警視庁からの依頼
「それで、きみ。この新作はどれくらい売れたんだい?」
痩せぎすで背の高い色白の男――遊間大は冷たい声で尋ねた。
場所はバー「バフォメット」の二階。本の山に囲まれた、遊間探偵事務所の応接スペースである。
「実はまったく売れていないそうで……」
魔門愛――遊間とは対照的に小柄でふくよかな女は、背を丸めながら答えた。
「それはそうだろうな。そもそも大衆文学におけるミステリとオカルトの相性は最悪だからな」
彼は手にしていた本を近くの山の上に丁寧に積み上げると、小さくため息を吐いた。
「あの……ミステリとオカルトの相性が最悪って、どういうことですか?」
魔門は自らの知識不足を恥じるように、指をもじもじとさせながら尋ねた。
それを見て、遊間が面倒くさそうに口を開く。
「きみは、『ヴァン・ダインの二十則』という言葉は知っているかな?」
「あ、名前だけは聞いたことがあります。確か、推理小説を書く際の基本的なルール、だったような」
「その通り。一九二八年に推理作家のヴァン・ダインによって発表された、推理小説を書く上で前提となる二十の規則をまとめたものなのだが、そのなかの第十四則にはこう記されている。
殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学であってはいけない。
つまり、殺人の方法にオカルト的手段を用いること、それ自体がミステリの世界では禁忌とされていることなんだ」
遊間は、ふん、と鼻を鳴らした。
「でも、最近は特殊設定ミステリというジャンルも流行っていますし……」
「ああ、きみの言う通り、文芸のジャンルにおける共通の認識、あるいはルールというものは時代とともに移り変わるものだ。近年のヒット作の中には、うまくオカルトの要素を取り入れているミステリ作品もあるのだろう」
「それなら、私の作品だって……」
魔門が口をとがらせて反論する。
「だとしてもだ、助手。いくら何でもこの落ちは稚拙過ぎるだろう」
遊間は魔門の反論を一蹴する。
「大体、なんだい? この『完璧な密室で起きた殺人事件が、実は瞬間移動できる魔術師による仕業だった』という落ちは。小説を初めて書いた小学生だって、もう少しまともな落ちを思いつくだろうさ」
痛いところを突かれたのか、魔門は顔を真っ赤にして言い返す。
「事実を基に書いたのだから、仕方ないじゃないですか」
「ならばせめて、そのない頭を絞って一捻りくらい加えたまえ」
遊間も、それに負けじと怒鳴り返す。
「それに加えて最悪なのが、この明日魔という主人公だ。いい歳して言動が子供っぽい上に、嫌味な性格をしていて、まったく好感が持てないではないか」
――それはあなたがモデルなのですが?!
という台詞が喉元まで出かかったが、魔門はそれをぐっと堪えた。
「あー、夫婦喧嘩中に申し訳ないのだが……」
二人の言い合いが膠着するタイミングを見計らっていたかのように、事務所の入り口からスーツを着た男が遠慮がちに声をかけた。
「『夫婦じゃない』です!」
遊間と魔門の台詞が見事に同調する。
声のした方向へ二人が振り向くと、そこには金髪で背の高い好青年と、その隣に赤髪ツインテールの若い女が立っていた。
「三上刑事……と、そちらの女性はどなたですか?」
三上と呼ばれた男は、ああ、と思い出したかのように口を開く。
「そういえば、ここに連れてくるのは今日が初めてだったな。こいつは最近うちに配属されてきた新人の警察官で……」
「始めましてっす! 神落警察署、特殊刑事課所属の咲良華っす。よろしくお願いするっす!」
三上が言い切るのを待たずに、赤髪の女――咲良は事務所に響き渡るぐらいの大きな声で自己紹介をした。
