聖職者 ②
――3年前。
ポクニス聖国は、砂漠を取り囲む4つの国の1つ、〝精霊教〟が権力を持つ宗教国家である。
精霊教とは世界中に無数にあった、精霊の存在を教義に組み込んだ宗教である。
精霊の存在やその神秘的な力を考えれば、それを神と崇め、さらには世界の成り立ちと結びつけるのは至極自然な流れだ。ただし、奏導術を体系的に学び、それを武力として確立させられたという点において、精霊教は他の宗教とは一線を画していた。
近代兵器の登場により、その教義と権力は一時表面的なものになりかけたが、『亡者の嘆き』以来、精霊教――ポクニス聖国は再び力を取り戻した。
そんなポクニス聖国において、ミイサは15歳で聖職者の職に就いた。
ミイサは運動も勉学もお世辞にも優秀とは言えず、しかし信仰心だけは人1倍あった。
精霊教の教えに従い、精霊を束ねる存在とされる神に尽くす瞬間だけ、ミイサは世界に自分の居場所を感じることができた。
けれど、いくら神に尽くしても、世界は彼女に微笑んではくれなかった。
ポクニス聖国の聖職者は、言ってしまえば公務員のようなもので、その業務の多くは会社たる国家や自治体の運営に関わるものだ。
当然、効率も能力も求めれらる。
ミイサのように仕事が遅く、競争心の著しく低い人間に荒廃した世界は優しくない。
(学校の先生は優しかったのにな……)
教会内での彼女への扱いは徐々に悪くなった。
そのせいで、ミイサは委縮してますます仕事の効率が悪くなる悪循環を起こした。
次第に自分が精霊教の何に惹かれたかも分からなくなった。
教会に入り、金と軍事力で動く国の姿を間近で見て、余計に揺らいだのかもしれない。
唯一の支えは、いつの間にか大きな枷のようになっていた。
配属先も僻地に移り、学生時代の友人とも次第に疎遠になった。
それでも何とか仕事を続け、彼女の手元には使い道のない金だけが残った。
(ある程度のお金が溜まったら、両親に恩返しして、その後は……)
ミイサはどこか遠くへ行きたかった。
自分のことを誰も知らないはるか彼方に旅がしたかった。それから、そのままいなくなった方が、きっと誰にとっても……。
2年が経つ頃には、ミイサはすでにこの世界に希望を見い出せなくなっていた。
そんなある日の帰り道、ふと1冊の投げ捨てられた雑誌が目に入った。
(誰がこんなところに……)
ミイサは習慣で雑誌を拾いに向かった。
長く放置されていたのか表紙は砂埃で汚れており、どんな雑誌かも判別できない。
手に取ると、開いたページには1つの写真が載っていた。
それは砂漠にあると言われている灰色の塔だった。
「……そう言えば、噂には聞いたことがある」
ノヴァ大陸の大国が遺したと言われている灰色の塔。
以前はリウギクの支配下にあったが『滅びの嘆き』後に独立して、現在は中立国家としてどの国からの干渉も受けないよう立ち回っているとか……。
前時代のテクノロジーを有した塔、精霊教の軍部も興味を示しているとかいないとか。
眉唾だと思って気にも留めてなかったが、写真を見るとその姿――美しさに胸を打たれた。
理由は分からない。
でも、ミイサはこの塔を見るためになら、まだもう少し頑張れると思った。
どの国家に属さないという情報を知っていたから、その佇まいに気高さを感じたのかもしれない。
そんな風に感傷的になるくらい、弱っていただけの話なのかもしれない。
「……行ってみたいな」
それでもその感動は、確かにミイサに新たな生きる活力を与えた。
ミイサは下調べを行い、訓練を重ね、半年後に貯金を叩いて砂漠へと旅立っていた。
♢ ♢ ♢
ミイサは商人――ハドリーの案内で砂漠を越えることができた。
〈――何をしに塔へとやってきた?〉
ゲートまで着くと、男性の声――トウモリがミイサに聞いた。
「わたしはミイサ。精霊教のシスターです。この塔を調べるために参りました」
〈……精霊教か。残念ながら、この塔は無関係だ〉
ミイサははっきりとした物言いに、胸がギュッと締め付けられた。
「あ、あの、話だけでも聞かせてもらえませんか。この塔は――」
〈悪いが私は塔の番人であって、案内人ではない。挑戦しないのなら帰るといい〉
通信は途切れ、ミイサは塔の前へと取り残された。
背後にはここに来るために雇った案内人兼御者のハドリー、それに護衛の兵士たちがいた。
「あーあー。トウモリさん冷たいですねぇ。よかったら、わたくしから話しましょうか?」
ハドリーだけがミイサと番人のやり取りを聞いていた。
「い、いえ……」
「まあ、あと数時間は猶予がありますので、ゆっくり観光してくださいな。ただ、熱中症には注意してくださいね」
言われるまでもなく、ミイサの修道服の内側はすでに汗だらけだった。
(わたしは……)
ミイサは立ち尽くしたまま考えた。
