最後の捜査
その日の午後。
三上は一人、六本木にある「アムドゥシアス・ミュージックスタジオ」を訪れていた。
アムドゥシアス・ミュージックスタジオとは、その名の通り、アムドゥシアス・ミュージック社が運営している、プロのアーティストのためのレコーディングスタジオである。
三上はそこで、一人の女性スタッフから話を聞いていた。
「それで、先ほどお伺いした、楽屋から聞こえてきた怒鳴り声について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?」
三上が尋ねると、女性は「ええ」と小さく頷いた。
「あれは確か、先月の収録のときだったと思います。
休憩中、秋葉さんの楽屋の前を通りかかったときに、たまたま彼女が怒鳴り声を上げているのを聞いてしまって」
――たまたま、というのは嘘だろうな。
三上は内心そう思ったが、口には出さず胸の内にしまい込んだ。
「そのとき、彼女は何と言っていたんですか?」
三上が続きを促すと、女性は自信なさげに俯いた。
「壁越しではっきりとは聞こえなかったのですが……『気持ち悪い』とか、『一緒にしないで』とか。あと、アキナだか、アキラだか、人の名前のような単語も聞こえてきたと思います」
三上は、それらの名前に見覚えがあるような気がした。
――確か、容疑者の関係者リストに……。
三上は女性にお礼を言うと、レコーディングスタジオを後にし、警視庁へと急いだ。
***
一方、その頃。
魔門と咲良の二人は歌舞伎町一番街――通称、劇場通りを訪れていた。目的地はこの通りから少し外れたところにある、大久保新が店長を務めるコンセプトカフェである。
流石は日本最大の歓楽街と言うべきか。平日の昼間にも関わらず、ブランド品で着飾った男女や、ビルの横で屯する奇抜な格好をした若者たち、そして、彼らに物珍し気な視線を向ける外国人観光客など、多くの人で賑わっていた。
魔門は、ここへ来る前の遊間とのやり取りを思い出す。
「……というわけで、君たちには手分けして関係者の証言を集めてほしい。
分担は、そうだな……三上はアムドゥシアス・ミュージック社のスタッフを中心に聞き込みを、助手と咲良くんは大久保が経営しているコンセプトカフェに潜入して、嬢や客から奴についての情報を集めてくれ。
その後の行動については、適宜こちらから指示を出す。任せたぞ」
「なんて、言われてもなぁ……」
裏通りを進みながら、魔門はため息を吐いた。
「本当に私たち二人だけで、潜入調査なんて出来るんでしょうか?」
「魔門さん、まさか私の実力を疑っているんすか? 私、これでも地元の警察学校を首席で卒業したエリート警察官なんすよ!」
エリートの発音だけが妙に流暢だったが、魔門は受け流すことにした。
「でも、女子二人だけで歌舞伎町に潜入調査は、流石に危険すぎませんか?」
「それは漫画やドラマに毒され過ぎっすよ。自分から怪しいところに近づかなければ、歌舞伎町は普通の歓楽街っす」
「まさにこれから、その怪しいところに行こうとしているのですが……。
はぁ、せめて原木さんでも付いてきてくれれば心強かったのに」
魔門が愚痴をこぼす。
「警視庁の認識だと、事件は解決したことになっているんで、原木さん含め捜査本部の刑事たちは全員お休み中っす。
あ、見えてきたっすよ」
咲良が指さした先には小さなテナントビルがあり、そのビルの看板には大久保が経営するコンセプトカフェの名前が目立つように掲げられていた。
看板の案内によると、カフェはどうやら二階にあるらしい。
魔門たちはビルの横に備え付けられた鉄骨階段を使い、二階へと上がった。
***
店内に入ると、そこは何の変哲もない普通のコンセプトカフェだった。
平日の昼間だからだろうか。客の入りは少ない。
カウンターでは、バニー服を着たコンカフェ嬢が欠伸をもらしながら、退屈そうにグラスを磨いていた。
「あ、お帰りなさいませだぴょん! ご主人様!」
新しい客が入ってきたことに気付くと、コンカフェ嬢は磨いていたグラスをカウンターの上に置いて、笑顔で魔門たちを出迎えた。
コンカフェ嬢に連れられて店の奥へと入っていくと、魔門は常連と思わしき中年の男たちと目が合った。
女性客が珍しいのだろうか。
彼らは少し怯えた様子で、魔門たちが席へ案内されるのを見つめていた。
「じゃあ、メニューを決めたら、そこのボタンを押してください……ぴょん!」
コンカフェ嬢は魔門たちをテーブル席に案内すると、元居たカウンターの奥へと戻っていった。
五分後。
二人は注文するメニューを決め、店員呼び出しボタンを押した。
すると、呼び出しに気付いたコンカフェ嬢が、すぐにカウンターの奥から魔門たちの元へと駆け付けてきた。
「お待たせしましたぴょん! ご注文をどうぞ……だぴょん!」
「じゃあ、この『うさぎのふわふわオムライス』一つと『赤の女王の激辛カレーライス』を一つ、あとオレンジジュースとジャスミン茶をそれぞれ一つずつお願いするっす。それと、ここの店長さんについて聞きたいことがあるんすけど、ちょっとだけお話良いっすか?」
咲良が注文のついでに大久保の話を切り出すと、注文をメモしていたコンカフェ嬢は怪訝な顔をした。
「えー、お客さん、もしかして探偵さんか何かですかー?」
コンカフェ嬢の口調が変わる。
