塔の番人 ④
撤退していくハクタナの兵士たちを見送り、トウモリは大きく息を吐いた。
「終わったか……」
血に濡れた大地を見下ろす。
塔への挑戦は1月にせいぜい1度、2度あれば珍事というレベルだ。
そしてそのほとんどが、それ以外の道を失った無謀な流浪人たちだ。
砂漠の辺境にたどり着くだけで消耗しており、こちらが手加減しても、撤退さえできず死んでしまう者さえいる。
そんな流浪人の中には、軍を始めとする組織に威力偵察として使われた者もいたのだろう。
「彼らの無念を考えれば……いや、憶測で殺すのも理不尽か……」
この判断が吉と出るか凶と出るかは分からない。
「さあ、事後処理をしなくてはな……」
危機は去った。
戦場の清掃のため、屋外用の清掃ロボットを起動して派遣する。
明日にはいつものまっさらな大地に戻る。
『機械兵』は地下の工場で再生産される。
『精霊機獣』も夜間に塔が行う奏導術によって、その体が修復される。
すべての防衛システムが、半永久的に利用できるようになっている。
その中には当然、老けない塔の番人、トウモリも含まれていているのだろう。
(ただ、圧倒的だった文明の差は埋まりつつある。こちらも変化しなければ、いずれ塔も攻略されるのだろう……)
それが1年後なのか、50年後なのかは分からない。
トウモリはそのときを夢想すると、なぜか期待と虚しさが同時に襲って来るのだった。
♢ ♢ ♢
その夜、トウモリの自室に静かなチャイムが鳴った。
就寝中のトウモリは、静かに息を吐いてベッドから降りた。
「この時間の来訪者か。わざわざ夜の砂漠を歩くもの好きは誰だ?」
〈ブラザー、それなんだが……〉
グレイムの歯切れが悪い。
「まさか、昼間のハクタナ軍の関係者か?」
〈いいや。塔に来たのは一人の老人だ。見る限りでは死に掛けている〉
「分かった。すぐに行く」
トウモリは手早く身支度を済ませ、杖を持って第五層の『展望』へと向かった。
砂漠の夜は冷える。『展望』には夜風が吹き込み、トウモリは身震いをした。
モニター越しに確認したところ、うつ伏せに倒れて動かない老人の姿が見えた。
その隣には、白い布に包まれた小さな赤ん坊の姿があった。
〈つい数10秒前に動かなくなった。センサーで確認したら、心拍も停止していた〉
「赤ん坊には息があるようだ」
トウモリは気温の低さを肌で感じていることもあり、状況に危機感を覚えた。
〈ブラザー、その子をどうする?〉
「どうする、だと。助ける以外に選択肢があるか?」
トウモリはグレイムの言葉が信じられなかった。
「……罠だとでもいうのか?」
〈いーや。その可能性はねえだろうな。作戦にしては雑過ぎる〉
「だったら、考える余地はないだろう」
〈その子を助けるということは、その子の人生を背負うということってことだ。あとで両親が迎えに来るなんて甘いことを考えているなら、考え直した方がいい〉
トウモリはグレイムの言葉を受けて、焦る気持ちを落ち着けた。
「……私はあの子を助ける」
それでも、結論は変わらなかった。
「塔を守るのが私の使命だ。この塔が本当に守るべき価値があるものだとしたら、あの赤ん坊を見捨てることはしないはずだ」
トウモリは杖を起動させて、奏導術を奏でた。
「この考えは間違っているか?」
〈……いいや。その判断だけが、この場におけるたった1つの正解だ〉
その言葉に背中を押され、トウモリは駆け出した。
緑に輝く風を身に纏い、塔の『展望』から飛び降りる。
突風がクッションとなり、トウモリは砂の大地に無傷で着地した。
息をつく暇もなく、ゲートへと走り始める。
(塔の外へと向かうのはいつぶりだろう……)
思い出そうとして、そんな記憶は存在しないことに気付いた。
トウモリは生まれてから1度も、ゲートの外に足を踏み出したことはなかった。
ゲートが開き、トウモリは塔の敷地の外へと出た。
ゲートのすぐそばには、老人の遺体と白い布に包まれて泣く赤子が見えた。
トウモリは砂まみれになった赤ん坊を、そっと抱き抱えた。
耳をつんざくような泣き声。
そのしかめっ面を見て、トウモリはようやく安心した。
「あとで必ず埋葬に来ます」
トウモリは老人の遺体に頭を下げると、ゲートを潜り、塔の敷地内へと戻った。
風が止むとようやく赤ん坊は泣き止んだ。
「もう、大丈夫だよ」
赤ん坊は小さな目を丸くして、トウモリのことを見つめている。
その頬に一粒の雫が落ちる。
「やァ」
赤ん坊が不機嫌そうな声を上げる。
「……ごめんな。冷たかったかい」
顔を拭う代わりに夜空に目を向けると、滲んだ星々がいつもより輝いて見えた。