浅瀬警部の憂鬱 二
「なに、魔術による犯行だという証拠が一切見つからなかっただと?!」
原木から電話で報告を受けた浅瀬は、思わず声を荒げた。
「はい。ですので、遊間さんを中心に推理の見直しをおこなっているのですが、情報収集のため、改めて容疑者たち全員から話を聞くことになりまして……その、面会のご許可をいただければと」
「……仕方ない、許可しよう」
浅瀬はため息交じりに答えた。
「ありがとうございます。それと……」
原木は少し躊躇してから切り出す。
「念のため、容疑者たちへの監視と犯行が予告されている明日、一一日の目白の巡回を強化してほしいとのことで……」
それを聞いて、浅瀬は頭を抱えた。
――あの悪魔探偵とかいう輩は警察を一体何だと思っているんだ。我々は貴様の便利な使い走りではないのだぞ。
浅瀬の中に、ふつふつと怒りの感情が沸き上がってくる。
――あれだけ偉そうに高説を垂れていたくせに、いざ証拠が見つからないとなると、容疑者たちへの監視と巡回を強めておいてほしい、だと? こちらの労力も知らずに……。結局そういうことになるのであれば、初めから私の言った通りに、容疑者全員を犯行予告日時まで拘留しておけば良かったのだ。いや、今からでも遅くはない。急ぎ、裁判所に身柄拘束の申請を……。
浅瀬がそのように考えていると、原木が心配そうな口調で尋ねた。
「あの、浅瀬課長。こちらの返答は如何なさいますか?」
原木からの問いかけに、浅瀬はまだ自分が返事をしていなかったことに気付いた。
「あ、ああ。監視と巡回の強化については私の方で何とか調整しよう。三上たちにもそう伝えておいてくれ。きみは引き続き、彼らのサポートと監視を頼むぞ」
「はい、承知いたしました」
失礼します、と原木が言い切るのを待たずに、浅瀬は携帯の通話をオフにする。
はぁ、と大きなため息を一つ。
――本当にあの探偵を信用して良かったのだろうか?
浅瀬の頭に一抹の不安がよぎる。
――刑事部長からの紹介だと言うし、三上も信用しているようだから、渋々受け入れはしたが……もし、あの男が何かやらかしたら、その責任は一体誰が取ることになる。
浅瀬が頭を悩ましていると、課長室の扉を三回ノックする音が響いた。
「私です」
扉の外から、端正な女性の声が聞こえてきた。
「入りたまえ」
「失礼します」
入ってきたのは、生真面目そうな顔をしたワンレングスカットの女性警官が一人。
会議室で浅瀬の隣に着席していた、彼の腹心の部下である。
「何の用かね、黒瀬くん」
「こちら、先日の定例でお話しした例の失踪事件に関する報告書です。それと、倭文記者から取材の申し込みが」
黒瀬と呼ばれた女性は淡々と答える。
「また、あの三流週刊誌の記者か」
浅瀬は再び頭を抱える。
一体、どこから嗅ぎ付けたのだろうか。事件が解決するまでの間、神田秋葉の死については、彼女の長期休養ということで関係者たちに口裏を合わせてもらっていた。
しかし、彼らの証言に違和感を覚えた者もいたのだろう。
数日前から、勘の鋭い記者が複数人、スクープを狙って彼女の現状についてこそこそと調べまわっていたのだ。
そのうちの一人が、オカルト事件専門のフリージャーナリスト、倭文豹牙であった。
「今回も適当な理由を付けて断っておいてくれ」
「ですが、どうしても浅瀬課長に会わせてくれとしつこくて……」
黒瀬が縋るような目で浅瀬を見つめる。
「私は今、例の事件の対応で忙しいんだ。どこの馬の骨とも分からない輩にいちいち構っている暇はない」
「……かしこまりました」
黒瀬は暫くの間、何か物言いたげな様子でちらちらと浅瀬の顔色を伺っていたが、やがて取り付く島もないことを悟ったのか、丁寧に一礼すると部屋を後にした。
黒瀬の足音が遠ざかっていくことを確認すると、浅瀬は椅子に座り、深くため息を吐いた。
どいつもこいつも使えん奴らばかりだ、と内心で毒づきながら、浅瀬は黒瀬の持ってきた資料に目を通す。
しかし、いまいち内容が頭に入ってこない。
資料の端々に現れる「失踪」という二文字が、浅瀬に先ほどまで抱いていた憂いを思い出させる。
浅瀬は一昨日、記者からの取材で自らが発した台詞を思い出す。
「AKIHAが失踪したという事実は確認されていない。彼女のプライベートについて、我々からこれ以上言えることは何もない」
こんな見え透いた嘘など、いずれ彼らに看破されるであろうことは、浅瀬も十分承知していた。しかし、犯人を見つけ出すまでは、神田秋葉が殺されたという事実は絶対に隠し通さねばならないと、浅瀬は今までの経験から確信していた。
今回の事件のような劇場型犯罪――犯行予告などを用いて、事件をあたかも演劇の一部であるかのように演出し、事件の過程や結果を大衆に見せつけることを目的とした犯罪――は、模倣犯を生み出しやすい。特に、その被害者が神田秋葉となれば、その影響は計り知れない。
AKIHAという有名人――いや、一部の熱狂的な信者たちからは神サマとまで呼ばれていた、圧倒的偶像の死は、それほどまでに重いのだ。
浅瀬は自身が失墜する原因となった例の事件のことを思い出す。
都内のインターカレッジサークルに所属する大学生ら十五人が、山奥のとある宗教施設で凄惨に殺しあったあの事件。
彼らがあの場で殺し合いをした理由は今でも明らかになっていない。あの事件で生き残った学生たちは皆、最期まで口を閉ざしたまま、獄中で原因不明の死を遂げたからだ。
ただ、事件現場に遺されていたメッセージを、浅瀬は今でもすぐに思い出すことができる。
我ら人類にアンリマユの祝福を。我ら人類に永遠の平穏を。
浅瀬には、そのメッセージの真意は分からなかった。しかし、彼らが何かを妄信し、それにある種の救いを見出していたことだけは理解できた。そして、その狂信こそが、彼らを殺し合いに駆り立てた真の理由ではないかと、浅瀬は推測していた。
そう、憧れや崇拝といった感情は、そこまで人を狂わせるのだ。
浅瀬は自分の思考が彷徨っていることに気付いて、視線を窓の外へ移した。ビルとビルの隙間から、夕陽が真っ赤に輝いているのが見える。それは、まるで彼らがあの時流していた血のように赤く――。
浅瀬は下唇を強く噛み、それから手元の書類に目を戻した。