「いやいや、私たち、そんな怪しい人間じゃないっすよ。
実はこの子、ここの店長さんと最近マッチングアプリで出会って付き合ってるんすけど、あんまり仕事のこととか家族のこととか話してくれなくて不安みたいで」
「え? ちょ、咲良さん、何を言って……むぐぐ」
慌てて反論しようとする魔門の口を、咲良は力づくで塞いだ。
「えー、それで彼女さん、お店まで来ちゃったんだ。可愛いー。
でも、店長さんにもプライバシー? ってものがあるからねぇ。無料で、とはいかないかなぁ」
事情を察してか、コンカフェ嬢が不敵な笑みを浮かべる。
「勿論、私たちも無料でとは思ってないっすよ。
そうっすねー、じゃあ、この『ラビットちゃんへの差し入れドリンク』をお願いするっす」
「かしこまりましただぴょん! じゃあ、店長についての話はフードを持ってきてからでも良い?」
「良いっすよー。美味しい料理を期待してるっす!」
咲良のその言葉に、コンカフェ嬢は親指を立てて応えると、カウンターの奥へと姿を隠した。
コンカフェ嬢の姿が完全に見えなくなってから、魔門は咲良の脇腹を小突いた。
「ちょっと、何適当なこと言ってるんですか!」
「円滑な潜入調査には、いつだって犠牲がつきものっす……」
「あのねぇ……」
二人が小声で言い争っていると、先ほど注文を受けたコンカフェ嬢が料理を持って戻ってきた。
「お待たせしましたぴょん! こちらが『うさぎのふわふわオムライス』、こちらが『赤の女王の激辛カレーライス』だぴょん! ドリンクはこれで良かったかな? ……だぴょん!」
コンカフェ嬢は料理をテーブルに並べると、咲良の隣に座った。
「で、何から聞きたいの? と言っても、私も店長のこと、そこまで詳しくないんだけど」
コンカフェ嬢は屈託のない笑みを浮かべながら言った。
「そっすねー、まずはお仕事のことからお聞きしたいっす!
店長さん、ここでのお仕事以外にもいくつか掛け持ちでお仕事をされてるって噂を小耳に挟んだんすけど、それは本当っすか?」
「えー、それはあたしも初耳かも。ここ以外にお店やってるって話も聞いたことないし。
あー、でもでも、たまに目つきの悪いおじさんたちが店長に会いに来るから、裏で何か悪いことでもやってんのかもねー」
コンカフェ嬢が意地悪な笑みを浮かべて、魔門に視線を送る。
「えー、それはやばそうっすねー。愛ちゃん、今の話、彼女としてどう思うっすか?」
「……誰が彼女じゃ」
魔門が小声で呟きながら、咲良の太ももをつねった。
「ひんっ!」
「?」
突然、か細い悲鳴を上げた咲良を、コンカフェ嬢が不思議そうな顔をして見つめる。
「『ちょっと怖いかも』……だそうっす」
「あはは、怖がらせちゃってごめんごめん」
コンカフェ嬢が笑いながら、謝罪する。
「でも、ああ見えて店長、家族想いの良いところもあるんだよー。今でも毎週水曜日と金曜日には、寝たきりの妹さんの所へお見舞いに行っているらしいし」
「へぇ、寝たきりの妹さんがいるんっすか。その話、もう少し詳しく聞いても良いっすか?」
***
「なるほど。あの時、大久保が言葉を濁していた理由が漸く分かったよ」
魔門から電話で報告を受けた遊間は、小さくため息を吐いた。
「しかし、まさか大久保の妹なる人物が本当に実在していて、さらに寝たきりで入院していたとはな……」
「しかも、意識を取り戻したのはほんの数か月前らしいです」
魔門はコンカフェ嬢から聞いた話を思い出し、補足する。
「それで、私たちはこの後何をすれば良いでしょうか?」
魔門が尋ねると、遊間は暫し沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「その妹とやらに会って、直接話を聞いてくることは可能だろうか?」
「一応、お名前と病院の場所は聞きましたけど……」
「では、すまないが、二人で行ってきて話を聞いてきてほしい。僕は今、目が離せないのでな」
遊間はそう言うと、一方的に通話を切った。
スマートフォンのスピーカーから魔門の慌てふためく声が聞こえてきたような気がしたが、遊間は気付かなかったことにした。
ちょうどその時、遊間の横を一台のバイクが通り過ぎた。
「やっと来たか」
時刻は午後三時一一分。
場所は**邸。第*の事件の殺害現場である。
バイクは屋敷の前で一旦停車すると、郵便受けに何かを投函して走り去ってしまった。
遊間はそっと郵便受けの扉を開く。
「なるほど。道理で天目の魔術探知機には引っかからないわけだ」
「山手線の悪魔」を生み出した魔道具。その正体に、遊間は苦笑する。
「まさか、こんな紙切れ一枚にこの僕がしてやられるとは。やってくれるじゃないか、従姉さん」
厳密に言えば、それは魔道具と呼べる代物ではないかもしれない。
しかし、確かにそれは魔術によって生み出された魔道具に違いなかった。
「さて、あとは動機だけだが……」
その時、遊間の携帯の着信音が鳴った。
「もしもし、三上か? ああ……やはりそうか」
三上からの報告を受けて、遊間は自分の推理が間違っていなかったことを確信する。
ここに、「山手線沿い連続殺人事件」の謎を解き明かすのに必要な、すべての証拠が出揃った。
ここから先は、悪魔探偵、遊間大の独壇場。
瓦解した「完全犯罪」という名の鎧から、「山手線の悪魔」の臓物を引きずり出す、愉快な答え合わせの時間である。