「すまない、まだ敬語に慣れていないようでな。話し方に癖はあるが、根は真面目な奴なので、仲良くしてくれると助かる」
「ちょっと、話し方に癖があるってどういうことっすかぁ?!」
三上の若干毒を含んだ言い方に、咲良は心外そうに声を荒げる。
そんな二人の様子を微笑ましそうに眺めながら、魔門は一歩前へと踏み出した。
「咲良華さんですね。私は魔門。魔門愛です。普段は一階のバーでアルバイトをしている、作家見習い兼遊間さんの助手です。よろしくお願いします」
魔門という名前を聞いて、咲良は目を輝かせる。
「おー、あなたがあの魔門さんっすね! 売れない小説家をしているという」
「う、売れない……?」
「お、おい! 咲良!」
三上は慌てて咲良の言葉を遮る。
しかし、咲良の暴走は止まらない。
「ということは、そっちの陰気臭いおじさんが遊間さんっすね」
「い、陰気臭いおじさん……だと?」
遊間がこめかみをひくつかせる。
「生憎、僕はまだおじさんと呼ばれるほどの年齢ではない」
「え? でも、遊間さんは確か三上さんと同い年で三十代でしたよね? であれば、まだ二十代の咲良的には十分おじさんっす」
咲良は遊間の反論を容赦なく切り捨てる。
「くっ……僕はこの女、苦手だ」
「だろうな。連れてきて正解だったよ」
遊間のぼやきに、三上は自虐的な笑みを浮かべた。
「……それで、今日は何の用だ?」
遊間はそう言うと、襟を正して三上に向き直る。
それに呼応して、三上の目つきも刑事のそれになる。
「実は昨晩、警視庁からお前宛てに名指しで捜査コンサルタントの依頼が届いてな。なんでも、魔術師の関与が疑われる連続殺人事件が、現在、東京で発生しているらしい。それで、オカルト事件専門の捜査コンサルタントであるお前に力を貸してほしい、と」
「魔術師の関与が疑われる連続殺人事件か、面白い。良いだろう、詳しく話を聞かせてもらおう」
遊間が不敵な笑みを浮かべながら、ソファに腰かける。
しかし、三上はその場に立ったまま、小さくため息を吐いた。
「それが、俺も詳しい話は聞かされていないんだ。事件の詳細が外部に漏れると、色々と厄介な事案らしい。それで、お前には、東京にある捜査本部まで直接足を運んでほしいとのことだ。
ま、俺はお前のお目付け役、もとい、お守り役ってわけだな」
「東京へ行くのは構わないが、そのお守り役という言い方はよせ」
遊間は不服そうに顔をしかめた。
「あの、私もついて行ってよろしいでしょうか?」
二人の会話が一段落したところで、魔門が横からそっと尋ねた。
「本来、捜査に関係のない一般市民を巻き込むのは御法度なのだが……きみなら遊間の助手ということで問題ないだろう。それに、こいつの面倒を見られる人間は一人でも多い方が良いだろうしな。是非、お願いするよ」
「はい、よろしくお願いします!」
三上から承諾を得られて、魔門は満面の笑みを浮かべる。
一方、遊間は三上の言い方が気に入らなかったのか、一層眉間にしわを寄せる。
「おい、三上。いい加減、僕を子ども扱いするのはやめろ。それと、東京までの移動手段はもう確保してあるんだろうな?」
「ああ、東京行きの新幹線のチケットならもう押さえてある。明日の八時に神落駅の改札前に集合だ」
「その神落駅までの移動は?」
遊間の真意を察してか、三上は大きくため息を吐いた。
「それくらいの距離、自分の足で歩いたらどうだ?
はぁ、分かったよ。七時五〇分頃に玄関の前で待っていてくれ。車で迎えに行く」
「よろしい。東京で利用するレンタカーの手配も頼むぞ。運転手は勿論きみだ。それと……」
「……まだ何か?」
嬉々として注文を付ける遊間に、三上は呆れたような視線を向ける。
「ホテルはスイートルームで頼むよ」
「それは却下だ」