遊間の推理
「さて、どこから説明すべきかな」
壇上で、遊間は一人楽しげに呟いた。
「まずは犯人が予告状を送ってきた理由。そこから推理を始めるとしよう……そこのきみ」
先ほど野次を飛ばした刑事に向かって、遊間は指をさした。
「え、俺ですか?」
「そう、きみだ」
遊間に突然指名されて、短髪の若い刑事は困惑する。
「犯人はなぜ、送信元が特定されるリスクを冒してまで、警視庁宛てに予告状を送ってきたのか。きみなら、どう考える?」
「ええと……普通に考えるなら、警察との知恵比べに勝って、達成感を味わいたかったからとか?」
「外れだ、全然違う。こんな簡単なこともわからないのか、この薄のろめ」
恐る恐る答えた刑事に対し、遊間は容赦ない罵倒を浴びせかける。
「先ほども述べた通り、予告状の謎を解いたところで得られる情報はせいぜい大まかな地名までで、事件を防ぐのに有益な情報は得られない。となると、この予告状の目的は犯行の予告そのものであり、警察との知恵比べなどといった幼稚な動機でないことは明らかだ」
怒りと羞恥で顔を赤くした刑事を後目に、遊間は説明を続ける。
「では、予告状を送ってきた犯人の真の目的とは何か。
それは、予告状によって『山手線の悪魔』という名の架空の連続殺人鬼を創り出し、犯人が本来為したかった殺人を、あたかもその連続殺人鬼による無差別連続殺人の一部であるかのように見せかけて、最終的にその罪を赤の他人に被せることだ。つまり、木を隠すなら森の中、というやつだな」
「その言葉、気に入ったんすか? 遊間さん」
咲良が軽口を叩く。
幸い、その軽口は遊間の耳まで届かなかったらしく、遊間はそのまま説明を続ける。
「となると、犯人は誰で、そしてどうやって自分に疑いの目を向けられないようにしながら、三人の殺害をやってのけたのかだが……」
遊間は刑事たちの顔を見回す。
「きみたちの捜査によると、今のところ容疑者として候補に挙がっているのは、神田秋葉のマネージャーである大崎楽、目黒有の内縁の妻である浜松万智、そして高輪門道の舎弟である大久保新の三人だ。
しかし、彼ら三人には少なくとも一件以上の事件でアリバイが成立しており、なおかつ互いに何の接点もないときた。となると、彼らとは別の第三者による犯行か、あるいは……」
遊間は薄気味悪い笑みを浮かべて、続けた。
「魔術や超能力などの超自然的な力を使った偽装工作、即ち、オカルト的な力による殺人だ」
魔術という言葉に、会議室内が俄にざわめき始める。
三上のように特殊な刑事や、捜査第六課に古くから在籍する一部の刑事たちにとって、それは日常聞きなれた単語の一つに過ぎない。
しかし、六課に配属されているとはいえ、刑事たちの殆どが魔術とは無縁の一般人である。そんな普通の人間が大部分を占めるこの場において、魔術という言葉は間違いなく異質なものであった。
「静粛に」
いつまでも止む気配のない喧噪に、痺れを切らした浅瀬が声を張り上げた。
「私の部下たちが失礼した。続けてくれ」
「ありがとうございます、浅瀬課長」
遊間は礼を言うと、こほんと咳払いをして続けた。
「まず、彼らとは別の第三者による犯行の線だが、この可能性は限りなく低いだろう。
なぜなら、犯人はわざわざ予告状を使ってアリバイ工作をする必要のあった人物、即ち、被害者との間に何らかのトラブルを抱えていて、殺人が起こった際に真っ先に容疑者として疑われる人物だと考えられるからだ。
となると、やはり犯人は、現時点で動機のはっきりしている彼ら三人のうちのいずれかである可能性が高い。あとは三人のうちの誰が、どのようにして殺人をおこなったのか、だが……」
遊間はもったいぶるかのように、一呼吸置いた。
「さて、ここからが僕の本当の領分。超自然的な力によるアリバイトリックの推理の時間だ」
