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大崎楽との対面

「最初に大崎楽の職場、次に大久保新の自宅、最後に浜松万智の滞在している代々木警察署の順番で向かいますが、それで構わないですか?」

 警察車両のバックミラーを調整しながら、原木は遊間に尋ねた。

「ああ、それで問題ない」

 助手席でシートベルトを締めながら、遊間は答える。

「であれば、まずは大崎の職場――アムドゥシアス・ミュージックの事務所へ向かいましょう」

 原木はそう言うと、車をゆっくりと発進させた。

「大崎楽――確か、最初の事件の第一発見者で、AKIHAのマネージャー……でしたよね?」

 後部座席に座った魔門が自分の手帳を見返しながら、原木に確認する。

 原木はええ、と相槌を打つ。

「AKIHAがまだ無名だった頃からのマネージャーで、彼女のドキュメンタリー番組や自伝にも登場する、ファンの間ではそれなりに名前の知られた人物らしいですね。彼女との関係も、基本的には良好だったようです」

「しかし、報酬などの待遇面で最近は揉めていたのだろう?」

 遊間が横から口を挟む。

「はい。神田は楽曲配信やライブでの収益に対して自分の取り分が少なすぎると、周囲の人間に度々愚痴を漏らしていたようです。そのことをめぐって、彼女が大崎と言い争いしている姿も何度か目撃されています」

「あれほどの豪邸に住めるだけの金がありながら、まだ稼ぎ足りないとは。いやはや、人間の欲望は留まるところを知らないようだ」

 遊間は皮肉交じりに呟いた。


   ***


 目黒の自宅があった代々木から、東に車を走らせること約二〇分。

 遊間たちは六本木の北側に位置するアムドゥシアス・ミュージック本社ビルに到着した。

 流線形のフォルムに、全面ガラス張りの近未来的なデザインをした高層ビルで、上方には「Amdusias」の「A」を意匠に取り入れた、テレビCMでお馴染みの企業ロゴが刻まれている。

 そのビルの大きさに魔門が圧倒されていると、別の車両で移動していた三上と咲良が通りの角から姿を現した。

「すまん、駐車場を探すのに手間取った」

「構わない、僕たちも先ほど到着したばかりだ。さぁ、行こうか」

 ビルの手前で合流した五人は、早速正面入り口の自動ドアへと向かう。

 二つの自動ドアで挟まれた風除室(ふうじょしつ)を抜け、一階の受付にて入館の申請を済ませると、遊間たちは黒服の男に連れられて、六階にある応接室へと案内された。

「こちらの部屋でお待ちください」

 黒服の男はそう言って一礼すると、部屋を後にする。

 部屋の中心には黒い大理石でできた長方形のテーブルが一つあり、それを取り囲むようにして、綿のたっぷり詰まった黒レザーのソファが五つ置いてあった。一つは三人掛けのソファで、部屋の奥側に一つ。その向かいに一人掛けのソファが二つ。残り二つも一人用で、テーブルの両端(りょうはし)に一つずつ置かれていた。

