盗賊 ①
雨季が終わり、砂漠には再び体を焦がす日差しの強さが戻ってきた。
灰色の塔の内部はその熱さもどこ吹く風といった様子で、空調により一定の気温・湿度に調整されている。
トウモリはその日、午前の業務を終え、『ライブラリー』で調べ物をしていた。
『ライブラリー』には液晶に加えて動画プロジェクター、テキストリーダーが数台置いており、塔に保管されている無数のデータを検索、閲覧ができる。
端末や音響機器、吸音素材の壁紙、柔らかい床のカーペット、やや無機質だがこの静かな空間がトウモリは好きだった。
トウモリは生まれてからしばらくは、ここの教材で世界のことを学び、実務はグレイムを通じて教わった。
勉強を始めた当初は、その新鮮さ故に楽しさがあったが、十年もすればモチベーションは低下し日々を空虚に感じるようになった。目標も展望もなく続けることの限界と、結局自分の好きな情報を閲覧するだけの時間になっていたと、今になれば俯瞰できる。
スナマユが来てからは必要に駆られて、責任感もあり、教育のための勉強が始まった。
それが落ち着いた今、再び目標が無くなったと思っていたが、精霊教の一件からトウモリの意識は明確に変わった。
(思えば、私は私自身や塔のことを何も知らない……)
トウモリは塔の記録や、過去の記事を遡り始めた。
(自分のことを何も知らないまま、自分がどう生きたいかも分からないまま、他人のことを受け入れることなんてできるわけがない)
調べ始めると、塔の情報は思いの外あっさりと出てきた。
トウモリの推測も一部は当たっており、この塔は今から百年ほど前に、ノヴァ大陸の大国が主導して、リウギクと共同で建てたものだった。
『リウギクの生きる塔。宇宙に花を咲かせることはできるか?』
希望と夢に溢れた記事のタイトルに目を惹かれる。
宇宙開発プロジェクトに関わる奏導術の発生装置の開発。
資料を見るとこの塔は宇宙船での長期活動を目指し、地球外に奏導術によって大量の物資を発射するための装置らしい――。
「うーん、何度読んでも絵空事にしか見えないが……」
その莫大な奏導術を生み出すために必要なアイナの発生源は極秘、とのことだ。
これに関してはトウモリには心当たりがある。
グレイムや自分に埋められた灰色の精霊石だ。この精霊石による奏導術の発動は、普通の奏導術よりもはるかに少ないアイナで行われている。
塔の修復も奏導術の修復力が、アイナの消費量が上回っているからできることだ。
(そう考えれば、宇宙へのエネルギーの射出も不可能ではない。のか?)
トウモリは先日の『聖歌隊』による、大量の炎弾や氷塊の発射を思い出した。
たしかに、奏導術は精霊の力を借りることで、水分や物資を人の手では行えないやり方で運搬することが可能だ。
実現可能ならロケットを打ち上げて物資を運ぶよりも、はるかに効率的だろう。
だが、あのやり方が途方もない距離である大気圏の遥か先まで可能とは、どうしても思えなかった。
(これらはあくまで表向きの目的か。あるいは、実験的な施設に過ぎないのか)
「いずれにせよ、『亡者の嘆き』が起きたことにより、ノヴァは滅び、リウギクも宇宙開発どころではなくなった。この塔が放置されたのは、想像に難くない」
ふと、グレイムは何故、教えてくれなかったのだろうという疑問が浮かぶ。
更に検索を続けたが、そこからは思うような結果は得られなかった。
この数週間で、自分の住む大陸(他の大陸が滅ぶまでは『バレル大陸』と呼ばれていた)、周辺四国(ハクタナ、シレオン、ポクニス、リウギク)の歴史、テルラ大陸やノヴァ大陸の戦争、塔を支えるテクノロジーの数々には以前より詳しくなったが、肝心の部分――自分が何者なのかについては分からなかった。
(……やはり、当事者に聞いた方が早いか)
トウモリは『ライブラリー』を出ると、グレイムのいる『管理室』へと向かうことにした。
♢ ♢ ♢
〈よう、ブラザー〉
「よう、ブラザー」
グレイムは塔の外壁を監視するカメラしつつ、スナマユと『タワーディフェンス』の盤面を睨んでいる。
「スナマユもいたのか」
「トウモリが遊んでくれないからねえ~」
スナマユがトウモリの言葉に、少し不機嫌になる。
嫌な言い方になってしまったかもしれない。
「……すまない」
トウモリは反省して、自分の用事を後回しにすることに決めた。
「勝負はどうなんだ?」
そう言いながら、タワーバトルの盤面を覗いたが、見たこともないような状況になっていて驚いた。
『精霊機獣』が横並びになっており、二体ずつが向かい合っている。
「……これは、どういう状況だ?」
防衛側は多くても3体まで、塔の防衛同様にルールは変わらないはずだった。
(まさか、『精霊機獣』が何らかの形で敵に回る状況まで想定して、あるいは――)
「ふふっ、聞いて驚かないでよ。ぼくたちはね……」
「――カップリングを作ってるんだよ!」
「……うん?」
「だから、カップリングを作ってるんだよ。『精霊機獣』同士でくっつくなら、どの組み合わせが相性いいか考えてるの!」
トウモリは無言でグレイムの方を見た。
〈いや、ブラザー。オレも〝ナマモノ〟はどうかと思ったんだぜ〉
「……何の話をしてるんだ?」
「いいから、トウモリも『タワーディフェンス』に嵌ってた時は、『精霊機獣』たちのことを四六時中考えてたんでしょ。自分の考える理想のカップリングがあるんじゃないの?」