「超自然的な力によるアリバイトリック……」
刑事の一人がごくりと唾を飲みこんだ。
緊張した空気が、再び室内を覆う。
「魔術や超能力を使ったアリバイトリックには、大きく分けて三種類の方法がある」
遊間はそう言うと、一から三の数字をホワイトボード上に書き並べていく。
「一つ目は、ホムンクルスの製造やドッペルゲンガーの召喚など、自らの複製体を生成することによるアリバイ工作」
一という数字の隣に、「複製体の生成」という文字が追加される。
「二つ目は、暗示や意識の乗っ取りなど、他人を精神支配することによる間接的な殺人」
一の時と同じように、二という数字の隣に「精神支配」という文字が追加される。
「三つ目は、空間転移や時間転移など、物理的な制約を超越することによる殺人」
「空間・時間の超越」という文字列が、三の隣に追加される。
最終的に、ホワイトボードに書かれた文字列は次のようになった。
一、複製体の生成
二、精神支配
三、空間・時間の超越
「まずは一つ目の、自らを複製することによるアリバイ工作から、その実現可能性を考えてみよう」
遊間は「複製体の生成」という文字列を指さす。
「初めに、ホムンクルスの製造……即ち、錬金術により自らのクローンを生成し、そのクローンにアリバイ工作をさせた可能性についてだが、これについてはほぼゼロと言ってしまって構わないだろう。
ホムンクルスの製造には大掛かりな装置が必要な上、材料の調達にも莫大な費用がかかる。たかがアリバイ工作一つのために、わざわざ新しい命を造り出すというのは、コストの面から見ても相当馬鹿げている」
遊間は大げさに肩をすくめて見せた。
「そして、それ以上に問題となるのが、犯行後のホムンクルスの処分方法だ。用済みとして殺してしまうにしても、生かしたまま何処かに匿うとしても、警察の捜査を前に、その存在を隠し通すことはまず不可能だろう」
遊間はそう言うと、ホワイトボードに大きなバツ印を書いて、その隣に「ホムンクルスの製造」という文字列を付け加えた。
「では、犯行後にその存在が一切消え去ってしまうような複製体の召喚、例えば、ドッペルゲンガーの召喚などはどうだろうか」
遊間は「ホムンクルスの製造」という文字列の少し下に「ドッペルゲンガーの召喚」という文字列を付け加える。
「一口にドッペルゲンガーの召喚と言っても、術者によってその術式は様々だ。例えば、術者そっくりに化けられる魔物を召喚して使役する方法、あるいは自らの影を材料に、術者そっくりの影法師を作りだす方法。他にもいくつか方法はあるが、いずれの手段を用いるにしても、ドッペルゲンガーそのものの知能は低いことが多く、彼らを思い通り操るには、それなりに高度な技術を要する」
遊間はそう言うと、持っていたボードマーカーに微量の魔力を込めて、それを空中で躍らせ始めた。
刑事たちから、おお、という驚きの声が上がる。
その反応に、遊間は満足げに頷くと、説明を再開する。
「また、魔物を召喚するにしても、影法師を生成するにしても、その維持には相応の魔力消費が伴う。そして、その魔力の消費量は、術者とドッペルゲンガーとの距離が離れるほど増す傾向にある。数件程度離れた民家からであればともかく、数キロ離れた場所からドッペルゲンガーを使役して、アリバイ工作をおこなうのは、ほぼ不可能だろう」
遊間はそう断言すると、「ドッペルゲンガーの召喚」という文字列の頭にも、大きなバツ印を付けた。
「では、二つ目の『精神支配による間接的な殺人』。その可否について考えてみよう」
遊間はそう言うと、二つ目の「精神支配」という文字列を指さした。
「まずは暗示――これは魔術に精通していない者たちの間でも使われることのある技術だが、魔術を使ったそれは単純にその強化版だと思ってくれれば良い。具体的には、本人の意思とは無関係に特定の行動を強要できるなど、かなりの強制力を持つ魔術だ」