「僕はこの椅子にしよう」

 遊間はテーブルの両端に置かれていた二つのソファのうち、入り口から遠い方を選ぶと、期待に満ちた表情でゆっくりと腰を下ろした。

 ソファがゆったりと沈み込む。

「うむ、悪くないぞ」

 遊間は満足げに頷いた。

 その様子を見守ってから、魔門たちも皆、思い思いに腰を下ろす。

 テーブルの上に用意されていたペットボトルのお茶を飲みながら、遊間たちが事件について議論を交わしていると、扉をノックする音とともに涼やかな女性の声が聞こえてきた。

「失礼します」

 扉が開かれると、声の主と思われる少し濃いめの化粧をした、小柄でふくよかな壮年の女性が部屋へと入ってきた。

 大崎楽の姿はない。

「お待たせして申し訳ございません。(わたくし)、アムドゥシアス・ミュージック取締役社長の安藤(あんどう)シアと申します。以後、お見知りおきを」

 安藤と名乗った女性は、額に浮かぶ小粒の汗をハンカチで拭いながら、ぺこぺこと小さくお辞儀をした。少しきつめのフレグランスの香りが、遊間たちの鼻腔を刺激する。

「いえ、お待たせしてなどとんでもございません。急なお願いにも関わらず、訪問をご快諾くださり、誠にありがとうございます」

 彼女につられて、原木もぺこぺこと頭を下げる。

(わたくし)、警視庁刑事部、捜査第六課の原木と申します。そして、こちらはコンサルタント探偵の遊間大さん」

「悪魔探偵の遊間大です。よろしく」

 悪魔探偵という聞きなれない単語に、安藤は一瞬怪訝そうな表情を浮かべるも、すぐにまた元の笑顔を取り繕って、遊間の差し出した右手を握り返す。

 遊間が自己紹介を終えると、続いて三上たちも一人ずつ自己紹介をしていった。

「魔門愛と申します。遊間さんの助手をしています」

 魔門の順番になり、彼女が自らの名前を明かすと、安藤は驚いたようにピクリと――しかし、魔門以外には気付かれない程度に小さく眉を動かした。

 ――以前、何処かでお会いしたことがあっただろうか?

 と、魔門は(いぶか)しむ。だが、それらしい記憶を魔門は何も思い出せない。

「あら、可愛らしい助手さんね。よろしく」

 あれこれ考えているうちに、彼女は魔門の手を握って挨拶すると、次に控えていた咲良の方へ歩いて行ってしまった。

 全員が自己紹介を終えると、原木が本題について切り出した。

「それで、本日お伺いしたのは、神田秋葉さんの事件についてマネージャーであった大崎楽さんからお話をお聞きしたく……」

 それを聞いた途端、安藤が眉間にしわを寄せる。

「あら? あの事件に関する大崎の容疑は既に晴れたと伺っておりますが?」

 ここで安藤の機嫌を損ねてしまっては、この後の取り調べにも支障をきたしかねない。

 そう判断した原木が慌てて首を横に振る。

「いえ、容疑者としてではなく、あくまで事件の重要参考人ということで、お話をお伺いしたく」

 原木の説明に、安藤も納得したのか表情を和らげる。

「まぁ、そういうことでしたら……彼は今、大事な会議に出席しておりまして、あと一五分ほどお待ちいただけますか?」

「はい、もちろんです」

 原木は安堵の笑みを浮かべる。

「それでは、私はこれで」

 安藤がそう言い残して退室しようとすると、遊間がそれを引き止めた。

「少々お待ちください、ご婦人。大崎さんがここに来られるまで、あなたからも少しお話しをお伺いしたいのですが、よろしいですか?」

「え、私ですか?」

 安藤は少し驚いた様子で立ち止まる。

「ええ、あなたです、安藤シアさん。

 神田秋葉さんの交流関係について、できれば多くの方に聞いておきたくて」

「そういうことでしたら……」

 遊間に促され、安藤はテーブル正面の一人掛けソファに腰を下ろす。

 遊間たちも、彼女を取り囲むように対面の三人掛けソファと左右の一人掛けソファにそれぞれ腰を下ろした。

「それで、どういうことからお話しすれば良いのかしら?」

 安藤が尋ねると、遊間がらしくもない猫なで声で答えた。

「そうですね。例えば、彼女が生前、特別親しくしていた人物についてや、あるいはその逆……恨みを買っていた人物についてですかね」

 安藤は少し考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。

「親しくしていた人物……は、さほど多くないんじゃないかしら? それこそ、指で数えられるくらい。彼女、重度の人見知りだったし、両親との関係もあまり良くなかったらしいし。私の知る限りでは、マネージャーの大崎と……後は、ライブハウス時代のミュージシャン仲間が数人」

