隕石Xの物語 ②
〈マモリ。カナタから電話だぜ!〉
「ああ、もうそんな時間か……」
マモリと呼ばれた30代半ばくらいの白衣を着た男は、グレイムの声を聞いて、机の隅にある時計を確認した。
とっくに日は昇っている。
塔の中に籠っていると、季節や日付の感覚はもちろん、昼夜の感覚さえ曖昧になる。
「だが、これから宇宙を旅するであろう人類にとって、果たしてこの時間の感覚というのは、どれほど必要なものなのだろうか……」
〈宇宙船では照明や空調で乗務員の生活サイクルを維持するんだぜ。定期的なバイタルチェックも行って――〉
「分かってる。そういう話をしてるんじゃあない。もっと情緒のある話だ」
〈へへ。オレだって分かってるぜ。マモリが自分の不摂生を屁理屈で誤魔化そうとするのが悪いんだ〉
「……はあ。情緒なんてない方がマシだな。で、カナタはなんて?」
〈会いに来るってよ。今日の10時ごろに――〉
「すぐじゃないか!」
マモリは机から離れると、急いでシャワーへと向かった。
〈付き合いたてのカップルじゃねえんだから、そんなに気合を入れなくてもいいんじゃねえか?〉
「直接会うのは半月ぶりだぞ。ただでさえ、こちらからは会いに行けてないのに。適当にやってたら、離婚まっしぐらだ」
マモリは身なりを整え、最後に洗いたての白衣に袖を通す。
ちょうど、呼び鈴の音が塔内に響いた。
「――久しぶり」
カナタは美しい黒髪を伸ばした、背の高い女性だった。
「やあ、元気だったかい」
「ちゃんと寝てる?」
「正直言うと、僕は徹夜明けだな。でも、グレイムの方は快調だ」
マモリの言葉に応えるように、スピーカーの電源が入る。
〈ようカナタ、元気にしてたか?〉
「うん。元気元気。それで、その話し方はどうしたの?」
〈マモリが教えてくれたんだぜ〉
「いやあ、あの堅苦しい話し方では僕とキャラが被ってしまうと思ってね。それに、この方が親しみやすいだろう」
「ふふふ。いいんじゃない? 兄弟みたいで」
カナタは可笑しそうに笑った。
グレイムは二人が仲よさそうにしているのを見て、この場に自分がいられることが嬉しくなった。
けれど、カナタの笑顔はすぐに引っ込み、話すトーンを少しだけ落とした。
「……早速だけど、実は込み入った話があるの。グレイムもよかったら聞いて」
♢ ♢ ♢
「……宇宙開発プロジェクトの再開か。嘘から出た真とはこのことだな」
第三層にある『客室』で、カナタは時折コーヒーを飲みながら話した。
「ええ、笑っちゃうよね。今回のコンセプトは、宇宙空間における半永久的な生活空間の形成と文明の維持」
「……また、随分と大袈裟な言い方だな。コロニーでも作りそうな謳い文句だが、実際は長期活動可能な宇宙船の作成だろう」
輝かしい文明の発達は同時に資源の枯渇も意味していた。
今現在、テルラ大陸にもノヴァ大陸にも宇宙開発に割く予算の余裕など存在しない。
「そうね。コロニー形成には課題が山積み……我らの希望、奏導術も宇宙では効力を発揮しないからね」
――奏導術は宇宙でも使えるのか?
それはかつて人類にとって大きな疑問のひとつだった。
それが可能ならば、人のアイナと引き換えに水分や熱、植物の成長等様々な分野での活動ができる。
しかし、現実は甘くなかった。
奏導術は大気圏を出てまもなく使用不可能となった。
精霊は地球のような環境でなければそもそも存在できない。
炎も水も風も大地も、生命にも……宇宙では奏導術の介入できる余地はなかった。
それが人類の出した結論だった。
――奏導術は宇宙では使えない。
それは『鉱石X』の無限に近いアイナをもってしても解決できない問題に思われた。
「その点においても、機関はこの塔の役割に一縷の希望を託している。宇宙での奏導術が不可能でも、地球で行った奏導術の力を宇宙に運ぶことは不可能じゃない」
例えば奏導術によって生み出した水の巨大な塊を宇宙へと射出、それを正確に行えれば物質の運搬よりも遥かに低コストで大気や水の運搬が可能となる。
無論、それはこの塔レベルの巨大な奏導術発生装置が必要となる。
「正直、グレイムとこの塔だとしても、そのレベルの奏導術は難しくないか」
それも果てしない距離が離れた宇宙船やほかの惑星に対して、正確に射出する必要がある。
加えて奏導術によるコントロールが可能なのは、大気圏内の精霊が活動可能な範囲までだ。
「現状では誤差のない射出自体は可能になっている。塔そのもののコントロールができるグレイムの特権ね。ほかの生物にも機械にも決してできない神業よ」