(この塔に来たかった。来て、何がしたかったんだっけ……)
ミイサは気が付くと、再び呼び鈴を鳴らしていた。
〈……まだ何か用か? シスター・ミイサ〉
「塔へと挑戦します」
ミイサの答えにトウモリは驚き、少しして問い掛けた。
〈何のために?〉
「わたしがこの世界にいる理由を知るために……です」
僅かな沈黙の後、トウモリはその挑戦を受けることにした。
♢ ♢ ♢
ゲートが音を立てて開いた。
ミイサは意を決し一歩を踏み出し、奏導術用の杖だけを頼りに戦場を駆けた。
急いでいたせいで、ゲート前にある白煙灯を持つことも忘れていた。
『機械兵』が4体だけ、ミイサに襲い掛かってきた。
これはトウモリからすれば、手加減以外の何者でもないのだが、ミイサには彼らの姿と棍棒の輝きを見て足が竦んだ。
「……ポクニス聖歌集、青の福音・第三楽章」
ミイサは細い腕で杖を振り、木管を鳴らすような音でメロディを奏でた。
習得した数少ない奏導術、大気中の水分を集めて操る術だった。
――パシャン。
『機械兵』たちは水を正面から受けたが、当然、その程度で停止することはなかった。
精霊教の奏導術は歴史が古い分、現代の洗練された奏導術に比べると、その演奏時間の長さに対して効果の薄いものが多い。
ミイサはそれでも足止めできたと信じ、急いで塔の中央へと向かった。
『機械兵』の攻撃が体を掠めたが、迷わず間を抜ける。
「ミイサさん、無茶しないで!」
門の奥からハドリーが叫んだ。
ミイサはその善意の忠告にも耳を貸すことなく、前へと進んだ。
その先の空に1匹の巨大な鳥の影が現れた。
『霊鳥』――トドグリはあっという間にミイサに接近する。
「青の福音・第四――」
ミイサの体を次の瞬間、その翼が薙ぎ払った。
小さく悲鳴を上げて、ミイサは砂の大地へと叩きつけられた。
それから、不思議な音色が響いたかと思うと、体中に電撃が走り、ミイサは杖を落とし立つことさえできなくなった。
背後からは『機械兵』の足音。
四体の機械兵は傷1つなく、ミイサの元へと集まってくる。
「ううっ」
ミイサは自分の情けなさに涙を流した。
この日のために必死に訓練した奏導術も、準備の全てが無駄だった。
「わたしはどうしてこんな、何もできないんだろう……」
迫りくる機械兵の死の足音に、ミイサはうずくまって涙を流すことしかできなかった。
しかし、機械兵は突然停止し、近くの砂を踏む足音が聞こえた。
「――いい奏導術だ。だが、この塔は1人で攻略できるようには作られていない」
顔を上げると、そこには青い外套を着た1人の青年――トウモリが立っていた。
美しい銀髪に緑色の瞳、砂漠には場違いな肌の白さが、この灰色の塔のような異質さを際立たせている。
「立てるかシスター・ミイサ?」
「……あっ、はっ」
差し出された手を見て、ミイサは動揺から言葉を上手く出せなかった。
緊張しすぎて手を握り返すこともできない。
トウモリは行き場を失くした手を困ったように泳がせ、それから、思い出したように外套のポケットに入れた。
「君が悪人でないのは見ればわかる。塔の秘密は教えてやれないが、手土産の一つくらいは持って帰るといい」
トウモリの手には1つの小型の記憶装置が乗っていた。
「……そ、それは?」
「古い音楽が入ったメモリだ。君が来る直前、自分の部屋で聞くために『ライブラリー』のデータをまとめていたんだ。……こんなものを貰っても仕方ないか」
「い、いえ! 貰います」
ミイサは慌てて、記憶装置を受け取った。
微かに触れた手は温かく、ミイサは記憶装置を両手で強く握りしめた。
「ポニクスに合う再生機器があればいいんだが」
「そうですね」
物音がした方を見ると、『機械兵』たちは出てきた場所のあたりに戻り始めていた。
大きな鳥の方はとっくに姿を消している。
「不思議な塔ですね」
「ああ、住んでいる私だって、この塔のすべてを知っているわけではない」
トウモリの言葉を聞いて、ミイサはこの人も自分と同じ人間なのだと感じた。
「もしも、今度来るようなことがあれば、そのときは君の好きなものを教えてくれ」
トウモリはそう言うと、塔に向けて歩き始めていた。
ミイサはようやく足に力が入り、立ち上がることができた。
「本日は、わたしのようなものに、丁寧にありがとうございます」
遠ざかる背中に向けて大きく声を出す。
「元気になったか?」
「はい。必ずまた、この塔に来ます」
ミイサの目からは溜まっていた涙が一筋だけ流れ、口元には不器用な笑みが浮かんでいた。
こうして、ミイサ1度目の塔への挑戦は終わった。
ゲートを出ると、ハドリーや護衛の兵士たちに労いの言葉をかけられたのち、ミイサは長い帰路へと着いた。
それが3年前、トウモリとミイサの初めての出会いのすべてだった。