「では、恨みを買っていた人物については?」

 遊間が尋ねると、安藤は(かぶり)を振った。

「全然、思いつかないわね。彼女、人見知りではあるものの、根はすごく良い子だったの。

 勿論、シンガーソングライターとして成功した彼女に嫉妬の目を向けていた子たちも少なくないでしょうけど……それが人を殺す動機になるとは、とても思えないわ」

「嫉妬は時に人をも殺しますよ」

 急に人が変わったかのように、遊間が冷たい声で言い放った。

 一瞬、室内に気まずい沈黙が流れる。

「いや、失礼。お気になさらないでください。

 推理していると、つい熱が入ってしまって。続きをどうぞ」

「いえ、他に思いつくことは何も……」

 遊間の急変ぶりに萎縮してしまったのか、安藤はそう言うと黙り込んでしまった。

 ――しまったな。

 遊間は自らの失態を悔やみつつ、次の一手を打つ。

「秋葉さんは生前、自身の報酬額などをめぐって何度か大崎さんと言い争いになっていたと伺いましたが……」

 遊間の一言に、安藤は再び眉間にしわを寄せる。

()()その話ですか? 先ほども確認させていただきましたが、大崎の容疑はもう晴れているのですよね?」

「お気を悪くさせてしまったらすみません。ですが、事件を解決するには、改めてそのお話しについて詳しく聞かせていただく必要があるのです」

 遊間は慌てて釈明する。

「例えば、秋葉さんが報酬に不満を持ち始めた理由――金銭的なトラブルを抱えており、すぐに大金が必要だったとか、そういった理由が分かれば、新たな容疑者への手がかりになるかもしれないのです」

「なるほど……」

 遊間の懇切丁寧(こんせつていねい)な説明に、安藤も再度納得した表情を見せる。

「ですが、そのような理由であれば、尚更この話は役に立たないと思います。あれは単純に、彼女が欲をかき過ぎたのがいけないんです」

「ほう。と、言いますと?」

 彼女が僅かばかり頬を上気させたのを観察しつつ、遊間は先を促す。

「彼女は今でこそ令和の歌姫などと呼ばれ持ち上げられていますが、デビュー曲がヒットするまでは、そこら中に数多(あまた)存在する売れないミュージシャンの一人に過ぎなかったんです。そんな彼女を見出し、プロモーションを成功させ、トップシンガーまで育て上げたのが、大崎を始めとする弊社の優秀なマネージャー陣なんです」

 彼女の言葉に熱がこもる。

「当然、プロモーションにもそれなりの費用が投じられています。それを彼女は自分一人の力で売れたのだと勘違いして……何処の誰に(そそのか)されたのかは知りませんが、弊社のベテランと同等以上のロイヤリティで報酬を受け取る権利があると主張しだす始末で」

「なるほど。それで大崎さんと言い争いに」

 遊間の言葉に、安藤はこくりと頷く。

「ええ。それ以来、彼女、事あるごとに大崎くんへ強く当たるようになっていたらしくて……時折、彼に対して酷い罵声を浴びせていたという話も周りのスタッフたちから聞いているわ」

 安藤はそこで一旦視線を下に逸らすと、数秒ほど沈黙し、それから再び視線を遊間の方へ戻して、訴えかけるように話を続けた。

「だけど、大崎くんは決してその程度のことで人を殺そうだなんて思う人間じゃないの。秋葉さんのことだって、実の娘のように可愛がっていて……」

「実の娘のように、ですか」

 遊間が尋ねると、安藤は目に涙を浮かべながら答えた。

「ええ。彼、数年前に交通事故で奥さんと娘さんを同時に亡くしていて……その娘さんが今も生きていたら、ちょうど秋葉さんと同じくらいの年齢だったの。それで、時折我儘などを言って甘えてくる彼女に対して、自分の娘を重ねて見てしまうこともあったみたいで……。だから、彼女が亡くなって、今一番つらいのは彼だと思うわ」

 そこまで一気に話すと、安藤はふと我に返ったかのように口を閉ざし、頬に零れ落ちる涙をハンカチで拭い始めた。

「すみません、事件とは関係のない話を……」

「いえ、構いませんよ」

 遊間はまたも、彼らしくない爽やかな笑みを安藤に向ける。

 ひとしきり涙を流した後、安藤は応接室の時計に目をやって、思い出したかのように大きな声を上げた。

「あら、もうこんな時間。すみません、私、この後大事な打ち合わせがありまして。そろそろ、お(いとま)させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、お尋ねしたかったことは概ね伺うことができました。ご協力ありがとうございました」

