第一の事件
「これは違う……これでもない……うむ、やはりこの椅子が一番しっくりくるな」
会議室に入るや否や、遊間は室内にあるすべての椅子に腰を下ろし、その座り心地を比べ始めた。
椅子はどれも同じ型の一般的な会議用椅子である。
目的のつかめない遊間の行動に、原木は奇異な視線を向ける。
「あの……先ほどから彼は一体何をしているのですか?」
「あれは彼の習性のようなものでして……気になさらないでください」
原木の質問に、三上は小声で答える。
「よし、ここにしよう」
一〇分ほどかけて、ようやく椅子の選定を終えると、遊間は静かに腰を下ろした。
「それでは、事件について説明させていただきます」
全員が席に着いたことを確認すると、原木は持っていたノートパソコンを会議室のプロジェクターに接続する。
すると、一通のメールがスクリーン上に写し出される。
「始まりは、警視庁宛てに、このような犯行予告が送られてきたことでした」
8月21日
4×2=?
に警戒せよ。
山手線の悪魔
「『渋谷か』」
遊間と三上が同時に呟いた。
「あー、なるほどっす」
続いて咲良も、遊間たちと同じ結論へと至ったのか、手を打って大きく頷いた。
「はい。皆さん、ご推察の通りです」
原木がそう答えるも、魔門が一人、首を傾げる。
「え、どういうことですか?」
魔門の察しの悪さに業を煮やした遊間が、ため息交じりに説明を始める。
「いいか、助手。4×2の答えは8。数字の部分を続けて読むと、428だ。加えて、差出人の名前は山手線の悪魔。であれば、山手線上の渋谷を指していると見てほぼ間違いない。小学生でも分かる簡単ななぞなぞだ」
「な、なるほど……」
遊間の解説で、魔門はようやく予告の意味を理解する。
「しかし、犯人の目的が警察との知恵比べだと仮定するには、なぞなぞがあまりにも簡単すぎる。なぞなぞ自体は解かせたい、むしろ、これくらい解いてもらわないと困る、くらいの易しさだ。
一方で、日時と場所の指定が大雑把過ぎるのも気になる。犯行の計画は知らせたいが、犯行の現場は押さえられたくない、といったところか?」
遊間は早口で喋ると、胸ポケットからラムネ菓子を取り出し、数粒、口の中に放り込んだ。
バリボリとラムネを噛み砕く音が室内に響き渡る。
「で、これが送られてきたのはいつだ?」
「この予告状に書かれている日時の三日前、八月一八日の午後一時です」
原木は捜査手帳を開き、その日付を指し示しながら答えた。
「そして予告通り、八月二一日に渋谷で事件が起こったというわけか」
「はい。我々も最初はいたずらを疑いました。ですが、犯行予告が送られてきた以上、警戒しないわけにもいきません。そこで、当日は渋谷駅とその周辺のパトロールを強化していたのですが……」
「事件は駅の周辺ではなく、そこから少し離れた住宅街で起こった、というわけだな?」
「はい、渋谷区の高級住宅街、松濤で事件は起こりました……なぜ駅周辺ではなく、住宅街だと?」
事件の発生した場所をずばりと言い当てた遊間に、原木は驚いた様子で尋ねる。
「なに、簡単な推理だよ。先ほど述べた『犯人は犯行現場を押さえられたくないと考えている』という仮説が正しければ、人通りの多い駅構内と、その周辺での犯行は避けるはず。であれば、残るは駅から少し離れた住宅街くらいだ」
遊間はふんと鼻を鳴らした。
「それで、どんな事件だったんだ?」
遊間が尋ねると、原木はスクリーン上に一枚の画像を追加する。
すると、目鼻立ちの整った、可憐で美しい女性の姿が映し出される。
「……え?!」
その女性の顔を見て、魔門と咲良が同時に悲鳴のような声を上げた。
原木は二人を無視して進める。
「被害者は神田秋葉、二十一歳、女性。職業はシンガーソングライターで……」
「神田秋葉って、もしかしてあのAKIHAですか?!」
魔門が尋ねると、原木は少しうんざりした様子で答えた。
「はい、そのAKIHAですが……説明を続けてもよろしいですか?」
「待ってください。AKIHAが亡くなっただなんてニュース、私は見ていませんよ」
魔門が食い下がると、遊間が横からすまし顔で答える。
「予告殺人のようにセンセーショナルな事件は、下手に報道すると模倣犯を生む恐れがある。その上、予告されていたにも関わらず事件を防げなかったとなれば、警察の威信にも関わる。恐らく、マスコミには緘口令が敷かれているのだろう」
「最近、SNSの更新が途絶えていたのは、そのせいだったんすね……」
咲良がしょんぼりと呟いた。
「ところで、そのAKIHAとかいう女は、そんなに有名なのか?」
「えっ! 遊間さん、AKIHAのこと、ご存じないんすか?」
遊間の何気ない一言に、咲良が驚きの声を上げる。
「この人、一般常識に疎いというか、自分が興味の持てないことに関しては、まったくの無知なんですよね」
魔門がしたり顔で答える。
「それで、そのAKIHAという女は何者なんだ」
遊間が苛立たし気に指で机を叩くと、魔門は肩をすくめて口を開いた。
「AKIHAはですね、去年デビューした新進気鋭のシンガーソングライターです。
デビュー曲の『堕天使』のMVが動画配信サイト公開後、一週間もしないうちに百万再生を突破したことで一躍有名になった、今、世間が最も注目する若き歌姫だったんですよ。
それが、まさか亡くなっていただなんて……」
「なるほど、それなりに名の知れた人物だったのだな……では原木くん、続きを説明してくれたまえ」
「え、私たちがこんなにもショックを受けているのに反応それだけですか……」
「遊間さんには血が通ってないんすか?」
女性陣の非難を後目に、遊間は原木に視線を送る。
原木は小さく咳払いをすると、別の資料をスクリーンに映し出した。
「事件が発覚したのは、予告されていたのと同じ、八月二一日の午後二時頃。
芸能事務所のマネージャーを名乗る男性から、彼の担当するタレントの女性が自宅で頭から血を流して倒れていると警察に通報があり、たまたま現場近くをパトロール中だった警察官が通報のあった住所に駆け付けたところ、彼女が風呂場で亡くなっているのが発見されました」
「死因は?」
「頭部を強く打ったことによる頭部外傷です。
発見当時、被害者は衣服を着用しておらず、シャワーの水も流れっぱなしであったことから、初めは入浴中に足を滑らせたことによる事故死ではないかとみられていました。ですが、その後の鑑識の調べにより、被害者宅のリビングから微かな血痕が発見されて事態は一変します」
「つまり、事故死に見せかけた殺人だったわけだ」
遊間がそう言うと、原木はゆっくりと頷いた。
「はい。凶器はまだ見つかっていませんが、恐らく鈍器のようなもので殴られたのではないかと。
さらに、事件後、犯人から送られてきた二つ目の予告状によって、それが殺人事件であるという見立ては決定的になりました」
「その二つ目の予告状というのは?」
遊間に促されて、原木が急いで予告状を映し出す。
「こちらです」
警視庁の諸君、AKIHAの事件の捜査は楽しんでくれているかね?
さて、次のゲームの始まりだ。
8月25日
3-2=1
1111 1111 1111 1111
に警戒せよ。
山手線の悪魔