第9話 変化の兆し
幼稚園に通い始めてから季節は巡り、かつしも年を1つ重ねた。相変わらず自宅と幼稚園の往復だけだが、確かに成長をしていた。
「もうママがやらなくても、ひとりでできるよ。」今のかつしにはお馴染みの言葉だ。洗面所の踏み台に乗ることで、鏡に映る自分と対面を果たし、歯を磨き始めた。
「大きくなったわね。でも、終わったら確認するわよ?しっかり磨けていなかったら、虫歯になってしまうもの。」しっかり はみがきできたのに。口を大きく開いて確認された。秋穂お母さんには、まだ残っていると言われて、磨き直すことにもなってしまった。
かつしはまだまだできることがある。1人でパジャマを脱げるし、制服のボタンも締められる。靴だって、履けるようになっている。
1人でできればできるほど、かつしの中で、もっとやりたい、ぼくならできる。という思いは日増しに強くなっていった。一方で、秋穂お母さんが口を挟むことも、同様に増えてきた。
「へんしん。」かつしは両手を重ねて、上に伸ばした。魔法少女サキナちゃんでは、悪者を倒す時によく見るポーズだ。
「ほら、男の子なんだから、あまり真似ばかりをしないの。」テレビの前で一緒にポーズを決めていると、後ろから声が飛んできた。
「かっこいいじゃん。どうしてダメなの?」かつしは気にせずに続けた。
「そんなことしてたら、お友達にも笑われるわよ。」秋穂お母さんの口調が強くなった。
「そんなことないよ。みんなもやるもん。」かつしはくるっと振り返り、秋穂お母さんと向き合った。かずきくんと、けいすけくんが、そんなことをするわけないよ。
「本当かしら?この子は男の子なのに、どうして女児向けアニメをこんなに…。」秋穂お母さんは額に手を押し当てた。
「ホントだもん。」秋穂お母さんの様子がおかしかったので、かつしはもう一度ハッキリと言った。
またある時はチャイムが鳴り、秋穂お母さんが荷物を受け取っていた。かつしは玄関前のドアの後ろに隠れて、耳をそばたてていた。
秋穂お母さんとは、チャイムが鳴った時は玄関前のドアを絶対に開けないという約束をしていた。
最初はキッチリと守っていた。でも、やっぱり みたいよ。ドアのむこうは どうなっているのかな?どうにか約束を破らずに、ドアの先を知る方法がないかと考えたのが、耳をくっつけることだった。でも、ぜんぜん わかんない。そうだ!ドアをひねるだけならいいよね。だって、みてないもん。
ドアをひねることまではできたけど、押すことまでは敵わなかった。鍵がついていた。
「あっ、あいた。」いつの間にか、手応えが軽くなっていた。ドアを開いた先には、秋穂お母さんが聳え立っていた。
「何してるの、かっちゃん。」秋穂お母さんからは、外の怖い人から身を守ることがどれだけ大切なことなのかを、かつしがわかるまでこんこんとお説教された。
「ねぇ、いっぱいだよ?なにがはいってるの?」かつしはダンボールの山へ駆け出した。
「本当にわかったのかしら?これは椅子よ。かっちゃんも大きくなったでしょう?そろそろ一緒の椅子を使おうと思って、頼んでおいたのよ。」秋穂お母さんは一息つくと話し出した。
「しらないの?おみせに いかないと かえないんだよ?」かつしはあまりにおかしくて、ケラケラと笑った。
「最近は親切な人が多くてね?お店に行かなくても買うことができるのよ。」秋穂お母さんは鼻を鳴らした。
「ほんと?しんじられないよ。」
「サキナちゃんばかりのかっちゃんには、まだまだわからないでしょうね?」かつしはおでこを指でつつかれた。
「ぼくだって、もうおおきいもん。しってるもん。」かつしも負けじと顔を近づけた。
「はいはい。それならもっと大きくならないとね。荷物を運ぶから、少し避けてくれる?」
「ぼくも もつよ。」かつしは駆け寄り、しゃがんでダンボールを持ち上げようとした。
「やめておきなさい。危ないわよ?かっちゃんはまだまだ小さいでしょうに。それに、男の子は力が弱いのよ?」
「こんなに ちからがあるよ。」かつしは力こぶを作って見せた。
「こんなに柔らかいでしょう?頑張ることはいいことだけど、こういう力仕事はママに任せなさい。かっちゃんはどっしりと待つことも大切なのよ?」秋穂お母さんに、二の腕をつねられた。
「だいじょうぶ。ぼくも まもれるよ。」
「アニメの見過ぎよ。かっちゃんは守られる方よ。さあ、離れなさい。」秋穂お母さんはさっさとダンボールを持ち上げてしまった。
「はーい。」かつしは引き下がらずを得なかった。
今朝も幼稚園に向けて、いつものように待ち合わせを行なっていた。かつしは挨拶している最中に尋ねた。
「ねぇねぇ、のりこさん。どうやったら つよくなれるの?」かつしにとって、強いといえばサキナちゃん。そして、伸利子さんはこの上なくそっくりだった。
「そうですね?よく食べ、よく寝て、よく大きくなれば、強くなれますよ。」伸利子さんは微笑みを浮かべていた。
「ちがうの。そうじゃなくて。ぼくも、のりこさんみたいに たたかいたいの。」かつしは地団駄を踏んだ。
「流石にかつし君が戦うことはありませんよ。守ってくれる人が、そばにいますから。」しばらくの間、伸利子さんと目があった。
「ごめんなさいね。この子、最近テレビの影響で、すごい活発なのよ。普段はお手伝いをしたり、男の子のお勉強もしっかりこなしているんですけど。どうも興味の行き先が変わっていてね?」秋穂お母さんは眉を寄せた。
「もう、そればっか。」かつしは背中を向けて、足元を蹴り始めた。
「稀に女の子が好むことにも興味を持つ男の子がいるとは聞きましたが、ここまで持たれているとは思いませんでした。」
「まだ小さいから見守っているんですけど、大丈夫だと思います?」秋穂お母さんの瞳が揺れていた。
「私からは何とも言えませんが、幼稚園の先生に相談されるのはどうでしょうか?同じ年頃の男の子を数多く見ておられるでしょうし。」伸利子さんはしばらくすると、途切れ途切れに言葉を紡ぎだした。
「確かにそうですね。相談してみます。ありがとうございます。」秋穂お母さんの瞳はじっと止まった。
秋穂伸利子