 遊間はその場で立ち上がって一礼する。

「いえ、少しでもお役に立てたのであれば幸いです。それでは、失礼いたします」

 安藤はそう言ってお辞儀を返すと、応接室を後にした。


   ***


 安藤が部屋を出るとすぐに、遊間は原木の方へ向き直る。

「原木くん。今の彼女の話、これまでの警察の捜査結果と相違ないかな?」

 原木は警察手帳を確認しながら答える。

「はい、相違ありません」

 遊間はそうか、とだけ返事をすると、再びソファに腰掛ける。

 それから「ふぅ」とため息を吐くと、ポケットから電子タバコを取り出して、一服し始めた。

 辺りにヴァニラの甘ったるい香りが漂い始める。

 その匂いに、魔門と咲良が顔をしかめるも、遊間は気にも留めずに吸い続ける。

 そんな、いつもの無遠慮さを取り戻した遊間に、魔門が後ろから声をかけた。

「遊間さん、あんなに礼儀正しく振舞えるなら、普段からそうしてくれませんか?」

 遊間が面倒くさそうな顔をして、のっそりと振り返る。

「馬鹿を言うな。あれは捜査のために必要だから仕方なく、礼儀正しい人物を演じていただけだ。

 この僕が、普段からあんなに愛想よく振舞えるはずがないだろう」

「また、そんな屁理屈を言って……」

 魔門は呆れたようにため息を吐きながら、遊間から無理やり電子タバコを取り上げた。

「何をする、返せ」

 電子タバコを取り返そうと、遊間がとっさに手を伸ばす。

 しかし、魔門はその行動を予見していたかのように、すっと、その手を(かわ)す。

「あと、訪問先で煙草を吸わないでください。部屋に臭いが付いたらどうするんですか?」

「だから、その電子タバコで吸っているのは単なる香料付きの液体(リキッド)で、部屋に煙草の臭いは染みつかないと何度言えば……」

「でも、香料の臭いは染みつきますよね?」

 遊間と魔門が睨み合う。

 そんな二人の言い争いを横目に、咲良が(おもむろ)に口を開いた。

「あの……動機的には、あの女社長も結構怪しくないっすか?」

「それはどういう意味だ?」

 咲良の呟きを耳聡く聞き取った遊間が、魔門との口論を中断し、鋭い口調で聞き返す。

「えーとっすねー、AKIHAが自分の待遇に不満を漏らしていたことについて、良く思っていなかったのはあの女社長も同じというか」

「なんだ、そういうことか。それはあり得ないな」

 咲良の意見を遊間は一蹴する。

「あり得ないって、どうしてそう言い切れるんすか?」

 釈然としない様子の咲良に対し、遊間は小さくため息を吐いて、説明する。

「簡単な話だ。あの女社長が神田秋葉に対してどれだけ憤りを感じていたとしても、彼女にとってAKIHAという偶像(キャラクター)は、莫大な利益を安定して生み出してくれる会社の主力商品だ。そんな大切な商品を、少し反抗的で鼻につくからといったくだらない理由で、彼女がそうやすやすと手放すはずがない」

