動くぞ」
「……やっぱりか」
「鳥羽院と白河院、それに摂関家。誰が覇を握るか、風向きが変わりはじめてる」
「そのとき、俺は……どこにいればいいんだろうな」
清盛は答えなかった。
代わりに、俺の背中を、ぽんと叩いた。
「お前は、お前の“ぺた”を貫け。そうすりゃ、ちゃんと道が見えてくる」
「……ありがとう、清盛」
空は晴れ、雲ひとつなかった。
(戦の影は近づいている――けれど、今は)
俺は、ぺたの信仰と、誰かを守るという覚悟を、少しだけ胸に灯した。
(第2章へつづく)