トウモリはそう言われて、改めて『精霊機獣』の駒を見た。
恋愛という評価軸において、彼らを考えたことはないが、トウモリは個々の性格についてはある程度把握している。
何度かおこなった個別面談や、普段の戦いぶりの観察の賜物だ。
選出の際、彼らの性格を考慮していないと言えば嘘になる。
『霊鳥』トドグリ。奏導術・緑青。サポート能力が高く、本人の性格も温厚で優しい。
『龍馬』ミウマビ。奏導術・赤青。自信家でスピード見せつけるのが好き。
『猛虎』トウシラ。奏導術・青黒。クールな仕事人。意外と気遣いの出来る性格。
『神仙』エプシテ。奏導術・緑赤。飄々とした性格。人を食ったような態度をとる。
『角兎』タウサツ。奏導術・黒緑。人見知りで繊細。真面目な職人気質。
『火鼠』ネイシズ。奏導術・赤黒。苛烈な性格だが義理人情には厚い。
「……そうだな。自分の殻に籠りがちなタウサツは、飄々としてるエプシテに振り回されるのが面白いかもしれない」
「おお! 思ったより濃い考察がきた」
〈やるじゃねぇか、ブラザー〉
「……そ、そうか?」
二人の食いつきにトウモリは若干引いたが、考え始めると確かに楽しいものだった。
「ぼく的には、ネイシズの過激な性格を誰が崩すかが見ものなんだよね。トドグリとかエプシテがいいと思うんだけど」
〈いや。エプシテとは喧嘩になるだろ。それはそれでいいかもしれないが、個人的にはトウシラを推すぜ〉
「優しいトドグリは誰と合わせても安定感がありそうだな。そこは選出のときと同じだ」
三人はそんな他愛のない話を、気付くと長時間に渡って繰り広げていた。
〈さて、そろそろ仕事に戻るか……〉
「……私も昼食を済ませたら、午後の業務に移るか」
「……ぼくも食べたら、トレーニングしようかなあ」
昼間を過ぎると、妙な脱力感を覚えながら三人は各々の仕事に戻ろうとした。
〈とろろで、ブラザー。最近やけに勉強熱心だな〉
グレイムはトウモリが部屋を出る間際、思い出したかのように言った。
それが助け舟だと察するのに、時間はかからなかった。
気を遣って、スナマユが部屋を出るまで待ってたのだろう。
「ああ。シスター・ミイサを見習うことにしたんだ」
トウモリはなるべく平静を装ったが、内心緊張していた。
トウモリのこと、グレイムのこと、塔自身のこと……。
グレイムが話さないということは、話したくない理由があるのかもしれない。
あるいは話したくても話せない、そんな事情が……。
「実は……」
トウモリがそう言いかけたところで、ふと液晶に映る見慣れた砂馬車に気付いた。
「あとにしよう。ハドリーが来た」
そう言ってから安堵と同時に、逃げたことに対する後悔が浮かんでいた。
♢ ♢ ♢
その日のハドリーはいつもと少し様子が違った。
貼り付けた笑顔にはいつもの力強さがなく、砂馬車の御者台から降りる足取りもゆっくりだった。
「――何をしに塔へとやってきた?」
〈おはようございます。もちろん、いつも通り、トウモリ様のお眼鏡に適う商品を持ってきましたよ〉
「そうか」
〈ハドリーいいいいいいいい!〉
いつもの如く、それを待っていたかのよう、スナマユがゲートへと一直線で向かっている。
〈……スナマユちゃん。いつも元気ですね〉
それを迎えるハドリーの顔には、やはりどこか陰りが見えた。
〈あれ、ほかに今日は誰かいるの?〉
スナマユがゲートに出てから、砂馬車の方を見つめる。
〈流石、スナマユちゃんですね。実はこれからこの客人をリウギクに送らないと行けないんですよ〉
〈そうなんだー〉
〈まあ、お忍びなんで大声では言えないんですけどね〉
トウモリはそれを聞いて、ハドリーがいつもより控えめな理由を理解した。
それから、トウモリはいつも通り新聞を買い、不足しがちな医療品の補充を行った。
痒いところに手が届くもので、ハドリーはこちらの欲しいすべての商品を用意している。
いつものように、スナマユに渡す玩具も用意していた。
〈えー、珍しい。なんかいつもと違うねー〉
それは音源付きのスノーグローブだった。
透明な液体に満たされたガラスの中にミニチュアがあり、雪の降る光景を楽しめる。
その台座にはダイヤルがあり、回すことで音楽が流れるようだ。
いつもスナマユ向けにゲームや外で遊べる遊具などを用意してくれるハドリーらしからぬチョイスだと、トウモリも思った。
〈お気に召さないようでしたら……〉
〈ううん! そんなことないよ。ありがとう〉
スナマユは満面の笑みを浮かべ、それに対してハドリーは長いこと頭を下げた。
〈それで……実のところ、私しばらくの間、この塔に来れなくなるんですよ〉
ハドリーは顔を上げないまま、ふとそんなことを言った。
〈えっ〉
「……何かあったのか?」
トウモリは考え事を中断して、思わず訊いた。
〈ええ。実は娘の病状が急に悪化しまして、その容態があまり良くないので……〉
〈……そうなんだ〉
トウモリはそれを聞いて胃が沈むような感覚を覚えた。
快調に向かっていると聞いていた分、かける言葉が見つからない。
「……そうか。娘さんにはよろしく頼む」
〈はい……〉
ハドリーはそれ以上の説明はしなかった。
その日は商品を畳むのも早かった。
〈スナマユちゃん、トウモリさん、それからグレイムさん。どうかお元気で、この白い塔にも精霊のご加護があらんことを……〉
ハドリーはまた祈りの言葉を残していった。
遠ざかる砂馬、トウモリはそれを見送ることしかできなかった。