 でも、と咲良は納得のいかない様子で反論する。

「その理屈でいくと、大崎楽の犯行動機も成り立たなくなるんじゃないっす?」

「ああ、その通りだ。だから僕も最初の推理では、大崎楽が犯人である可能性は低いと思っていた。

 仮に大崎が犯人だとしても、恐らく動機は別のところにあるだろう」

 遊間はそう言うと、電子タバコを取り戻すために再び魔門の手元に手を伸ばした……が、その手は魔門によって無慈悲に払い落とされる。

 それからまた遊間と魔門の間で無言の攻防が続き、ようやく遊間が電子タバコを取り戻したちょうどそのとき、扉をノックする音が室内に響き渡った。

「どうぞ、お入りください」

 原木が扉に向かってそう声をかけると、丸眼鏡をかけた細身で少し背の高い中年の男性が姿を現した。

「お待たせして申し訳ございません。(わたくし)、アムドゥシアス・ミュージック、マネージャー統括の大崎楽と申します。

 安藤から、打ち合わせ後、こちらへ伺うよう仰せつかったのですが……」

 大崎と名乗る男は、白髪交じりの頭を掻きながら、室内の面々を見渡した。そして、三上、咲良の二人と目が合うと、驚いた様子で声を上げた。

「おや、あなたたちは……」

「昨日はお邪魔しました」

 三上が丁寧に頭を下げる。

 続いて原木が一歩前へ出て、今回の訪問趣旨を説明する。

 初めは緊張した面持ちで話を聞いていた大崎も、原木から容疑者としてではなく重要参考人としての事情聴取だと知らされると、幾分か表情を和らげた。

「そして、こちらが今回聞き取り役を務める、コンサルタント探偵の遊間大さんです」

「よろしく」

 原木の紹介に合わせて、遊間が手を差し伸べる。

 インバネスコートに鹿撃ち帽子といった、現代に似つかわしくない遊間の出で立ちに面食らったのか、大崎は不審者を見るような目つきで恐る恐る遊間の手を握り返した。

「では、こちらへお座りください」

 原木が着席を促すと、大崎は少し戸惑う様子を見せた後、テーブル正面入り口側のソファにおずおずと腰を掛けた。

 遊間たちもそれに続いて、それぞれ好きな場所に腰を下ろす。

 全員が着席すると、まず先に口を開いたのは大崎だった。

「それで、何をお話しすれば良いのでしょう?」

「まずは神田秋葉さんの交友関係について……具体的には彼女と親しかった人物や、逆に不仲だった人物について、あなたの知っていることをお聞かせください」

 遊間は安藤にしたのと同じ質問を大崎に投げかける。

「そうですね……特別親しかったのはインディー時代から付き合いのあるミュージシャン数名と、あとは弊社の現場スタッフ数名でしょうか。逆に不仲だったのは……すみませんが、思いつきませんね」

 大崎は安藤と同様の証言をする。

 ただ、と大崎は付け加える。

「皆さんも既にご存知かと思いますが、私と秋葉は生前、彼女の報酬のことで揉めておりました」

 彼と神田秋葉が報酬面で揉めていたことは周知の事実であり、今さらそれを隠しても仕方のないことだと、大崎は判断したのだろう。彼は自身と神田秋葉との間に確執があったことを素直に打ち明けた。

「ええ、存じておりますよ」

 遊間は頷くと、より詳しい情報を引き出そうと、さらに質問を畳みかける。

「そのことについてですが、なぜ彼女が急に報酬の増額を要求するようになったのか、何か思い当たることはありませんか? 例えば、最近大きな買い物をして、お金に困っていたとか」

「うーん……」

 大崎は少し考えこむ姿を見せた後、申し訳なさそうに首を横に振った。

「すみません、特には思いつきませんね」

「そうですか」

 遊間は露骨に肩を落とした後、一呼吸置いて別の質問を投げかける。

「では、もう一つ質問を。事件の第一発見者はあなただと伺っているのですが、遺体発見に至った経緯と、遺体を発見したときの事件現場の様子を詳しくお聞かせ願えますか?」

「そのことについては、既に何回も刑事さんにお話ししたと思うのですが……」

 大崎はあからさまに顔をしかめる。

「それは失礼。ですが、同じ質問であっても聞き手が変われば得られる情報も大きく変わるものなのです。お手数ですが、遺体を発見したときの状況をもう一度詳しくお話ししていただけますか?」

 遊間の鋭い眼差しに、大崎も観念したのか、固く結んでいた口をあっさりとほどいた。

「……その日はもともと、秋葉の自宅で次のライブについての打ち合わせをする予定でした」

「その打ち合わせの予定は何時から?」

 遊間がすかさず畳みかける。

「ええと……午後二時からですね」

 大崎は胸ポケットから手帳を取り出し、八月二一日――即ち、事件当日の予定を確認しながら答えた。

「なるほど。それで、神田秋葉の自宅へ予定通りに到着したあなたは、浴室で倒れている彼女を発見して、警察に通報した、と」

「はい、その通りです」

 大崎は首を縦に振る。

「よろしい。それでは順を追って確認しましょう。まず、その日の午前中、あなたはどこで何をされていたのですか?」

「午前中ですか? 午前中はここで別の仕事をしておりましたが……」

「それを証言できる方はいらっしゃいますか?」

「同じオフィスで働いている同僚であれば……それに、その日の午前中のアリバイについては、既に警察の方で実証までしていただけていると思いますが」

 遊間が目配せすると、原木はこくりと頷く。

「はい。その日、大崎さんが出社されたのは午前八時頃。それから四時間ほどオフィスでお仕事をされて、社屋を出られたのが午前一二時過ぎ。いずれも大崎さんと同じ部署で働く同僚が目撃しており、少なくとも正午一二時までのアリバイは立証済みです」