同時にそれは、この塔が人智を越えた兵器にもなり得ることを意味している。
それだけ精緻なコントロールが可能ということは、地球上のどこにでも、強力な奏導術を発射できることにほかならない。
「……つまり、僕たちの携わるプロジェクトはまたしても、兵器の試験というわけだ」
「まあ、リウギクがどこまで本気で考えてるかは分からないけどね。本当に有用なら、ノヴァ大陸がこの塔を放置して帰るわけないもの……たぶん。いいえ。これは本来なら、やるべき必要もないことよ」
カナタの口調には少し苛立ちが含まれているのが分かった。
〈おっと、二人ともすまねぇ。野暮用ができたんで、ちょっと席を外すぜ〉
その理由は当時のグレイムには分からず、そんな的外れな行動に出たのであった。
♢ ♢ ♢
翌日の早朝、カナタは塔を出た。
「じゃあね。グレイム」
〈ああ、元気でやれよ。カナタ!〉
エントランスまで出迎えたグレイムの巨体を、カナタは普段よりも長めに抱きしめた。
硬くて抱き心地も悪いだろうに……。
グレイムはその優しさを何よりも温かく思っていた。
「マモリも、またね」
「ああ。今夜も電話する」
マモリはカナタを見送ると、グレイムの方を向いて言った。
「グレイム、ちょっと話をしようか……」
〈なんだ、ブラザー改まって。話したいことがあるなら、どんとこい!〉
「いや、ここでは少しな……。『展望』に行かないか?」
グレイムは意味が分からなかったが、素直に言うことを聞くことにした。
グレイムは階段を上がりながらその意図を考えた。
リウギク側に聞かれると不味い会話でもするのか。カメラのない『展望』で筆談でもするつもりか……?
『展望』に出ると、マモリは煙草を吸っていた。
〈……考えたオレが馬鹿みたいだぜ〉
「どうした?」
〈いーや、珍しいもん吸ってるじゃねえか〉
「気分転換だよ」
マモリは言いながら深く息と煙を吐く。
「なあ、グレイム。自由について考えたことはあるか?」
マモリは唐突にそんなことを聞いた。
〈……考えたことがないわけじゃねーぜ。こんな身だからよ〉
グレイムは正直に言った。
グレイムにはこの外壁から外に出てはいけないというルールがあった。
それはリウギク側から課せられたものであったが、それを破った場合、自分は処分対象になると伝えられていた。
〈昔は自分の意志で動くこともできなかったはずなのに、不思議だよな。なまじ手と足が与えられたせいで、オレは自分の境遇を不自由に感じるようになったんだ〉
それなら、最初から箱の中に閉じ込めておけばいいのに、と思わないでもない。
だがその一方で、またただの石に戻ることに比べれば、この程度の不自由なんてことないと思うのだ。
〈まあ、でもよ。人間に限らず、生き物っていうのは、限られた範囲で自由を謳歌するもんじゃねーのか? 人間の歴史とか見てて思うのはよー。何もかも好き勝手できるってのは、それはそれで歪なもんだと思うぜ〉
「……なんて大人なで真っ当な意見だ。それを言われたら、僕が駄々をこねる子供みたいじゃないか」
マモリは項垂れると、短くなっていく煙草の煙がまっすぐと空へと向う。
まるで、時折、砂漠を横切るひこうき雲のようだった。
〈ははは。今更かよ。気にせず吐き出してみろよ〉
「……僕はね。歌を歌うことと、それから自由に旅をできること――それが生命にとっての最大の自由だと思う」
マモリはそう力強く言った。
〈そりゃあ……思った以上にロマンチックだな〉
「本気で言ってるよ。この世界において、それが実現できる者は少ないからね」
〈言われてみれば、そうかもな……〉
グレイムにも思い当たる節があった。
〈奏導術が使えるオレは、確かに、国の管理下では滅多に歌えないな〉
「そうだ。精霊たちは好きだが、あれは僕たちから音楽を奪った。いいや、僕たちが勝手に手放したのかもしれないが……」
マモリは煙草を携帯灰皿にしまった。
「だから、グレイム。僕やカナタと自由になったあかつきには、一緒に旅に出よう」
マモリはそう言って笑った。
その顔はとても明るく、それでいて悲しそうだった。
〈そりゃあ、いいな〉
「旅先で、国も法律も存在しない場所を冒険して、僕たちみんなで歌を歌おう」
〈……ああ、それもいいな〉
「とびきり明るい、祝いの歌だ。作曲経験なんてないが、それは僕が考えておく」
〈………マモリ。何かあったのか?〉
グレイムは聞いていられなかった。
マモリの願いが叶わないことが、マモリ態度から伝わってきたからだ。
マモリは俯くと深く息を吐く。
「僕とカナタが宇宙に行くことが決まった」
それは突然の別れの報告だった。