その塔は歌う
あなたがその灰色の塔から出られますように。
一人の老人が白い布に包まれた赤ん坊を抱え、夜の砂漠を歩いていた。
「逃げ切れた……のではないか。奴らは逃がしたんだ。捕まえる価値がないから……」
背後を振り返る。
強い風が足跡を無慈悲にかき消す。
荷物は全て奪われてしまった。食糧も水もない。
「せめて……この子だけでも……」
虚しいと思いながらも、そんな願いを口にしてしまった。
老人の着る上着には血が滲んでいた。
「こんな……掠めたくらいで死ぬのか……」
やがて、独り言と一緒に歩みも止まった。
膝を付いたものの、赤ん坊を庇うため、何とか仰向けに倒れる。
「すまない……」
目の前には遮るもの一つない星空がある。
最後に見るにはあまりにも、出来すぎた美しい光景だ。
腕の中の重みも忘れて、これまでの人生が夜空のスクリーンに流れていく。
急激に眠気が襲ってくる。
余りにも柔らかい、優しい眠りへの誘い。
老人は目を閉じて永遠の暗闇へと、ゆっくりと落ちていく。
ふと、遠くから何かが聞こえた。
老人の意識が暗闇から浮上する。
それは、大きな電子音だった。
聞きようによっては、鍵盤による演奏のような――。
この砂漠に響き渡るだけの大きな音で、確かに音楽が奏でられていた。
老人はハッとして立ち上がる。
音の方を向くと、はるか遠くに、仄かに白い一筋の線のようなものが見えた。
「この時間だ……蜃気楼はない……」
老人は立ち上がると、再び歩き始めた。
腕の中を見ると、赤ん坊も驚いて目を覚ましたようだった。
「もう少し……大人しくしてるんだよ……」
老人の笑顔を丸い目が見つめる。
目に浮かんだ涙が零れないように、少しだけ顔を上に向ける。
「楽しいことが……たくさんあったな……」
今にも倒れそうな体を思い出が支える。
歌はもう聞こえない。
それでも、その残響と白い線に導かれるようにして、老人は歩いた。
最期のその瞬間まで。