 原木が説明を終えると、遊間は再び大崎の方へと向き直る。

「では、社屋を出てから約束の時間までは何をされていたんですか?」

 大崎は古い記憶を掘り起こすようにゆっくりと口を開く。

「確か、社屋を出てからすぐに行きつけの食堂でお昼を食べて、それから電車で渋谷まで移動した後は、約束の時間が来るまで駅前の喫茶店で時間を潰していました」

「それらの行動を裏付ける証拠は?」

 遊間が視線を向けると、原木はすぐに手元のタブレットから資料を検索して、答える。

「定食屋と喫茶店のレシートが一枚ずつ。それと六本木から渋谷までの乗車履歴もICカードに記録されています」

「その記録を見せてくれるかな」

「承知しました」

 原木はタブレットを遊間に手渡す。

「定食屋のレシート発行時刻が午後一二時三一分。それからすぐに六本木駅から電車に乗り、渋谷駅には一時八分着。そして、喫茶店のレシート発行時刻が一時一〇分……か。喫茶店で飲み物を受け取ってからすぐに松濤へと出発すれば、四〇分ほど犯行可能な時間が生まれるな」

 タブレットを覗き込みながら、遊間は小声で呟いた。

「あの……何かおかしなところでもありましたか?」

「いえ、何もおかしなところなどありませんよ」

 不安そうに尋ねる大崎に対し、遊間は何事もなかったかのように取り繕う。

「事件現場に到着するまでのあなたの行動は概ね理解しました。次は、死体発見時の状況を詳しく教えてください」

 遊間の問いかけに大崎は「分かりました」と答えると、慎重に言葉を選びながら話し始めた。

「ええと……秋葉の自宅に到着したのは、約束していた時間の数分前……ちょうど午後一時五五分頃だったと思います。

 普段なら、インターホンを鳴らせばすぐに玄関まで迎えに来てくれる彼女が、その日は二、三度インターホンを鳴らしても現れませんでした。それで、もしかしたら打ち合わせの予定を忘れて何処かへ出かけてしまったのかなと思い、彼女の携帯に電話をかけてみたのですが、それも繋がらず……」

「彼女が予定を忘れて出かけてしまうことは、普段からよくあったのですか?」

 遊間が尋ねると、大崎は首を横に振る。

「いいえ、そのようなことはその日が初めてでした。それで心配になった私は、何かあった時のためにと彼女から合鍵を預かっていましたので、それを使って屋内へ入りました。室内を歩き回っていると三階の浴室の前で水の流れる音が聞こえてきまして。その日は猛暑日だったこともあり、ああ、汗でも流していたのだなと安堵しつつ扉越しに声をかけてみたのですが返事はなく……それで妙な胸騒ぎを覚えて、扉を開けてみたところ、洗い場で彼女が頭から血を流して倒れているのが見えたので、慌てて警察に通報した、という次第です」

 大崎が話し終えると、遊間は鋭く目を光らせた。

「何故、救急ではなく警察に通報を?」

「と、言いますと?」

 大崎は怪訝そうに聞き返す。

「その時点で彼女が生きているかどうかの確認はしなかったのですか?」

「あ、あまりに深い傷だったので、彼女はもう助からないだろうと思ったんです……」

 大崎はしどろもどろで答える。

「なるほど」

 証言に目立った矛盾は見られない。だが……と遊間は思考する。

「分かりました。お尋ねしたかったことは、これですべてです」

 壁にかかった時計の針を確認しながら、遊間は聴取を打ち切った。

 その宣告を聞いた大崎はほっとしたような表情を浮かべ、すぐさま席を離れる。

「では、私はこれで」

「はい、ご協力ありがとうございました」

 退室する大崎に向かって原木が礼をする。

「それで、何か収穫はあったのか?」

 大崎とのやり取りを黙って聞いていた三上が、遊間に声をかけた。

「いや、どうだろうな。あの男の証言には、いくつか引っかかるものがあった。しかし、真相へたどり着くにはまだ何か決定的な手掛かりが欠けている。そんな感じだ」

 遊間はそう言うと、先ほどのやり取りを脳内で反芻(はんすう)する。

 大崎は確実に何か大事なことを隠している。しかし、大崎との会話をこれ以上続けたとしても、その何かを引き出すことは恐らく難しいだろう。

 時間さえ許せば、アムドゥシアス・ミュージックに勤める他の社員から聞き込みをしたり、大崎の足取りを辿ったりすることも可能だったのに、と遊間は奥歯を強く噛む。

 だが、猶予のなさも含めてすべては自らの推理の甘さが招いた状況だ、と遊間はすぐに思い直す。

 ――こんなところで落ち込んでいる時間はない。

 遊間は気を取り直すと、三上たちに向かって声を張り上げた。

「次は大久保新からの聞き取りだ。もたもたしている暇はない。さっさと出発するぞ」

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