その効果の強力さからか、会議室内が再度ざわつき始める。
「しかし、他人にこの魔術をかけるには、術者が被術者――つまり、暗示をかけられる側と直接対面する必要がある。あるいは、魔道具を使って、間接的に暗示をかける方法もあるが……いずれにしても、容疑者同士の接点が一切見つからない今回のようなケースでは、候補から除外してしまって構わないだろう」
バツ印とともに、「暗示」という文字列を遊間は書き加える。
「犯人がその暗示を関係者全員、例えば、ここに居る警察官全員にかけて、捜査の邪魔をしているという可能性はないんすか?」
咲良が手を挙げて質問すると、遊間は愉快そうに声を鳴らして笑った。
「良い着眼点だ、咲良くん。だが、この規模の集団に対して同時に、かつ矛盾なく暗示をかけるには、高い技術力と膨大な魔力の消費が必要となる。一介の魔術師にそのレベルの魔術行使はほぼ不可能だろう。仮にそのようなことが出来るのであれば、わざわざ予告状を使って小細工をする必要もないしな」
「なるほどっす……」
咲良は納得したように頷いた。
「次に、意識の乗っ取り――これは文字通り、魔術や魔道具によって他人の意識を乗っ取って、他人の体で殺人を遂行するという方法だが……これには致命的な弱点が一つだけ存在する。それは、他人の体を操っている間、術者自身の体は意識を失ってしまうということだ。
今回、ほかの場所で事件が起きている最中に第三者から目撃されるという形のはっきりとしたアリバイがすべての容疑者に存在している。よって、この方法も候補から外れることとなる」
遊間はバツ印とともに、「意識の乗っ取り」という文字列をホワイトボードに書き加えると、続けて下の方に、「空間転移」という文字列を書き足した。
「さらに、同様の理由で、三つ目の物理的な制約を超越する方法のうち、空間転移を用いた手段も候補から外れることとなる。空間転移の魔術では、同じ時間に同一人物が複数の場所に存在することは不可能だからだ」
「第三者からの目撃証言がある限り、同じ時間に空間転移を使って別の場所で事件を起こすことは不可能、ということですね」
「その通りだ、助手」
魔門の補足に、遊間は満足そうに頷く。
「さて、残るは時間転移だが……この方法であれば、同じ時間に同一人物が複数の場所に存在することが可能となる。となると、問題はその実現可能性だ」
「空間転移」の下に「時間転移」の文字列を書き加えると、遊間は続ける。
「時間転移――即ち、自らを過去や未来へ送ることは、因果律への干渉を伴う非常に困難かつ危険な行為だ。一端の魔術師に扱えるような代物ではない。特に過去の改変には、現在の世界そのものを消滅させる危険があり、今回の事件で使われた可能性は皆無と言ってよいだろう。第一、過去を都合よく変えられるのであれば、殺人など犯す必要もない」
バツ印とともに、「過去の改変」という文字列が書き足される。
「だが、未来の改変――まだ現実に起きていない未確定事象の操作――であれば、それなりの魔術師や、魔道具を使うことによって一般人にも可能だ。
例えば、魔術や魔道具によって、一時的に未来へ行って殺人を犯してきたとしよう。そのあとで、魔術や魔道具を使用した時間に戻って、未来へ行った自分と鉢合わせしないように行動すれば、因果律への干渉を最小限に抑えつつ、自らのアリバイを確保することができる」
遊間は「未来の改変」という文字列を書き加えると、その横に丸印を付けた。
「となると、一時的に未来へ行って、また元の時間に戻ってくるというタイプの魔術や魔道具――ここでは、便宜上、タイムマシンとしておこう――が、今回の事件で使われた可能性は十分ある」
遊間が刑事たちの方へ向き直る。
「以上が、今回の事件で使われたアリバイ工作についての推理だ」